「またいつか」
またいつかと言って会えた人がどれくらいいるだろうか。
また会いたいと思っているなら必ず次に会う約束をするし、またいつか会えるだろうと思っているなら、「またね」くらいの軽い挨拶で別れるはずだ。
つまり「またいつか」と言われてしまったということは、相手は今後別に会いたいと思っていないということだ。
けれど「金輪際あなたとは会いません」だと怒っていると勘違いさせてしまうし、「さよなら」は美しくすぎて重い。
つまり甘さと苦さの混じったカフェオレみたいなものだ。にこやかに希望を見せないよう目隠しをしているのだ。
どうりでなんだか心が暗い。
改札の向こうに消えた彼女は、こちらを一切振り向かず、ヒールの真新しい音を立てて雑踏の中に消えていった。
にこやかに言われてしまったからにはこちらもにこやかに手を振るしかない。
周りから見たらまるで付き合いたての初々しいカップルのデートが解散しただけに見えただろう。
僕は彼女の姿が見えなくなるとスマホを開きマッチングアプリのリストから彼女を消した。
「はーあ」
思わず座り込む。
唯一デートまで漕ぎつけた女だったのに。
何がダメだったのだろうか。店のチョイスは特に悪くなかったはずだ。ネットの口コミでデートにもってこいと言われていたところだったし。服装も別にセンスは悪くないはずだ。
会話する時も優しく優しく、とにかく優しくしていたのに。
そもそもマッチングアプリで彼女を探すのが無理なのかもな。
ただの趣味や性格を固定のデータに当てはめて、システム的に相性のいい異性を片っ端から提案してくる。
しかし人間はそんなに決まった色で塗り分けられるほど単純ではない。
いくらデータ上では相性バッチリでもデータでは見えない凸凹が合わなければ、素敵な結末にたどり着くことができない。
きっと彼女も俺のどうしようもないところが合わなかっただけなのだ。
それにしても、それまでずっと上手くいっていると思っていたのに「またいつか」と言われてしまうなんて。
「はーあ」
頭を掻こうとして左手にカップを持っているのに気づいた。
彼女の飲み干したゴミだ。優しさを出して「持ってあげるよ」と言ったのだった。
もうその優しさすらも今は返してほしい。
イラっとして改札横のゴミ箱に放り入れた。
手についたのか左手からカフェオレの匂いがした。
「special day」
チョコレートを溶かして魔法を少々。
生クリームを入れてガナッシュに。
私特製のジャムを注いで。
切り立てのドライフルーツをふりかけて。
アイシングで愛の言葉を書いたら粉砂糖で隠して。
そっと袋に入れてリボンを掛けたら眠りましょう。
もちろんあなたの夢を見るのよ。
夢の中でもきっとあなたは気付かないでしょう。
あなたの周りにはキラキラした可愛い女の子がいるものね。
わたしなんて霞んじゃうだもん。
でもね、明日は特別special day
1年に1度のチャンスなの。
こんな地味なわたしでもあなたの視界に入れるの。
わたしの気持ちを伝えられるの。
それでも目立たないかしら。
あなたは気付かないかもね。
でもわたしには特別な作戦があるのよ。
ワインのように赤い夕陽。
赤い顔がバレないように手渡すの。
「ありがとう!」
そう言われて別れる前にそっとキス。
あなたの頬に柔らかく触れるの。
そしたらあなたも気付くでしょ?
明日は1年に1度のチャンス!
おまじないを込めたチョコレートで、あなたを虜にできたらな。
そのために身を削って頑張ったのよ。
ああ!はやく渡したい!
明日になるのが楽しみね。
「真昼の夢」
気付けば大きな赤紫のダリアと向かい合っていた。
針金でも入っているかのように真っ直ぐ頭を伸ばして僕を見つめている。
畳の部屋とは縁がないほど豪奢でかしましいはずなのに、部屋の静謐さを壊さないよう身動き一つしないその様子はどこか気品と並々ならぬ覚悟が見える。
僕はいつもその様子に気後れしていた。その大きな華で僕を包んでほしかった。甘い香りで癒してほしかった。
けれどたった一人で空気を繋ぎ止め華を添える彼女にはそんな余裕はなかったのだろう。
今なら分かる。
きっと彼女からは微かな愛情は感じられていたはずだ。だから僕はここに残ったのだ。
竹林を越えて風が吹く。
ちりんと風鈴が鳴り、静寂が沁み渡る。
ダリアを支えるようにして菊を刺す。
久しぶりに母の夢を見た。
狭いワンルームアパートは涼やかな風とは縁遠く、サウナのように暑い。
母親譲りの金髪が夕陽に透けてきらりと光っているけれど、それよりも頬を流れる涙がほろりと輝き落ちた。
滅多にない実家からの知らせが訃報になってしまう前に帰ればよかった。
こっちが白昼夢ならよかったのに。
ダリアを思い出しながらまた一つ涙がこぼれた。
「二人だけの。」
図書館を出ると蜜色の夕陽は消えてしまった。
その代わり仄暗い藍が逃げるような僕の背中を押してくれた。
栞が汚れてしまうので、ポケットには手を入れなかった。汗ばんだ手はぶらぶらとどこかおさまりが悪かったけれど、なんだか心は晴れていた。
盗んだのに。いや盗んではいない。落ちたものを拾っただけだ。それに落とし主は分かっている。わさわざ図書館職員の手をわずらわせるほどのことでもない。また会えたら自然に声を掛けたらいいだけだ。
いつもよりお喋りな心のせいか心臓がドクドクと音を立てている。
香華女学院。美しいお嬢様。
本当に興味本位なのだ。このまま生きていたら決して交わらない人間と話してみたいだけなのだ。
このチャンスを逃したらおそらく僕は彼女たちの世界を一切知ることなく死んでいくだろう。
何不自由なく生きているお嬢様と言葉を交わすだけで、僕の人生は10億円くらい価値が跳ね上がる。本当にそれだけの理由だ。
部屋に帰りポケットからそっと栞を取り出す。真鍮だろうか。ポケット内の熱気で少し曇ってしまった栞は図書館に落ちていた時に比べて輝きが落ち着いている。
「香華女学院 第26回文芸大賞 佳作」
栞を眺めながらベッドに倒れ込む。
彼女はどんな作品を書いたのだろう。
どんな作品が最優秀賞となったのだろう。
一体どれくらいの規模で行われるイベントなんだろう。
とても美しかったなあ彼女。
陽の光に照らされた黒髪がさらりと本に落ちる。顔は見えなかったけれど緑のチェックのスカートとのコントラストがとても美しかった。
蜜色の
秘密を見たし
本の園
はらりと落ちる
闇夜の髪
感動した時に心の一句の詠んでしまうのは小さい頃からの癖だ。国民的アニメの影響だろうと思うけれど、我ながらいつもレベルの高い短歌が詠めている気がする。
勇気が出ないから誰にも言ったことはないけれど僕の唯一の特技と言っていい。
いや特技というほどでもないか…。どうせ僕なんて誰かに勝てるようなものなんて持ってないのだ。
佳作か…。さらにすごい人がいるとはいえ、こうやってきちんと「あなたは素晴らしいです」と証明されるほどの才能を持っているということ。
やはり僕とは違う世界の人だ。
けれどこうやって彼女の所有物が僕の手の中にある。背徳感と優越感、そして拭いきれない劣等感。
どんな人なんだろう。
きっと清らかで優しくて、地味だけれど気品がある人なんだろう。
そしてこの栞を通して僕と彼女のやり取りが始まったりして…
いや、さすがにこれは妄想が過ぎたかな。
けれど栞を落とした人と拾った人。これは僕と彼女二人だけしか出てこない物語だ。
すぐに終わる小説。
1ページにも満たない物語。だけどこんなに胸が高鳴るのはきっと僕の毎日がつまらないからだろう。
そう思っていた。
「隠された真実」
どうして無視されなきゃいけないんだろう。
クラスの人たちはみんな私が見えないかのように過ごしている。
先生だってそう。
私の席がないのに何もしてくれない。話しかけても変な顔をして行ってしまう。
私だって普通の子どもなのに。
毎日悲しくて泣きながら帰る。私もみんなみたいに遊びたい。
でもだれも誘ってくれないし、私から話しかけても「うわあ!」と逃げられてしまう。
「ただいまー」
今日も何も起こらないまま家に帰る。
父さんは目がとても悪くて私がほぼ見えない,
「あれ、どこだ?」
「ここだよ、父さん」
「ああ、声がしないからどこに行ったのかと思っていたよ」
「学校だよ。今日も何もなかった」
「そうかい。勉強熱心でいい子だね」
ふわふわと手がさまよって私の頭をなでる。
こうやって触れられるたびに私はまだ存在していると思えるのだ。
「さて父さんは仕事に戻るよ」
「うん。行ってらっしゃい」
父さんは光の研究をしている。
全ての物体は光を反射させてそれぞれの色を出しているのだ。まったく反射しない物体なんて存在しない。しかし父さんは新たな物質を作りだした。
世界的大発明で自慢の父さんだ。
でもあまり家にいないのが寂しい。
ずっと頭を撫でていてほしい。
家が退屈なので公園に行ってみた。
「今日も聞こえた?」
「うん!聞こえた」
「やっぱいるよね!」
「うんいる」
クラスメイト数人ががなにやらひそひそと公園の片隅で集まっている。
「今度返事してみようかな」
「え?やめときなよ」
「絶対悪い奴じゃないって!」
「でも教室にすむ幽霊なんて怖いじゃん!」
へえ。教室に幽霊がいるのか。少し気になるな。
話しかけてみようかな
「ねえ、それ!幽霊じゃなくて透明人間かもよ!」