300字小説
見知らぬ駅
平日の駅。案内板の観光ポスターに遠くの街に行きたくなって、Suicaの残高をつぎ込んで切符を買う。途中、乗り換え駅のホームを間違えて迷い、やってきた無人の電車に乗った。
終点の駅名板のみの、白いホームに佇む。360度、見渡す限り青い海。遠くで大きな蛤が口を開けて虹を吐いた。
人のざわめきに我に返ると私は帰宅の学生で混む、夕刻の電車に乗っていた。かたとん、かたとん、線路の音が聞こえるなか、耳元で
『無事、現世に連れて帰られて良かった。気を付けろよ』
聞き覚えのある優しい声が聞こえる。
「……お父さん……」
心配して側についていてくれた。夕日が見慣れた景色を赤く染める。
「……明日はちゃんと学校に行こうかな」
お題「遠くの街へ」
300字小説
友達
これは夢なのか? 今の先が見えない現実からの逃避なのか?
夜中、ふと目覚めるとベッドの上の布団に『アイちゃん』が座っていた。私の子供時代の空想の友達。独りぼっちで部屋で遊んでいた頃の、たった一人の、所謂、イマジナリーフレンドだ。
その『アイちゃん』が目の縁に涙を湛え、心配そうに私を見上げている。
「あー、何やってんだろ」
『アイちゃん』しか思いを打ち明ける人がおらず、膝を抱えているしか無かった子供の頃と今は違う。大人の今なら、他にも相談出来る人も使える手段を探すことも出来るはず。
「ごめん、大丈夫。何とかしてみるから」
『アイちゃん』を抱き締める。
『頑張って』
そうにっこりと笑って『アイちゃん』は消えた。
お題「現実逃避」
300字小説
変わらぬヒーロー
君は僕の子供時代の憧れだった。チビで気の弱い僕にとって太陽のような存在。両親に頼み込んで連れて行って貰ったヒーローショーで、握手の列に並んだものの、緊張して固まってしまった僕に優しく手を差し伸べてくれた。
あのときから君は僕の一番のヒーローになった。
そして君は今、リメイクされて、あの頃のように活躍している。
「お父さん! 僕、会いに行きたい!」
息子に懇願されて、一緒に行ったヒーローショー。ショーが終わり、写真撮影の列に並ぶ。
「……お……応援してます……」
あのときの僕のようにガチガチに緊張した息子に、君はあのときのように手を差し伸べてくれる。
君と並ぶ息子。その満面の笑顔を僕はスマホのカメラに納めた。
お題「君は今」
300字小説
三寒四温
春先の三寒四温。物憂げな空の下、傘を手に散歩に出る。
寒風のなか、人気のない公園に白い着物の女性と若草色の着物の女性が仲良く手を繋いで歩いているのを見かけた。
「この気候の不順ななか、後を頼みましたよ」
「私の季節は短く、すぐに夏の姉様にお渡しするかもしれませんが確かに」
ごうと強い南風が吹く。思わず、目をつむり、まぶたを開けると二人の女性の姿は消え、沈丁花の澄んだ香りが微かに鼻に届いた。
『今日、北陸地方に『春一番』が吹きました』
地方局のニュース番組のアナウンサーが画面の向こう側から告げる。
カーテンの向こう、目の端に夕刻の庭をすぅっと通る若草色の着物の女性の姿が映る。庭の白梅の蕾がまあるくほころんだ。
お題「物憂げな空」
300字小説
守人形
『もうし』
定年後、第二の人生の住処として買った古民家に移り住んで、数年。それまで何もなかったのに夜中に、突然、小さな影が枕元に立った。
『某はこの家の納戸に住む者だが、大切な御用が出来た。箱の封を開けてはくれぬだろうか』
影はそう言って頭を下げた。
翌日、納戸を開けてみる。前の住人が置いていった骨董品の箱のなかの一つが床に転がっている。これが影の箱なのだろうか? 俺は蓋の封を取るとそれを廊下に出した。
その夜、また枕元に影が現れた。
『お手を煩わせた。お陰で旅立てる。目出度きことに奥方様のお腹に小さな生命が宿られて、一族の守人形として馳せ参じなければ』
影は愛らしい武者人形。深々と礼をして、ふわりと消えた。
お題「小さな生命」