僕は星。夜空を彩る無数の星のひとつ。ずーっと昔は地上に生きている人間だったみたいだけれど、地上を離れてからはずーっと星として空から地上を見守ってきた。
ある日、月が僕に言った。
「お前は今夜、流れ星になりなさい。そして、地上で新しい生を得るのです」
僕は、ついに来たか、と思った。僕と同じ頃に星になった仲間は、みんな流星になって、地上で生きてる。僕の番が、ついにやってきたんだ。
それから数時間。僕が流星になるときがやってきた。
僕は周りの星に別れを告げて、地上に向かって駆け出した。
周りの星は「また会おうね」「良い生を!」なんて声をかけてくれる。僕はそれに光で応えた。
地上が近づいてくる。からだが熱い。星としての僕はここで消える。星として見守ってきた地上の景色が頭の中を駆け巡る。
星としての日々は素晴らしかった。地上での次の生も素晴らしければいいな。
僕はひとり夜空を駆ける。駆けて駆けて、そして――消えた。
その日、地上に新しい命がひとつ、誕生した。
たとえば、あなたが好きだと言っていた食べ物、漫画、音楽……。そういうものに触れたとき、私はあなたを思い出す。中学を卒業して、私とは別の高校に行ってしまったあなた。私があなたに抱いていたひそかな想いは、今も日常にあなたの欠片を見つける度、胸の中で存在を主張して疼く。
遠くで見てただけだった。もうこれでお別れ、という瞬間にすら、私は踏み出せなかった。
伝えられることなく秘められたままで終わったこの想いは、どこにも行けぬまま。きっと、いつかは消えてなくなる。私は、消えてなくなるその瞬間まで、この想いを見つめていたい。伝えられなかった苦さも含めて、大事に抱えていたいんだ。
「あなたは誰?」
事故に遭った彼女の病室に駆けつけたとき、彼女の私への第一声はそれだった。
彼女のお母さんがどんなに「幼なじみの梓ちゃんよ、わからないの?」と問いかけても、彼女は戸惑ったように首を横に振るばかりだった。私はとてもショックで、その場でただ立ち尽くしていた。
彼女の病室に行ってから数日。私はお見舞いに行けずにいる。
彼女が忘れているのは今のところ私だけで、家族や他の友達、仕事仲間なんかはしっかりと覚えているらしい。
どうして私だけ……。そう考えたときに、私の脳裏によぎったのは、遠く過去に押し込めた小さな罪悪感だった。
彼女――美咲と私は、同じ幼稚園だった。美咲も私も絵を描くのが好きで、よく一緒にクレヨンで絵を描いていた。
大人はいつも美咲と私の絵を「上手ね」って褒めてくれた。でも、本心で心から感心して褒めているのは、美咲の絵だけだって、小さな私は何となくわかっていた。
わたしもあんなふうにほめられたいのに。なんでみさきちゃんだけ、とくべつなの。
いつしか私の中に芽生えていた小さな嫉妬心。私はその嫉妬心から、ある日美咲のクレヨンを隠した。ちょっとした意地悪のつもりで。
自分のクレヨンがないことに気づいた美咲は、ビックリして、困って、泣いてしまった。
私はこのとき、意地悪が成功したのに、全然良い気分にならなかった。なんだか心がズーンと重くなって、こんなことするんじゃなかったって後悔した。
程なくしてクレヨンは見つかった。クレヨンを隠した犯人は探されず、誰も、美咲も、私が犯人だって気づかないままだった。
それ以降、私は美咲に悪意を持って何かをしたことは一度もない。美咲のことを羨ましい、妬ましいと一度も思わなかったと言ったら嘘になるけれど、それでも、それを表に出したことも一度もない。
でも、もしかしたら、美咲は気づいていたんだろうか。小さかった私の小さい悪意にも、今も密かに抱き続ける嫉妬心にも。だから、それが嫌で、私のことだけ忘れてしまったのかもしれない。
私のこと、忘れてしまった方が楽だって、美咲は思っていたのかも……。
私がそう思って落ち込んでいた頃、美咲のお母さんから連絡があった。『美咲が梓ちゃんに会いたがっている』と。
記憶は戻っていないのに、今の美咲にとって私は他人なのに、どうして会いたいなんて言うんだろう。
私なんて、忘れっぱなしで居た方がきっと幸せなのに。
数日後、私は美咲の病室を訪れた。迎えた美咲の表情は笑顔だった。少し他人行儀な笑顔だけど、それでも確かに笑顔だった。
「梓ちゃん」
美咲が微笑んで私の名前を呼ぶ。
「っ……はい」
私は動揺する心を抑えて、なんとか返事をした。
「お母さんからききました。梓ちゃんとは幼稚園の頃から長い間ずっと友達だったんだって」
「……うん」
「忘れちゃってごめんなさい。でもきっと、梓ちゃんは私にとって特別な友達だと思うから、忘れっぱなしではいたくないって思うの」
「うん」
「私、梓ちゃんともっと会いたい。お話したい。それで、梓ちゃんのこと、思い出したい」
美咲の目は真っ直ぐに私を見ていた。
「……思い出しても良いことばかりじゃないかもしれないよ。私を思い出すなら、きっと嫌な思いもするよ」
私は美咲の視線から逃げて、俯きながら言った。
「それでも。私は、あなたが誰で、私にとってどんな人だったのか、ちゃんと思い出したいです」
美咲の力強い声が私の揺れていた心をガツンと殴った。
顔を上げれば、やっぱり美咲は笑っていた。
いつか私の隠した罪悪感も嫉妬心も美咲が知ることになるかもしれない。それでもいいとあなたが言うなら。
「わかった。改めてよろしく、美咲」
「うん。よろしくね、梓ちゃん」
私はまた、いろいろな思いを抱えながら、友として、美咲のそばにいることを決意した。
4階の窓から外へ、ルーズリーフで作った紙飛行機を飛ばす。
飛行機の中には、最近あった、先生の面白エピソードとか、俺の家族のちょっとおかしなエピソードとか、そんなものが書いてある。誰かに読まれたら良いな、そんでその人が笑ってくれたらもっと良いな。そう思いながら書いた。実にくだらない手紙。
紙飛行機はかなり上手く折れたようで、風に乗ってどんどんと遠ざかっていく。
俺は窓の外から視線を外して、あえて手紙の行方は見ないようにした。
だって、誰が見たか分かんない方が、なんかロマンがある気がしない?
光を浴びて、重の中で鰻がキラキラと輝いて見える。食べ物を宝石に例えるグルメレポーターがいたけども、まさに宝石のような美しさだと思う。タレのテカリが旨そうに鰻を輝かせているのだ。
俺は「いただきます」と手を合わせ、箸を手に取った。
箸で鰻を一口大に切り、その下のご飯と一緒に掴みあげる。そして、口の中に入れて、咀嚼した。
鰻はとろりふわりと柔らかくほぐれ、ご飯と一緒になって、口の中で踊っている。甘いタレが、ご飯本来の素朴な甘さと合わさって、旨さを引き立て合っている。うまい。
2口目、3口目と、口に放り込んでいく。うまい、うまい。
脇に添えられた肝吸いもいただく。
汁を一口含めば、出汁の香りと程よい塩味が口の中に広がる。肝は独特の食感で、噛めばほろ苦い旨味がやってくる。これもうまい。
全て食べ終えて、「ごちそうさまでした」と手を合わせた。うまかった。身体に沁み渡る旨さだった。
月に一度、金曜日の夜、こうして鰻に舌鼓を打つのが俺の習慣だ。
何があっても、どんなに疲れて帰っても、タレを纏った鰻のあの輝きを目にすれば、気分は高揚し、食せば旨さで満たされ、1ヶ月の疲れが全て報われた気持ちになれる。
今夜の鰻もうまかった。
俺は伸びをしつつ、その余韻に浸った。