薄墨

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9/14/2024, 2:57:21 PM

大理石の床に膝をついた。
玉座の上の一城の主が厳かに口を開いた。

「…それで、貴様が我が宮廷に雇い入れてほしい、というのか」
「そのお話に出て来たご助言が、王様の侍長様のご紹介のものでありましたら、私にございますね」
「随分、他人事のような言い草だな」
「私も、その執事様に白羽の矢を立てられて、ご紹介いただいた身ですからね。置かれた立場が不明瞭であれば、まずは客観的な立ち振る舞いをするのが一番です」
 
王は、鼻で小さなため息を吐かれた。
「余は仕事に困っているわけでも、呆けているわけでもない。余は浮ついた巫山戯た事は苦手だ」
「ええ、この地の物はみな、存じておりますでしょう」
「そんな王の城に宮廷道化師などいるか?…余には奴の考えがわからん」
王が首を振ったのだろう。頭上の空気が僅かに揺れた。

「第一、貴様を雇い入れたとして、貴様が俺を裏切らないとどうして確信できる?信頼に足るかも分からん奴を余の側にも宮廷にも、自由に立ち入らせろなど、どうしてできるというのだ!」
王の声は、静かだが、険しさを増していた。

…侍長が手を焼くはずだ。
疑心暗鬼の権力者ほど、怖いものはない。
それが王の側に近いものほど、その恐怖も大きいだろう。
そんな王には、是非とも鈴のついた首輪をつけたいだろう。…それこそ、聡明な乳母か宮廷道化師のような、身分の差を気にせずに王に助言できる人間が…。

なるほど…
侍長の言う通り、随分と楽で高待遇の仕事ではないか!
雇い入れていただいた暁には、お礼に、この城のありとあらゆるところに、存分に侍長の噂を、あることないこと周りの奴らに吹き込んでやろう。

まあ、まずは雇い入れてもらうところだ。
私は顔を上げ、王のブルーの瞳をしっかりと見つめた。
そして、おもむろに、低い声で語りかける。

「ええ、この城は安泰ですな。なにしろ、主人様がとても聡明でいらっしゃる。王様の憂慮はもっともです。…ですが、それなら尚更、宮廷道化師として私を雇い入れた方が良いでしょう」
「…なんだと」
「この私よりも王様が信頼に足る宮廷道化師が後にも先にも現れるとはとても思えませぬ」

王が豊かな眉を、ぴくりと蠢かせた。
「ほう。貴様は余が信頼するに足る人物だと言うのか。…話は聞いてやろう。命が燃え尽きるまで忠誠を誓う、などと宣うか?」
よしかかった!話を聞いてくれるならこちらのものだ!

たっぷりと間をとって、口を開く。
受け答えの内容だけでなく、間の取り方も腕の…いや、口の見せ所だ。

「王様、もうお聞きかも知れませんが、私は刀の覚えがございます」
「おお、知っておる。…そこがちょうど怪しいと思うたところじゃ」
「刀を取る私たちは“武士”でございます。
あまねくこの世にはたくさんの剣がありまして、レイピアを操る騎士、剣を操る剣士、それから刀を使う武士がございますね?…どれも剣の使い手ですが、彼らはそれぞれの文化を持ち、それぞれ、その界隈独特の、伝統の習慣と稽古法を持っております」
「そうじゃの。内容までは知らぬが、各文化があるとは知っておる。…それが何の関係があるのだ」

「それが関係あるのです。…実は、どの稽古法と文化ででも、戦いや剣の稽古をする前、本当に剣を握る前に、身につけねばならぬ教え、心積り…習慣がございます。幼い頃から習慣化する決まりとなっているものが…」
「…ふむ」
「武士がその時に身につけなくてはならない習慣というものが、その理由です」
王は背にもたれ軽く目を閉じて、続きを促した。

「その武士の習慣というのは?」
「はい、『受けた恩は必ず返すこと』と『自分に誠実に生きること』です」

「…ほう。続けよ」
「今、私は仕事をなくして困っております。王様が雇ってくだされば、私は王に命を救われた御恩を受けたことになります。その御恩を返すまで、私は王様を裏切れません。恩を仇で返すことは習慣上、できませんから」
「なるほど」
「そして、私は自身に誠実です。自分に嘘のつけない習慣を持ちます。私には、王様や側用人や使いの者や…あらゆる人間の顔色を例え知ったとしても、自分の誠実に則って話すのですから、誰に都合の良い嘘もつけません。…それで、前の仕事を失ったくらいですからね」
「…」

「習慣が変わらないかお疑いになりますでしょう?ですが、…これも王様はご存知でしょうが、私は武士の子でございます。
王様ならば、たくさんのお人をご覧になっているでしょうからお分かりでしょう。三つ子の魂百までと申しますように、小さい頃から躾けられた習慣を無くすことは至難の業です」
王が片頬を上げた。

「私は、自分に誠実な習慣が染み付いていますから、残念ながら王様に、命を燃やし尽くすまで忠誠を誓う、とはとても申し上げられません。
ですが、受けた御恩を果たすまでは、ずっと御奉公いたします。もちろん、自分に誠実に」

しっかりと王の瞳を見つめて、話し終える。
王は眉を顰め…私の目を覗きこむ…。

しばらくの後、王は眉を緩め、微笑を見せた。
「ふふ、自分に誠実に、か。余は気に入った。よろしい、雇おう。貴様は今日から余の宮廷道化師だ」
「ありがとうございます。お受け致した御恩は、必ず」

「では、下がれ。侍長に部屋の世話をしてもらえ」
「はい。では王様、また明日。…何か面白そうな話を仕入れておきますね」
「よいよい、初日だろう。大人しくとっとと休め」
「そういうわけにもいきません」
私は自分に誠実にしか生きられない。
「…碌に情報もよこさず、ここに連れて来た侍長を、噂の人に仕立ててやらないと、私の気が済みませんので」

失礼します、と頭を下げて、部屋を出る。
王室の分厚い扉を閉める。
王の恰幅の良い笑い声が、廊下に聞こえて来た。

9/13/2024, 1:55:43 PM

野犬の時間は終わりだ。
東の空が、赤く白み始めている。

履き潰した踵がきゅう、と鳴く。
スプレーで汚れたブロック壁を横目に、両手をポケットに突っ込む。
もうじき、ここにも光が射す。
明るくなれば、ここはもう、血統書付きの輩の世界だ。
夜明け前に引き上げてしまわなくては。

奴等に会うことは、できるだけ避けた方がいい。
奴等に会ったら最後、どうなるか分かったものじゃない。
奴等の法律に縛られた奴等の世界は、俺たちには厳しすぎる。

ぐしゃぐしゃのゴミを蹴飛ばした。
カラカラ、と乾いた音を立てて、先へ転がっていく。
道端のゴミ箱には、ゴミが溢れんばかりに詰め込まれ、蓋が斜めに持ち上がって、異臭を垂れ流している。

奴等がのさばりだしたのはいつからだったろう。
少なくとも、俺が生まれた時は、こんな世界ではなかった気がする。

血統の定かでない犬人たちが、人狼に類する劣等種として、“野犬”と呼ばれて、この地に押し込まれるようになってからもう随分が経つ。

俺たち犬人は、遥か昔からずっと人狼に悩まされて来た。
俺たちの近縁種ではあるものの、狩猟を主とし、時には偽って犬人すら食べ、排他的な行動を繰り返す人狼は、養殖や計画狩猟をし、規律を維持して群れを作る犬人とは価値観が合わず、ずっと種族間で対立してきた。

人狼は全犬人共通の敵だった。

それが覆ったのはここ数年。
まず、人狼による犬人喰いの被害が増大した。
加えて、それまでなんだかんだ数と連携で優勢を保っていた犬人の防衛ラインが、人狼の襲撃によって崩壊した。
理由は不明。不明だが、人狼の動きから犬人サイドの内部情報漏洩が疑われた。

それまで平和に暮らしていた一般犬人たちは、不安に襲われた。
人狼に征服され、殺され、喰われるかもしれない。
何か手を打たなくては。たとえ理由が不明確で不明瞭だとしても、なんとかしなくては。
手遅れになったら困る!

そんな中、満を持してとられた政策が、「疑わしきは全体のために処理する」スパイ撲滅作戦だった。

計画狩猟のために、森へ入って食糧を獲ってくる役割の犬たちが、真っ先に槍玉にあげられた。森の中で人狼と内通する可能性を疑われたからだ。
彼らは隔離され、罰として、見張りをつけられて、贅沢と自由を許されない環境で、働かされることになった。

それでも、人狼による被害はなくならなかった。

疑わしきラインはどんどん拡大していった。
人狼と恋仲になるかもしれない、防衛ライン付近に住む犬たち。
どこか秘密の場所で内通するかもしれない、各地を仕事や趣味で回っていた犬たち。
人狼の方へ逃げるかもしれない、群れに疑問や意見を抱く犬たち。

…そして、人狼の親戚がいるかもしれない、人狼の血が混じっているかもしれない、血統が知れない犬たち。

こうして、血統種の犬たちが、それ以外の犬たちを見張る、そんな群ればかりになってしまった。

人狼の被害は減らない。
血統を持つ奴等は、疑念をますます深め、恐怖のストレスからか、さらに隔離している犬たちへの当たりを強くする。

最近では、隔離区の公共施設や公共事業は、休みばかりで機能しなくなり、町はすっかり荒れ果てた。

血統種の犬は、人狼の恐怖に苛まれ、荒む。
そこで、人狼の出ない明るい昼間に虚勢を張って、閉じ込められた畜生のように、自分より立場の弱い奴に威張り散らして、虐め始める。
隔離区の俺たちのような野犬は、血統種からの迫害に苛まれ、荒む。
そこで、血統種の出ない暗い夜に警戒しながら、野に放たれた畜生のように、怯え上がって目だけを座らせて、道徳や同情を投げ捨てて、生き残ろうと躍起になる。

今や、犬人の中で、穏やかで幸せな生活をしているやつは1人もいなかった。
群れの中でも、群れの外に対しても、俺たちは神経を尖らせて、常に警戒をしていた。

東の空から、白い光が広がっていく。
薄汚れたボロっちい町のシルエットが、ゆっくりと浮かび上がってくる。
俺は慌てて歩を進め、自分のねぐらに潜り込み、カーテンを締める。

人狼の遠吠えが遠ざかっていく。
太い人狼の遠吠えの合間に、細々と血統種どもの、夜明けを告げる遠吠えが混じる。
夜明け前の日の光が、締め切ったカーテンの擦り切れた布地に、僅かに色をつける。

人狼の被害は増え続けていた。

9/12/2024, 2:35:51 PM

「あなたをずっと守るよ。幸せにする」
画面や本の向こうの恋人は、皆こぞってそう言います。

友達から勧められた人は、みんなそう言うのです。
幸せにする。守る。
澄んだ瞳でそう告げる人たちを見ると、私はいつも、目を逸らしたくなります。
そして、心の中でこう呟きます。

幸せって自分で感じるものなのに、なんでこの人は、私を幸せにできると確信しているのだろう。
なんで私を守れると断言できるんだろう。
私はあなたに守って欲しい訳じゃないのに。幸せにして欲しいんじゃないのに。
私はただ、素敵な人が幸せになるその瞬間に、一緒に居たいだけなのに。

でもどういうわけか、フィクションのヒーローは、みんなそう言って、ヒロインを手に入れるのです。
現実の人間も、大切な人にはみんな、そんなことを言って、それが“最上の愛”という顔をします。
だから、一般的な“理想な恋”というのは、そういうものなのだ、と私は思う事にしました。

みんな幸せにして欲しいんだ。誰かに守ってもらいたいんだ。
俗に言う“本気の恋”とは、幸せになるためにしたいものなんだ。
私の中で、恋というのは、そういうものでした。

だから、私には恋というものに、興味がちっとも湧かなかったのです。
だって、私の幸せなんてちっぽけなもの、それは色んなところに転がっていたからです。

お腹いっぱい食べる美味な物。
疲れた時に飲む冷たい飲み物。
時間を忘れて趣味をして越す夜。
誰かに感謝されて笑いかけられる時。
感動するほど綺麗なものを見たその日。
好奇心と胸を満たす素晴らしい作品に出会えた瞬間。
自分の気持ちを上手く表現できたときの満足。
ぼうっと外を見ながら空想に耽る昼下がり。
過去の苦しみを懐かしみながら笑える夕方。

私にとって、充足感に満ちたふわふわとした幸せは、子供の頃から今までずっと、暮らしの中に少しずつ散りばめられていました。

だから、あなたが好きなのです。
幸せとは何かを知り、自分の幸せを手にして楽しめる、あなたのような人が好き。
私の幸せを批評せず、笑って、「一緒にいると楽しい」だとか、「とても面白い人だ」とか、そうとだけ言ってくれるあなたが、一番好きなのです。

自分の幸せを愛して、自由で、だからこそ、他人のどんな幸せも許容する。そんなあなたが好きなのです。

私の本気の恋は、ここにあったのです。
私は、幸せは自分で感じたかった。
誰かの幸せを強要したくなかった。
あなたが、あなたなりの幸せを感じているのを見るのが好きだった。
そうして、自分と自分の幸せを、自分で守っていたかったのです。
それが、私なりの、本気の恋で、幸せでした。

これから先、あなたの苦労は私には想像できません。
夜、家を抜け出してでも喜んで戦場に向かう私は、守ってもらう幸せを追い求める世間様には、とても信じられないことでしょう。
あなた自身も、罪悪感に溺れ、後悔に苛まれるかもしれません。

でも、これは私が勝手に決めたことです。
私が、私の幸せのために決めたことです。
私の幸せの形です。
私の本気の恋です。

だから、どうか強くいてください。
あなたは、あなたの幸せを感じ続けてください。
あなたのその揺るぎなさが、私は一番好きだったから。

きっと、苦労をおかけするでしょう。
あなたの人生に、黒々とした分厚い雨雲を張ることになるかもしれません。
でも、これが初恋の私には、本気の恋の抑え方が、どうも分からないのです。

ごめんなさい。大好きです。
愛しています。
文句は帰ってきた時にでも聞きます。

諦めかけていた本気の恋が、今こうして出来たことを嬉しく思います。
私は幸せです。ずっと。今も。

ラブレターなんて、初めて書きました。でも、すごくすらすらと書けてしまいました。
本気の恋の力は、すごいですね。

それでは、さようなら。
あなたの幸せを、誰よりも祈っています。

大好きなあなたへ
                      私より

9/11/2024, 3:00:53 PM

ああ、明日から三連休なのか。
夜風に風鈴がチリン、と揺れる。
つけっぱなしのテレビから流れる声で、私は初めて、三連休の訪れを知った。

最近はカレンダーを見ることがめっきり減った。
スマホを携帯するようになって、手帳やカレンダーを見なくてもよくなったからだろうか。
仕事をするようになって、一日一日が慌ただしく、ぎゅっと詰まって矢のように過ぎ去るようになったからだろうか。

もともと、ものぐさだった私は、日付や曜日をしっかり把握しなくとも生きていける今にかまけて、すっかり曜日感覚と時間感覚を失ってしまっていた。

書類の日付と、スマホの日付と、カレンダーの日付を確認して、今日のカレンダーを探し当てる。
過ぎてしまった月のカレンダーを繰って、でも剥がすのは面倒で、結局、カレンダーの過去のページと未来のページの間に顔を埋めたまま、予定を書くことにする。

一人暮らしというのは、気楽過ぎてまるで、炭酸の抜けたサイダーみたいだ。
特に私の生活は、炭酸が抜けておまけにぬるくなってしまっている気さえする。

朝ごはんはいつも同じメニュー。
片付けと皿洗いは後回し。
休みの日は、ヨレヨレのパジャマから、ヨレヨレの部屋着に着替える。
出かけるとなったら、取り込んだまま放ってある洗濯物の山から服を引っ張り出して着替える。
窓際で秋風に揺られる風鈴の隣には、くたびれたてるてる坊主が項垂れているし。
採寸がめんどくさいと、家具をケチった結果に、平積みにされた本の柱が、床からにょっきり生えている。

第一、4ヶ月も遅れたカレンダーが、私の気の抜けた炭酸生活の生ぬるさを物語っている。

「ぬるま湯に浸かってばかりだと風邪をひく」
そんな格言を知ったのはいつだったか。
知った時は腑に落ちて、いっそ自分の座右の銘にしようと思ったはずなのに。
今の私と来たら、風邪をひくだけでは飽き足らず、ぬるま湯でふやけてしまっているような気がする。

…三連休か。
ここで、「ようし、三連休も徹底的にダラけてやろう!」と潔く諦められるなら、芯のあるアルデンテなものぐさだな、くらいの評価は得られるだろう。
しかし、私は所詮、伸びたラーメンくらい芯がナヨナヨなものぐさ。
この期に及んで、私の頭は、どうにか三連休を充実したものにできないか、と、悪あがきを続けている。

だいぶ涼しくなってきた夜風が、風鈴を揺らす。
くたくたのてるてる坊主が、小さく会釈した。

9/10/2024, 1:32:52 PM

「Who killed Cock Robin? I, said the Sparrow,
with my bow and arrow, I killed Cock Robin.」

制服で、車に揺られている。
車窓の外は、嘘のようにカラッと晴れ渡っている。

制服の、折り目正しいスカートの上に載せられた詩集が、車の振動に合わせてカタカタと揺れる。
「Who killed Cock Robin?」
分厚いマザーグースは、車の揺れに合わせて、繰り返し駒鳥殺しの犯人を問うていた。

今日は、本当に蒸し暑い。
ようやく効き始めたクーラーの冷気が、埃の匂いと一緒に、私のいる後部座席へと流れてくる。
「Who killed Cock Robin?」
マザーグースは、冷気でページをはためかせながら、そう主張していた。

車内では誰も喋らない。
クーラーの冷たい風の鳴き声と、車のエンジンの唸り声と、マザーグースのページの捲れる音だけが、響いている。
青くて、騒がしくて、鬱陶しいほど暑くて、陽炎すらもゆらめいている外。
黒くて、冷たくて、静かで、霜が降りそうなほど沈痛なこの車内とはまったく正反対だ。

こんな良い天気に死ななくてもよかっただろうに。
私は、罰当たりにもそう思う。
ぼんやりと車窓の外の空を眺めて。

今日の午前に、叔母が死んだ。
父さんの妹だった叔母は持病で、ずっと病院暮らしだった。
昨日と今日の間の深夜に、その容態が急変して、今朝息を引き取ったらしい。

起き抜けに電話をとった父に告げられて、私たちは、黒い服に身を包んで、車に乗った。

叔母は、病気のせいで派手に動けないというだけで、話してみれば、陽気で楽しげで、とても素敵な良いおばさんだった。
膝の上のマザーグースをくれたのも、「Who killed Cock Robin?」がもともと哀悼の詩だけども、英米のミステリーの常套スラングとして有名なんだと教えてくれたのも、叔母さんだった。

私たちは叔母さんの病院へ向かっている。
これから、叔母さんの持ち物や私物を整理して、叔母さんと最期のお別れをするんだと、父さんが震える声で、そう説明した。

もう叔母さんとは喋れないらしい。
もう叔母さんとは遊べないらしい。
お別れが終わったら、もう叔母さんの手も握れないらしい。

…そう何度も自分に言い聞かせても、なんだか遠くの地の、他人のことのような気がする。
悲しさも寂しさも、どっか遠いどこかを漂っている。
足元がふわふわしている。

喪失感。
突然、頭の中にそんな言葉が浮かんだ。
このふわふわ感は、どこか他人事のような無気力感は、喪失感というのだろうか。

喪失感。喪失感なのかもしれない。
膝の上に目を落とす。
「Who killed Cock Robin?」マザーグースは相変わらず、犯人を探している。

ぼうっと、ページを繰っていった。
「Who’ll dig his grave? I, said the Owl,
with my pick and shovel, I’ll dig his grave.」
「Who’ll be the parson? I, said the Rook,
with my little book, I’ll be the parson.」
「Who’ll be the clerk? I, said the Lark,
if it’s not in the dark, I’ll be the clerk.…」
鳥や動物たちが、駒鳥の死を悼んで、お葬式の準備をしていた。

制服のネクタイの色が、明るすぎる気がした。
相応しくない気がして、ネクタイを乱暴に外す。
窓から空を見上げた。
青い空を、カラスが一羽、横切っていった。

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