薄墨

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大理石の床に膝をついた。
玉座の上の一城の主が厳かに口を開いた。

「…それで、貴様が我が宮廷に雇い入れてほしい、というのか」
「そのお話に出て来たご助言が、王様の侍長様のご紹介のものでありましたら、私にございますね」
「随分、他人事のような言い草だな」
「私も、その執事様に白羽の矢を立てられて、ご紹介いただいた身ですからね。置かれた立場が不明瞭であれば、まずは客観的な立ち振る舞いをするのが一番です」
 
王は、鼻で小さなため息を吐かれた。
「余は仕事に困っているわけでも、呆けているわけでもない。余は浮ついた巫山戯た事は苦手だ」
「ええ、この地の物はみな、存じておりますでしょう」
「そんな王の城に宮廷道化師などいるか?…余には奴の考えがわからん」
王が首を振ったのだろう。頭上の空気が僅かに揺れた。

「第一、貴様を雇い入れたとして、貴様が俺を裏切らないとどうして確信できる?信頼に足るかも分からん奴を余の側にも宮廷にも、自由に立ち入らせろなど、どうしてできるというのだ!」
王の声は、静かだが、険しさを増していた。

…侍長が手を焼くはずだ。
疑心暗鬼の権力者ほど、怖いものはない。
それが王の側に近いものほど、その恐怖も大きいだろう。
そんな王には、是非とも鈴のついた首輪をつけたいだろう。…それこそ、聡明な乳母か宮廷道化師のような、身分の差を気にせずに王に助言できる人間が…。

なるほど…
侍長の言う通り、随分と楽で高待遇の仕事ではないか!
雇い入れていただいた暁には、お礼に、この城のありとあらゆるところに、存分に侍長の噂を、あることないこと周りの奴らに吹き込んでやろう。

まあ、まずは雇い入れてもらうところだ。
私は顔を上げ、王のブルーの瞳をしっかりと見つめた。
そして、おもむろに、低い声で語りかける。

「ええ、この城は安泰ですな。なにしろ、主人様がとても聡明でいらっしゃる。王様の憂慮はもっともです。…ですが、それなら尚更、宮廷道化師として私を雇い入れた方が良いでしょう」
「…なんだと」
「この私よりも王様が信頼に足る宮廷道化師が後にも先にも現れるとはとても思えませぬ」

王が豊かな眉を、ぴくりと蠢かせた。
「ほう。貴様は余が信頼するに足る人物だと言うのか。…話は聞いてやろう。命が燃え尽きるまで忠誠を誓う、などと宣うか?」
よしかかった!話を聞いてくれるならこちらのものだ!

たっぷりと間をとって、口を開く。
受け答えの内容だけでなく、間の取り方も腕の…いや、口の見せ所だ。

「王様、もうお聞きかも知れませんが、私は刀の覚えがございます」
「おお、知っておる。…そこがちょうど怪しいと思うたところじゃ」
「刀を取る私たちは“武士”でございます。
あまねくこの世にはたくさんの剣がありまして、レイピアを操る騎士、剣を操る剣士、それから刀を使う武士がございますね?…どれも剣の使い手ですが、彼らはそれぞれの文化を持ち、それぞれ、その界隈独特の、伝統の習慣と稽古法を持っております」
「そうじゃの。内容までは知らぬが、各文化があるとは知っておる。…それが何の関係があるのだ」

「それが関係あるのです。…実は、どの稽古法と文化ででも、戦いや剣の稽古をする前、本当に剣を握る前に、身につけねばならぬ教え、心積り…習慣がございます。幼い頃から習慣化する決まりとなっているものが…」
「…ふむ」
「武士がその時に身につけなくてはならない習慣というものが、その理由です」
王は背にもたれ軽く目を閉じて、続きを促した。

「その武士の習慣というのは?」
「はい、『受けた恩は必ず返すこと』と『自分に誠実に生きること』です」

「…ほう。続けよ」
「今、私は仕事をなくして困っております。王様が雇ってくだされば、私は王に命を救われた御恩を受けたことになります。その御恩を返すまで、私は王様を裏切れません。恩を仇で返すことは習慣上、できませんから」
「なるほど」
「そして、私は自身に誠実です。自分に嘘のつけない習慣を持ちます。私には、王様や側用人や使いの者や…あらゆる人間の顔色を例え知ったとしても、自分の誠実に則って話すのですから、誰に都合の良い嘘もつけません。…それで、前の仕事を失ったくらいですからね」
「…」

「習慣が変わらないかお疑いになりますでしょう?ですが、…これも王様はご存知でしょうが、私は武士の子でございます。
王様ならば、たくさんのお人をご覧になっているでしょうからお分かりでしょう。三つ子の魂百までと申しますように、小さい頃から躾けられた習慣を無くすことは至難の業です」
王が片頬を上げた。

「私は、自分に誠実な習慣が染み付いていますから、残念ながら王様に、命を燃やし尽くすまで忠誠を誓う、とはとても申し上げられません。
ですが、受けた御恩を果たすまでは、ずっと御奉公いたします。もちろん、自分に誠実に」

しっかりと王の瞳を見つめて、話し終える。
王は眉を顰め…私の目を覗きこむ…。

しばらくの後、王は眉を緩め、微笑を見せた。
「ふふ、自分に誠実に、か。余は気に入った。よろしい、雇おう。貴様は今日から余の宮廷道化師だ」
「ありがとうございます。お受け致した御恩は、必ず」

「では、下がれ。侍長に部屋の世話をしてもらえ」
「はい。では王様、また明日。…何か面白そうな話を仕入れておきますね」
「よいよい、初日だろう。大人しくとっとと休め」
「そういうわけにもいきません」
私は自分に誠実にしか生きられない。
「…碌に情報もよこさず、ここに連れて来た侍長を、噂の人に仕立ててやらないと、私の気が済みませんので」

失礼します、と頭を下げて、部屋を出る。
王室の分厚い扉を閉める。
王の恰幅の良い笑い声が、廊下に聞こえて来た。

9/14/2024, 2:57:21 PM