香草

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5/16/2025, 7:06:05 PM

「光輝け、暗闇で」

繁華街の特に中心部にある大きなビルの入り口にはデカデカと夜の蝶たちの写真が飾ってある。しかしそのビルに足を踏み入れたからといって蝶たちに会いに行くと決めつけないでほしい。私の目当ての店はこのビルの地下2階にあるのだ。
なんて少し言い訳がましい気持ちを抱きつつ鉄製の音を立てながら階段を降りた。
重厚感のある木製のドアを開くと薄暗い照明と煙草の煙が迎えてくれる。そしてついでに顔面毛むくじゃらの熊のようなバーテンダーがむさ苦しい笑顔を向けてくる。
「久しぶりだね。作家さん。今日は脱稿日かい?」
何度も聞いているジョークなのに毎回笑ってしまう。
私に決められた脱稿日なんてあるわけないと知ってるくせに。
「いや、今日は印税が入ったからね」
私はいつものジョークを返した。

カウンターに座っていた天然パーマの男と黒髪ロングストレートの男がこちらを向いた。
「作家じゃねえか。いつぶりだあ?」
「元気にしてましたか?少し痩せました?」
私は彼らに手を振り黒髪ロングストレートの隣に座った。
「まあ毎日梅干しと米だけ食べてたからね。今書いてる小説が戦争もんなもんで」
「なるほど。ちなみにドイツじゃじゃがいもが戦時中の食べ物代表ですよ」
「良かったな作家よ。明日からポテトフライも食えるぞ」
天然パーマはガハハと笑った。
天然パーマは自称漫画家。黒髪ロングストレートは自称ピアニスト。ここは芸術家たちが集まる隠れ家バーだ。普通のバーのように見えるのに、なぜかここに辿り着くのは決まって売れない芸術家と決まっている。
お互いの素性を気にせず夢を語り明かすには持ってこいの場所だからだろう。
私はバーテンダーにペリドットを注文した。

漫画家が似合わないため息をついた。
「それにしても最近は新生だの天性の才能だのともてはやされた若手がどんどん出てきてよお。俺はもう注目される時期を逃しちまったのかと思っちまうよ」
ピアニストもゆっくりと頷く。確かに最近は高校生作家といった若いやつらの活躍が目に留まる。
自分も最近までそこに含まれると思っていたのに、いつのまにか世間から注目されるべき世代は変わっている。
このまま輝くことなく終わるのではないか、芸術家なら誰もがぶち当たる不安だろう。
いくら年齢が関係ないとか自己満足のための作品だとはいっても自分達が楽しませるべき世間はやたらと年齢と才能を気にする。
バーテンダーがカクテルを置いた。
いつもにも増して鬱々としたオーラを感じ取ったのか、「まあまあ」と明るい声を出した。
「お前らそんないじけるなよ。チャンスはいくらでもあるって」
「チャンスなんてほぼないに等しいですよ。いつだってこの世は注目されている人が輝く世界だ」
ピアニストが詩を歌うように嘆く。

バーテンダーは少し考えると、私のカクテルを大きく振りかぶって指差した。始まったぞ、と私は心の中でポップコーンを用意した。
「ペリドットはエジプトでは太陽の石と呼ばれている」
突然の芝居かかった動きにピアニストはポカンとしている。
「宝石といえばダイヤとかエメラルドとかが有名だが、アイツらは夜になるとその輝きが半減する。対してこのペリドットはあんまり有名じゃないが、月の光一筋だけでもそれはそれは太陽のように輝く。」
バーテンダーは大袈裟に腕を広げて歌い上げる。
「ダイヤやエメラルドよりも魅力的だと思わないか」
漫画家はニヤニヤとバーテンダーを見つめ、ピアニストは呆れたように笑っている。
私はレアなものを見たぞ、という心持ちでペリドットに口をつけた。それはこのバーには似合わないほど爽やかな味がした。

5/15/2025, 4:27:10 PM

「酸素」

カツカツとハイヒールの音を鳴らす。病院の白い廊下には似つかわしくない音だが、私はあえてその音を響かせる。看護師と目が合ったので少し微笑んで会釈をした。
「あ、またお孫さんよ」
「毎日お見舞いに来て、なんていい子なんでしょう」
「それにしても羨ましいわ。若々しくて」
ヒソヒソと看護師の噂しているのを聞き流して、目当ての病室に向かう。
引き戸を開けると、大きな窓いっぱいの海とベッドに横たわり酸素マスクを付けた老人。
私は老人のそばに座るとしばし彼の顔を見つめた。昨日会った時より一段と老けた気がする。
病院特有の甘くて酸っぱい匂いと微かに聞こえる波の音。そして大袈裟な呼吸音。私と彼が出会った時に聞いた音に似ている。
私は彼の酸素マスクを外すと、その唇にキスを落とした。

一目惚れだった。と言っても顔はゴーグルと酸素チューブで覆われていて見えなかったけど。たまたま追いかけた魚が海面近くまで浮上したのが運の尽きだった。まさかあんなに深く潜れるダイバーがいるなんて。
人間にとって私たちの存在がどれだけ希少で興味深い対象なのかは理解している。だから私たちは暗く冷たい海の底でひっそり暮らしているのだ。
私を見つけた彼は驚いて、しばしフリーズすると、急に酸素チューブもゴーグルも全て外しだした。私はすぐに逃げようとしたけれどそれが人間にとってどれだけ危ない行為か知っていたので咄嗟に助けてしまった。
後に、あの時なんでゴーグルもチューブも外したりなんかしたの?と聞いたことがある。
彼は少し笑って言った。
「まったく敵意がないことを示したかったんだ。結局溺れたけどね、君の美しさに」
そしてウインクをした。

人魚の世界にはまだ魔法が存在する。でもそもそも人間と接触するのは禁忌だし、人魚を人間にする魔法も禁忌だ。私は2つのタブーを犯して彼と一緒になった。その代わり2度と母なる海に触れることはできない。それでもよかった。暗く冷たい海よりも太陽のように明るくて温かい彼といる方がずっと幸せだと思ったから。
私はシワシワになった彼の手を握った。
「水に浸かりすぎたのよ」
私は彼の手のしわをなぞった。かつて彼が私に教えてくれたことだ。人間の手は水に浸かりすぎるとふやけてしまう。私の手はどれだけ長くお風呂に入っていてもふやけることはなかった。永遠に冷たい私の手を彼はずっと握ってくれていた。

いつだったか調べたことがある。彼の頭に私と同じような真珠色の髪の毛を見つけた時だった。
ずっと見ないようにしていた現実を直視しなければならなかった。
彼が老いるのを少しでも遅らせるにはどうすればいいの?そんなものはないと頭では分かっていたのにたくさん調べた。
彼は申し訳なさそうに笑って言った。
「君を海から連れ出すべきじゃなかった。こんな酸素の多い世界、君も辛いだろう」
酸素が人体を老化させるらしいと伝えたからだろうか。彼なりに私を笑わせるジョークのつもりだったんだろう。大失敗したけど。
こんなに酸素が多いなら少しでも私を老けさせてみせてよ。若々しさなんていらない。永遠の命もいらない。彼と同じ時を歩ませてよ。何度そう願ったか分からない。しかしどれだけ酸素に浸かっても私の手はシワシワにならない。
私は彼の酸素マスクを外したまま病室を後にした。
背中に慌ただしい空気を感じながら外に出ると、ハイヒールを砂浜に脱ぎ捨てた。

5/11/2025, 11:28:53 AM

「静かなる森へ」

木々の影が濃くなってきた。少し顔を上げると美しい蜜色の夕陽が顔を照らす。魔王の城は目前だが、これ以上進むと夜になってしまう。
「みんな!今夜はここで野宿しよう!」
僕は後ろの仲間を振り返って叫んだ。
治療師のエルフが嫌そうに顔を歪めた。
「野宿…?ここで…?」
僕は荷物を下ろして背伸びをした。
戦士の小人も自分の身長の3倍以上ある武器を背中から下ろしながら言った。
「ここは幽霊が出るって噂で有名なんだよ」
「あ、そうなの?」僕は当たりを見回した。
「魔王の城からこの森に逃げ込む人が多いんだけど、毒草や毒木が多いから遭難してしまうと一貫の終わりなの。だから死者も多いし…」
エルフはブルブルと体を震わせた。
僕はその話を聞きながらも着々と焚き火の準備をした。
毒木が多いのは本当らしく確かに見たことない枝がそこら辺に落ちている。まあ燃やせばみんな一緒だろ。

夕食は穏やかに終わった。毒木の煙でみんなの目がやられるというハプニングがあったもののエルフの治癒魔法でことなきを得た。エルフにはこっぴどく叱られたが、いつものように牧師の獣人が仲裁をしてくれた。
「そんなに怒ると夕食も美味しくないでしょう。勇者も反省してることですし」
「でもいつも尻拭いは全部私なんですよ!?」
「神は全てを見ています」
牧師のこのセリフはこれ以上喧嘩するなら鉄槌が下るぞの合図だ。そのおかげでようやく僕は戦士が作ってくれたカレーにありつけた。
夕食後はそれぞれの過ごし方がある。いつもならエルフは分厚い魔法書を読んで、牧師は月に向かって祈りを捧げる。戦士は自分の武器の手入れをするし、僕はそこら辺をぶらっと探検する。
しかし今日はエルフが「ちょっと面白い話をしてよ」と青白い顔で言うもんだから、みんな丸くなって焚き火を囲んでいた。

「面白い話って言ってもなあ。もう何年も一緒に旅してるから今更ないだろ?」
「なんかないの?赤ちゃんの頃の話とか、友達のいとこの夫のお母さんから聞いた話とか…」
「そういうお前はないのかよ」
「エルフは同族なんてほぼいないわよっ!」
「そういうことじゃなくて…」
またエルフがブチ切れそうになると、牧師がポツリと話し出した。
「それこそ、母親の友人のいとこの夫の父親が体験した話らしいですが…」
「もう他人だよそれ」
「その人も私たちと同じようにこの森で野宿をしていたそうなんです。6人ほどのパーティで山の向こうの村の結婚式に行く途中だったそうで。こんな風に月が美しい夜のことでした」
僕らは月を見上げた。
「ふと美しい歌が聞こえてきたそうです。最初は沼のセイレーンかと思ったそうなんですが、やけに近く、そう耳元で歌われているようにはっきりと聞こえたそうです」
「ねえ、それ怖い話じゃないでしょうね…」

牧師はエルフを無視して続ける。
「それはこんな歌だったそうです」
全員がごくりと唾を飲み込んで、牧師の次の言葉を待った。
するとふいにどこからか歌声が聞こえてきた。
「え!?」
エルフが真っ青な顔で耳を塞ぐ。
戦士もすぐに臨戦体制に入った。
歌声は頭上を流れるように、そしてだんだんと近づいてくるようだった。
「なになになになに!?なんなのよ!もう!」
エルフは完全にパニックになっている。
急に強い風が吹いて焚火の火が消えた。
すると歌はぴたりと止まった。
「この森は熱されると歌のようなメロディを奏でる石があるそうですよ」
牧師はフサフサの手のひらで焚火の周りを囲っていた美しい石を取った。
「あ、それ綺麗だったから並べたやつだ」
僕は牧師の拾った石を間近で見つめた。石は小さくキューッという音を立てている。
「また、てめえか…」
エルフの顔が鬼のようになっている。
そしてその後ろに青白い顔が見えた。



5/9/2025, 4:09:52 PM

「届かない……」

真夜中の学校は怖いというより寒い。人気がないし電気も最低限しかついていない。暖房なんて入っているわけがない。
「俺のそばを離れるなよ」
まるで姫を守る無骨なナイトのようなセリフを吐いて、顧問は顔を赤くした。
「いや、危ないから…」
私たちのからかうような視線にゴニョゴニョと言い訳をする。
一年に一度の天文部の合宿。
部室と呼んでいる物置から望遠鏡を引っ張り出してきて、特別に開けられた屋上に設置し夜空を観察する。
私はこの合宿にロマンチックな期待を抱いていた。

「あ、レンズが足りないや」
望遠鏡を組み立てていた先輩がつぶやいた。
私は大袈裟に「え!?」と反応してケースを覗き込んだ。不自然な動きなのは理解しつつも先輩に肌を近づける。望遠鏡は2つある。そのうちの1つのレンズケースを部室に忘れたらしい。
「俺取ってくるよ」
先輩が立ち上がると少しだけ気温が下がった。
「危ないんで私も行きます!」
私は懐中電灯を取ると先輩の後を追いかけた。
顧問はもう一つの望遠鏡を組み立てていてこちらを見ていなかった。
ちょうどいい。2人きりになれるチャンスだ。

可愛い女の子に生まれることはできなかった。顔も性格も。こんな夜の学校で「キャー!怖い!」って先輩の腕に絡みつけたらどんなに良かっただろう。私にはその勇気も可愛げもない。
私たちは無言で階段を降りていった。
先輩は何も話さない。もしかしたら迷惑だったのかもしれないな。私と一緒にいたくないのかも。
暗いのをいいことにちらっと先輩を見上げる。
入学式の部活紹介で私は先輩に一目惚れをした。
理知的で鋭い目。それを隠すような分厚いメガネと重い前髪。ヒョロリと高い身長と長い足。寡黙そうでありながらどこか柔らかさを感じる話し方。
その姿を見て私は天文部に入ることを決めた。
しかし天文部の活動は少ない。先輩と仲良くなれるチャンスはなかなか来なかった。
だからこの合宿をずっと楽しみにしていたのだ。

「あれえ、ないねえ」
先輩は懐中電灯を片手に棚を開けた。独り言のように囁くもんだから私は反応していいのか分からなかった。とりあえず私も辺りを見回す。
しかし電気も点かないし、何より天文部以外の備品も多くあるので見つかる気がしない。先輩は無言で辺りを探し続けている。私は先輩の懐中電灯を見つめた。
その懐中電灯がこちらを向くことはない。すぐそばにいるのに先輩の視界には私は入らない。もっと私が可愛ければ。スタイルが良ければ。少しでもこちらを見てくれたんじゃないか。
急に涙が込み上げそうになって天井を見上げた。すると黒いケースが棚の端から顔を出している。あった。
私は手を伸ばした。届かない。息を詰めて必死に手を伸ばす。すると後ろからひょいと手が伸びてきてケースを取り出した。
「あ、これだあ。ありがとねえ」
先輩の目がこちらを向いた。
私の懐中電灯が先輩を、先輩の懐中電灯が私を照らしす。
届かないけど見ていたい。そんな星のような瞳だった。


5/8/2025, 11:10:30 AM

「木漏れ日」

まず、会社のデスクに着いたらパソコンの電源を入れる。新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる課長に挨拶をして、休憩室のカップ式自販機の60円コーヒーのボタンを押す。機械の腹を通って出てきたコーヒーを啜りながら席に戻ると、パソコンが立ち上がっているので、メールをチェックする。
取引先からメールが返ってきている。今月末までに契約書を回さないといけないので、そこから逆算して取引先へ依頼を出す。
次に先月行った出張費用の精算をしなければいけない。これも経理から催促が来ていたので早く申請しなければ。
人事からのメール?あ、今日の午後、採用面接の面接官をお願いされていたっけ。そういえば先週言われたなあ。あの人事担当いつも急に依頼してくるから忘れがちなんだよな。今のうちに候補者の資料を読み込んでおかなければ。

履歴書のファイルを開く。
候補者は25歳。ちょうど社会人3年目で転職するのか。
最近はすぐに転職する若者が多いなあ。そういえばこの前大学を卒業した甥っ子も会社員に絶望して転職活動を始めたなあ。
俺は淡々と面接で聞きたい質問をメモに書き起こしていく。
確かに会社員は学生に比べたら自由も少なくて、理不尽なことも多い。俺も新入社員の頃は毎日ヘトヘトで死んだような顔をしていた気がする。こんな生活が一生続くのかと絶望していた。
でもいつしか諦めて受け入れていくうちにプロの会社員になれた気がする。
とにかく無になるのだ。感情を動かさず、ただひたすらに与えられた仕事をこなす。
これが会社員の流儀だ。

こんな話を甥っ子にするとさらに絶望した顔をしていたっけ。
「そんなの人間じゃないじゃん」
言いたいことは分かる。感情を殺して動くのは機械同然だ。俺もドリップ式自販機と同じようなもんだ。
コーヒーを啜った。少し冷めてしまっている。
俺は履歴書に目を戻した。証明写真からはまだあどけない感じがする。彼も前の会社に絶望したのだろうか。
画面端にポコンと、チャットの通知が顔を出した。
人事担当だ。今日の面接のことだろうか。もしかして午前だったか?時間間違えた?
急いでチャット欄を開く。
「直前のお願いを引き受けていただきありがとうございます。いつもご迷惑をおかけして恐縮ですが、よろしくお願いします。」
胸を撫で下ろした。よかった。やらかしたかと思ったぜ。そんなことでチャットしなくていいのに。
チャット欄を閉じようとすると、続けてぴょこんと送られてきた。

ツインテールの女の子が激しくオタ芸をしているGIF画像。その上にありがとう、と文字が書かれている。
俺は思わずプッと吹き出した。
顔も合わせたこともない、たいして話したこともないビジネスの関係でありながら、こんな面白いものを送りつけてくるなんて。
というかどこから拾ってきたこの画像。
俺は笑いを堪えきれず息を漏らした。上司が新聞紙ごしに怪訝な目で見てくる。
会社員は機械のように無で仕事をこなすのが流儀だ。お日様が昇って落ちて、昇って落ちてその繰り返し。
いつのまにか日光に気づかないまま歩くようになる。
しかしたまにこんな風に不意打ちで面白いことが起きる日もある。
俺はそんな日のことを"木漏れ日"と呼んでいる。


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