ミキミヤ

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「あなたは誰?」

事故に遭った彼女の病室に駆けつけたとき、彼女の私への第一声はそれだった。
彼女のお母さんがどんなに「幼なじみの梓ちゃんよ、わからないの?」と問いかけても、彼女は戸惑ったように首を横に振るばかりだった。私はとてもショックで、その場でただ立ち尽くしていた。

彼女の病室に行ってから数日。私はお見舞いに行けずにいる。
彼女が忘れているのは今のところ私だけで、家族や他の友達、仕事仲間なんかはしっかりと覚えているらしい。
どうして私だけ……。そう考えたときに、私の脳裏によぎったのは、遠く過去に押し込めた小さな罪悪感だった。


彼女――美咲と私は、同じ幼稚園だった。美咲も私も絵を描くのが好きで、よく一緒にクレヨンで絵を描いていた。
大人はいつも美咲と私の絵を「上手ね」って褒めてくれた。でも、本心で心から感心して褒めているのは、美咲の絵だけだって、小さな私は何となくわかっていた。
わたしもあんなふうにほめられたいのに。なんでみさきちゃんだけ、とくべつなの。
いつしか私の中に芽生えていた小さな嫉妬心。私はその嫉妬心から、ある日美咲のクレヨンを隠した。ちょっとした意地悪のつもりで。
自分のクレヨンがないことに気づいた美咲は、ビックリして、困って、泣いてしまった。
私はこのとき、意地悪が成功したのに、全然良い気分にならなかった。なんだか心がズーンと重くなって、こんなことするんじゃなかったって後悔した。
程なくしてクレヨンは見つかった。クレヨンを隠した犯人は探されず、誰も、美咲も、私が犯人だって気づかないままだった。

それ以降、私は美咲に悪意を持って何かをしたことは一度もない。美咲のことを羨ましい、妬ましいと一度も思わなかったと言ったら嘘になるけれど、それでも、それを表に出したことも一度もない。
でも、もしかしたら、美咲は気づいていたんだろうか。小さかった私の小さい悪意にも、今も密かに抱き続ける嫉妬心にも。だから、それが嫌で、私のことだけ忘れてしまったのかもしれない。
私のこと、忘れてしまった方が楽だって、美咲は思っていたのかも……。


私がそう思って落ち込んでいた頃、美咲のお母さんから連絡があった。『美咲が梓ちゃんに会いたがっている』と。
記憶は戻っていないのに、今の美咲にとって私は他人なのに、どうして会いたいなんて言うんだろう。
私なんて、忘れっぱなしで居た方がきっと幸せなのに。


数日後、私は美咲の病室を訪れた。迎えた美咲の表情は笑顔だった。少し他人行儀な笑顔だけど、それでも確かに笑顔だった。

「梓ちゃん」

美咲が微笑んで私の名前を呼ぶ。

「っ……はい」

私は動揺する心を抑えて、なんとか返事をした。

「お母さんからききました。梓ちゃんとは幼稚園の頃から長い間ずっと友達だったんだって」
「……うん」
「忘れちゃってごめんなさい。でもきっと、梓ちゃんは私にとって特別な友達だと思うから、忘れっぱなしではいたくないって思うの」
「うん」
「私、梓ちゃんともっと会いたい。お話したい。それで、梓ちゃんのこと、思い出したい」

美咲の目は真っ直ぐに私を見ていた。

「……思い出しても良いことばかりじゃないかもしれないよ。私を思い出すなら、きっと嫌な思いもするよ」

私は美咲の視線から逃げて、俯きながら言った。

「それでも。私は、あなたが誰で、私にとってどんな人だったのか、ちゃんと思い出したいです」

美咲の力強い声が私の揺れていた心をガツンと殴った。
顔を上げれば、やっぱり美咲は笑っていた。

いつか私の隠した罪悪感も嫉妬心も美咲が知ることになるかもしれない。それでもいいとあなたが言うなら。

「わかった。改めてよろしく、美咲」
「うん。よろしくね、梓ちゃん」

私はまた、いろいろな思いを抱えながら、友として、美咲のそばにいることを決意した。

2/20/2025, 3:55:08 AM