薄墨

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9/9/2024, 2:05:21 PM

100円玉を握りしめている。
平成12年の100円玉。銀色のありふれた100円玉。
銀の桜の凸凹が、手の皺に馴染んでいる。

汗の滲むての内側で、硬貨を握りしめて、一歩を踏み出す。
駅を出ると、初秋の蒸し暑い空気が、ムワッと吹きつけてくる。
今日から、新しい生活が始まるのだ。

背中に背負ったリュックの重みが、ずしっと肩にのしかかる。
昼過ぎの日差しが頭上から、強く強く射している。

手の中の100円玉は、確かにありふれた、なんの変哲もない100円玉だ。
だけど、これは使うために握っているわけではないのだ。
これは俺にとって、世界で一つだけの、一番のお守りだった。

遠い昔に、俺から離れてしまった母さんの。

俺の母さんは、どうしようもない人だった。
母親としては失格の、どうしようもない…。
俺が生まれた時、既に母さんは、人生において致命的な失敗を何回か重ねていて、俺が生まれた後も、さらに致命的な行動を何回も重ねていた。

母さんは、悪い人じゃなかった。
ただ、頭が致命的に悪かった。
鈍くて、やることなすこと短絡的で、楽観的で、まったく計画性がなかった。

母さんは俺を愛してくれていたけれど、そんなどうしようもない人だったから、俺に渡せる愛も行動も物も、ほとんどなかった。
だから、お小遣いだ、今日の食費だ、と母さんが俺の手に握らせてくれるのは、いつも一枚の100円玉だけだった。

母さんは、母さんなりに一生懸命に俺を育てようとしていたけど、実態は、ネグレクトに近かった。

そんな母さんを、俺は内心軽蔑していた。
大したことも出来ないくせに母親ヅラして、油断していてもしていなくても、しょっちゅう厄介事を運んでくる。
鬱陶しく思った。早く離れたいと思っていた。

だから、俺は母さんから離れることに決めた。
俺は生まれた頃から、冷徹で、計算高くて、捻くれた悪い子だった。
もしかしたら、母さんが気づいていないだけで、俺は母さんの子ではなかったのかもしれない。

…俺は、母さんが出掛けている間に、警察へ行った。
それが俺の最初の裏切りだった。
母さんの罪の証拠を持って、俺は警察へ行った。
結果、母さんは捕まって、然るべき施設へ送られ、俺はまた別の施設に保護された。

最愛の息子に裏切られたというのに、母さんは変わらなかった。
俺が面会に行くたび、母さんはすごく喜んで、俺の生活の心配をして、最後にはいつも俺の手に、100円玉を一枚だけ、握らせた。
お小遣いよ、と、笑って。

この平成12年の100円玉は、母さんから貰った最後のお小遣いだった。
俺が成人して、他県での就職が決まったあの日。
それは、俺の自立と同時に、母さんとの別れを意味していた。

母さんは、今すぐ使える資金源があれば、後先も先方の事情も考えずに、すぐに頼って使い潰してしまう。
母さんのためにも、俺の生活のためにも、自立したら、母さんに会わないと決めていた。

最後の面会の日。
俺の近況報告を聞き、俺の決意を聞いた母さんは、意味が飲み込めていないのか、それでも変わらず穏やかに、俺と話してくれた。
そして、別れ際に、この平成12年の100円玉を、俺の手にそっと握らせた。
お小遣いよ、と笑って。

これは世界で一つだけの100円玉だ。
どれだけ、平成12年の100円玉がありふれていようと。
この100円玉よりも高価な経済的価値のある100円玉があろうとも。

俺はこの100円玉だけは使ってはいけないんだ。
俺にとっては、世界に一つだけの価値がある、お守りなのだから。

手のひらをゆっくり開いて、100円玉を見つめる。
母さん、俺、頑張るから。そう呟いて、落とさないように100円玉をしまってから、スマホを取り出す。

スマホの地図アプリを開く。
新居にピンがついている。
俺は、スマホを片手に歩き出す。新しい生活に向かって。
空は、カラッと晴れ渡っていた。
母さんみたいだ。空を見て、そう思った。

9/8/2024, 2:06:07 PM

手の中で、小さなネズミが蠢いている。
どくどくどく…と小さなネズミの小さな胸の鼓動が、ネズミの温かさと一緒に、指を伝わってくる。

哺乳類の心臓は、生きている間に15億回打つらしい。
哺乳類たちの胸の鼓動は、皆、各々のペースで規則正しく打ち続けて、15億回打てば、心臓は長い眠りについて、寿命が尽きる。
…もちろん、心臓が眠りにつく前に、他の内臓が使えなくなったり、食べられたり、殺されたりしても、寿命は尽きるのだが。……哺乳類の本当の、限界の寿命は心臓の耐用性が尽きる、心臓が15億回打った後だ。

…それを天から授けられた寿命、天寿と考えて、危ない目に遭わずに天寿を全うすることを幸せと定義するなら。
間違いなくうちのネズミたちは、天寿を全うする幸せな個体が世界で一番多い、ネズミの天国みたいな場所と言えるだろう。

ケージにネズミをそっと入れてやりながら、そう思う。

一匹のネズミが入るには、ちょっと広いくらいのケージの中に、先ほど戻してやったネズミが、ぽつんと、おがくずの上で鼻を動かしている。

彼らはラットだ。実験用の。
ただ、ここで行われている実験は、薬品や外科、病原体についてではない。
ここでは、生物や人間の“幸せ”の実験が、行われている。

この研究所を作った所長は、人類のため敵を討伐した英雄の_親友だった。
所長はよくうなされたように言っていた。「名誉は幸せではない。平和な人生こそが、幸せだったんだ」

彼の親友は、人類の英雄だった。
すごく良い人で、性格も何もかも完璧な人間だったと、学校で習った。

だけど、その話を聞くたびに、所長は、寂しそうに笑って、人類の英雄である、親友の話を聞かせてくれた。

完璧だと教わった彼が、失敗したこと。
英雄の彼が、好きだった人。
二人で一緒にイタズラをして怒られたこと。
そして、英雄が、英雄に仕立てられて人類のために犠牲になったという、そんな話。

死ぬ間際、人類の英雄の彼は、親友の所長に向かって言ったらしい。
『俺は人類に、名誉と引き換えに殺される。英雄とは不幸せなものだよな。……お前は、幸せになれよ』
「アイツってバカだよな。お前がいない世界で、幸せになれっかよ、って思うよな」
所長は、遠い何処かを見ながら、そう言っていた。

ある日、所長は死んだ。
所長の心臓は、15億回も打たなかった。
所長は自分で、心臓を止めた。
「研究を続けてくれ。本当の幸せを見つけてくれ」と、私とたくさんのネズミたちに言い残して。

ネズミがチチッと鳴く。
おがくずの上で、ネズミはおがくずを齧っている。

研究を続けて分かったことがある。
平穏と15億回の胸の鼓動の保証だけでは、ネズミは幸せになれない。
確かに彼らの平均寿命は伸びた。だけど、彼らの脳波は、幸せを感じていなかった。

所長は「平穏で、何も起きない15億回の胸の鼓動の人生が、きっと一番幸せなんだ。不幸を感じずに済むんだから」と言っていた。
…でも、その論は今、壁にぶち当たっている。
所長の持論は、生涯をかけた持論は、おそらく…。

自分の胸に手を当ててみた。
どくん、どくん…と胸の鼓動が、手のひらから伝わってくる。

研究室の天井を見上げる。
蛍光灯が、白々しく輝いている。
所長、幸せって、なんなんでしょうね。
その言葉は思わず、まだ幸せではない私の口からついて出た。

幸せってなんなんでしょう。
幸せではない私の胸の鼓動と、あまり幸せではないネズミたちの鳴き声に混じって、その疑問は、延々と部屋を漂っていた。

9/7/2024, 12:58:01 PM

肩を回して、腕を伸ばす。
足を伸ばして座る。
体を思い切り伸ばす。
体をほぐすのは大事だ。特に関節周りは。

かかりっぱなしの曲を止めて、立ち上がる。
だいぶ汗をかいたから、水を飲んでからシャワーだな。そう思いながら、キッチンへ向かう。
しばらく歩いて、不意に右足の足首に違和感を感じる。
この感じは疲労っぽいか。…今日はちょっと動かしすぎたか。

「踊るように、〇〇を!」
そんなことを言うやつは、大抵、優雅で気楽にのらりくらりとやっていこうぜ!というようなメッセージを込めてこのフレーズを使う。
…まったく、いったい誰がそんなふざけたことを言い出したのだろうか。踊るというのは、かなり大変なことなのに。

どんな種類の踊りも、どの国のダンスも、どれも踊るのは楽じゃない。
考えてみれば当たり前の話だ。
踊るということは、身体全体の動きだけで、表現をするということなのだから。

どんな踊りも、ラジオ体操でさえ、きちんと踊ろうと考えれば、一回踊るだけでかなりクタクタになる。
さらに踊りの基礎を完璧にして、側から優雅に気楽に見えるようにするには、かなりの練習が必要だ。
自分なりに表現を交えて、楽しく個性的に踊ろうと思えば、それから更に込み入った練習が必要になる。
つまり、好き勝手“踊るように”なりたければ、まずは好き勝手踊れるように、努力が必要だ、と、ダンスをしている者としては、そう思う。

しかも、きちんと体重管理と身体のメンテナンスをしておかなくては、すぐに身体がダメになる。
アクロバットとかちょっと派手なことがやりたければ、もっと大変だ。
…と、他の趣味をしている奴に愚痴れば、「分かる分かる!こっちもさ、なんか気力なんてなくてもできる趣味扱いされるけど…」と似たような苦労話をしてくれる。

…そんな話をするたびにつくづく、努力と工夫と苦労が伴わない娯楽なんてないのだな、と思う。

2リットルペットボトルを冷蔵庫から引っ張り出して、キャップを開ける。
氷を入れたコップに水を注いで、一気に飲み下す。
身体を回っていた汗と熱が、すうっと冷める。
美味い。

限界ギリギリを攻めてひとしきり踊った後に飲む水は、恐ろしく美味い。
癖になるほどに。
あと、こうやって目一杯、踊った後の怠さは、スッキリとした気持ちと良い感じの眠気を運んできてくれる。

まあ、趣味の本番は、こういう楽しみをちゃんと楽しめるようになってからだよな。
そう思いながら、もう一度水を飲む。
分かってはいたけど、やっぱり一杯目の水の方が美味しい。

肩を回して、浴室へ向かう。
おっと、水はしまっておかないと。
シャワーあがりの冷たい水も、美味しいのだから。

着替えを掴んで、浴室の扉を開ける。
さっきまでさらっていた曲が、まだ残っている。
頭の中で流れるその曲が、思わず鼻歌で出る。
今日は良い日だ。
自分のしたいことに近づくためにダンスして、そのご褒美に美味い水を飲んで、ゆっくり気ままに汗を流せる。

きっと、奴らが“踊るように”というのは、こういう気持ちのことなんだろうな。
歌いながら、服を洗濯機に投げ入れて、ふと自然とそう思った。
上機嫌の自分の鼻歌が、浴室に細々と響いた。

9/6/2024, 2:58:16 PM

日付が変わる。

もうあと数分もすれば、明日がやってくるはずだった。
時計の針がゆっくりと着実に歩みを進めていた。

『時を告げるのではなく、時計を作る!』
分かるようで分からない、意識だけが高そうなスローガンが、壁にセロハンテープでベタベタに貼り付けられている。

あんな言葉が流行ったのも、もうずいぶん昔の話だ。
時が決壊する前の、だいぶ昔の話。

世界中の全てのもの、全ての概念に、小川のように例外なく絶えず流れていた時間は、ある日急に、その流れを澱ませた。

そして、ある日を境に、時間はしっちゃかめっちゃか。
あちらでは逆流し、こちらでは溢れ出し、向こうでは干上がり。
もはや公平で正しい時間などなく、何もかも、自分勝手に時間を刻み始めた。

歳を取る早さも、種ごとの寿命も、昔開発された時計さえ、使いものにならなくなった。
…ただ、たった一人。
たった一つの時計。たった一頭の象。たった一匹のネズミの時間だけは、かつて平等に流れていた時間の、こんこんとした水の流れを、忠実に刻んでいた。

それに気づいたのが、僕の父の父の父の父。
以来、僕たちの一族は、この狂いきった世界で、たった一つの正確な時を、告げ続けている。
誰に告げるでもなく。
ただ一人きりで。

もうすぐ、日付が変わる。
あの特殊な永遠を授ける部屋の中で、正しい時間を永遠に刻み続ける象も時計もネズミも、皆例外なく、一日という時間を迎える。

僕はそれを告げる。
時を告げる。

だが、時々思うことがある。
永遠の時を与えられた、彼らの時間は、本当に自然で平等で正しい、かつての時間なのだろうか、と。
劣化も死も終わりもない彼らの時間は、あのかつて、寿命という制限を設けながら流れていた、あの時間とはまた別物になっているんじゃないか、と。

だが、それを分かってくれる仲間はいない。
僕もまた、その永遠の時間を甘受し観測することだけが役目の、孤独な一人の人間でしかないのだから。

時計の針がカチリ、と動く。
ハツカネズミが鼻を鳴らす。
象があくびをする。

日付が変わった。
僕は時を告げる。
誰にとでも構わず、0時を告げる。
時はこちらのことなど構いもせずに、のんびりと一秒、流れていった。

9/5/2024, 2:23:51 PM

今日のディナーは、一つ約2000円。
ちょっと奮発した。

包丁と軍手とマイナスドライバーを手に、巨大なそいつと格闘すること、数時間。
ようやく出来たバター炒めは、濃厚な潮の香りが鼻に抜けて、こってりと食べ応えがあって、でも後味は上品。

2000円もかけた甲斐がある。
めちゃくちゃ美味しかった。

…さて。
食事を終えて、食器を片して、テーブルに残ったやつの残骸を、じっくりと眺める。

中身を失ったその死骸は、空っぽの胎を銀混じりの虹色に輝かせて、外側は緩やかな曲線を描いてうねっていて、なんとも芸術的で美しかった。
抉り取られた白い蓋も、きゅるきゅると滑らかで、緑がかった淡白な白い楕円でそこに沈黙していた。

綺麗な死骸だ。
もうこの体を操っていた主はいないのに、光に当てられて、さまざまな表情を見せる様は、死とは無縁の生き生きとした輝きを感じさせた。

貝殻とは、何と不思議な死骸だろう。

しかし、ここからが本番なのだ。私にとっては。
私は軍手をはめ直し、今度は、しまった包丁とマイナスドライバーの代わりに、洗剤と古い歯ブラシを取り出した。

私の今日のディナーは、夜光貝。
だけど、ディナーで味わった夜光貝の味は、壮大なオマケみたいなもので、私にとって重要だったのは、この夜光貝の死骸である、貝殻だった。

夜光貝の貝殻は美しい。
それは今、目の前に転がる貝殻の内側を見れば一目瞭然だけど、この貝は内側のみならず…貝殻の外側を覆う石灰を削れば、美しくきらめく貝の表情が見られるらしい。

しかも、蓋のように緑がかった淡白で重厚な緑層、内側に輝く銀の虹色の眩しい真珠層など…ほんとうに、様々な表情があるらしい。
上手く磨けば、夜光貝の貝殻は、まるで真珠のように、滑らかに虹色に美しく輝くという。

バケツに洗剤と水を張り、夜光貝の貝殻を沈める。
殺菌と汚れ落としのため、今日の一日の休日は、夜光貝を洗うことに終始するだろう。
…磨き終わるのはいつになるだろう。

夜光貝の貝殻が美しいということを教えてくれたのは、たまたま同じバスに乗り合わせた、おばあさんだった。

あの日。
お世話になった上司が精神を病んで休職に入り、保健所で見つけて育てて行こうと決めた仔犬が、突然、弱ってそのままいなくなってしまったあの時。
私は自分の無力さと悲しさと悔しさで、いっぱいだった。
何もせずにいたら、ネガティブな感情に押し潰されそうで。
だから、あの日、急に休みが出たその日に、私は何の計画も立てずに家を飛び出して、目についたバスへ乗った。

そこで、あのおばあさんとたまたま居合わせたのだ。

バスは海行きのバスだった。
おばあさんは、とても人懐っこくて優しい方で、笑いシワのたくさん刻まれた顔で、ふんわりと笑って、いろいろと話をしてくれた。
その一つが、夜光貝の話だった。

私の家、このバスの終点の海のすぐそばにあるの、とおばあさんは言っていた。
私の家のすぐそばの海で取れる夜光貝って大きな巻貝はね、貝殻を磨くととっても綺麗なのよ、と。
そう始めて、夜光貝の貝殻の美しさを話してくれた。

おばあさんは、私の事情を聞いたりはしなかった。
ただ、私には関係ないけれど、和むようなのんびりした雑談を、いろいろ話してくれた。

随分、心が軽くなった。
無力さも悲しさも、おばあさんの話声を聞いていると、なんだか厚く張っていた汚れと、鋭い角が取れて、そのまま、ゆっくり抱き込めていけるような、そんな悲しみになって行く気がした。

そのうち、当日受付も承っているというホテルが近いバス停について、私たちは別れた。
「ありがとうございました。とても穏やかで、楽しかったです」
私が言うと、おばあさんは笑いシワをさらに深くして、「私も楽しかったわ。聞いてくれてありがとう。良い旅をね」
と手を振ってくれた。

あのおばあさんとはそれっきり会えていない。
けれど私が深い悲しみと無力感から立ち直れたのは、あのおばあさんの雑談のおかげだった。

だから、せめてはっきりと覚えていた、夜光貝の貝殻の話は、やってみようと思ったのだ。
なにが“せめて”なのか、自分でもよく分からないけど。

…とりあえず、どんなに時間がかかっても、夜光貝の貝殻磨きをしてみよう。
そして、おばあさんに、本当に綺麗ですね、と言って見せられるくらい、素敵に磨き上げよう。
古い歯ブラシの柄を握って決意する。

洗剤液の中で、夜光貝の貝殻がゆらめいている。
軍手は、ゴム手袋に変えた方がいいな。
ふとそんなことを思いつく。

ゴム手袋を引っ張り出しながら、石灰の層に覆われた、夜光貝の貝殻を見やる。
待っててね、今、すっきり綺麗に磨いてあげるから。
応えるように、夜光貝の内側の真珠層がきらりと輝いた。

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