一月一日。
カレンダーにはそう書かれている。
昨日、王から配布されたカレンダーは、年明けを指していた。
私たちは、六ヶ月も前倒しに、年明けを迎えている。
この国の暦が変わったからだ。
あっという間に年を経る、光陰矢の如し、というのは、本当はこういう状況を指すのだろう。
年明けの祝酒をバタバタと運びながら、外を見やる。
外は相変わらずの晴れ渡った澄んだ空だ。
急な改暦の発端は、この地の支配者であり、政治家である王の愛妾が子を宿したこと。
遠い昔、王の先祖が平らげ、この国の属国とした西国から王に嫁いだ愛妾が、今なお子が出来ずに困り果てていた王の子を産んだのだ。
玉のような御子で、しかも男の子だった。
民衆は大層喜んだが、王とその関係者たちの気持ちは複雑だった。
日数がどうしても合わなかったからだ。
9ヶ月前の頃、ちょうど他国との領土争いと、宗教戦争の援軍要請があり、王は忙しく国の内外を飛び回っていた。
最後の愛妾と王の伽は、もう一年も前のことで、だからこそ、事実を知るものはみな、訝しんだ。
しかし、後継のいない王政は不安定である。
常に、“次の王をどうするのか”という不安がつきまとうからだ。
だから、政治に関わる全ての者は、-裏切られた被害者かも知れぬ王さえも-生まれた御子を手放すことを躊躇った。
我が国の王は、聡明な王だ。
自分の私情で政治を乱すことと自分の感情を抑えて政治を安定させることを天秤にかけ、後者を選んだのだ。
王は、御子を正式に自らの子とし、跡取りにすることを決めた。
そして、王はまた、慈悲に溢れた気性であられた。
生まれたその子が、自分の出自に悩まぬよう、愛妾の不祥の証拠を、隠滅することを選んだ。
それが改暦であり、改暦に伴う御子誕生の盛大なお祝いであった。
私は、王のこの判断を尊敬している。
王の顔すら見たことのない侍女の身で、烏滸がましいことではあるけれど。
私は王を尊敬している。
そして、王子となる御子は幸せだと思う。
私もまた、不義の子だったから。
私は王を尊敬している。
この改暦に感謝もしている。
だから、目一杯、この新年の訪れを祝おうと思う。
他の人がいくら批判的に思っていても。
周りが皆、面倒だと思っていても。
私はこの新年をめでたいと思う。
誰がなんと言おうと、私だけは、新年の訪れを喜びたいと思う。
肉を焼き上げ、大皿に乗せる。
酒瓶と取り皿とグラスを運び込む。
温かなお祝いの風景が、少しずつ出来上がっていく。
新年だ。
新しい年の、新しい暦の、始まりだ。
1/1/2025, 3:57:06 PM