「タイムマシーン」
たまにこの人はひょっこり未来にやってきてしまったんだろうか、と思うことがある。
この世にはいろんな人がいるというがコンビニの店員をやっていると身に染みて実感する。
勝手に名札を見て親しげに名前を呼んでくるセクハラジジイ。
「あら、これ孫が好きなキャラクターの。これくれるの?え?お菓子買わないともらえないの?ケチねー」と勝手にキャンペーンの商品を持っていこうとするババア。
なんも聞いてないのにマッチングアプリでどんな子とデートしただの、女優が整形しただの、雑談の話題が終わり散らかしている常連ジジイ。
それが許されてた前時代から間違ってタイムマシーンに乗ってしまったんだろう。前世が虫だった可能性も捨て切れないけれど。
そういう人たちはきちんと元の時代に帰さないといけない。
この時代にそぐわない考えや価値観を持っていては生きていくのが難しい。
これは優しさなのだ。私はジジイをタイムマシーンに乗せて扉を閉めた。
「特別な夜」
あの日、星も降らない、花火も上がらない、なんなら星も見えない、静かで、少し霧がかった夜。
紫色の月光がそっとヴェールを下ろす中、私は初めて空を飛んだ。
いつも閉め切られている窓を少し押したら開いたから。
外の風があまりにも心地よかったから。
いや、それらは単に言い訳で昔を思い出したからというのが一番正しいかもしれない。
久しぶりのアスファルトの感触はやっぱり絨毯とは違って痛くて走るしかないと思った。
鈍った重い体を必死に風に乗せてかつて私の世界だった街を走り抜けた。
首の鈴が私に警告し続けるけれどもう耳に入らなかった。
嗅ぎ慣れたスパイシーな香りがするたびに暖かな絨毯を思い出したけれど、もう足は止まらなかった。
今日だけ、今夜だけ。すぐ帰るから。
月がどれだけ照らしても私の黒い身体は黒いまま。
その優越感がとてつもなく心地よかった。
「海の底」
なんていうんだろ。
雨の雫を触っているような、スベスベで柔らかい石を触っているような。
手のひらを柔らかく滑ってパッと海面に昇っていく。
いるかはそうやって泡を楽しむ私に合わせて息をしてくれている。
ぼんやりとゆらめく光に照らされた泡を見つめながら私は眠気に頑張って打ち勝とうとしていた。
もう遠くへ行ける力も術もないのだ。
人生の全てを賭けてしまった自分のせい
もう突き刺すような太陽も拝むこともできない。
しゅわしゅわといつか飲んだ炭酸のような感覚が足の先に広がる。
いや、泡になってしまえば昇れるのか。
このいるかの泡のようにまるくてふわふわしたものになれば私もまた光のもとへ行けるかもしれない。
心地よい炭酸に包まれる。
いるかは泡を追いかけて海面に飛び出した。
「閉ざされた日記」
実家が引っ越しするとのことで学生ぶりに帰ってきた。10年ぶりだろうか。特に両親と仲が悪かったわけでない。田舎ではあるが地元が嫌いなわけではない。
ただ地元にいると自分の若気の至りというか、数々の黒歴史を思い出して息苦しくなるのだ。
喧嘩とかではなくわざと殴って開けた壁の穴、学習机にデカデカと彫った"LOCK'N ROLL"の文字、バレンタインでもらった義理チョコの包装紙。
懐かしいが直視もできないものたちをできるだけ思い出したくなかったのだ。
この際全て捨ててしまおうか。懐かしい想いに浸りながら押し入れを整理していく。
ふと卒業アルバムの隙間にノートが挟まっているのを見つけた。
忘れたことはなかった。
けれどこれもずっと直視できなかったものだ。
そっとページをめくる。懐かしい筆跡と自分の変わらない筆跡が並んでいる。
ああ、このあだ名はあいつしか呼んでなかったな。
バカみたいな話題ばっかりだ。唇に力を入れる。
最後のページは自分の筆跡で終わっていた。
よれて乾いたページにまた涙が落ちる。
ずっと覚えていても思い出したくないこともある。
忘れられなくても直視できないものがある。
黒歴史とはそういうものだ。
「美しい」
周りを見る余裕なんてあるはずない日々でなぜか忘れられない景色がある。
夜中に起こったトラブルのせいで早朝から会社に呼び出されたときのことだ。
喉を掻きむしりたくなるような焦りとぶつけようがない怒りで早足でいつものコンビニを通り過ぎるころ、ちょうど朝日がコンビニの上から顔を出して目背けた。その視線の先に色が抜け切った髪に寝癖をつけて、首に白いタオルを巻いて汚れた作業服を着たおじさんがいたのだ。
ちょうどタバコを吸い終わったのか立ち上がって灰皿に押し付ける。車に戻ろうとしたところで私と同じように朝日に照らされた。
スポットライトが当たった舞台上の俳優のように眩しく照らされているのに、目も背けない。むしろ太陽な挑むかのような目つきで背筋を伸ばした。
その様子がとても忘れられない。
私が怒れるほどの朝から覚悟を決めて一日に挑む。
これが日常、だがやってやんよとでもいうような余裕。
その姿はこれまでに見たどんな景色よりも美しかった。