お題『泣かないで』
――親戚の子が初めてこの世に生み出した作品は、ほとんど評価をもらえなかったらしい。
それを知っているのは、隣で静かに俯いている当人が、絞り出すように打ち明けてくれたからだった。
(……まいったなあ……)
堪えきれなかったのだろう、ぽたぽたと落ち始めた雫を横目に、私はどうしたものかと頭を掻く。
親戚、かつご近所さん。私よりそこそこ歳下の彼女は、偶然趣味と好みが合った私によく懐いてくれていた。私が細々ながら創作活動をしていることを知って喜び、同じように物語を紡ぎたいと夢見ていることを教えてくれたりもして、私もいつか彼女が完成した作品を見せてくれる時を楽しみに待っていた。けれど。
(ど、どうしよう……)
視線を彼女と自分の間でゆらゆらと泳がせる。
私は人と関わることがあまり得意ではない方だ。当然ながら、泣いている女の子を慰める術なんて知らない。
「……わかってた、つもりだったんですけどね。……あはは。何にも、わかってなかったみたい」
顔を上げずに彼女が呟く。いつもの調子で言ったつもりだろうが、声は誤魔化しようもないほど震えていた。
(……辛いよなあ)
初めて投稿した作品が評価されなかった痛み。それは私も知っている。どうしようもないことも。
拙いのだろうとは思いながら、それでも全力で紡いだ自分だけの物語。例え評価されなくてもいい、ゼロがゼロじゃなくなる、それだけで素晴らしいのだと言い聞かせて送り出した作品が、自分以外の誰かが生み出した素晴らしい作品の数々に埋もれ、押し流されて、誰の手にも取られずに消えていく。
痛かった。それで価値が決まるわけじゃないけれど、それを信じていたいけれど。頭で何を思おうと関係なく胸が軋んで、目の前が滲んで。苦しくて、逃れられなくて、やっぱり投稿なんかしなければ良かったんだと目を瞑った。
もう一度向き合えるようになるまでには、作品への想いを薄れさせてしまえるだけの時間を要した。
(……)
私は、目の前で涙を流す少女に、どんな言葉を掛けてあげられるのだろう。
考えて、考えて。結局閉じた口を開けなかった私は、そっと自分のハンカチを差し出すくらいのことしか出来なかった。
「あの時のハンカチ、本当に嬉しかったんですよ」
あれからはや数年。
今やすっかり素敵な物書きになった彼女が、こちらを覗き込みながら微笑んだ。
「そんな、ハンカチくらいで大袈裟な……」
「全然大袈裟なんかじゃないです!」
思わずといった様子で乗り出された身体に、一緒に座っているベンチが軋んだ音を立てる。
あまりの勢いに目を丸くした私の前で、彼女は姿勢を戻すと照れくさそうに咳払いを一つ。それから、静かに遠くの空を見上げた。
「あの時の私は『私のことなんて誰も見てくれない、誰にもいらないんだ』って、悲しみに呑まれてしまっていたんです。でも、ねえさんはハンカチを貸してくれて。そばにいるよって教えてくれた。一人じゃないんだって気付かせてくれた。それに私が、どんなに救われたか……」
「えっ、ちょ、ちょっと、泣かないでよ……」
言いながら潤んでいく声。頬を伝った雫に、私は焦って意味もなく腕と視線を泳がせた。
結局私は人と関わることがあまり得意ではないままだから、当然ながら、泣いている女の子を慰める術もわからないままだ。
けれど。
「ふふ、すみません。思い出したらつい」
振り向いた彼女が幸せそうに笑ってくれたから、私はまたあの日のように、そっと自分のハンカチを差し出すことしか出来なかった。
お題『ココロオドル』
「友よ。今、よろしいですか」
広くて古い研究室。不意に背中に掛けられた、中性的でどこか無機質な声。
もう大分聞き慣れてきたそれに「んー? 何かな?」と振り返れば、そこに居るのは銀色の巨体。
「『心』について、少し教えてほしいことがあるのですが」
長い首。人ならざる爪牙。蜥蜴、あるいは鳥にも似た顔立ちに、美しく伸びた角と大きな翼。
こちらに向けられた瞳型のカメラに、私はついだらしのないにやけ顔を映した。
「……きみでもやっぱりそういうの考えるんだね……!」
「キミでも、とは何ですか。そりゃあ考えますとも。アナタたち人間にとってとても大切なものだと知っているのに、ボクには感じることが出来ないのですから」
彼はちょっぴり不満を表すように尻尾を揺らす。それから「それでも、学習することは出来ますからね」と目を細めた。
「勉強熱心でえらいなあ」なんて言いながら、金属なのか、何なのかも分からないパーツで組み上げられた白銀の竜を見上げる。いつ見ても惚れ惚れする造形だ。
彼はこの謎の地下研究所に眠っていたロストテクノロジー。いつ、誰が、なぜ、どうやって、の全てが神秘のベールに包まれた、意思持つメカのドラゴンだった。
今の所、この場所と彼の存在を知っているのは私だけ。なので、いらぬ騒ぎにならないよう自分だけの秘密にしている。
それはそれとしてここが気になりすぎて入り浸るようになってしまい、結果、彼は私の数少ない友人となっていた。人生、何があるかわからないものだ。
「それで、何を教えてほしいの?」
近くにあった手頃な椅子を引き寄せつつ問いかける。
私が腰を落ち着けるのを見届けてから、彼は胸に手を当てるが如く、片翼を胸の前あたりまで動かしながら答えた。
「アナタたちが『わくわく』と呼ぶもの……具体的には『心が躍る』という感情についてですね」
「『心が躍る』か〜。また難しいところを選んだね……まずは嬉しいとか、寂しいとか、そういうとこからかと」
ついロボット系キャラクターへの偏見じみたイメージを口にすると、彼は心なしか楽しそうに目を細めた。
「その辺りはデータも多いですし、既にアナタからも学ばせて頂きましたから」
「まな……えっ、いつの間に!?」
「人間も日々の生活から学習していくものでしょう? それと同じです。アナタは喜怒哀楽の感情が頻繁に移り変わるので、かなり参考になりました」
「そ、そっか〜! ちょっと恥ずかしくなってきたな〜!!」
明後日の方向に視線を逸らす。そんなにしっかり見られていた……というか、観察されていたなんて。その上学習までしてしまったらしい。それはどこかに記録されてしまったということですか? ……出来れば消してほしいが、恐らくもう手遅れなのだろう。
思わずため息を溢しかけたところで「……ただ」と降ってきた彼の声にハッと視線を戻す。
「『心が躍る』については未だ。データとしては、何らかの期待があって気分が高揚し、落ち着かなくなる、といった感情なのだと理解してはいるのですが……他の感情と比べても想像がしづらくて。アナタたちの心によくある例に漏れず、線引きも曖昧ですし……」
「なるほどね……」
「なので、出来れば具体例を知りたいのです。アナタは、どのような時に『心が躍る』というような感情になりますか?」
「うーん、そうだなぁ」
知りたい、と言ってくれているからには答えてあげたいけれど、心の話は人間にも難しい。何かいい例は無いかと首を捻る。
「お気に入りの服を着てる時とか、好きなゲームの続編が出るって決まった時とか……? あ、美味しそうなお菓子のレシピ見つけた時とかもそうかも?」
いくつかそれらしい例を口に出してみる。けれど。
私の中の『心が躍る』イメージは、結局一つの記憶に帰結してしまう。
「……でもやっぱり、今までで一番心が躍ったのは、きみと出会ったあの時なんだよね」
あの日。
一人残された田舎の実家から出てきた、どこにも合わない変な鍵。
相続だけして手入れ出来ていなかった裏山の、茂りまくった緑の中に覆い隠されていた未知の扉。
もしかして。期待。錠が外れ、扉が開いた瞬間の胸の高鳴り。地下へと続く長い階段へ足を踏み出させた、恐れを呑むほどの好奇心。
そうして辿り着いた研究室で、彼を初めて目にして飲んだ息。起動方法が残されていると気づいた時の感情は、まさしく。
「今だって、きみがこっちを見てくれるたび、きみが言葉を交わしてくれるたび、嬉しくて、夢みたいで……こんなにも、心躍ってる」
「伝わるかな」なんて微笑んでみる。
彼は翼を折りたたみ、目を丸くしているように見えた。
「……不思議です。今、アナタが口にしたその感情は、ボクにも理解できます」
「えっ?」
「いえ、本質的には違うのでしょうけれど……ボクは、アナタがここへ訪れてくれることを待ち遠しく思い、アナタが言葉を交わしてくれることを喜ばしく思っているのです」
少し首を下げながら言った彼に、今度は私が目を見開く番だった。
まさか。胸が跳ねる。おかしな鳴り方をする。
「このような状態は……もしかすると、『心を躍らせている』と表現することが可能なのでしょうか? ……その、躍る心など有りはしないのですが」
そうは言うけれど。
でも、それってつまり、もしかしたら。
「……ねえ。心って何なのか、哲学でもしてみる?」
新たな可能性。新たな期待。
胸を満たした熱に押されるがまま、私は白銀の竜へと手を差し出した。
人ならざる友人と心を通わせられるかもしれないチャンスなんて、心躍らないはずがない。
お題『時間よ止まれ』
「はぁ〜、全然作業終わんない……一旦時間止まってくれないかなぁ……」
蓋を閉めた最後の小瓶を棚にしまい、疲れきった腕を伸ばして独りごちた。一つの調合が終わるとどうなるか。そう、次の調合が始まるのだ。
今日は日が昇る頃には作業を始めていたのに、日が落ちようとしている今になっても山積みになった仕事は未だに山のままである。悲しい。
山になるまで向かい合わなかったのは自分なので自分を恨むしかないのだが、それはそれとしてこうも言いたくなる量だ。時間が止まってくれたなら、その間に休憩も、趣味の調合だって挟めるのに。
「それさ、いつも不思議なんだけど、どうしてみんな『時間は進むもの、だから止まるはず』だって思うんだろうね?」
と、独り言に返事が返ってきた。驚いて振り向けば、思った通りの相手と目が合う。
闇色のローブに身を包んだ彼女は、相変わらず足音のしない歩みでこちらに近寄ると、私の隣でこてんと首を傾けた。
「動いているのは私たちの方で、時間は初めから動いてなんかいない可能性だってあるはずじゃない? そもそも、時間なんて本当に存在するのかな?」
私は思わず半目になって彼女を見つめる。
「……それ、いつも時間を止めまくってる時の魔法使いさまが言います?」
「あっはっは。……あだっ!」
なんか笑っている不法侵入者の脇腹を肘でどついた。どつかれた側は両手の人差し指を合わせながら「だってあれは厳密には違うっていうか……概念を無理やり貼り付けて固定してるだけだし……」などと難しそうなことを呟いている。
この偉大な魔法使いさまは私の友人だ。時間にまつわる魔法を使える数少ない魔法使いであり、それを使いこなす魔力と実力の持ち主。
にもかかわらず、暇になると平凡な薬屋である私の元へ遊びに来て、満足するまで居座っていく。多分、あまり友人が居ないんだと思う。
「暇なら手伝ってよ。時間止められるんだし」
私は机に戻って依頼書と調合レシピを手に取り、ゆらゆらと退屈そうにローブの裾を揺らしている友人に振り返った。けれど彼女は「えー」と顔を顰める。
「寂しいから嫌。止めている間はひとりぼっちだもん」
「じゃあ、止めなくてもいいから手伝ってくれない?」
「君が作業しているところを見てるの、好きなんだよねー」
「……よかったね、好きなだけ見ていられるよ」
にこにこと楽しげに微笑む友人の前で、私は肩をすくめた。
まあ、私が溜めた仕事に彼女は関係がない。たとえ彼女がこの程度の調合なら軽々熟してしまうくらいの人物だとしても、いよいよ日が落ちちゃって時間がキツいとしても。ここ最近作業が滞った原因が彼女とのティータイムだったとしても、それはそれだ。
全て私が引き受けた仕事。私がやり切らなければと気を引き締め直して、必要な材料を集めながら大鍋の元へと向かう。
「私だけじゃなくて、君のことも切り取れるくらい便利な魔法だったなら、止めちゃうのもやぶさかではなかったけどね」
「……ん? 何?」
途中、友人が何か言った気がしたので聞き返したけれど、彼女はただ「なんでもないよ」と笑っただけだった。
「んー、やっぱり私も手伝おうかな」
「えっ本当? 後でケーキ奢る!」
「やったー!」
お題『君からのLINE』
ポコン、と傍から通知音。
何かと思ってスマホへ視線を落とすと、友人からLINEが来ていた。
『た』
「……んん?」
思わず首を傾げる。
ロック画面に届いたメッセージとして表示されていたのは『た』だった。どこからどう見ても『た』だ。『た』でしかない。
とりあえずロックを解除してアプリを開いてみる。昨日までの話題を『今日』と区切った下には、やはり間違いなく『た』と送られた一文字だけが鎮座していた。
「誤爆してる……?」
けれど、それにしてはなんだか取り消すまでが長い気もする。
一体どういうつもりなんだろう。さっぱりわからない。
まあ、何かと変なことをするのが好きな友人である。よくあることか、と電源ボタンへ親指を掛けたところで、左下に新しい吹き出しが現れた。
『ん』
「……んんん??」
今度は『ん』だ。こちらも一文字だけ。
『た』と『ん』。
二つ並んだ文字の意味はわからないが、少なくとも誤爆ではないらしい。
ただただ微妙な顔をして見守るしかない私の前で、既読に気づいたらしい文字は次から次へと増えていく。
少しして『!』の文字が連打され始めたので、これでおしまいなんだろうなと画面を指先で弾いた。
改めて送られた文字を上から見返してみる。
「……あ」
『た』『ん』『じ』『ょ』『う』『び』
『お』『め』『で』『と』『う』『!』
『!』『!』『!』『!』
「そっか、私、今日……」
やっと意味のわかったそれは、十一文字に分けて贈られた祝福の言葉。
思わずスマホを握っている手に力が籠る。自分でもすっかり忘れていたけれど、今日は私の誕生日だった。
いつも大雑把で色々忘れているのに、こういうことだけはちゃんと覚えている。本当に、ずるい友人だ。
だからって、一文字ずつ送る理由はさっぱりわからないけれど。
「……ふふ。絶対そんなにびっくりマークいらないでしょ」
ぼやけた視界を誤魔化すように呟いて、『何かしてほしいことある!?』と送られてきたメッセージに『ありがと』と返した。
お題『命が燃え尽きるまで』
箒星を見て、あの人のようだと感じるようになったのはいつからだっただろう。
誰もが羨むような煌めく才能を持っていながら、いつだって誰かの為に忙しなく駆け回っているあの人は、心の底から人助けが大好きだった。
「ひとの笑顔を見ると嬉しくなるんだ」とは本人談。
出来るからという理由だけで他人を救ってしまうし、親切は自分のためだからと笑って、いとも容易く人の心を掴んでしまう。私もまた、そうして心の真ん中を攫われた人間の一人だ。
けれど時には傷だらけになって帰ってくることもあって、一度、どうしてそこまでするのかと尋ねてみたことがある。
そうすると返ってきたのは「好きで、やりたいことだからね」と屈託のない笑みで。
その時私はぼんやりと、この人が歩みを止めることはないのだろうな、ということを思ったのだった。どこか寂しいような、誇らしいような気持ちで。
例え誰が止めようとも、何が立ち塞がろうとも、それでも。
いつか彼方で、砕けて消える箒星。
きっと、命が燃え尽きるその時まで。