香草

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「こぼれたアイスクリーム」

賢者さまが足を止められた。
「これは…珍しい」
人目もはばからずガラス窓にピタリと張り付いてポスターを凝視している。
「賢者さま、いかがされましたか」
私はこのイカれた男を好奇の目に晒すわけにはいくまい、と小声でガラスから引き離そうとした。
ただでさえ賢者さまという存在は人に知られてはならない。街に入っても旅に必要な食料と備品を買うだけで、宿の部屋から一切出ない。
人々には悟られることなく街に滞在し、ひっそりと出ていかなければならない。
それがこの旅の決まりなのだ。
なのにこの男と言ったら、街の珍しいものを見つけては「これは調査せねば…」「おやこれは歴史的価値があるぞ」なんて言って立ち止まってしまう。
その度に私が強引に引っ張って宿に押し込めるのだ。
側から見れば、どこにでもいそうなぼんやりした父親としっかりした娘だと思われるかもしれないが、賢者さまのお世話は大変なのだ。

太陽がじりじりと頭のてっぺんを焼きつける。正直賢者さまを置いて早く宿で休みたい。
「ほらこれだよ。昔、といっても私がやってきた時代だけど、こんな暑い日によく食べられていたものさ。せっかくだから買っていこうか」
「賢者さま、まずは宿に…。私があとで買っていきますから」
「それじゃダメなんだなあ。まあまあほらそこに椅子がある。座って食べよう」
この男は自分の立場が分かってるのか?
賢者さまはある時この世界で一番権威のある教会に不思議な光とともに突然現れた。
どうやら過去に失われた文明についてよく知っているので、過去の人間らしい。
失われた文明を取り戻すべく、王様が賢者として文化の発展を任命されたのだが、この男はとても好奇心の強い性格で、ある日城を飛び出して旅を始めてしまったのだ。
王様の命令で私がなんとか見つけ出したものの、「すぐ帰るから」と言われてずるずると監視している状態だ。
正体がバレてしまうと国民の混乱が起こってしまうので賢者であること、過去から来たことは絶対の秘密だ。
なのにこの男は飄々と口に出しよって…。

「ほら、座って食べよう」
賢者さまは両手に真っ白な雲を固めたような貝殻のようなものを持ってベンチに座っていた。
もうなんでもいいや…暑いし…
何も考えられなくなってふらふらと賢者さまの隣に座る。
手渡されたものはカサカサとしたクッキーにひんやりとしたクリームが乗っている。
ほのかにミルクの匂いがする。
「んー!美味い!これは濃厚だ!牧場で食べたのを思い出すなあ。いやああれは高かった…」
賢者さまは舌を器用に使ってクリームを舐めとっている。
「ほら早く食べないと溶けちゃうぞ」
賢者さまがこちらを見て指さした。
クリームから白い液体が染み出して私の手を伝っている。
「わわ!」
慌てて舐めてみる。甘い!冷たい!
ぼんやりしていた頭が急にシャキッと目覚めた。

しかし溶け出したクリームは滝のように手を流れている。
口いっぱいに頬張るが冷たいしなかなか食べきれない。
クッキーまで全て食べ切った頃には手がベタベタになっていた。
「君食べるの下手だねえ」
はっはっと賢者さまに笑われてしまった。
家来の中でも一番マナーがよくて行儀がいいと褒められた私だったのに…屈辱…。
「でもこれがアイスクリームの醍醐味でもあるからね」
「あいすくりいむ、と言うんですね」
「そうそう。君のような子供がよく食べるんだ」
子供じゃないし…。
ベタベタになった手を洗いたいけれど川場はどこにもない。仕方なくこっそりとぺろぺろと舐めてみた。
先ほどよりもしょっぱいミルクの味がする。
美味しかったなあ…。
まあたまにはこういう発見もあってもいいかもしれない。



8/12/2025, 8:03:52 AM