『君と出逢って』
大きな鳥居の下で君と出逢った。
摂社に続く階段を下りていたら、本社にある鳥居で人の子が泣いているとカラスたちが騒ぐものだから。日が沈んで黄昏時も近づいているから危ないと、家に帰りなさいと言って姿を消すつもりだった。
「何をしてるの?」
「えっ?」
他に誰もいないと思っていたのだろう。
驚きあわてふためく様が可愛かった。
「可愛かったんだがなあ」
「えー? 何々? 好きな子でもできたの?」
大きなため息をつくと背中を何度か叩かれた。
私がいなければ一人で妖の対処もできぬというのに。
助けてやったのになんという態度。
下を見ればぶら下がるのは傷ついた二本の足。くだらない神使の会合になど出ていなければ間に合ったのに。怪我をさせてしまった。
だが、これとそれとは別の話だ。
わざと体重を後ろにかけると後ろで叫ぶ声がした。
「ちょっとお」
「足がすべった」
「絶対ウソでしょ。笑ってるし。もう、神社に着いたら神様に文句言ってやるんだから」
「稲荷様は暇なお方ではない」
「じゃあ代わりに聞いてくれる?」
苦い顔をすると、見えていないはずなのにけらけらと笑い出す。この人の子に出逢って人とはかくも表情を変えるのだと知った。
ついでに胸のつかえや痛みを知った。
稲荷様にお仕えする。ただそのために在るというのに。
人はこの胸の痛みを何と呼ぶのだろうか。
この、胸の高鳴りを何と呼ぶのだろう。
『耳を澄ますと』
お昼も終わったおやつ時。
ふわふわと揺れる意識の中、窓の外からかすかに電車の音が聞こえてくる。しゅー、かたんことん、かたんことん。
遠く離れているからだろうか。
やけに軽く聞こえるそれは遠い地へと心を誘う。
どこかへ行こうかな。行きたいな。
そう考えているうちに音は過ぎ去っていた。
耳の奥に残った音を子守り歌にして再び目をつむった。
かたんことん、かたんことん。
『二人だけの秘密』
勇者の秘密を知ったのは、二度目のダンジョン攻略の最中だった。一度目は初級なこともあってただ倒せば良かった。言葉を操る魔物はいなかったのだ。ダンジョンのラスボスさえも。
けれど今回は違った。
中盤に差しかかったころ、助けを求めてきた魔物がいたのだ。仲間を助ける素振りも見せた。
「勇者潰しの差し金か?」
苦しそうな魔法使いの呟きがやけに耳に残った。
勇者潰し。それは、王女のころ魔王に家族を殺された現女王の、秘かな二つ名だ。あえてレベルに合わない命令をすることからきている。
助けられなかった勇者に対する憎しみだ、勇者を死なせたくないのだと世論は多数に分かれていた。
結局その日は中盤で休息を取ることになった。
エルフの私、勇者、獣族、魔法使いの順で見張りを交代することにした。その、交代時に。
明らかに寝不足な顔で彼はやってきた。
「寝て」
「いや、でも」
「いいから寝なさい。私は二人分くらい平気よ」
そう言って見張りに戻ろうすると彼が隣に座った。
「眠れないんだ」
「あのねえ、」
「怖くて眠れない。今日倒した魔物が泣いていたんだ。あの声が、顔が、倒したときの感触が頭から離れない。前は時間が経てば何とか眠れたんだよ。こんな印、何で僕が選ばれたんだ?」
彼の手の甲には花のような紋様がある。いつもはグローブで隠しているそれが、今は赤くなっていた。何度も引っかいたのだろう。少しだけ血が出ていた。
私は彼の手を取ると、魔物が寄らない程度に治した。
近づいたついでに丸くなった背をさする。
最初の彼の仲間、魔法使いは言っていた。
勇者は優しすぎる。選ばれた者なりに力はあるものの、いつか優しさが仇となる、と。
「ねえ、一つ教えておくわ」
「何?」
彼の顔をのぞき込むようにして小声でささやく。
エルフの里を、故郷から誘い出してくれたとき、彼にされたように。
「私だって怖いわよ」
彼の泣きそうな目が大きく開かれた。
こぼれた涙が炎で反射して輝いて見えた。
「怖い? 僕より強い君が?」
「数十倍は強い私が。当たり前よ。でも私はあの時、困っている人たちを救いたいと言ったあなたと旅をする道を選んだ。あなたも選んだのでしょう?」
「……そうだね」
目的を思い出せ、なんて言わない。
彼だって分かってはいるのだから。
「少しだけ肩貸してもらってもいい?」
「いいわよ」
程なくして隣から穏やかな寝息が聞こえ始めた。
『優しくしないで』
「お嬢様!?」
おめかしを手伝ってくれたメイドが声を上げた。
せっかく用意してくれたドレスを汚してしまってごめんなさい。でももう耐えられないの。
甘くてきらびやかなお茶会を抜け出して、昨日の雨でぬかるんだ森の中を走る。
あちらこちらに枝を引っかけて、ドレスと靴は泥で汚れてしまっただろう。ひどい有り様だ。
「A嬢は本日もお美しくあらせられる」
「こちらのスイーツがお好き? 奇遇ですね。私もですよ」
頭に浮かぶのは誰にでも優しい彼の言葉。今日も多くの令嬢令息に声をかけられていた。婚約者である私を一人にしたままで。
「もういやだ……!」
誰にでも優しくするくらいなら、いっそ私は、私だけには優しくしないで。
湖が見えてきた。ここを越えれば下町まであと少しだ。素性を隠してお手伝いをしているカフェ兼旅館でかくまってもらおう。
そう決意して小舟にかけた手を後ろから掴まれた。
骨張った筋肉質な指にサファイアの指輪がはまっている。
彼だ。
「どこへ行くの」
「貴方がいないところ!」
「どうして? 僕が何かしたなら謝るよ」
「貴方の、そういうところが」
嫌いなのよ、と告げる前に腕を引かれて目が合ってしまった。
眉間に寄ったしわと首もとを伝う汗。何よりもその青い瞳に戸惑いと怒りが表れていた。
「お願いだから、突然こんな場所に一人で走って行かないで。メイドの声がしなかったらどうなっていたか」
泣きそうな彼の声に、引かれるまま彼に身を委ねることしかできなかった。
走り疲れた私は気づけば屋敷の自室で眠りについていた。
意識を失う間際の彼の言葉も聞かずに。
「A嬢は君を真似るのがお好きなようだよ。スイーツは君好みのものを取ろうとして声をかけられただけ。寂しい思いをさせてしまってすまない。そう、君には下町という居場所もあるからね。明日にでもあちらにも手回しをしておこうか。二度と君が僕から離れたいなんて思わないように、ね」
『カラフル』
白と黒と灰色。物事を割りきって考えるようになってから同じような日々が続いていた。当たり障りなく、問題を起こさないように、淡々と生きてきた。はずだった。
「だって、あんたの絵すげえじゃん! 俺もああいう芸術は爆発だみたいなの描きてえんだよ」
絵の具を取る手が震える。
あのときの彼はいま隣でキャンバスに向かっている。
爆発なんてしたら色が散らかる。規則正しければそれでいいじゃないか。でも彼に心の中にあった自由を求める本心を指摘されてからすべてが変わった。
下校中に寄り道をするようになった。
師事されたい先生に会えた。短期ではあったものの泊まりがけで指導を受けた。
隣街の花火大会に出かけた。
体育祭の部活別マラソンで文化部一位を取った。
個性に色づきがあると知った。場所にも特有の色を用いた風景があると気づけた。
世界は、色であふれている。
最初のひと筆をキャンバスに乗せる。
ライブペイントなんて初めての試みだった。
キャンバス越しに見えるのは、友人を含めた数十名の観客たち。
大きく息を吸うと筆を横に払った。