香草

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「言葉にならないもの」

「歌が上手い人モテるって言うじゃん。まじでそれ」
「誰?」
「え、今歌ってんじゃん」
「あー確かに上手いかも」
「後でLIME交換しようかな」
友人の瞬きがゆっくりになっているのを見て私はぼんやりと歌声の主を見る。
先ほどのレストランではそれほどパッとしなかった印象の男性だ。
一昔前に流行した韓国風のマッシュヘアで目元がほとんど隠れている。
どしたん話聞こか系男子。こういうタイプまだ生き残ってたんだ。
こういうタイプは大体自信がない。好きじゃない。
今日のために新調したネイルをパチパチと弾きながら私はこっそりと帰る準備を始めた。
友人に誘われた合コン。久しぶりに恋愛の合戦場に臨むにはそれなりの気合いが必要で、ゆるく巻いた髪も普段つけない甘い香水もいつもより長い爪も武装の一種だ。
しかし武装したはいいものの戦果は挙げられそうにない。
友人にこっそりと耳打ちしてカラオケルームを出た。

…はぁ〜だる。
私はヒールのかかとを叩きつけながら駅へ向かった。
夜のぬるい風が顔を吹きつけ、遠くの喧騒が流れていく。
眠い、だるい、疲れた。
満員電車の時間帯を過ぎた車内は赤ら顔のおっさんが8割。
その他は私と同じように戦闘服に身を包んだ若い男女。
誰も他人に興味を持つことなく、自身のスマホに目を向けて、そしてどこか寂しそうな顔をしている。
私にとっては外の世界は全部そんな感じだ。
ふとかすかにギターのシャカシャカした音が聞こえた。隣の人のイヤホンから音漏れしているらしい。
うわーだる。周りの迷惑考えろよ。
隣の男性は、先ほど見た歌うまのどしたん話聞こか男子と同じような外見だった。大学生?私よりも若いのかもしれない。
年下なら注意したろ。今日の私はいけてるはずだし。
トントンと肩を叩いて耳を指さした。
「音漏れてますよ」
ギターで聞こえないだろうから口をはっきり大きく動かす。
男性は慌てたようにペコペコと頭を下げてイヤホンを外した。

「すみません」
「いーえ、良い曲ですね」
あー何言ってたんだろ私。あ、恋愛武装モードが溶けてないんだな。会話続けようとしちゃって。
「すみません…」
男性はすっかり恐縮してしまったようだ。嫌味と捉えられてしまったらしい。
「なんて曲ですか?」
男性はびっくりしたようにおずおずとスマホの画面を確認した。
「えっと…silent screamっていうバンドで舌の奥っていう曲です」
「へえかっこいいですね」
とびきりの営業スマイルをプレゼントして私はスマホで検索した。
「…お、音がいいんです、このバンド。よかったら聞いてみてください」
私は画面に出てきた歌詞を見つめた。
これ、あのどしたん君が歌ってた曲だ。

赤いライトに照らされ激しく汗を散らしている人たち。
落ち着いた声と歌詞の下で強くかき鳴らされるギター。早いドラム。強いベース。
歌が上手い人ってモテるって言うよね。
ちがう。言葉にできないものがたくさんあったから、歌に乗せるしかなかったんだ。
私や他の人が感じているような寂しさ、孤独、もやもやをたくさん歌った結果上手くなったんじゃないの。
他人に興味がない?
そのくせ私は心の中で他人をジャッジして、非難して、媚を振り撒いて…
自分のモヤモヤを言語化して歌に乗せて昇華するでもなく、自分を正当化しているだけだ。
「今度ライブあるんですよね…このバンド。もしよかったら来てみてください」
「え?」
隣の男性はオロオロとして立ち上がり電車を降りていった。
気付けば少しだけ、だるさがなくなった気がした。



8/14/2025, 11:22:02 AM