fumi

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11/28/2024, 10:09:06 AM

海に行きたいんだ、虎雄はベランダで空を見ながら独り言のようにつぶやいた。片手には、いつから持っているのか分からない飲みかけのビールがある。
洗濯物が風にゆられてはためいている。

虎雄と私はずいぶん海に行った。行って砂浜を並んで歩いた。取り留めもないことを取り留めもなく話していると、話しながら、歩きながら、夢をみている気がしてくる。
二人して、このままどこかへ迷い込んでしまおうか、手を繋いだまま虎雄は私をもう片方の手で抱き寄せた。

この人は、かわいそう。かわいそう。

自分の手が、虎雄に巻きついて離れなくなりそうな気がして慌てて力をゆるめた。
大丈夫。大丈夫だから。
誰に言うでもなく、私は心の中で呟いた。

11/27/2024, 2:02:24 AM

たま子は三十一になった。毎年この海の家でかき氷製造機のハンドルをガリガリやりながら、誕生日を迎える。
人知れず、ひっそりとひとつ歳をとった。
そういうものは世間体の範囲に入るし、クリスマスやお正月と同じだと思う。

「おばちゃん!イチゴミルクちょうだい」
「こら、おばちゃんじゃなくてお姉さんだろう」
たま子はいつものように笑顔でかき氷を渡した。
(世間様は私以上に私のことを知っているみたいだ)
砂まみれの小さな手でかき氷をかかえて、太陽のもとへと戻る男の子と父親の背中を見ながら、心の中でつぶやいた。

年を追うごとに、太陽の勢いは増して気温は上がっていた。地元の人々は日中は暑すぎて、早朝か夕暮れ時にしか海には来ない。
昼間ににぎわうのは少し離れた都会の観光客がくるからだった。親子連れやカップルや学生たちがはしゃいでいるのを、たま子は冷たい氷を触りながら不思議な心持ちで見ていた。
男を見ると、ますます不思議になる。
男とはなんなのだろう。

ときどき、たま子に悪さをする男がいた。からかったり、言い寄ってきたり。
(そんな時、わたしは想像する)
巨大な木に男たちが死体になってぶらさがっているのを。それは奇妙な果実のように腐臭を漂わせながら揺れていた。風が吹くとぎしぎしと物悲しい音をたて、黒く熟した果実からは黒い液体が滴り落ちていた。
そしてそれは呪いのように思えた。

黄昏時に、砂浜に出て肌をつける。
微熱のような太陽と人々の残り香を感じとる。
まわりには人影はない。

余った氷を砂浜で溶かす。みるみる形は小さくなり、自然に還っていく。
月に照らされた黒い髪からは狂った果実のかおりはしなかった。




11/12/2024, 8:41:02 AM

飛べない翼をもって生まれてきたもののことを
わたしは知っている

すべてのことには因果関係があり、説明がつくと考えている人々がいることも

彼らは「飛べない翼」を意味のないもの、つまりは存在しなくてもよいもの、と結論づけた
そして彼らにとって、「存在しなくてもよいもの」が「存在している」ということは、不都合な事実となった

彼らの全てが説明のつく完全な世界において、「飛べない翼」はノイズとなり抹消しなければならない対象となる

かたや、「飛べない翼」をもつものたちは自分たちがノイズであることを自覚していた
翼を隠したり、飛べると嘘をついたり、無駄とわかっていて飛ぶ訓練をしたり、とにかく自分たちに意味があることを証明するのに必死になった
そうしなければ排除の対象となるからだ

だけれども、その矛盾を考えてみると一つの答えに行きつく
なぜ、「意味のないもの」が「存在している」のか
それは「意味のないもの」ではなく「意味を知らないもの」だからだ

人の考えうる理屈など、この世界が存在しうるこの世の根底に大きく横たわる理屈からしたら、ちっぽけなものでしかない
意味のわからないものを壊すということは、自分たちが考えつかないような理屈に干渉するということだ

例えば、一万人に一人の割合で「飛べない翼」をもつものが生まれてくるとしよう
だが、そのルールを人々は知らなければ、人々の不安をかき立てるものして排除されるだろう
しかし、結果として排除した者の子供が「飛べない翼」をもつことになる

因果関係がわからないという事は、実に恐ろしいことだ

ただ実際はこんな単純なルールなど存在しない
複雑な網の目のように絡まった因果関係が、目に見えず存在している
正しいことは、簡単ではない

昔の人々は意味のわからない理屈を恐れ、敬い、「神」と名付けた
わからないものをわからないものとして、置いておく
そういうことにして、秩序のある自分たちの世界に居場所をつくったのだ

今の世に「神」の入り込む余地はなく、人自らが神になった
しかしそれと同時に「飛べない翼」を、そっと受け入れる知恵も失った

いつの世も、わからないことでいっぱいだ
神や悪魔たちは、今も笑っているのだろうか

11/10/2024, 3:56:44 AM

ふじこさんの家には一年に一度訪れる。
マイちゃん、いらっしゃい。真っ赤なワンピースの裾をひらひらとさせながら奥の座敷からふじこさんが歩いてきた。
広々とした立派な玄関には、柱時計のカチリカチリという音と、畳と足先の擦れる音しか聞こえない。三月の空気は、しんと張りつめていた。

応接間に通されると、わたしは持ってきたものをふじこさんに手渡した。
ふじこさんはそれを大事そうに受けとって、テーブルの中央に広げた真っ白な布の上に置いた。
「たしかにお預かりしました。このことは忘れてもいいし、忘れなくてもいい。また必要になったときはうちに来てちょうだい。それはあなたの自由だから」

ふじこさんの元には、いろんなところからいろんな物が集まってくる。
女たちの、おもてには出せない類のことにまつわる色々なものが。
そのような個人で所有するには大きすぎるけれども、簡単には手放してはいけないものが、世の中にはある。
そういうものをふじこさんは「預かり屋」として預かっていた。
預かったものは動物の骨と一緒に絹糸をクルクルと何重にも巻きつけて、繭玉にされて天井までとどくような大きな棚にぎっしりと並べられた。
そしてそのような棚が、広い屋敷のいたるところにあった。

ふじこさんは時々、繭玉を取り出しては埃をはらったり、絹糸をさらに巻いたりしてカタチを整えたりした。まるで自らの子を育てるように。
「この子たちが、ゆっくり眠る場所が今は必要なのよ。」そう言ってふじこさんは優しく繭玉をさすった。

わたしは今日の事をどれだけ覚えているのだろうか。
去年、ここに持ってきたものの事をわたしは忘れている。
脳裏によぎった影を追いかける勇気はわたしにはなかったのだ。
わたしはいつか繭玉を開ける時がくるのだろうか。

夢を見続ける繭玉を想いながら、グルグルと渦巻いた心のうちに身をまかせる自分を、少し疎ましく思った。

11/5/2024, 1:34:36 AM

パズルのピースが埋まらないような人生は、つまらない人生なのだろうか

彼女を見ていると、いつもそう思う。
いつも欠けたピースを必死に探して。あれでもないこれでもないと、彼女の頭の中は新しいことでいっぱいだ。
そうでもしていないと、欠けた部分に飲み込まれてしまうかのように。
でも、探しているうちは見つからない。多分。

彼は自分というピースがぴったりハマる場所を探している。
辛い所にも自らとびこんでいく。一つ一つそこが正しい場所なのかどうか、確かめるみたいに。この世界というパズルの中にそれはあると、信じて。

だが努力と期待とはうらはらに、疲労と落胆が彼女或いは彼の世界を支配し始める。

彼女と彼は街中で1メートルの距離ですれ違う。

彼女は適当なピースを見つけて空白を埋め、彼は多少自分を曲げてでもカタチが違う場所に落ち着いた。

歳を重ねるごとに完璧な世界とは言い難い、イビツなパズルが出来上がる。それはシミやシワとなり、傷つき、病んで身体や心に落ち葉のように降り積もり、やがて腐敗する。

彼女或いは彼に最早瑞々しい若さは無い。一貫性や完璧さはそこには存在しない。

彼女と彼はある日、視線を交わす。
お互い、イビツに組み合わさったピースを愛おしく見ている。まるで自分を見ているみたいだ、と思う。

そして穏やかで自然な哀愁が滲み出る一枚の絵画を見つけた時のように、すべてが赦される。

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