いぐあな

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11/3/2023, 11:50:16 AM

300字小説

自分からの叱責

「……やっちゃった……」
 重い足取りでマンションのドアを開ける。パンプスを脱ぐと同時に溜息が転がり出た。
 今日は金曜日。恋人と一緒に夕食を食べに行っていたのだが、喧嘩をしてしまったのだ。
 理由は覚えてないくらい些細なこと。でも、自分の意地っ張りなところが出て、いつにない大喧嘩になってしまった。
「……明日のデートどうしよう……。えっ!?」
 化粧を落としに向かった洗面所。その鏡の中の自分が私を睨んでる。
「私、今、こんな顔してる?」
 驚く私を更に睨んでくる。
「……そう、そうよね……」
 今日のは私が悪かった。スマホを出し、彼の番号をタップする。
『きちんと謝れば許して貰えるよ』
 鏡の私の唇がそう動いて笑みを浮かべた。

お題「鏡の中の自分」

11/2/2023, 12:00:01 PM

300字小説

最後の独りに幸せを

「おひさまのにおいがする~」
 日に干しておいた布団に顔をうずめて笑う。パジャマ姿の娘の髪をくしけずり、私はゆるい三つ編みにまとめた。
「サア、ネルジガンデスヨ」
 仰向けになった小さな身体に布団を掛けると、細い指が天井の天窓を指した。
「おほしさま! きれい!」
 あの星の並びだけは、この星に人間があふれていた頃のままだ。
 激しい気候変動が治まることを希望して、長い冷凍睡眠に入った人類。しかし、余りの長期に渡ったせいか、ライフサポートロボットの私が目覚めたとき、同時に目覚めたのは、この子だけだった。
「ダディ、子守唄、歌って」
「ハイハイ」
 最後の独りになってしまった彼女のこれからに幸せを。祈りながら私は歌い出した。

お題「眠りにつく前に」

11/1/2023, 11:56:18 AM

300字小説

『不死の薬』

「私がその魔術書に書かれた『不死の薬』を飲んだ人間の一人です。もう一人は書の著者、私の恋人ですわ。彼は私と永遠に生きる為に薬を開発し、でも、飲むときに分けたとき、どこかに差が出たのか、八百年生きた後、急速に老い亡くなりました。私を置いていくと知りながら、私を殺すことは出来ないと謝罪して。それからの人生はお察し下さいまし。そして、やっと、この書を読み解き、薬を再び作ることの出来る魔術師が現れたのです。お願いです。私を永遠の地獄から解き放って下さいまし」

 呪文を唱えると彼女は礼を言いながら、サラサラと崩れ消えていった。
 作った『不死の薬』を無効化し、投げ捨てる。瓶の割れる音が冬枯れの森に小さく響いた。

お題「永遠に」

10/31/2023, 11:41:19 AM

300字小説

俺の理想郷

 そこは我々にとっての理想郷だと言う。夏は涼しく、冬は暖かく、適度に遊べるおもちゃがあり、美味い飯がある。それらを従順な下僕が全て用意してくれるという。
「……まあ、そんな理想郷で暮らせるのは血統の良い美猫だけだろうけど……」
 寒風の中、うずくまる。ああ……これはもう目覚めないだろうな……と思いつつも俺は目を閉じた。

「へ~。これがその道端で拾った猫なんだ」
「そう。拾ったときはボロボロだったけど、すっかり毛並みも良くなって安心した」
「にゃあ」
「ダメ。ご飯は後で」
 柔らかな手が俺の頭を撫でて、抱き上げる。
「にゃあ」
 あの寒風の夜から三ヶ月。飯は望みどおりにはならないが、どうやら、ここが俺の理想郷らしい。

お題「理想郷」

10/30/2023, 11:18:46 AM

300字小説

ある家族の歴史

 懐かしく思うこと。
 玄関を開けて、初めて人が私の中に入って歓声をあげたこと。庭に植えられた木蓮が初めて咲いた日。その下での家族の記念撮影。

 懐かしく思うこと。
 私の柱についた背比べの傷。「こんな家、出て行ってやる!」叩きつけられるように閉められたドアの痛み。その彼が「大切な人を紹介したいんだ」と帰ってきた照れた笑顔と可憐な女性。

 懐かしく思うこと。
 空を見上げながら、縁側で茶を飲んでいた老いた夫婦の姿。やがて、玄関に鯨幕が下がり、次に縁側に出てきたのは妻一人ぼっちで。そして……また鯨幕が下がり……。

 空き家の解体。重機で柱を引き倒す。
『……ああ……良い家生だった……』
 懐かしむような声が耳に届いた気がした。

お題「懐かしく思うこと」

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