薄墨

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1/6/2025, 9:28:36 AM

雲ひとつない空が広がっている。
葉がすっかり落ちた、やせ細った枝の上で、カラスが鳴いている。

日が出ていて、風がなければ、冬晴れの昼は暖かい。
暖かい太陽は、真っ青な空に高く登っていて、金色の煌めきを、地面の真っ白な雪たちに投げかけている。

嵐の前の静けさ、とは、こういうことを言うのだ。

手袋ごしに悴んだ手で薪を拾い上げて、ため息をつく。
この星が雪と氷に覆われてはや10年。
気温は下がり続け、夜の吹雪はだんだん酷く残酷になっている。

今夜も酷い吹雪になるはずだ。
研究棟の気象予報士のみんなが、口を揃えて吹雪を予報しているのだから。

今夜はいったい何人が、寒さで眠れなくなるだろう。
いったい何人が、寒さの中で永遠の眠りにつくだろう。

世界がずっと吹雪で、ずっと薄暗い雲に覆われた寒い寒い世界なら、私たち人類も、諦めて滅ぶことができたのだろう。

しかし、太陽は暖かい。
こんな寒くて凍える世界でも、日中、特に晴れの日は、すこし暖かい。

だからこそ、夜が、吹雪が、雪が。
私たちはまだ怖いままなのだ。

少しでも寒さを凌げるように、私は寒さの中で薪を拾う。
カチカチに凍りついた小枝を、藁束を。
厚い厚い雪の中から。
そうでないと、寒さと吹雪の恐怖にどうにかなってしまいそうだから。

太陽が雲ひとつない空の上で輝いている。
痩せ衰えた木の上で、カラスが鳴いている。
氷点下の世界でも、日の光は厚い雪の上に煌めいていた。

1/5/2025, 12:59:49 AM

また始まった。
石炭を溶鉱炉に放り込みながら、ため息をつく。

「幸せとは!」
今日も幸せを説く外の人たちがうるさい。

ガラガラと音を立てながら、重い歯車がゆっくりと回っている。
水蒸気が回してくれているのだ。

石炭を投げ入れながら、煙を吸い上げてしまって、慌てて咳き込む。
この職場は、喉と肺に優しくない。
石炭の燃える煙が、ありとあらゆるところで黒煙をあげて、立ち込めているからだ。

「美味しい空気を吸うのが幸せ!」
外で何かがそう叫んでいる。
大抵、昼のこの時間帯に外で幸せを説くことができるのは、仕事を持たない者、仕事をしなくても暮らしていける者たちのみで、昼間にのうのうと幸せを説けるだけ、奴らは少なくとも、こうして昼に肺と喉を犠牲に働いている私らよりは幸せだろう、と思う。

…とは思いつつも、今の現状に不満があるわけではない。
毎日の仕事は体力を使うが、街を支えているというやりがいで心は満ちているし、肺や喉をやられていても、家族がみんな楽しく暮らせている。

空を汚しているこの石炭が生み出した機械の技術で、先の戦争で足を失った父さんも、義足をつけて自由に歩き回れている。

あの黒煙が上っているおかげで、私たち人間はキツい肉体労働を全て機械にさせることができる。

この街では、綺麗な空気を吸うのが幸せなんて話はこの街で働いたことのない、一部の“幸せ”な人たちの戯言で、だからこそ、労働者階級の私たちは、彼らを無視していた。

この街の空は今日も黒い。
でも私たちは、今日も幸せだ。

1/4/2025, 1:46:30 AM

オレンジの丸い光が、山の間からはみ出している。
白み、薄い水色に染まった空に、橙の日の出の光がゆっくりと満ちている。

冷たい朝の風の中、山の向こうから登る日の出を見る。
御来光だ。

そういえば、昔、人々は太陽を神様だと考えたらしい。
太陽系において、世界は太陽を中心に回っているから、それはひょっとすると遠からず、ある意味真実なのかもしれない。

太陽が、半熟の黄身のように山の隙間で膨れて、光を空に溶かしながらゆっくり、ゆっくり上がっていく。

今日の朝ごはんには目玉焼きが食べたい、と思う。

太陽はのんびりと上がっていく。
周りの空気がだんだん温まっている気がする。

道草を嗅ぎ回っていた飼い犬がふと顔を上げた。
道の向こうから、一人のお爺さんがやってきていた。

「おはようございます」
挨拶をすると、向こうから現れたお爺さんもにこやかに会釈をされた。

お爺さんの後ろにも、太陽の光が満ちている。
温かい光を背に、お爺さんもゆっくりゆっくり、こちらへやってきた。

だんだん、周りの空気が温まっている気がする。

お爺さんは、隣まで来ると、目を細めて、日の出を眺めた。
飼い犬が落ち着かない。
日はゆっくりと上る。
もうすぐ日の出は終わり、朝が来る。

そろそろ行こうか、そんな気になる。
飼い犬が落ち着かなさげに、リードを引くからだ。
私は名残惜しく日の出から目を逸らし、道の方へ向く。

その時、私は初めて気づいた。
隣のお爺さんの背が、太陽が当たっていないのに、温かな光を浴びていることに。

御来光だ。
飼い犬が落ち着かなさげにリードを引いた。

1/3/2025, 4:30:03 AM

目標を立てるのは苦手だ。
未だに真っ白な半紙を眺める。

新年一発目の書道教室は、いつも「今年の抱負」。
だから、計画を立てるのも目標を立てるのも苦手な僕は、いつも困ってしまう。

筆を持つのは嫌いじゃない。
書道教室でなら、みんな静かだし、心が落ち着く。
筆を墨に浸して、背筋を伸ばして、真っ白な半紙に、ゆっくりと筆を下ろす、その瞬間もなんかいい。

だから書道教室自体は嫌いじゃないんだけど…

でも何かにつけて、行事ごとに目標や願い事を書くことになるのが大変だ。
大人が喜ぶくらい子どもらしくて、でも友達に揶揄われないそんな願いや目標を考えるのは、結構骨が折れる。

それで、今年の抱負だ。
いったい何を書けばいいんだろう。

来年の中学受験のことを書く?
でも「〇〇中合格!」なんで書いて落ちた暁には、きっと大人からは腫れ物に触るように扱われ、友達からは揶揄われるだろう。

じゃあ、「健康第一」とか?
それじゃあ、子どもらしさが足りない。
大人からやんわり「考え直しなさい」とか言われるのがオチだ。
それに友達からは「ジジくさい」って言われそうだ。

本当に何を書こう…

「はよかけよー!」
仲がいい低学年のあの子が、揶揄う。

ええい!もうどうにでもなれ!
僕は筆に墨を含ませて、一気に半紙に下ろす。
それからさっさと動かして書き上げる。
怒られたって知るか、この六年間でもうネタ切れだ。

僕は筆を置く。
半紙には僕の字で、でかでかと「今年の抱負」と書かれていた。

1/1/2025, 3:57:06 PM

一月一日。
カレンダーにはそう書かれている。
昨日、王から配布されたカレンダーは、年明けを指していた。

私たちは、六ヶ月も前倒しに、年明けを迎えている。
この国の暦が変わったからだ。
あっという間に年を経る、光陰矢の如し、というのは、本当はこういう状況を指すのだろう。

年明けの祝酒をバタバタと運びながら、外を見やる。
外は相変わらずの晴れ渡った澄んだ空だ。

急な改暦の発端は、この地の支配者であり、政治家である王の愛妾が子を宿したこと。
遠い昔、王の先祖が平らげ、この国の属国とした西国から王に嫁いだ愛妾が、今なお子が出来ずに困り果てていた王の子を産んだのだ。

玉のような御子で、しかも男の子だった。

民衆は大層喜んだが、王とその関係者たちの気持ちは複雑だった。
日数がどうしても合わなかったからだ。

9ヶ月前の頃、ちょうど他国との領土争いと、宗教戦争の援軍要請があり、王は忙しく国の内外を飛び回っていた。
最後の愛妾と王の伽は、もう一年も前のことで、だからこそ、事実を知るものはみな、訝しんだ。

しかし、後継のいない王政は不安定である。
常に、“次の王をどうするのか”という不安がつきまとうからだ。
だから、政治に関わる全ての者は、-裏切られた被害者かも知れぬ王さえも-生まれた御子を手放すことを躊躇った。

我が国の王は、聡明な王だ。
自分の私情で政治を乱すことと自分の感情を抑えて政治を安定させることを天秤にかけ、後者を選んだのだ。

王は、御子を正式に自らの子とし、跡取りにすることを決めた。

そして、王はまた、慈悲に溢れた気性であられた。
生まれたその子が、自分の出自に悩まぬよう、愛妾の不祥の証拠を、隠滅することを選んだ。

それが改暦であり、改暦に伴う御子誕生の盛大なお祝いであった。

私は、王のこの判断を尊敬している。
王の顔すら見たことのない侍女の身で、烏滸がましいことではあるけれど。

私は王を尊敬している。
そして、王子となる御子は幸せだと思う。

私もまた、不義の子だったから。

私は王を尊敬している。
この改暦に感謝もしている。
だから、目一杯、この新年の訪れを祝おうと思う。
他の人がいくら批判的に思っていても。
周りが皆、面倒だと思っていても。

私はこの新年をめでたいと思う。
誰がなんと言おうと、私だけは、新年の訪れを喜びたいと思う。

肉を焼き上げ、大皿に乗せる。
酒瓶と取り皿とグラスを運び込む。
温かなお祝いの風景が、少しずつ出来上がっていく。

新年だ。
新しい年の、新しい暦の、始まりだ。

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