香草

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8/16/2025, 9:24:51 AM

「!マークじゃ足りない感情」

寝る前は脳みそがとろけてしまっている。
だから普段なら恥ずかしくて言えないことも平気で言えるのかもしれない。
しかし喧嘩しているカップルにおいてはその限りではない。
冷や汗がひんやりと首筋を流れて頭はスーパーコンピューターの比じゃないほど冴えまくっている。
やっちまった。やらかした。
ちょっとの油断がこんなことになるなんて…。
スマホを見つめ彼女からの連絡を待つ。
しかし既読がつくだけで返事はない。

        今日のデート忘れちゃってごめん>
夜勤長引いてそのまま寝ちゃってた>

電話をしてもすぐに切られてしまう。
かなりお怒りのようだ。

今日は彼女が楽しみにしていたカフェに行く約束をしていたのだ。
俺の誕生日も近いため夜まで一緒にいてお祝いするはずだった。
なんならこのベッドで一緒に寝ているはずだったのに。
気付けば約束の時間を5時間も過ぎていて太陽は夕を帯びていた。
以前もデートの前日に夜勤のバイトを入れてすっぽかしをやらかしたことがある。
その時は「忙しいのも分かるけどデートの前日は夜勤しないでよ。私、男友達じゃないんだよ?」と言われてしまった。
ドタキャンされたら誰だって怒る。
男友達ならまだしも、女性は準備に時間がかかるから余計だろう。
夜勤明けのボロボロの状態を許してくれるのは男友達との飲みくらいだ。
彼女はいつも肌がつるりとしてドレスのようにふわふわした服を着ている。
それも理解している。
なのになんでまたやっちまったんだ…!

しかも今日は俺のお祝いも兼ねていた。マメで優しい彼女のことだ。きっとプレゼントなども用意してくれていただろう。
やばい…このまま愛想尽かされるかもしれない…。

             本当にごめんなさい🙇‍♂️>
          この埋め合わせは必ずします>

既読もつかなくなった。
終わっちまったんだ…。
これまで喧嘩はあれど返事が返ってこないことはなかった。
明日彼女の家に行くか…。
そう思って枕に顔を埋めた時だ。
ピンポーン
ドアのチャイムが鳴った。
深夜なのに…。冷や汗が背中に流れる。
恐る恐るドアスコープを覗くと、黒いキャップをかぶりパーカーを着た人が立っていた。顔は見えない。
あ、俺恋だけじゃなくて命も終わるんだ…
そう思ったその時、ドアの向こうで聞き慣れた咳払いが聞こえた。
「え!」
慌ててドアを開ける。
不審者のような格好をして甘い笑顔が見えた。
「来ちゃった」
アニメでしか聞いたことがないセリフトップ3を放ち、キャップを取る。
どこに押し込められていたのかふわりと長い髪が広がり同時にシャンプーの香りが漂った。

「深夜だから危ないかなあと思って不審者コーデしてきたの。可愛くないけど、まあ今日は君が悪いから許しなさい」
俺は興奮と嬉しさと愛しさと罪悪感と申し訳なさでいっぱいだった。
「ねえ!なんか言うことないの!」
ぷくっと彼女が頬を膨らませて睨みつける。
俺は声が出ず彼女を抱きしめた。
いつものふわふわとした服じゃないからか余計に彼女の熱が感じられる。
彼女の後ろ手に小さな紙袋が見えた。俺が気になっていたブランドのロゴが見える。
もう感情がぐちゃぐちゃでなぜか涙が出てきた。

8/15/2025, 11:28:44 AM

「君が見た景色」

墓参りをするとき妻は表情を失う。
まあへらへらと笑っているのも不謹慎だし、さめざめ泣いているのもさすがに感受性強すぎるから真顔なのが一番いいのだと思う。
確かにどんな表情をしていいのか分からない。
妻の家はとても素晴らしいと思う。
立派で定年までしっかり仕事を勤め上げ、一家の大黒柱として生涯をまっとうした父。結婚の挨拶の時もその威厳のせいか僕が泣きたくなるほどだった。
そしておおらかでテキパキと働く母。妻の実家に行くと美味しい料理を出してくれていつも僕の仕事や子供たちを気遣ってくれていた。
両親が亡くなったのはこの冬。
不幸な事故だった。あれだけ立派で優しくて無害な人たちが死んでしまうなんて、なんて理不尽な世界なんだろうと改めて思い知った。

妻の家を高く評価するのは僕の両親がとんでもないクズだったからだろう。
実質離婚しているのと同じようなもんで父母どちらも愛人を作って家には滅多に帰ってこなかった。
グレずに育ったのが奇跡だと思う。
だからこそ妻の実家は温かく素晴らしいと感じたのだ。
「花買ってきた?」
「うん」
妻は盆用の花束を抱えて見せた。
白い菊が太陽に照らされて眩しい。
無機質な墓に色を添えて僕らは手を合わせた。
妻を育てていただきありがとうございます。
改めて幸せにするので見守っていてください。

車に戻ると妻の表情はかなり明るくなっていた。
この後お寿司を食べに行く約束をしているからだろう。
桑田佳祐の歌声に揺られながら妻は晴々として言った。
「初盆終わったねー!やっと解放されたって感じ」
喪に服する期間から解放されたということか。
確かに無意識だけれどなんか鬱々としていた気がする。
「まああとは7回忌とか?」
「そうだねえ。まあしなくていいよ」
「え?そういうわけにはいかないでしょ」
「いい。もうこの家終わらせるから。なんなら墓じまいもそのうちしたい」
あれ?妻は両親と仲が良かったはずなのになんでこんなことを言うのだろう。

そういえば、妻は両親についてあまり語りたがらなかった。
小さい頃の思い出もあまり聞いたことがないし、実家に帰っても僕中心で話が回っていて彼女はあまり喋らなかった。
「私、両親大っ嫌いだったから。やっと解放された」
ご機嫌で桑田佳祐を口ずさむ。
温かく理想的な家庭。
もしかして僕は妻に寄り添えていなかったのではないだろうか。
どれだけ無神経に彼女を傷つけてしまったのだろう。
僕だって両親が嫌いだ。
ただ他の人から見たら、事情を知らない他人から見れば普通の家族だったに違いない。
理想を彼女に押し付けて寄り添おうとしなかった。
「…ちょっといいお寿司に行こうか」
「え?いいの?やったあ!」
妻は少女のように喜んだ。

8/14/2025, 11:22:02 AM

「言葉にならないもの」

「歌が上手い人モテるって言うじゃん。まじでそれ」
「誰?」
「え、今歌ってんじゃん」
「あー確かに上手いかも」
「後でLIME交換しようかな」
友人の瞬きがゆっくりになっているのを見て私はぼんやりと歌声の主を見る。
先ほどのレストランではそれほどパッとしなかった印象の男性だ。
一昔前に流行した韓国風のマッシュヘアで目元がほとんど隠れている。
どしたん話聞こか系男子。こういうタイプまだ生き残ってたんだ。
こういうタイプは大体自信がない。好きじゃない。
今日のために新調したネイルをパチパチと弾きながら私はこっそりと帰る準備を始めた。
友人に誘われた合コン。久しぶりに恋愛の合戦場に臨むにはそれなりの気合いが必要で、ゆるく巻いた髪も普段つけない甘い香水もいつもより長い爪も武装の一種だ。
しかし武装したはいいものの戦果は挙げられそうにない。
友人にこっそりと耳打ちしてカラオケルームを出た。

…はぁ〜だる。
私はヒールのかかとを叩きつけながら駅へ向かった。
夜のぬるい風が顔を吹きつけ、遠くの喧騒が流れていく。
眠い、だるい、疲れた。
満員電車の時間帯を過ぎた車内は赤ら顔のおっさんが8割。
その他は私と同じように戦闘服に身を包んだ若い男女。
誰も他人に興味を持つことなく、自身のスマホに目を向けて、そしてどこか寂しそうな顔をしている。
私にとっては外の世界は全部そんな感じだ。
ふとかすかにギターのシャカシャカした音が聞こえた。隣の人のイヤホンから音漏れしているらしい。
うわーだる。周りの迷惑考えろよ。
隣の男性は、先ほど見た歌うまのどしたん話聞こか男子と同じような外見だった。大学生?私よりも若いのかもしれない。
年下なら注意したろ。今日の私はいけてるはずだし。
トントンと肩を叩いて耳を指さした。
「音漏れてますよ」
ギターで聞こえないだろうから口をはっきり大きく動かす。
男性は慌てたようにペコペコと頭を下げてイヤホンを外した。

「すみません」
「いーえ、良い曲ですね」
あー何言ってたんだろ私。あ、恋愛武装モードが溶けてないんだな。会話続けようとしちゃって。
「すみません…」
男性はすっかり恐縮してしまったようだ。嫌味と捉えられてしまったらしい。
「なんて曲ですか?」
男性はびっくりしたようにおずおずとスマホの画面を確認した。
「えっと…silent screamっていうバンドで舌の奥っていう曲です」
「へえかっこいいですね」
とびきりの営業スマイルをプレゼントして私はスマホで検索した。
「…お、音がいいんです、このバンド。よかったら聞いてみてください」
私は画面に出てきた歌詞を見つめた。
これ、あのどしたん君が歌ってた曲だ。

赤いライトに照らされ激しく汗を散らしている人たち。
落ち着いた声と歌詞の下で強くかき鳴らされるギター。早いドラム。強いベース。
歌が上手い人ってモテるって言うよね。
ちがう。言葉にできないものがたくさんあったから、歌に乗せるしかなかったんだ。
私や他の人が感じているような寂しさ、孤独、もやもやをたくさん歌った結果上手くなったんじゃないの。
他人に興味がない?
そのくせ私は心の中で他人をジャッジして、非難して、媚を振り撒いて…
自分のモヤモヤを言語化して歌に乗せて昇華するでもなく、自分を正当化しているだけだ。
「今度ライブあるんですよね…このバンド。もしよかったら来てみてください」
「え?」
隣の男性はオロオロとして立ち上がり電車を降りていった。
気付けば少しだけ、だるさがなくなった気がした。



8/13/2025, 1:00:11 PM

「真夏の記憶」

一人暮らしをするようになるとフルーツを買うことがなくなる。
それすなわちどういうことかというと、分かりやすい食の季節がなくなるということ。
野菜や魚など食べ物には旬と言われるものがあるけれどたくさんの種類の野菜や魚、それこそほうれん草と小松菜の区別がつかない私に旬を覚えろなんて無理な話。
だからスイカが並び始めたら夏。ぶどうが並び始めたら秋、みかんなら冬というように果物で四季を感じていたのだ。
つまり目の前に並んでいる真っ赤な果肉、スイカを見て私は1人夏の思い出に耽っているのだ。

何年前の思い出だろうか。
まだ日向にいてもそこまで暑くなかったころで、時折涼しい風が風鈴を鳴らして入ってきていた。
永遠に終わらない学校の宿題をぐでぐでと寝転がりながら解いている。
人見知りで少し体が弱かった私は友達と出かけることもなく、空気がきれいな田舎の祖母の家に預けられていた。
というのも両親は仕事で忙しく私の面倒を見れなかったのだ。
都会の子供が田舎に遊びにきてもやることがない。川も森も体が弱い私にとっては危険なものでしかない。
まずそもそも友達がいない。
つまらない。退屈だ。
寝ては食べて寝てはテレビを見て食べては寝て。
祖母もそれほど喋るタイプではなく会話は最低限しかなかった。
退屈でどこか寂しい夏。


「スイカ食べるか?」
ある日、いつものように縁側で寝そべって風鈴の揺れを見ていたときだった。
「スイカ?食べる」
縁側に座って祖母がまんまるなスイカに包丁を入れる。
お互い無言のまま風鈴がちりんちりんと鳴り響く。
赤くみずみずしい果肉が開かれ甘く青臭い匂いが漂った。
「こりゃタネが多いな。飲み込んじゃいかん」
ぼそっと祖母が独り言のように呟いた。
私に言ってくれているのだろうが、返事をするべきか迷って無視をした。
食べやすいように皮から剥がすように一口サイズに切ってくれた。
指でつまみ、つぶさないようにそっと口に運ぶ。
シャクっと甘い水が口の中で弾ける。次の瞬間には冷たい液体が喉元を流れていく。

祖母は皮付きのまま豪快に食べていた。
種もお構いなしなようでジュルジュルと良い音を立ててかぶりついてる。
私はそっちの方が美味しそうに見えて祖母と同じように切ってもらうようせがんだ。
「ありゃ食べれるかいね」
夏休みしかやってこない孫、都会に住んでいる孫。
祖母は祖母なりに気を遣ってくれていた。今なら痛い程わかる。
私は祖母と同じようにスイカにかぶりついた。
口に入りきらない水が顎を伝い、腕を伝い、びしょびしょになってしまった。それでもなんだか大人になれたようで心が満たされていくのが分かった。
祖母の見真似で種をぷっと飛ばした。
お互い一言も喋らず、だけどどちらが遠くに飛ばせるかこっそり勝負していた。
ただ風鈴だけがちりんちりんと盛り上げてくれていた。

冒頭に言った通り一人暮らしになると果物は買わなくなる。理由はシンプル値段が高いから。
けれど私は夏なると必ずスイカを買う。
理由はシンプル夏の思い出だから。

8/12/2025, 8:03:52 AM

「こぼれたアイスクリーム」

賢者さまが足を止められた。
「これは…珍しい」
人目もはばからずガラス窓にピタリと張り付いてポスターを凝視している。
「賢者さま、いかがされましたか」
私はこのイカれた男を好奇の目に晒すわけにはいくまい、と小声でガラスから引き離そうとした。
ただでさえ賢者さまという存在は人に知られてはならない。街に入っても旅に必要な食料と備品を買うだけで、宿の部屋から一切出ない。
人々には悟られることなく街に滞在し、ひっそりと出ていかなければならない。
それがこの旅の決まりなのだ。
なのにこの男と言ったら、街の珍しいものを見つけては「これは調査せねば…」「おやこれは歴史的価値があるぞ」なんて言って立ち止まってしまう。
その度に私が強引に引っ張って宿に押し込めるのだ。
側から見れば、どこにでもいそうなぼんやりした父親としっかりした娘だと思われるかもしれないが、賢者さまのお世話は大変なのだ。

太陽がじりじりと頭のてっぺんを焼きつける。正直賢者さまを置いて早く宿で休みたい。
「ほらこれだよ。昔、といっても私がやってきた時代だけど、こんな暑い日によく食べられていたものさ。せっかくだから買っていこうか」
「賢者さま、まずは宿に…。私があとで買っていきますから」
「それじゃダメなんだなあ。まあまあほらそこに椅子がある。座って食べよう」
この男は自分の立場が分かってるのか?
賢者さまはある時この世界で一番権威のある教会に不思議な光とともに突然現れた。
どうやら過去に失われた文明についてよく知っているので、過去の人間らしい。
失われた文明を取り戻すべく、王様が賢者として文化の発展を任命されたのだが、この男はとても好奇心の強い性格で、ある日城を飛び出して旅を始めてしまったのだ。
王様の命令で私がなんとか見つけ出したものの、「すぐ帰るから」と言われてずるずると監視している状態だ。
正体がバレてしまうと国民の混乱が起こってしまうので賢者であること、過去から来たことは絶対の秘密だ。
なのにこの男は飄々と口に出しよって…。

「ほら、座って食べよう」
賢者さまは両手に真っ白な雲を固めたような貝殻のようなものを持ってベンチに座っていた。
もうなんでもいいや…暑いし…
何も考えられなくなってふらふらと賢者さまの隣に座る。
手渡されたものはカサカサとしたクッキーにひんやりとしたクリームが乗っている。
ほのかにミルクの匂いがする。
「んー!美味い!これは濃厚だ!牧場で食べたのを思い出すなあ。いやああれは高かった…」
賢者さまは舌を器用に使ってクリームを舐めとっている。
「ほら早く食べないと溶けちゃうぞ」
賢者さまがこちらを見て指さした。
クリームから白い液体が染み出して私の手を伝っている。
「わわ!」
慌てて舐めてみる。甘い!冷たい!
ぼんやりしていた頭が急にシャキッと目覚めた。

しかし溶け出したクリームは滝のように手を流れている。
口いっぱいに頬張るが冷たいしなかなか食べきれない。
クッキーまで全て食べ切った頃には手がベタベタになっていた。
「君食べるの下手だねえ」
はっはっと賢者さまに笑われてしまった。
家来の中でも一番マナーがよくて行儀がいいと褒められた私だったのに…屈辱…。
「でもこれがアイスクリームの醍醐味でもあるからね」
「あいすくりいむ、と言うんですね」
「そうそう。君のような子供がよく食べるんだ」
子供じゃないし…。
ベタベタになった手を洗いたいけれど川場はどこにもない。仕方なくこっそりとぺろぺろと舐めてみた。
先ほどよりもしょっぱいミルクの味がする。
美味しかったなあ…。
まあたまにはこういう発見もあってもいいかもしれない。



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