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「喪失感」

何度も同じ夢を見る。去っていく人の後ろ姿を追いかけるのに絶対に追いつけない。とても大事な人なのに、失いたくないのに、なぜ去ってしまうの?心は叫ぶけれど声にはならない。

目が覚めて涙を拭う。誰なんだろう。独り身のまま40歳を迎えようとしているが、私は幸せだ。仕事には満足しているし、30代に入ってから購入したマンションのローンの返済も順調だ。

20代の頃はいつも焦りがあった。もう十分持っているのに、もっともっとと求め続けた。彼の愛情だってきっとたくさんもらっていたのに、一体何に焦っていたのだろう。求めても与えられないことに腹を立て、いつも自分から去っていく。夢のように誰かを追いかけることはなかった。

目覚めて涙を拭うことはだんだん少なくなった。相変わらず夢は見るが、慣れたのだろう。慣れる?いや、あの喪失感には慣れることはない。慣れたくもない。ただ心にふたをしただけ。

失うことがないように、もう何も期待するのはよそう。それが今の幸せの正体。持っていなければ失うことはない。けれどからっぽだ。喪失と空虚、どっちもどっちだな。



「カレンダー」

カレンダーに丸をつけて二人でその日の計画を立てる。そんな日々にピリオドを打った。浮気があったのかなかったのか、正直それはどうでもいい。信じられなくなった時点でもう終わったのだ。

あれは結婚して5年目だったか。新年を迎え新しいカレンダーに結婚記念日の印をつけた。その日になったら、そろそろ子どもを持つことを考えようと話すつもりだった。大きな仕事を終え、年齢的にもちょうどよかった。高齢出産になるまでに2人は産みたかったから。

けれどカレンダーがその月になる前に離婚した。私が仕事で一番忙しかったときに、夫が浮気していたかもしれないとわかったのだ。

ただの疑惑。確定ではない。本人からではなく第三者から、それも複数の人に夫が別の女性と親密にしていたと聞かされた。しかも今も続いているらしいことも。

夫を問い詰めると確かに二人で会っていたことは認めたが、断じて浮気ではないと言い張った。裏切るようなことはしていないと。そうなのかもね。確かに行為はしていない。でももう手遅れだよ。私が信じられなくなってしまった。

離婚するとき、結婚記念日に丸をつけたカレンダーは私が引き取った。私の好きな画家のカレンダーだったから。

あれ以来、大好きな画家なのになぜか避けてしまう。美術館に行ってもその画家の絵はそそくさと前を通り過ぎる。カレンダーは何の装飾もないシンプルなものにした。

無条件に誰かを信じることって難しいね。二人の明日を信じ切ってカレンダーに丸をつけた私はもういない。

9/12/2024, 6:40:06 AM