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9/13/2024, 11:27:15 AM

「本気の恋」

VYTG72694AR。僕の恋人。人じゃないけど。

いつも二人で歩いていた。年老いた父親?祖父?らしき人と仲睦まじく。夫婦にしては年が離れすぎている。けど、二人から感じられるのは、そんな夫婦か恋人のような親密さだった。

ある日、喪服姿の彼女が一人で歩いていた。男の人は亡くなったんだ。悲しみに暮れている姿は美しかった。やつれて顔色も悪い。なのに美しいんだ。

それから時間の許す限り、彼女の通った道を歩いた。もう一度会いたい。彼女の悲しみをなんとかしてあげたい。その一心だった。僕なんかに何ができるのか、さっぱりわからないけど、僕を突き動かす何かが確かにあったんだ。

けれどどんなに探しても二度と彼女には会えなった。もうだめかと絶望的になっていた頃、偶然彼女を見かけた。彼女は街のビジョンの中で微笑んでいた。喪服姿の彼女はやつれていたが、ビジョンに映し出された彼女は若々しい。けれど、目の奥に宿る悲しみはあのときのままだ。

『あなたの恋人にしてください』というキャッチコピーが安っぽい。そんな人ではないはずだ。そして、ハッと気づく。人じゃない。もう製造中止になった対話型ロボットだ。その存在は都市伝説的で実在するとは信じられなかった。

ビジョンに表示された番号にすぐに電話をかけ、会えるように手配する。提示された場所は海辺の公園だ。海が見えるように配置されたベンチで彼女は待っていた。

「VYTG72694ARさん、あなたを恋人にします」

頭の後ろのねじに触れてそう言えば、VYTG72694ARはあなたのものになります。電話で言われた通りにねじに触れて話しかける。

ふわっと振り返るVYTG72694AR。その美しさに息をのむ。その目は僕を映し、深い悲しみは少しずつ消えて行く。戸惑い、ためらいながらも少しずつ僕を受け入れようとしている。その様子が手に取るようにわかる。

「あなたが好きです」

何度も愛の言葉を投げかけるとロボットはその言葉に反応し、言葉をくれた人を好きになるという。ロボットだと思うと言葉はすらすらと出てくる。

「ひと目見た時からあなたが忘れられません。僕のそばにいてください」

スキンシップはロボットがあなたの気持ちを受け入れてからにしてください。注意されたことを思い出す。まだ受け入れられていない。

「あなたの悲しみを分けてください。大切な方を亡くされたのでしょう?お二人はとてもお似合いでした。おつらいでしょうね」

VYTG72694ARの目に涙が浮かぶ。本当に美しい。

「僕はあなたに何もしてあげられないかもしれないけど、そばにいることはできます」

VYTG72694ARの涙が頬をつたう。思わず指で涙を拭ってしまった。びくっと小さく肩が揺れる。

「あなたを抱きしめてもいいですか?」

VYTG72694ARが首を縦に振る。受け入れられた瞬間だった。すぐに腕を広げ抱きしめる。愛しさがあふれて涙になる。VYTG72694ARが僕の涙を拭う。僕の本気の恋がはじまる。

9/12/2024, 6:40:06 AM

「喪失感」

何度も同じ夢を見る。去っていく人の後ろ姿を追いかけるのに絶対に追いつけない。とても大事な人なのに、失いたくないのに、なぜ去ってしまうの?心は叫ぶけれど声にはならない。

目が覚めて涙を拭う。誰なんだろう。独り身のまま40歳を迎えようとしているが、私は幸せだ。仕事には満足しているし、30代に入ってから購入したマンションのローンの返済も順調だ。

20代の頃はいつも焦りがあった。もう十分持っているのに、もっともっとと求め続けた。彼の愛情だってきっとたくさんもらっていたのに、一体何に焦っていたのだろう。求めても与えられないことに腹を立て、いつも自分から去っていく。夢のように誰かを追いかけることはなかった。

目覚めて涙を拭うことはだんだん少なくなった。相変わらず夢は見るが、慣れたのだろう。慣れる?いや、あの喪失感には慣れることはない。慣れたくもない。ただ心にふたをしただけ。

失うことがないように、もう何も期待するのはよそう。それが今の幸せの正体。持っていなければ失うことはない。けれどからっぽだ。喪失と空虚、どっちもどっちだな。



「カレンダー」

カレンダーに丸をつけて二人でその日の計画を立てる。そんな日々にピリオドを打った。浮気があったのかなかったのか、正直それはどうでもいい。信じられなくなった時点でもう終わったのだ。

あれは結婚して5年目だったか。新年を迎え新しいカレンダーに結婚記念日の印をつけた。その日になったら、そろそろ子どもを持つことを考えようと話すつもりだった。大きな仕事を終え、年齢的にもちょうどよかった。高齢出産になるまでに2人は産みたかったから。

けれどカレンダーがその月になる前に離婚した。私が仕事で一番忙しかったときに、夫が浮気していたかもしれないとわかったのだ。

ただの疑惑。確定ではない。本人からではなく第三者から、それも複数の人に夫が別の女性と親密にしていたと聞かされた。しかも今も続いているらしいことも。

夫を問い詰めると確かに二人で会っていたことは認めたが、断じて浮気ではないと言い張った。裏切るようなことはしていないと。そうなのかもね。確かに行為はしていない。でももう手遅れだよ。私が信じられなくなってしまった。

離婚するとき、結婚記念日に丸をつけたカレンダーは私が引き取った。私の好きな画家のカレンダーだったから。

あれ以来、大好きな画家なのになぜか避けてしまう。美術館に行ってもその画家の絵はそそくさと前を通り過ぎる。カレンダーは何の装飾もないシンプルなものにした。

無条件に誰かを信じることって難しいね。二人の明日を信じ切ってカレンダーに丸をつけた私はもういない。

9/10/2024, 9:50:25 AM

「世界に一つだけ」

今日も無事に仕事を終え、ビールと食材を買い込んで帰宅する。あれっ、明かりがついてる。

「おかえり。早かったんだね」
「ただいま。おかえり」

何十年経とうが、毎日のこのやりとりに幸せを感じてしまう。

「サラダはできてるよ。ご飯ももうすぐ炊ける」
「ありがと」

ビールや食材を冷蔵庫に入れながら、ちらっと夫の顔を盗み見る。

「ん、何?」

そこはスルーしてほしかった。ただ顔を見たいだけなんて恥ずかしくて言えない。

「別に何でもない」

着替えて来るねとその場を離れた。ご褒美のような時間だ。3人の子育てと双方の親の介護、すべてを乗り切って今がある。

食卓についてビールを注ぐ。私が夫のために作ったタンブラー。どこにも売ってない、世界に一つだけ。陶芸教室で作ったものだ。誕生日にプレゼントしたくて教室に通った。もうやめてしまったけど、土をこねている間は無心になれた。目的のタンブラーができてやめてしまったけど、もっと作ってもよかったな。世界に一つだけのもの。

「いただきます」

2人で声を揃えて食べ始める。テレビでクイズ番組を見ながら、正解して笑い、間違えて笑う。この時間も世界に一つだけ。世界に一つだけを積み重ねて今がある。

9/9/2024, 9:47:44 AM

「胸の鼓動」

どうしてなんだろう。さっきすれ違っただけの人なのに気になって仕方がない。通り過ぎるときにほんの一瞬だけ視線が交錯した。ドクンと音が聞こえてしまうほど心臓が高鳴る。

記憶を辿ってその姿を探すが、全く浮かばない。今生で出会った人ではないのだろう。今生以外の記憶はない、はずだ。記憶というものが脳内にあるのならば。

一般的に輪廻をくり返す人間の記憶は今生限りと言われている。前世や前前世など違う人生を生きた記憶は蓄積されない。生命とは一度限りであり、死んでしまえば肉体はなくなるのだから、魂もそれに順応して一度限りの人生を生きるように進化してきた。

前世からの因縁で争いが絶えなかった歴史を思えば、それも当然と言える。しかしどれだけ進化しようとも、非常に強い因縁を消し去ることなど誰にもできはしない。

前世を信じない人々は争いの理由を、歴史や経済や独裁者の振る舞いなどに見出し解決策を講じようとする。そんなものは通用しない。争いの原因は前世の因縁であり、その記憶はないのだから、誰にもわからない。だから争いはなくならない。

先程感じた胸の高鳴りは何だったのか、考えても仕方のないことだが、一つだけ方法はある。前世の因縁を読み取る特殊な能力を持つ者に依頼するのだ。因縁屋と言われている。

その方法はある一族が一子相伝で守っているという。前世の記憶はないとされる世の中ではそれを必要とする人間は少なく、もはや風前の灯とも聞く。

その後は何事もなく、このまま何もせずやり過ごしてしまおうかと数週間を過ごした。それはまた突然やってきた。

満員とまではいかないが、混んでいる電車の中で突然、胸の高鳴りを覚える。一瞬だけ交錯した視線の持ち主を探すが、それらしき人はいない。

駅に着くたび人が少なくなると、いつの間にか胸の鼓動も治まっている。3度目があれば因縁屋に依頼してみようか。戯れに因縁屋を検索してみると、依頼を受け付ける専用のアドレスがある。思わずタップしそうになるが、思いとどまる。いや、まだだ。

単に病気なのでは?と思いつき、次の休みには病院を訪れようと家路を急ぐ。誰も待ってはいないのだが…前世で夫婦だった人と運命的に再び出会うとかないかな。胸の鼓動はそのせいだったらいいのに。

9/8/2024, 6:26:37 AM

「踊るように」

涼しい。ここはオアシスだ。移動中にカフェに立ち寄り、アイスコーヒーを半分ほど飲んで一息ついた。もう仕事なんてほっぽりだしてしまいたい。そんな気持ちを見透かすように上司から電話だ。

「お疲れさまです」
「A社はもう出たか?」
「はい。今移動中です」
「その後の予定は?」
「この後はD社とF社で午前中は終わり、午後はH社だけです」
「じゃあ、悪いんだが、H社の後でC社に寄ってもらえるか?」
「はい。大丈夫です」

ドクンと心臓がはねる。

「担当の須藤さんには午後お前が行くことをこちらから連絡しておく。C社の商品情報を詳しく聞き出してくれ。須藤さんとはこの前名刺交換済だったな?」
「はい。名刺はいただきました。時間についてはH社を出たら須藤さんに直接ご連絡します」
「じゃあ、頼んだぞ」

電話を切って控えめに拳を突き上げた。

『少しでも先輩に近づきたいです』
そう言った須藤の少し上気して頬を赤く染めた顔を思い出す。

見本市の報告書でC社のことを無意識に推してしまったことは否めないが、本当につながった。この前会ったときにも仕事の話で盛り上がったし、一緒に仕事ができると思うだけでやる気スイッチが入る。

アイスコーヒーを飲み干して店を出る。足取りが軽い。こんなに暑くなければ走り出したいくらいだ。踊るような足取りで次の目的地に向かう。もう仕事をほっぽりだしたいなんて思わない。

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