薄墨

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ミームとは。
模倣によって人から人へ伝達されていく文化情報であり、例えば葬式の作法、例えば比喩表現、例えば民話や昔話の教訓など。

昨今よく使われる、SNSやインターネット上で爆発的かつ半永久的に感染したかのように広がっていく、“お約束”を意味するミームとは、結果、本来の「ミーム」という言葉に内包される「インターネットミーム」のことなのである。



インターネットは混沌だ。
規則正しく朝に起き、退屈だけど安定した会社へと向かうサラリーマンと、昼夜逆転、不安定に苛まれながらまだ布団に潜っているYouTuberが、まるで竹馬の友であるという風に、談笑する。

考えなしなために社会の最底辺を這いずって、同じ程度の人間をざらざらと引き連れたバカと、上澄みの上澄みまでを蹴散らして寂しさに負けかけている孤高の天才が、互いに傷を舐め合っている。

電気で冷たい金属を稼働して考える脳が、人の肉声を真似て喋り、糖を消費して温かな蛋白質を回す脳が、抑揚のない機械の声を採用する。

耳心地の良い夢に溢れた上品な言葉には、下劣な動機と思惑の腐臭が漂い、悪辣で粗雑な言葉には、誠実で優しい親切の欠片が透けて見える。

創作物と噂話と民間伝承と現実の出来事が混じり合って、形を持つ。

夢の出来事としか思えないような如何わしい不気味な事に、身元の確かな権威的論文が正確な書誌情報と共に引用され、明々白々な現実の出来事に、怪しからん支離滅裂な理屈がくっつく。

インターネットでは、夢と現実が入り混じり、溶け合っている。
混沌だ。

その混沌の電子の海の中で、私は途方に暮れ、立ち尽くしていた。
「海の中で立ち尽くす」というのは、些か地球の法則によっても、比喩表現によっても、妙な表現であるし、そもそも物理的に私は理性も目的も確かで座っているのだから、「途方に暮れ、立ち尽くす」というのも間違いである。

だが、そんな論理的な思考はここでは力を持たなかった。

ここはインターネットの世界。
夢と現実が複雑怪奇に絡まり合って、一つになった荒涼なミームの中。
混沌の中にいれば、私も混沌なのだ。

夢と現実の境の見えない、曖昧な混沌の相の子でしかないのだ。

私は、「人類のミームの進歩と進化過程についての孝論」と書かれた紙を握りしめて、深い海の中を立ち尽くしている。
「卒論 人類学」と書かれたファイルを開いて、途方に暮れて座り込んでいる。

虹彩は、夢と現実の入り乱れた情報を節操なく吸い上げ、脳は、その相対する何者かの広大さに、糖の分解を止め、脳細胞の仕事を取り上げる。

インターネットをよく見てみるがいい。
ここは混沌だ。
人の死も、人の生も、醜い喜劇も、美しい悲劇も、碌でない何千億の人生と一緒に氾濫している。

ネクロノミコンや呪いの書をわざわざ探して読まなくたって、インターネットを覗いて、これを全てまともに考えて仕舞えば私たちは発狂できるだろう。
事実、私はもう分からない。

夢と現実と、が。

だから私は立ち尽くしている。
電子の海の底で、ゲーミングチェアに座り込んで、ぶつ切りのコードに繋がれたパソコンの前で、夢と現実の途方もない情報が混じり合った深水の中で、立ち尽くしている。

どこかで、パソコンか端末か、何やらが

 …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。と鳴った。

夢と現実とが、確かにそこにあり、しかしどこにあったか分からなかった。
私は混沌に埋もれた。

混沌が私をすっかり飲み込み、消化してしまった。
溶け合った、夢と現実が、私をヒシと抱きしめていた。

12/4/2024, 1:11:27 PM