うるせぇよ。
誰にも聞こえないように呟いた。
家を出ていく背中に、そう呟いた。
「泣かないで」
同居人はそう言って私を慰めた。
「大丈夫。貴女を不幸にした人はもういないから。だからお願い、泣かないで」
同居人のそんな嘆願を一文一句覚えている。
うるさい。
そう思った。
あの時、自分や自分の大切なものを害されて、何も出来なかった苦しみや痛みは、今でも私の心を蝕んでいる。
私には何も出来ない。
昔も今も。
私が苦しみに対して出来ることは、泣くことだけだった。
どんなに見苦しくとも、聞き苦しくとも。
どんなに周りに迷惑でも。
私は、私の無念を少しでも軽くするために泣くしかなかったのだ。
しかし、同居人はそれをやめろと言った。
やめた方が良いのは分かってる。
しかし、それでもやめられないのだ。
私の苦しみは、私の無念は、まだ心の裡で燻っているのだから。
だから、私は今夜も泣き続けてやるつもりだ。
私が殺されたあの時間から。
苦しみを、悲しみを。
少しでも誰かに分かってもらうために。
同居人は今日も眠れないだろう。
だが、知ったことじゃない。
だって私に「泣かないで」なんて無神経なことを言ったんだもの。
もう身体を持たない私に。
私はこの家に取り憑いている幽霊だ。
かつて空き地だったこの家の地下に埋められて、それからずっとこの土地に住んでいる、幽霊だ。
通り魔に殺された幽霊だ。
…もうすぐ、あの時間がやってくる。
私があの通り魔に殺された、あの時間が。
同居人がビクビクしながら時計を伺っている。
私はよく分からないまま殺された。
私はまだ生きたかった。
やりたいことがたくさんあったのに。それこそ、今の何の活力も持たずに何となく学生であるだけの、同居人よりずっと。
私は、生きたかったのに。
奥底から涙が込み上げて来る。
私は小さくしゃくりあげる。
ビクッと同居人が肩を振るわす。
「泣かないで」
弱々しく震える声が、同居人の口から漏れ出す。
知ったことか。何で私が死んだのにあなたは生きているんだ。なんで…
涙が次から次へと頬を伝う。
息を堪えるのが苦しくて、喉の奥から声が出る。
弱々しい泣き声が。
短いしゃくり声が。
「泣かないで!」
同居人が取り乱して叫ぶ。
同居人の口からは、「泣かないで」という私への切望が絶え間なく漏れ出ている。
弱々しく、激しく。
私は泣き続ける。
弱々しく、激しく。
「泣かないで」という無数の哀願をBGMに。
時計の針がくっ、と動いた。
11/30/2024, 2:32:05 PM