ミキミヤ

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「最近ね、実家の納戸にしまいっぱなしになってた教科書を捨てたのよ。でも、ついつい中読んじゃってさ、こんな勉強してたなあ、なんて浸っちゃったりして。めちゃくちゃ時間かかったよ〜」

少し前に断捨離にハマったという親友が言った。自分の部屋の範囲はすっかりやりきってしまって、最近は納戸に手をつけているらしい。

「そうなんだ。私は卒業と同時に中も見ずに全部捨てたからなあ。国語の教科書なんて、読みだしたら止まらなかったんじゃないの?」
「そうなの。『ごんぎつね』とかさ、ヤバいよ。今でも読んだら泣けてくるのよ」
「『ごん、おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは。』」
「やめてって!ほんとに泣くから!」

『ごんぎつね』の終盤の有名な台詞を言ってみれば、彼女は目頭を押さえながら慌てて止めにきた。これだけで本気で泣けてきてしまうらしい。
そういえば、ごんぎつねを習った当時もこの親友は泣いていたなあ、と思い出す。
私はあの作品を読んでも『後味が悪いなあ』としか思わず、自分と彼女の受け止め方の違いに驚いたものだった。

「そんなに泣くような話かなあ。ごんって前半でいたずら三昧してるよね。最悪の形で因果が応報したって感じじゃない?」
「まーた、そんなドライなこと言って。兵十のおっかあが亡くなってからのごんの善意は本物だったでしょ。それなのに……あんな終わり方なくない?!」

目を潤ませながらキレている親友を見て、本当に私達って感じ方が全然違うよなあ、とつくづく思う。
同じ物語を読んでも、私達の中に残る物語は恐らく同じにはなってない。同じものを見ても、どう感じてどう記憶するかが、全然違うから。
私達は感じ方が違いすぎて、しばしば周囲に『なんで2人が友達なの?』と問われることもあるほどだ。
その度、この感じ方の違いが面白いんだけどなあ、と私は思っていた。
たとえ共通の経験の話をしていたとしても、私達それぞれの口から出てくる物語は、いつも異なっている。
それが、良い。すごく面白い。


私達は話をする。
相手の口から紡がれる物語に耳を傾ける。
自分の物語を言葉にして相手に渡す。
そうして、互いの物語を交わし合う。
その時間は、何より楽しくて、代えがたいものだった。

10/29/2024, 1:36:08 PM