薄墨

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12/4/2024, 1:11:27 PM

ミームとは。
模倣によって人から人へ伝達されていく文化情報であり、例えば葬式の作法、例えば比喩表現、例えば民話や昔話の教訓など。

昨今よく使われる、SNSやインターネット上で爆発的かつ半永久的に感染したかのように広がっていく、“お約束”を意味するミームとは、結果、本来の「ミーム」という言葉に内包される「インターネットミーム」のことなのである。



インターネットは混沌だ。
規則正しく朝に起き、退屈だけど安定した会社へと向かうサラリーマンと、昼夜逆転、不安定に苛まれながらまだ布団に潜っているYouTuberが、まるで竹馬の友であるという風に、談笑する。

考えなしなために社会の最底辺を這いずって、同じ程度の人間をざらざらと引き連れたバカと、上澄みの上澄みまでを蹴散らして寂しさに負けかけている孤高の天才が、互いに傷を舐め合っている。

電気で冷たい金属を稼働して考える脳が、人の肉声を真似て喋り、糖を消費して温かな蛋白質を回す脳が、抑揚のない機械の声を採用する。

耳心地の良い夢に溢れた上品な言葉には、下劣な動機と思惑の腐臭が漂い、悪辣で粗雑な言葉には、誠実で優しい親切の欠片が透けて見える。

創作物と噂話と民間伝承と現実の出来事が混じり合って、形を持つ。

夢の出来事としか思えないような如何わしい不気味な事に、身元の確かな権威的論文が正確な書誌情報と共に引用され、明々白々な現実の出来事に、怪しからん支離滅裂な理屈がくっつく。

インターネットでは、夢と現実が入り混じり、溶け合っている。
混沌だ。

その混沌の電子の海の中で、私は途方に暮れ、立ち尽くしていた。
「海の中で立ち尽くす」というのは、些か地球の法則によっても、比喩表現によっても、妙な表現であるし、そもそも物理的に私は理性も目的も確かで座っているのだから、「途方に暮れ、立ち尽くす」というのも間違いである。

だが、そんな論理的な思考はここでは力を持たなかった。

ここはインターネットの世界。
夢と現実が複雑怪奇に絡まり合って、一つになった荒涼なミームの中。
混沌の中にいれば、私も混沌なのだ。

夢と現実の境の見えない、曖昧な混沌の相の子でしかないのだ。

私は、「人類のミームの進歩と進化過程についての孝論」と書かれた紙を握りしめて、深い海の中を立ち尽くしている。
「卒論 人類学」と書かれたファイルを開いて、途方に暮れて座り込んでいる。

虹彩は、夢と現実の入り乱れた情報を節操なく吸い上げ、脳は、その相対する何者かの広大さに、糖の分解を止め、脳細胞の仕事を取り上げる。

インターネットをよく見てみるがいい。
ここは混沌だ。
人の死も、人の生も、醜い喜劇も、美しい悲劇も、碌でない何千億の人生と一緒に氾濫している。

ネクロノミコンや呪いの書をわざわざ探して読まなくたって、インターネットを覗いて、これを全てまともに考えて仕舞えば私たちは発狂できるだろう。
事実、私はもう分からない。

夢と現実と、が。

だから私は立ち尽くしている。
電子の海の底で、ゲーミングチェアに座り込んで、ぶつ切りのコードに繋がれたパソコンの前で、夢と現実の途方もない情報が混じり合った深水の中で、立ち尽くしている。

どこかで、パソコンか端末か、何やらが

 …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。と鳴った。

夢と現実とが、確かにそこにあり、しかしどこにあったか分からなかった。
私は混沌に埋もれた。

混沌が私をすっかり飲み込み、消化してしまった。
溶け合った、夢と現実が、私をヒシと抱きしめていた。

12/3/2024, 2:54:55 PM

ママの様子が変だ。
先生も、友達も、みんな気づいていないし、気にしてない。
でも僕だけは気づいてる。

ママが変だ。
僕のママが偽物になっちゃったんだ。

僕を怒鳴りつけたり、つねったりしないのだ。
ママが変だ。とても。

試しに昨日、テレビに出ていたオムライスが食べたいって言ってみた。
ママの言う“大人のための”番組…大人たちの間ではバライティ情報番組とか呼ばれているらしい…で紹介されていた、うんと手が掛かるやつ。

いつもの、僕のママなら言うはずだ。
「そんな贅沢言わないの!!ママのいつものご飯が不満だって言うの?!」
そうやって怒鳴って、しばらく目も合わせてくれないし、口を聞いてくれない。
それがいつものママのはずだった。

でも、でも。
昨日のママは、しばらく黙って、それから何度か深く息を吸ってから、優しい声でこう言った。
「美味しそうねえ。でも今日は材料ないし、またいつかね」

ママが変だ。
僕のママじゃない。

僕は、保育園によく遅刻する。
保育園が嫌いなわけじゃない。
でも、朝は眠くて、寒くて、とても外に出られたものじゃない。
朝は、寒い外に出て、保育園に歩いていって先生にご挨拶するよりは、あったかい家でダラダラしたいんだ。

でも、12月になってからは一回も遅刻してない。
ママが変だからだ。
一日中、偽物のママに支配される家にいるよりは、保育園でめんどくさいけど、友達と喧嘩したり、遊んだり、片付けしたり、いつもの先生に会う方がずっといい。

ママが偽物になってから、あんまり家では落ち着けない。

でも。
窓の外を見ると、空が橙に染まっている。
もうすぐお迎えの時間だ。
さよならの時間だ。

お迎えが来ると、先生が呼びに来る。
それで、保育園の教室から出るときに、みんな「さよなら」をいう。
先生に「さよなら」を言ったら、僕たちはもう家に帰る。完全にぷらいべーと、になるんだ。

僕はそれが怖い。
だって今日も、変わってしまった偽物のママと二人きりなんだもん。

先生が教室の外で誰かと話してる。
耳を澄ませる。
…ぼくの、ママの声。

僕は、目を瞑って、心の中で必死に祈る。
日曜日の朝、僕に笑いかけてくれるテレビの中のヒーローに、絵本に出てきたおきつねさまに、いつかおばあちゃんとお参りに行った神社のかみさまに、今ママとお話ししている先生に。

「さよならは言わないで。帰りたくない」

お外ではカラスがガァガァ鳴いている。
ママと先生が声を立てて笑う。
さよならは、言わないで。

空はだんだん暗くなる。
足元に落ちていたミニカーがかちゃん、と鳴った。

12/2/2024, 2:01:36 PM

小悪党は聖人に淘汰され、聖人はド悪党に切り伏せられ、そのド悪党は小悪党に足を掬われる。

壮健な軍馬に跨った若い少将には、それが世の中の真理だった。
彼は生まれ祖国の命を受けて、つい最近、我が祖国となったばっかりの、この辺鄙な新領に生きていた。

祖国の軍門に下る前、この地は「光と闇の狭間」と呼ばれていた。
この離島の地を率いていた、魔術師が名付けた名前だった。

実際、この地は光と闇の狭間であった。
光の人間世界と、闇の死霊の世界。
この地はその二つの世界の狭間にあって、しかもこの二つの地を繋いでいた。

いわばこの地は、光と闇の狭間で、両世界の門でもあった。

そのバランスを見ていた門番こそが、この地の元支配者、魔術師たちだったのだ。

しかし、無慈悲な彼の祖国は、元支配者の存在を許さなかった。

管理者を失ったことで誕生した、光と闇の狭間の世界は恐ろしいものだった。

魔術師を失ったこの地は荒れ果てた。
闇の世界からは死霊が溢れ、光の世界は恐怖に慄いて、人間たちの仲間割れまで発生した。
争いが争いを呼び、この地はすっかり、戦場に成り果てていた。

小悪党は聖人に絆され、罪悪感と罪の意識で善の方向へ足を踏み外して消えていった。

聖人はその誠実さと論理的思考故に、そのどちらも気にしないド悪党に担がれて、ボロ切れのように捨て置かれた。

ド悪党は強者であるが故に、眼中にすら入らない小さきことを拾い上げた小悪党に、足を掬われて崩れていった。

死霊にも聖人はいたし、当然だが、人間にもド悪党はいた。
しかし、どの人物も何かしら敵や弱点があって、一瞬の隙をそれらに晒したら最後、消えていった。

彼が来たのはそういうところだった。

だからこそ、彼は少将という立場にしては些か悲観的なその理論を、真理だと確信していた。
そして彼の掴んだ真理は、こんな光と闇の狭間で最も役に立つ教訓であり、日常に訪れる数々の悲劇を俯瞰で処理してくれる理性でもあった。

彼はその考えのために、今の今までここで生き延びてきた。
荒み切った世界の中では、冷徹な理論がまさしく、光と闇の狭間で生きていくために、欠かせないピースであった。

光と闇の狭間で、少将は凛とした姿で佇んでいた。
強い真理を心の支えとして持つ彼には、ある種の自信が満ち溢れていた。
軍馬に背筋を伸ばして、光と闇の狭間の世界を見下ろす若い少将には、生命力が溢れていた。

ツッ…
その溢れるばかりの絵画のような世界を、切り裂くようにそんな音がした。
精悍だったはずの雄々しい軍馬が、目を剥いて狂ったように棒立ちになり、余裕と生命力に満ち溢れていた少将の体がぐらり、と傾いた。

そのまま、彼の体は滑るように地面に落下した。
岩肌の凹凸が光と闇とを作り出す、岩場の地面に。

光と闇の狭間で、少将は静かに呻き声をあげた。
馬が、足を折り崩した。

島は、争いと死の騒がしさに満ちていた。

12/1/2024, 3:00:05 PM

見えたものを認識して
それの対処を考えて
その命令が脳から下って
足がブレーキを踏む
その間の刹那に車が進む距離を“空走距離”という。
自動車学校で習った。

教習所の先輩から言葉だけ聞いた時は、“空想距離”かと思った。
なぜ自動車学校でいきなり、そんな空想の話が出てくるんだろう。案外、この自動車教習所という学校も、メルヘンなところなんだな、と馬鹿みたいに思った。

しかし、蓋を開けてみれば、認識→行動の間の距離のことらしい。
なるほど。確かに情報の巡りが早いとはいえ、私たちの感覚の部位と思考の部位には距離があって、それを伝えるには時間がいるのだ。
その刹那の時間にも、周りの時間は動き続けるのだ。
自動車は走るのだ。

考えてみれば当たり前の話だ。

…だから、既読がついても返信が返って来ないのも、脳への伝達に時間がかかっているから、仕方ないことなのだ。

空走距離は、車道以外にもある。
LINEのやり取りにだって潜んでいるのだ。

そう、思うことにした。

だって、今日も遠距離に住む君からは返事が返って来ない。
開いても写るのは、既読、の二文字だけ。

…これは空走距離なのだ。
私たちの心の距離でも、物理的な距離でもなくて。

…ただ、君の空走距離がちょっと長いだけ。

ため息をついて、携帯を閉じる。
時間が、ゆっくりと流れて、空走距離へとなっていく。

11/30/2024, 2:32:05 PM

うるせぇよ。
誰にも聞こえないように呟いた。
家を出ていく背中に、そう呟いた。

「泣かないで」
同居人はそう言って私を慰めた。
「大丈夫。貴女を不幸にした人はもういないから。だからお願い、泣かないで」
同居人のそんな嘆願を一文一句覚えている。

うるさい。
そう思った。
あの時、自分や自分の大切なものを害されて、何も出来なかった苦しみや痛みは、今でも私の心を蝕んでいる。

私には何も出来ない。
昔も今も。
私が苦しみに対して出来ることは、泣くことだけだった。

どんなに見苦しくとも、聞き苦しくとも。
どんなに周りに迷惑でも。
私は、私の無念を少しでも軽くするために泣くしかなかったのだ。

しかし、同居人はそれをやめろと言った。

やめた方が良いのは分かってる。
しかし、それでもやめられないのだ。
私の苦しみは、私の無念は、まだ心の裡で燻っているのだから。

だから、私は今夜も泣き続けてやるつもりだ。
私が殺されたあの時間から。
苦しみを、悲しみを。
少しでも誰かに分かってもらうために。

同居人は今日も眠れないだろう。
だが、知ったことじゃない。
だって私に「泣かないで」なんて無神経なことを言ったんだもの。
もう身体を持たない私に。

私はこの家に取り憑いている幽霊だ。
かつて空き地だったこの家の地下に埋められて、それからずっとこの土地に住んでいる、幽霊だ。

通り魔に殺された幽霊だ。

…もうすぐ、あの時間がやってくる。
私があの通り魔に殺された、あの時間が。
同居人がビクビクしながら時計を伺っている。

私はよく分からないまま殺された。
私はまだ生きたかった。
やりたいことがたくさんあったのに。それこそ、今の何の活力も持たずに何となく学生であるだけの、同居人よりずっと。

私は、生きたかったのに。

奥底から涙が込み上げて来る。
私は小さくしゃくりあげる。
ビクッと同居人が肩を振るわす。
「泣かないで」
弱々しく震える声が、同居人の口から漏れ出す。

知ったことか。何で私が死んだのにあなたは生きているんだ。なんで…

涙が次から次へと頬を伝う。
息を堪えるのが苦しくて、喉の奥から声が出る。
弱々しい泣き声が。
短いしゃくり声が。

「泣かないで!」
同居人が取り乱して叫ぶ。
同居人の口からは、「泣かないで」という私への切望が絶え間なく漏れ出ている。
弱々しく、激しく。

私は泣き続ける。
弱々しく、激しく。
「泣かないで」という無数の哀願をBGMに。

時計の針がくっ、と動いた。

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