お題『ココロオドル』
「友よ。今、よろしいですか」
広くて古い研究室。不意に背中に掛けられた、中性的でどこか無機質な声。
もう大分聞き慣れてきたそれに「んー? 何かな?」と振り返れば、そこに居るのは銀色の巨体。
「『心』について、少し教えてほしいことがあるのですが」
長い首。人ならざる爪牙。蜥蜴、あるいは鳥にも似た顔立ちに、美しく伸びた角と大きな翼。
こちらに向けられた瞳型のカメラに、私はついだらしのないにやけ顔を映した。
「……きみでもやっぱりそういうの考えるんだね……!」
「キミでも、とは何ですか。そりゃあ考えますとも。アナタたち人間にとってとても大切なものだと知っているのに、ボクには感じることが出来ないのですから」
彼はちょっぴり不満を表すように尻尾を揺らす。それから「それでも、学習することは出来ますからね」と目を細めた。
「勉強熱心でえらいなあ」なんて言いながら、金属なのか、何なのかも分からないパーツで組み上げられた白銀の竜を見上げる。いつ見ても惚れ惚れする造形だ。
彼はこの謎の地下研究所に眠っていたロストテクノロジー。いつ、誰が、なぜ、どうやって、の全てが神秘のベールに包まれた、意思持つメカのドラゴンだった。
今の所、この場所と彼の存在を知っているのは私だけ。なので、いらぬ騒ぎにならないよう自分だけの秘密にしている。
それはそれとしてここが気になりすぎて入り浸るようになってしまい、結果、彼は私の数少ない友人となっていた。人生、何があるかわからないものだ。
「それで、何を教えてほしいの?」
近くにあった手頃な椅子を引き寄せつつ問いかける。
私が腰を落ち着けるのを見届けてから、彼は胸に手を当てるが如く、片翼を胸の前あたりまで動かしながら答えた。
「アナタたちが『わくわく』と呼ぶもの……具体的には『心が躍る』という感情についてですね」
「『心が躍る』か〜。また難しいところを選んだね……まずは嬉しいとか、寂しいとか、そういうとこからかと」
ついロボット系キャラクターへの偏見じみたイメージを口にすると、彼は心なしか楽しそうに目を細めた。
「その辺りはデータも多いですし、既にアナタからも学ばせて頂きましたから」
「まな……えっ、いつの間に!?」
「人間も日々の生活から学習していくものでしょう? それと同じです。アナタは喜怒哀楽の感情が頻繁に移り変わるので、かなり参考になりました」
「そ、そっか〜! ちょっと恥ずかしくなってきたな〜!!」
明後日の方向に視線を逸らす。そんなにしっかり見られていた……というか、観察されていたなんて。その上学習までしてしまったらしい。それはどこかに記録されてしまったということですか? ……出来れば消してほしいが、恐らくもう手遅れなのだろう。
思わずため息を溢しかけたところで「……ただ」と降ってきた彼の声にハッと視線を戻す。
「『心が躍る』については未だ。データとしては、何らかの期待があって気分が高揚し、落ち着かなくなる、といった感情なのだと理解してはいるのですが……他の感情と比べても想像がしづらくて。アナタたちの心によくある例に漏れず、線引きも曖昧ですし……」
「なるほどね……」
「なので、出来れば具体例を知りたいのです。アナタは、どのような時に『心が躍る』というような感情になりますか?」
「うーん、そうだなぁ」
知りたい、と言ってくれているからには答えてあげたいけれど、心の話は人間にも難しい。何かいい例は無いかと首を捻る。
「お気に入りの服を着てる時とか、好きなゲームの続編が出るって決まった時とか……? あ、美味しそうなお菓子のレシピ見つけた時とかもそうかも?」
いくつかそれらしい例を口に出してみる。けれど。
私の中の『心が躍る』イメージは、結局一つの記憶に帰結してしまう。
「……でもやっぱり、今までで一番心が躍ったのは、きみと出会ったあの時なんだよね」
あの日。
一人残された田舎の実家から出てきた、どこにも合わない変な鍵。
相続だけして手入れ出来ていなかった裏山の、茂りまくった緑の中に覆い隠されていた未知の扉。
もしかして。期待。錠が外れ、扉が開いた瞬間の胸の高鳴り。地下へと続く長い階段へ足を踏み出させた、恐れを呑むほどの好奇心。
そうして辿り着いた研究室で、彼を初めて目にして飲んだ息。起動方法が残されていると気づいた時の感情は、まさしく。
「今だって、きみがこっちを見てくれるたび、きみが言葉を交わしてくれるたび、嬉しくて、夢みたいで……こんなにも、心躍ってる」
「伝わるかな」なんて微笑んでみる。
彼は翼を折りたたみ、目を丸くしているように見えた。
「……不思議です。今、アナタが口にしたその感情は、ボクにも理解できます」
「えっ?」
「いえ、本質的には違うのでしょうけれど……ボクは、アナタがここへ訪れてくれることを待ち遠しく思い、アナタが言葉を交わしてくれることを喜ばしく思っているのです」
少し首を下げながら言った彼に、今度は私が目を見開く番だった。
まさか。胸が跳ねる。おかしな鳴り方をする。
「このような状態は……もしかすると、『心を躍らせている』と表現することが可能なのでしょうか? ……その、躍る心など有りはしないのですが」
そうは言うけれど。
でも、それってつまり、もしかしたら。
「……ねえ。心って何なのか、哲学でもしてみる?」
新たな可能性。新たな期待。
胸を満たした熱に押されるがまま、私は白銀の竜へと手を差し出した。
人ならざる友人と心を通わせられるかもしれないチャンスなんて、心躍らないはずがない。
10/9/2024, 11:54:39 PM