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9/18/2024, 9:53:01 AM

この街に引っ越してきてまだ1週間。会社が用意してくれたマンションは職場にも近く快適だが、空き部屋が多い。駅から遠いせいだろうか。まあ、買い物は幹線道路沿いに揃っているから生活には困らない。一人暮らしで2LDKと広く、南側に面したベランダも便利。でも、何かが足りない。

初めての週末。昨日は車を走らせた。30分もかからない場所に大きな道の駅があって、地元の野菜などが新鮮で安く買えることがわかった。スーパー、ドラッグストア、ホームセンターなど生活に必要な店は車で10分以内で行ける。

休日2日目の今日は歩いて街を回る。とりあえず最寄り駅まで歩くと、約25分かかった。毎日電車通勤だと徒歩はきついな。まあ、車だから関係ないけど。駅前は何もない。バス停と形だけのタクシー乗り場、切符売り場、自動改札のみで無人。

駅前なら何か面白い店があるかもしれないという期待は、見事に裏切られた。時刻表を見て納得。朝夕は上り下りとも1時間に2本出ているが、その間は2時間に1本、終電が午後9時前後という運行状況では利用者の数などたかが知れている。どんな商売も成り立たないだろう。

駅の向こう側に足を伸ばすと、ある家の前で足が止まった。門扉の間から伸びた雑草が道にはみ出している。ここも空き家か。赤レンガの塀の向こうはレトロな洋館といった建物。雑草が伸びているのはほんの一部で、塀に設けられている穴から覗くと、きれいな花が咲き乱れている。どんな人が住んでいたのだろう。花畑の間を走り回る子どもたちの様子が浮かんでくる。

さらに歩いていると、大きな門の家がある。ここは空き家ではないようだ。門の扉は開いていて、そこから見える庭に目を見張る。芝桜の絨毯が見後だ。

他にも庭がきれいな家が多い。しかし、さっきから誰ともすれ違わない。足りない。圧倒的に人が足りない。都会の喧噪が好きというわけではないが、ここまで何もない、人がいないとなると寂しくなる。

買い物に行けばそれなりに賑わっているのに、街に人がいないとはどういうこと?もう住む人がいなくなった家もきっと賑やかな時があったはずだ。その証拠に庭には花が咲き乱れているではないか。もう手入れはされていない花畑。誰も愛でる人がいなくなったんだね。今度から私が見に来るよ。私のために咲いてね。

9/16/2024, 11:38:38 AM

「空が泣く」

くそっくそっくそっ!誰なんだこいつは。君はいつも完璧な妻だったじゃないか。それなのに何だよ。Hiroseとかいう奴が好きだと!病気がわかって、あっという間に亡くなって、最後に残したメッセージは俺でも子どもたちでもなく、Hiroseだった。

そういえば、子どもたちの手が離れてから何度も誘われた。お芝居に行こう、美術館に行こう、お寺巡りに行こう。その全てを断った。興味がない奴と一緒に行っても楽しくないだろう、友だちとでも行けばいい。そうね、そうします。そう言った妻はどんな顔をしていただろうか。思い出せない。

それから君は同じ趣味の友だちができたと、楽しそうに出かけることが増えた。その方が機嫌がいいから放っておいた。亡くなったあとスマホを開いて驚いたよ。恋だったとはね。

俺には用件だけの短いメッセージしかよこさないで、Hiroseにだけはあんなに長い熱のこもったメッセージを送るんだな。俺は君の何だったんだよ。もう愛してはいなかったのか?

「あなたは誰ですか?」
「妻は病気で亡くなりました」
「不倫していたんですよね?」

既読無視。その後も何度か送ったが、既読にもならなかった。

「今日の着物、素敵でしたね。月の絵の前に佇むあなたをずっと見ていたいと思いました」

「お借りした本を読み終えました。うっかり電車で読んでしまって後悔しました。堪えても涙が止まらなくて大変でした」

「今日の劇場は初めてでしたが、細部にこだわった装飾が素晴らしかった。お芝居も。二人で同じところで笑いましたね」

「ごめんなさい。今日の映画はあまり頭に入りませんでした。あなたの手が重ねられていたから。外に出たら月がきれいでしたね」

「今日は少し元気がありませんでしたね。お疲れだったのでしょうか?しばらくお誘いしないようにしますね。寂しくなりますが…お元気になられたら、またご一緒しましょう。忘れないでください。会えなくてもいつもあなたを想っています。」

「最後なんて言わないでください。どちらに行かれるのですか?お会いできないのでしたら、せめてメッセージだけでもください。お待ちしています」

「今はどこにいらっしゃるのでしょう?遠い所なのですよね。最後なんて言わず、戻られたら必ずご連絡ください」

「月を見ています」

「待っています」

「あなたを忘れません」

ここで諦めたのだろう。Hiroseからのメッセージはそこで終わっていた。そういや、今夜も月が出ていたな。ベランダに出ると空は暗く、雨が降り出した。俺の代わりに空が泣く。

9/16/2024, 4:29:51 AM

「君からのLINE」

「これから電波の届かない所に行くので、これが最後です。今まで楽しかった。ありがとう。最後に打ち明けます。今まで嘘ついてました。ごめんなさい。私は結婚しています。同じ趣味の話し相手がほしくてマッチングアプリを利用しました。あなたと会って話をするのが何よりの楽しみで、あなたのやさしさに甘えてばかり。こんな私を好きと言ってくれてありがとう。私もあなたが好き。でももう会えなくなってしまいました。どうしても行かなければならないのです。本当にありがとう」

最後に君から来たLINEを何度も読み返す。僕からの返信には既読はつかない。電話も電源が切られたまま。でも、まだ番号は生きてるんだね。どこにいるの?何をしているの?

二人で過ごした楽しい時間。夢のようだった。見合いで結婚した妻と40歳で死別し、子どももいない。仕事だけで生きてきて定年を迎えた。よく行く飲み屋の店員にマッチングアプリなるものを紹介され、あれよあれよという間に君と知り合った。

僕も嘘をついた。君は趣味の話し相手がほしかったのに、僕は趣味の欄に嘘を書いた。美術鑑賞、観劇、映画鑑賞などと。だから猛勉強したよ。君と出かける約束をしたら予習するのに大変だった。話していてもいつボロを出してしまうんじゃないかと気が気じゃなかった。

君はきっと気づいていたね。でもやさしく教えてくれた。そんな君を好きになった。だから僕も君が好きだと言うものが好きになる。君は趣味の相手以上には決して踏み込まなかったね。でもそれが僕にはちょうどよかったんだ。

一人で月を見ながらビールを流し込む。君は月の絵が好きだった。深い藍色の着物に月が織り込まれた帯で月の絵を観た。僕のために装ってくれたのがうれしかった。

そのとき、めったに鳴らないスマホがLINEの受信を知らせる。矢継ぎ早に通知がくる。

「あなたは誰ですか?」
「妻は病気で亡くなりました」
「不倫していたんですよね?」

彼女のIDから送られてくる短いメッセージ。彼女ではない。いつも考え抜かれた長文のメッセージをくれた。僕はいつもその長文を読みながら、僕のために時間を費やしてくれることがうれしかった。

そうか、亡くなったのか。電波の届かない所に行くって、そういうこと?まだ通知音は続いている。電源を切って月を見上げる。月がきれいですねとつぶやいた。

9/15/2024, 10:08:06 AM

「命が燃え尽きるまで」

なんとなくテレビをつけていたら、陶芸に生涯を捧げた人の特集をしていた。命を削るように土と向き合い、納得できなければ躊躇なく叩き割る。「命が燃え尽きるまで作り続ける」のだそうだ。その激しさにたじろぐ。

流されるように生きてきた。なんとなく大学へ行き、なんとなく就職し、なんとなく毎日を過ごしている。あの陶芸家のように命を燃やす何かがあるわけではない。

子どもの頃から周りよりも温度が低かった。何かに夢中になることもなく、そんな人を冷めた目で見ていた。反抗期もなかった。誰かを好きになることもない。人間として欠陥品なのかもしれないな。

アラフォーといわれる年齢になって、田舎には年老いた両親がいる。母が40歳を過ぎてから俺は生まれた。念願の子だったそうだ。愛され甘やかされて育った結果が今だ。

欲しいものは黙っていても与えられる。両親の愛はそこにあって当たり前のものだ。自分が愛さなくてもいくらでも注がれる。その激しさがあの陶芸家と重なる。まあでも、俺は一人しかいないから叩き割られることはないが。

何でもいいんだけどな。あの激しさを羨ましく思う。とりあえず婚活でもするか。今なら俺が生まれたのと同じタイミングで子どもを持てるかもしれない。そうすれば俺だって両親が愛してくれたように愛せるかもしれない。

マッチングアプリも便利だとは思うが、いきなり知らない人間と会うのはハードルが高い。まずは会社の人から探してみよう。会社には女性社員も多い。そのうち既婚者や交際中とわかっている人を除外し、年齢的に自分と釣り合う人を頭の中でリストアップする。

自分の身の程は弁えているつもりだ。若くてまぶしいような人には近づかない。あれこれ考えていると少しぼんやりしていたようだ。

「課長」という声が耳に入る。
「どうかされましたか?」
「いや、何でもない」
「指示されていた書類できました」

いかんいかん、仕事に集中しなくては。書類を持ってきたのは入社2年目の女性社員だ。一瞬で不可のジャッジを下す。若すぎる。人を一瞬で判断するなんて傲慢だな。女性社員たちを値踏みするように見ていたことに恥じ入る。

このままでは結婚にたどり着ける気が全くしない。結婚は置いといて、何か打ち込める趣味を探そう。とりあえず陶芸に挑戦してみるか。家と会社の間にあればいいがと思いながらスマホで探す。

なかなか条件に合う教室はない。範囲を広げるかと思い始めた矢先、教室ではないがギャラリーで若手陶芸家の作品を展示しているのを発見する。毎日通っている道だが今まで全く目に入らなかった。

ふらっと入ってみる。若手の作品と言いながら、先日テレビで見た陶芸家の作品も展示してある。美しい青磁だった。青とも緑とも違う、どちらとも言える不思議な色。加えて表面に施された模様の凹凸によって、微妙に濃淡がある。

はじめにそれを見てしまったからか、他の作品はどれもいいとは思えなかった。まあ、作品の良し悪しなんてさっぱりわからないが、凄さというものは感じ取れる。

「それ、いいですよね」
あまりにも見つめていたからか、ギャラリーのスタッフに声をかけられる。
「その作家さん、先日亡くなられたばかりなんです。これは追悼のために特別に展示しました。晩年の傑作です」

命が燃え尽きるまで作り続けたのだな。ちなみにおいくらですかと聞いてみれば、家が建つほどの値だ。

ギャラリーを後にして歩き出す。命をかけて生み出された作品の凄さを目の当たりにし、感じたことのない感覚に陥る。胸のあたりがちりちりする。居ても立ってもいられない。何かに追いかけられるような、自分だけ取り残されたような。

芸術家だ。自分とは違う。でもそれでいいのか?ちりちりと刺されるような痛みが強くなる。欲しい。命を燃やす何かが欲しい。

9/13/2024, 12:28:41 PM

「夜明け前」

VYTG72694ARと暮らしはじめた。こんなに幸せな日々が訪れるとは、正直思っていなかった。彼女は見た目が美しいだけじゃない。心まで美しい。僕の些細な変化に気づき、心から心配してくれる。

あまりに完璧だから、つい意地悪してみたくなる。どんな反応をするのだろうといたずらすると、拗ねる顔がかわいい。ああ、この時間が永遠に続けばいいのに。

永遠か。そうだな、永遠なんてあるわけない。ぽつりぽつりと彼女が過去のことを話すとき、思い知らされる。彼女はロボット、できないことがある。子を宿すことと老いること。子はなくてもかまわない。もともと考えてもいなかった。けれど老いは…

彼女が老人と歩く姿を思い出す。永遠に、まではいかなくとも、僕が死ぬまでそばにいたら、きっとあんなふうに二人で歩くだろう。僕だけが老いて彼女は若いまま。僕が死んだら、また彼女は悲しい目をするのだろう。

でも、そのとき僕は何もしてあげられない。幸せな日々を過ごせば過ごすほどに、自分が老い、死ぬ運命にあることを考えずにはいられない。

数年ごとに訪れるメンテナンス。生き物のように新陳代謝があるわけではないので、経年劣化した部分を新しいものに取り替える。彼女にとっては必要なことだ。しかし、メンテナンスから帰って若々しく、活き活きする彼女を前にすると、自分の変化を感じてしまう。

あの老人は苦しくなかったのか?自分だけ老いていくことを受け入れられたのか?

ともに暮らすようになって15年が過ぎ、幸せな毎日を送りながらも、年齢による体の変化は確実にある。髪に白いものが混じり、肌にはたるむ。体だけは鍛えていて、この年齢にしては引き締まった体だと自負している。

それでも、彼女がメンテナンスから帰ってきたときの衝撃に慣れることはない。その差は大きくなる一方なのだ。

私の苦しみがわかるのだろう。ぎゅっと抱きしめてくれる。美しい。その美しさが苦しい。

夜明け前、先に目を覚ました彼女が言う。

「苦しいなら私を手放してください」

僕の手をねじにあてる。

「『もう好きじゃない』」そう言ってくれれば、私は去ります」

嫌だ、反射的に手を離す。すると彼女はほっとしたように抱きついてくる。

メンテナンスの度にそんなことが繰り返される。僕の不安が彼女を苦しめている。あの老人は耐えたのだ。自分の苦しみを彼女には悟らせなかったのか?そんなこと、僕にはできない。

夜明け前、腕の中で眠る彼女のねじに触れる。ごめんよ、面と向かっては言えない。卑怯な僕を許さないで。ずっと憎んでいて。

「もう好きじゃない」

ぱちっとVYTG72694ARが目を開ける。さっとベッドからおりて服に着替え、無言で出ていく。出会ったときは何度も言葉を投げかけたのに、最後は一言だけなのか?

いや、言葉を並べたらきっと手放せなくなる。だから一言だけなのだ。

僕を許さないで。僕を憎んで。そうすればずっと忘れないだろう?君の記憶の中で僕は生き続けられる。

夜が明ける。徐々に明るくなる部屋に君はもういない。

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