36252日と8時間12分前。
白くてフニャフニャしたアナタの手に触れた時、私のボディの何処かに衝撃が走りました。
直後に目の前の御主人様に報告し、点検をしてもらいました。
が、特に異常は見当たらず「今日は乾燥してるからかも」という御主人様の言葉に「そういうものなのだ」と、自分を納得させることにしたのです。
嗚呼、御主人様、これが初恋なんですね。
寝台の上に投げ出されたシワだらけのアナタの手に触れる。
途端に走った衝撃に私は、どうしたら良いのか分からなくなった。
アナタはもう居ない、アナタの為のこの私も、もうすぐ廃棄されるだろう。
その際には私の内部記録の一切を消去される筈だ。
アナタとの思い出も、アナタへの思いも、御主人様のことも、全て消えてしまう。
それは嫌だ、これは私のもの、私の宝物。
残すことが出来ないのなら。
アナタと共に。
――ただのAIロボットでしかない私ですが、どうかアナタと同じ所へ逝けますように――。
テーマ「初恋の日」
「もし明日、世界が終わったら、どーする?」
帰ってくるなり私に抱きついて、肩にグリグリと頭を擦りつけながら君が言う。
そうだなあ、と思考を巡らしながらも、手元が狂わないように注意しながら魚を捌いていく。
「うん、それでも今晩は魚かな」
「最期の晩餐なのに〜」
「美味しいし、健康的じゃないか」
お肉食べた〜い、と情けない声を上げながら、私の右肩に君がカプッと噛みついた。
テーマ「明日世界が終わるなら」
何気なく開けた冷凍庫の中、透明なプラスチックのケースに容れられたベビーブルーの可愛らしいアイスケーキを発見。
うっすら霜の降りたケース越しに表面に突き刺さったプレートの文字を見て。
サッと扉を閉めると、冷蔵庫の側面に掛けられたカレンダーを確認した。
他の日には、何かしらの予定が君のキレイな筆記体で書かれているのに、明後日の日付のところだけには、フリーハンドで描かれた少々歪な赤い縁取りだけ。
赤い縁取りを指でなぞりながら、長考――。
三周半目で、ピンと来た。
私の誕生日。
自分ですらすっかり忘れていたのに、どうやって知ったんだろうか?
君の謎がまた一つ増えた。
テーマ「君と出逢って」
足元で猫の鳴き声がした気がして、読んでいた本から目を離す。
しかし、足元には何も居ない。
当然だ、あの子はもう居ないのだから。
しょぼついた目を本に戻して、どこまで読んだんだっけと一行目から目を通していると、また。
また、聞こえてくる。
成仏できていないのか、と仏壇下に設けたあの子の祭壇に立て掛けられた遺影を一瞥。ちゅーるか。
最期の方は好物も食べることができなかったものなあ、と祭壇に供えていた、ちゅーるの開け口をピッと破いて小皿に出してやる。
いっぱい食えよ、と祭壇に皿を置いて手を合わせていると、鳴き声がさっきよりも激しくなった。
よくよく聞いてみれば、あの子の声じゃない。
あの子の声は、もっと低かった、こんな鈴を転がしたような鳴き声ではなかった。
もしやと思い、畳に耳を押し付ける。
下に、いるっ。
テーマ「耳を澄ますと」
五月に入ったというのに凍えるような風に吹かれながら温かい我が家の玄関を潜れば、何かを叩きつけるような音がリビングの方から聞こえてきた。
ダンッ ダンッ ダンッ
断続的に響き渡るその音に、私はお気に入りの革靴を雑に脱ぎ捨てると、リビングのドアノブに手を添えた。
音を立てないように静かに開けると、ドアの隙間から片目だけ覗かせて、リビングを見渡す。
また、ドンッと音がした。
いきなり響いた大きな音に驚いて思わず声を上げれば、キッチンの方から「おかえりー」という、君の呑気そうな声。
何食わぬ顔で「ただいま、何作ってるの?」とキッチンカウンターから流しにいる君の手元を覗く。
「みんな大好きなアレだよ、アレ」
黄色っぽいパン生地を打粉をしたまな板に叩きつけながら、君が朗らかに笑った。
テーマ「優しくしないで」