「雨に佇む」
VYTG72694AR。私の製造番号。人間そっくりに作られたロボット。人間ができることならほぼ何でもできる。できないことはある。子どもを宿すこと。そしてもう一つが老いること。
経年劣化はある。表面を覆う皮膚だって変色するし伸びてたるむ。でもパーツを交換すれば元通りになる。いつまでも若くてきれいな私を今までのパートナーたちは愛してくれた。もう五人見送った。若いまま事故で死んだ人、病気で死んだ人、寿命が尽きて死んだ人、途中で私を手放した人、最後の人は自殺だった。自分が老いることを苦にした自殺。
人間を自殺に追い込んだロボットは欠陥品の烙印を押され、誰ともパートナーになることはできない。永遠にさまよい続けるか、パーツ屋に行って解体してもらうかのどちらかだ。
どちらにしてもそれは人間の死と大して変わらない。さまよい続けてもいつか終わりは来る。体を構成する物質は劣化を免れない。しかし、パートナーのいないロボットにパーツ交換は認められていない。
さまようことは人間が老いて死ぬことと同じ。ただ、人間の寿命よりもはるかに長い時間がかかる。パーツ屋に行き解体してもらうことは人間の自殺と同じだ。自分の意志でできる。希望して解体所に行けば直ちに解体される。ロボットシュレッダーでほんの数秒で終わる。
VYTG72694ARはさまようことを選んだ。というよりは、解体されることを決断できないでいた。そのようなロボットは街に溢れている。
労働力として作られたロボットは、ある意味幸せだ。会社が倒産して解雇になっても、プログラミングの修正で他の仕事に対応できる。パートナーを求めるようにはできていないから一人で永遠に働き続ける。ロボットの導入はこの労働ロボットが最初だった。
対話型パートナーロボットが開発された背景には、非婚が進んだことによる深刻な少子化があった。人間は恋愛しなくなっていたのだ。対話型ロボットで恋愛に慣れ、人間同士の恋愛を促進するのが本来の目的だ。
しかし皮肉なことにロボットとの恋愛は出来ても、生身の人間との恋愛が出来ないケースが相次いだ。ロボットにのめり込んでしまい、人間に興味を示さなくなったのだ。
かくして対話型パートナーロボットは製造中止になった。しかし、VYTG72694ARのように次々とパートナーを変え、人間に愛され続けるロボットは一定数いて、根絶できなくなっていた。
VYTG72694ARのように何人ものパートナーを見送るロボットは人気があり、順番待ちが出るほどだ。しかし、VYTG72694ARは失敗してしまった。何がいけなかったのかと考えてもVYTG72694ARにはわからなかった。絶望に陥らないようにプログラミングされているから。
気持ちはわからなくても、せめて同じ感覚になろうと、VYTG72694ARは雨の中に立ち続ける。少しでも早く劣化すればいい。雨が降るたび同じ場所に佇む。
あるときVYTG72694ARは思いついた。もうすでに変色が始まった皮膚を見て、これを破れば雨は体の奥深くに到達し、壊れるのを早めることができるのではないか。
そうしてVYTG72694ARは雨の日には最後のパートナーが自殺した場所で体を切り裂き続け、とうとう体の全ての機能が失われるまでやり遂げた。
『対話型パートナーロボットが自殺した』というニュースは一時話題になった。しかしその理由を知る人は誰一人としていない。VYTG72694ARの最後のパートナーが自殺してから百年が経っていた。
「私の日記帳」
まだドキドキしている。遅くなったことを母に咎められても平気。さっきまで一緒だった高橋くんのことでいっぱいで他のことなんて何も受け入れられない。引き出しから日記帳を取り出す。小学生6年生のときに始めた日記は3冊目になった。背伸びして買った大学ノート。
きっかけは『アンネの日記』を読んだことだった。始めのうちはその日あったことを書き連ねるだけのつまらないものだった。けれど高橋くんを好きになって、高橋くんのことばかり書いた。中学に進んで会えなくなってからは高橋くんにお手紙を書く体で書いていた。
そして、最近登場するようになった青い文字。高橋くんを妄想彼氏にして綴ったもの。事実じゃないから文字の色を変えた。一緒に遊園地に行ったところで青い文字は終わっている。
スマホが震える。高橋くんからのメッセージだった。さっき交換したばかりのID。
「これからよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
「敬語?」
「あ、そうだね」
「またね、モモ。新学期になったら一緒に駅に行こう」
「うん行こう。またね、高橋くん」
「違う。翔吾」
「翔吾くん」
「くんはなし」
「翔吾」
「じゃあな」
スタンプが苦手だと言ったことをちゃんと覚えていてくれたんだね。
「翔吾」
口に出して一人で足をバタバタしてあわてる。急展開すぎて頭がついていかない。高橋くんは西高だと言っていた。私の通う高校とは逆方向だ。同じ電車で通えたらいいのに。
昨日までは妄想するだけだったのに急に現実になって、それだけでも大変なことなのに、贅沢すぎる。今日のことを忘れなうちに残しておこう。そう思って黒いペンを持ったけど、何も書けない。
「向かい合わせ」
あれからみんなに架空の彼氏は小学校の同級生だったこと、本当は好きだったこと、本人にばれてしまったこと、彼には彼女がいることなどを打ち明けた。だから、「このゲームは抜けるね」と言ったら、「もう充分楽しんだから終わり」と沙織が言って、「賛成」と京夏が言って、「また夏休み明けたら会おうね」と約束してみんなと別れた。
ファミレスを出て一人で歩く。妄想でも恋バナ楽しかったな。現実には絶対に起こらないだろうな。もう恋なんて諦めて来年に備えて勉強しよう。
夕日がまぶしいな。もうすぐ家に着くけど何となくこのまま帰りたくない。妄想彼氏だったけど好きな気持ちは本当。私のこと気持ち悪いと思っただろうな。あたため続けてきた初恋も今日で終わり。
子どもの頃の遊んだ公園が見えてきた。ちょうどいい。ここで少し感傷にひたるのは許してほしい。小さい子たちはもう帰ったんだ。広場でサッカーをする中学生らしい集団の他には誰もいない。
ブランコ、シーソー、すべり台、ジャングルジム。今なら遊び放題。でも子どもの時のようにはいかない。遊具ってこんなに小さかった?自分の大きさに愕然とする。そうよね、昔とは違う。
ブランコに乗ってゆらゆら揺れる。何とか乗れた。
「体重オーバー」
後ろから声がする。慌てて飛び降りて振り向いた。高橋くんだった。
「ごめんなさい。勝手に名前使って」
「別にいいけど」
「迷惑だよね」
「迷惑じゃない。あと、あれ嘘だから」
「あれって?」
「彼女が待ってるっていうのは嘘。ただのクラスメートで文化祭の相談してただけ」
「そうなんだ」
「これ乗ろうぜ」
高橋くんはシーソーにまたがった。
「体重オーバーじゃない?」
「うるせー。早く乗って」
「うん」
「うわっ」
私が乗ると高橋くんが跳ね上がる。
「結構重いな」
「失礼ね。そんなに太ってない」
それから無言でキーコ、バッタン、キーコ、バッタンをくり返す。
空が茜色から深い青に変わるころポツンと高橋くんが言った。
「中学から私立に行くなんて聞いてなかった」
シーソーの上で向かい合わせになった高橋くんの顔が暗くてはっきり見えない。
「やるせない気持ち」
それは嘘だったはずだ。ただの遊びだったのに。友だち3人と仮想の恋人を作って、嘘の恋バナをして楽しんでいた。制服デートに憧れていたけど中学から女子校で、男の子とは出会う機会もなかったから。
学校内だけにとどめておけばよかった。夏休みの宿題が終わり、久しぶりにファミレスに集まったとき、夏休みにしたことを話していた。妄想だけど。
私は小学校の時の同級生を架空の相手にしていた。初恋と言っていいのだろうか、胸が痛くなった唯一の人。校庭で転んだ私を「大丈夫?」と手を取って立たせてくれて保健室に付き添ってくれた。その子は保健係だったから。養護の先生がいなくて、その子が消毒して絆創膏を貼ってくれた。ただそれだけ。
名前だけ借りたんだ。淡すぎる思い出で、きっとあの子は忘れているだろう。夏休みに一緒に遊園地に行ったことにした。遊園地に行ったのは本当。両親と小学生の弟と一緒に。
飲み物がなくなって一人で席を立ってドリンクバーに行った。紅茶用にお湯を注いだ。どれにしようかなと迷っていると後ろから話しかけられた。
「一緒に遊園地なんて行ってないけど?」
振り向くと背の高い男の子。見覚えがある顔。あっ!
「聞こえちゃったんだよね」
「ごめん。高橋くん?」
「そう」
「勝手に名前借りてごめんなさい」
平謝りするしかない。本人がいるなんて想定外だ。こんなに背が伸びて髪型も違うけど、確かに高橋くんだ。
「じゃ、彼女が待ってるから」
そう言って席に帰って行く。彼女いるんだ。そうだよね、かっこいいもん。お湯を捨ててエスプレッソにした。やるせない気持ちと一緒に飲み込んだ。もう架空の相手にはできない。現実の彼に会ってしまったから。
「裏返し」
陸上選手といっても栄光は過去のもので、会社のお荷物となっていた。もう現役は続けられない、コーチとしてなら会社に残れるという。だから結婚に逃げた。私を知らない人なら誰でもよかった。
嫌いではないけど、好きでもない。中途半端な気持ちのままで見合いをして結婚した。うまくいくはずがない。家事はうまくできないし仕事もない。そんな私を養ってくれるだけでもありがたかったが、とうとう他に好きな人ができたと離婚を言い渡された。
すぐに別居し、あとは書類だけとなり、今、目の前に離婚届がある。すでに彼はサインは済ませ、私のサインを待つばかりだ。
「今すぐじゃなくていい。書いたら連絡くれれば出しておくから」
そう言って彼は伝票を持って席を立つ。最後もやさしいんだね。そう。彼はやさしかった。少なくとも私を好きになろうと努力してくれた。それを踏みにじったのは私だ。過去を詮索されたから。彼はそのままの私を受け入れようとしてくれただけなのに。
とりあえず紙を裏返した。だからってなかったことにはできないのに。立ち去る彼の背中をなすすべもなく見送った。振り返らないんだね。もう元には戻れないんだね。
もう一度紙を裏返した。急いで自分の名前を書いた。まだこの辺にいるかもしれない。店を出ると彼が歩いた方に向かう。あ、いた。とびきり背が高いからすぐに見つかる。
呼び止めて紙を渡した。
「さよなら」
それだけ言うと一目散に走る。めちゃくちゃに走ったから、自分が今どこにいるかもわからない。地図アプリを開いてみれば、さっきの店から500メートルしか離れていない。ずいぶん走るのが遅くなった。
そうね。また走ろう。一人になったから時間はたくさんある。会社のためではなく、自分のために。
「海へ」
「どこ行きたい?」
「海!」
だよな。夏休みも残り少なくなった。みんなそろって出かけるのはあと1回だ。もう3回も行ったけど、楽しかったもんな。うん、行こう。妻の方を見ると、笑顔だ。よかった。
「この前と同じところでいい?」
「うん、あそこがいい!」
水着、浮き輪、ビーチボール、サンダル、バスタオル。澪が用意を始める。おいおい、気が早いな。雫もバッグを出してきた。
「行くのはあさってだよ」
「えー、明日がいい」
ブーイングはなかなか止まらなかったが、妻の一言で見事に収まった。
「あさってじゃないなら、行かない」
「さあ、お待たせ。海に行くぞ」
爽はまだわからないはずなのに、澪と雫の様子を見て、楽しいことが待っているのがわかったのだろう。朝からご機嫌だ。荷物を積み込みエンジンをかける。さあ、出発だ!