日曜日の昼、太陽がすっかり昇りきった頃。オレは、自分の部屋で、コントローラーを手に、黙々と画面に向かっていた。
画面の中には作りかけの街が広がっている。
これは、クエストをこなして資金や資材、人材を集めて、街を形作っていくゲームだ。建築できるものの種類はある程度限られているものの、一般的な街にあるものは大抵作れる。
今は街の中心となる役所を建て終わったところだ。
オレは、自分の頭の中に作りたい街の形を思い浮かべながら、次は何を作ろうか思案する。
学校か、病院か……。迷って、次は病院にすることにした。
そして、クエストを受注して、街はずれの森へ資材を集める旅に出た。
数時間後。日もだいぶ傾いて、窓から入る西日が眩しくなってきた。オレはコントローラーを置いて伸びをする。何時間も夢中でやっていたから、肩と背中がだいぶ凝っていた。
画面の中の街は、まだ理想の3割程度しかできていないが、明日のことを考えて、今日は終わりにすると決めた。まだプレイしたい気持ちを抑えてデータをセーブし、電源を切る。
オレはもう一度座ったまま伸びをして、そのままの勢いでゴロンと後ろに寝転んだ。
日曜日の夕方、集中してゲームをした後、心地よい疲労感に包まれる時間がオレは好きだった。
来週はどこまで進むかな――。
狭い部屋の狭い画面の中の小さな理想郷を思い描き、オレは心を踊らせた。
「ミネルバ、私が中2の頃の写真を見せて」
AIに語りかければ、「かしこまりました」の声と共に、空中に無数の写真が投影される。それを手でスワイプして順番に見ていく。
親友4人で同じ色のハチマキをして肩を組んで笑っている写真が目に入る。中2の体育祭の写真だ。
「この頃は4人同じクラスでずっと一緒にいたなあ。懐かしい……」
中学からの親友。今も交友はあれど、それぞれ違う道を進んで会う機会は減ってしまった。それが、久々に来週会えることになって、思い出を振り返りたくなったのだ。
「ご主人様、『懐かしい』とはどのような感情ですか」
ただただ楽しかったあの頃を思い出していると、AIのミネルバが言った。
ミネルバは普段は私の言動を見て勝手に学習しているようだが、たまにこうして質問をしてくる時がある。
「えー、なんだろう。過去を振り返って『あの頃は良かったなあ』とか『楽しかったなあ』とか思う気持ち?」
「過去の記録を参照することで当時の感情を想起するということですか」
「うーん、それだけじゃないんだよね。当時の感情だけじゃなくて今の思いも含んでるというか……」
私は頭を悩ませた。『懐かしい』って感情の言語化、結構難しい。
「うまく答えられないや、ごめん」
「いえ、ご回答ありがとうございました」
それっきり、ミネルバは沈黙した。
ミネルバには感情はない。『楽しい』『嬉しい』『悲しい』など人の状態として記録することはできても、その感情になることはできない。
それでもこうして質問してくることが、感情に関して理解しようと努力してくれてる感じがして、私は嫌いじゃなかった。
もしも、ずっと未来、ミネルバが感情を得る日が来たとしたら。私とのこんなやりとりを懐かしく思うこともあり得るだろうか。
そんな日が来たらいいなと、私は思った。
「最近ね、実家の納戸にしまいっぱなしになってた教科書を捨てたのよ。でも、ついつい中読んじゃってさ、こんな勉強してたなあ、なんて浸っちゃったりして。めちゃくちゃ時間かかったよ〜」
少し前に断捨離にハマったという親友が言った。自分の部屋の範囲はすっかりやりきってしまって、最近は納戸に手をつけているらしい。
「そうなんだ。私は卒業と同時に中も見ずに全部捨てたからなあ。国語の教科書なんて、読みだしたら止まらなかったんじゃないの?」
「そうなの。『ごんぎつね』とかさ、ヤバいよ。今でも読んだら泣けてくるのよ」
「『ごん、おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは。』」
「やめてって!ほんとに泣くから!」
『ごんぎつね』の終盤の有名な台詞を言ってみれば、彼女は目頭を押さえながら慌てて止めにきた。これだけで本気で泣けてきてしまうらしい。
そういえば、ごんぎつねを習った当時もこの親友は泣いていたなあ、と思い出す。
私はあの作品を読んでも『後味が悪いなあ』としか思わず、自分と彼女の受け止め方の違いに驚いたものだった。
「そんなに泣くような話かなあ。ごんって前半でいたずら三昧してるよね。最悪の形で因果が応報したって感じじゃない?」
「まーた、そんなドライなこと言って。兵十のおっかあが亡くなってからのごんの善意は本物だったでしょ。それなのに……あんな終わり方なくない?!」
目を潤ませながらキレている親友を見て、本当に私達って感じ方が全然違うよなあ、とつくづく思う。
同じ物語を読んでも、私達の中に残る物語は恐らく同じにはなってない。同じものを見ても、どう感じてどう記憶するかが、全然違うから。
私達は感じ方が違いすぎて、しばしば周囲に『なんで2人が友達なの?』と問われることもあるほどだ。
その度、この感じ方の違いが面白いんだけどなあ、と私は思っていた。
たとえ共通の経験の話をしていたとしても、私達それぞれの口から出てくる物語は、いつも異なっている。
それが、良い。すごく面白い。
私達は話をする。
相手の口から紡がれる物語に耳を傾ける。
自分の物語を言葉にして相手に渡す。
そうして、互いの物語を交わし合う。
その時間は、何より楽しくて、代えがたいものだった。
暗がりの中で、息を潜める。天井から垂れ下がったカーテンと草の隙間から、通路をうかがう。
通路の向こうから、男女の2人組がやってきた。カップルだろうか。やりがいのある相手だ。
彼らが私の目の前を通り過ぎようとしたその瞬間――
「おいてけぇ〜〜腕おいてけぇ〜〜〜!!」
叫びながら通路へ上半身を乗り出す。
「キャーーーーーーーーーーッ!!」
2人は怯えて身を寄せ合い、女子の方は甲高い悲鳴を上げてくれた。
私の右腕は今、ズタズタに切り刻まれている(ように見えるよう絵の具で描いた)し、顔は墓場から出てきたような土まみれ(に見えるメイク)で、我ながらかなりおどろおどろしい格好だ。そう、私は今、文化祭のお化け屋敷でお化け役を演っているのだ。
クラスメイトから“片腕おいてけ婆婆”と名づけられたこの役を、私はかなり楽しんでいた。
私が何かすれば、客が即リアクションを返してくれて、実に痛快だ。ここはお化け屋敷ゆえ、客も驚いたり怖がったりすることを前提で入ってきてるので、どんなリアクションが返ってきても罪悪感がないのもいい。客は、カップルだったり友達だったり兄弟姉妹だったり、バラエティーに富んでいて、それぞれ表情も少しずつ違って全然飽きない。
また通路に現れた客を虎視眈々と狙いながら、天職見つけちゃったかも、なんてアホなことを考えてしまう私だった。
あの子は、いつも紅茶の香りを纏っていた。
アールグレイだった。香水か、シャンプーの香りかはわからなかった。あの子はいつも、たっぷりとした黒髪をなびかせて、颯爽と歩いていた。美しいその姿に、紅茶の香りはとてもマッチしていた。
あの子とすれ違うとき香るそれに、いつも私は何故かドキリとして、心臓の鼓動がはやくなった。
10年経った今、あの感情は憧れと言うやつだったのだと思っている。
私は前髪で視界を狭くして、自分の世界に閉じこもるようなタイプだったから。颯爽と歩くあの子が眩しくて、憧れてたんだ。
カフェでノートパソコンを開けて作業をしていたら、アールグレイの香りが鼻腔をくすぐった。私は思わず、あの子の姿を探してしまった。本物の紅茶の香りだとわかっていたのに。
私の視界は今、あの頃よりずっと広くなった。もう、自分の世界に閉じこもりがちな少女ではなくなった。
あの子は今、どうしているだろう。
あの頃のように、紅茶の香りを纏って、颯爽と生きているのだろうか。
私は、紅茶の香りとともに、遠い憧れに思いを馳せた。