NoName

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7/20/2024, 11:24:15 AM

「私の名前」

「どなたか教えてください。私の名前、ご存じの方はいらっしゃいませんか?」

名前。一人が一つだけ持つもの。人によってはいくつかの名前を使い分ける人もいるだろう。だが、全く名前を持たない人はいない。だから探せばきっと誰かが私の名前を知っているはずだ。

「あの人、気持ち悪いんだけど」
「あれ、人じゃないよ」

そう言われてよく見ると頭の上にネジがある。人と人型ロボットを識別するためのネジ。別にネジである必要はないのだが、機械の象徴として選ばれた。

最近のロボットは精巧すぎて人と区別がつかないことがある。うっかりロボットと知らず恋をしてしまう事例が数多く発生したため、はっきりさせるために導入された。

人とロボットが恋をしたところで子どもは生まれてこないからだ。労働人口が減ったことで人型ロボットが開発されたわけだが、これではますます人口減少に拍車がかかる。

人は名前を持つが、人型ロボットは持たない。アルファベットと数字の組み合わせからなる製造番号があるだけだ。

「あのロボットどうしちゃったんだろう?」
「多分、人と恋をして捨てられた。自分を人だと思い込んでる。まれにそういうバグが発生するらしいよ」
「かわいそう」
「なら、あんたが恋人になって名前をあげれば?
「俺?そうなってもいいの?」
「嫌だ」
「VYTG72694AR、俺には君だけだよ」
「うれしい。たかし」

ねえ、一つ教えてあげる。名前なんてなくていいのよ。人になろうなんて望んじゃだめ。ロボットはロボットのまま愛される方が幸せでしょ?

7/20/2024, 1:38:11 AM

「視線の先には」

ここはどこなんだろう。記憶が曖昧で何故ここにいるのかわからない。とりあえず顔だけ起こし、見たこともない部屋でベッドに横たわっていることはわかった。それから眠気が勝ってまた寝入ってしまったらしい。完全に目覚めたときにはもう陽は高くまぶしい光に満ちている。

課長と一緒に飲んでいた。そうだ、今日は休みだ。明日は休みだし他の場所で飲み直そうと言われ、ウォーターフロントのホテルのバーに連れて行かれた。そこのカクテルがおいしくて何杯もおかわりしたところまで思い出した。

窓際に行き外を見た。海だ。太陽の光が映ってきらきらしている。きれいだ。

酔いつぶれた私をこの部屋に連れ込んだ?あの課長が?そんな度胸ないでしょう。じゃあ、連れ込んだのは私?あり得なくもない。だって課長。ちっとも進んでくれないんだもの。待ちくたびれちゃったよ。

そのときドアが開いた。視線の先に現れたのは、やはり課長だ。袋を下げているから買い物してきたのだろう。まっすぐにこちらに向かってくる。

「おはよう。よく眠れた?」

「おはようございます。あの、夕べ…」

言いかけた言葉は課長の唇にさえぎられた。なぜこんなことに?

「ありがとう。気持ち教えてくれて。うれしかった」

私、何を口走りましたか?まあ、いいか。課長に抱きしめられて、そんなことはどうでもよくなった。

7/19/2024, 1:14:20 AM

「私だけ」

仕事帰りにお好み焼きを食べようと家の近くの鉄板焼の店に行った。週3くらいのペースでここに通っている。本当は混ぜて焼くお好み焼きはあまり好きではない。たっぷりのキャベツに豚肉、卵、そばの入った広島のお好み焼きを食べたい。が、家の近くでお好み焼きを食べさせるのはこの店しかない。

どういうわけか今日は一番奥まった席に通される。まだ注文もしていないのに運ばれてきたのは、いつものボールにごちゃごちゃ入ったものではない。混じりけのない生地、キャベツ、卵、豚肉、そば、オタフクソース!

「お客様だけに特別サービスです」

目の前で生地が鉄板に落とされる。お玉で薄く広げ、その上にこれでもかとキャベツをのせる。ふたをして蒸し焼きされている間に、鉄板の空いているところではそばを炒めている。

キャベツの上にそばをのせ、生地を回しかける。その上に豚肉、卵を割ってのせ、ひっくり返す。じゅうじゅうという音とともに食欲が湧いてくる。これよ!これ!

ソース、青のり、踊るかつを節。ソースが鉄板で跳ねる音。しっとりしたなかにもしゃきしゃき感の残るキャベツ、そばのボリューム、かりかりの豚肉。

焼いてくれた人は新しく入ったバイトだそうで、なんと広島出身。広島のお好み焼き屋でバイト経験があり、いろんなお好み焼きを知りたいと東京で修業し、自分のお店を持つのが夢だとか。

「えっ、これからはここで、このお好み焼き出してくれるの?」

「僕がいる間は。でも今日はお客様だけにお出ししました。食べ終わったら感想聞かせてください」

今日は私だけに出してくれたの?うれしすぎる!日焼けした肌に手拭がよく似合う。

「また食べに来ますね」

疲れなど吹っ飛んだ。久々の広島のお好み焼きに、素敵な人との出会い。今日だけの特別感にひたりながら、次に行ったときには広島弁で話しかけようとか考えている。

7/17/2024, 12:40:12 PM

「遠い日の記憶」

それは本当にあったことなのか定かではない。記憶ですらないかもしれない。

海の上にぷかぷか浮かんでいる。青い空が広がっている。目に入るものは空だけ。退屈はしない。雲は刻一刻と姿を変える。時折飛行機が通過する。あとに残った飛行機雲が一本の線からゆっくりと形をくずす。

ふっと現実に戻る。ここは会社で、今は勤務時間中。パソコンに目を移すとデスクトップに青空が広がっている。記憶の空と似ているようで似ていない。

目を覚ますか。立ち上がって自動販売機でコーヒーを買う。飛行機飛んでいるのだから、そんなに古い記憶ではなさそうだ。

自分でもわからない記憶について、それは前世の記憶か、あるいはこれから起こる未来の記憶か、という説がある。

「知ってます?身に覚えのない記憶を占うアプリがあるみたいですよ」

そう言って隣の席の後輩がスマホの画面を見せてきた。

「私、森の中でさまよって滝にたどり着く記憶があるんですけど、それを占ってみました。なんと、修験者だったときの記憶らしいです」

アプリを見せてもらった。生まれた日、場所、その記憶の出現頻度、内容などを入力する。最も重要なのは種族なのだそうだ。属する種族だけでなく、祖父母まで遡って種族を答える。これが地味に面倒だ。種族など差別を助長するものだからと、種族制度が廃止された。

「自分の種族なんてわかんないよ」

「大丈夫。わかります。人は生まれると同時に足の裏に種族などの情報を書き込まれるんです」

「そんなの聞いたことない。でたらめ言うな」

「でたらめかどうか、試してみればいいじゃないですか。このアプリで読めますよ。靴脱いで下さい。靴下は履いたままで大丈夫です」

こいつは何を言っているのだ?自分の種族を知ってどうする。もしや違法な差別主義者じゃないだろうな。

「別に知ったからといってどうこうするつもりはありませんよ。純粋に知りたいだけです」

記憶を持つのはかつて支配階級だった種族だ。他の種族よりも優位に立とうと戦いに明け暮れ、とうとう共倒れになった。残った少数の生き残りは世界中にちりぢりになり、特殊能力も封印した。

その後、被支配階級の種族が支配者となり、種族の区別を廃止した。それで平和が保たれている。

「俺には身に覚えのない記憶なんてないよ。くだらない。そんなアプリ信用するな」

森の記憶の持ち主か。あいつは敵だな。しかし、いい加減なアプリだ。修験者だと?短絡的すぎる。もっとうまくやるように指示を出そう。

7/17/2024, 6:36:38 AM

「空を見上げて心に浮かんだこと」

目の前に婚姻届がある。「結婚しよう」と言ったものの、いざ現実となると決めなければならないことがたくさんある。姓は?本籍は?どこに住む?家族への挨拶は?

知りたくないことも知ることになる。彼は離婚した妻との間に子どもが一人いること、養育費を支払っていることがわかった。仕事は私でも名前を知ってる商社で部長をしているそうだ。急に結婚することが怖くなった。住む世界が違う。

「怖くなった?」
「うん。あの頃とは違うんだね」

まだ何者でもないくせに、未来は明るいと何の根拠もなく思っていた。狭いアパートで冷房もなく汗だくで抱き合っていた二人。私が一足先に卒業して働き始めた。ハイヒールで百貨店の店頭に立った。

すれ違い、関係が壊れるのに時間はかからなかった。あなたの卒業を待たず別れてしまった。

「あの店でバイトしたのは君がいたからなんだ『スマイルください』って言ったら、とびきりのスマイルをくれた。何で別れちゃったんだろう。後悔してた」

それは私も同じ。何人かと付き合ってプロポーズもされたけど、何かが決定的に足りない。そのうち誰からも相手にされず、誰も好きにならず、一人で生きると覚悟を決めた。ずいぶん遠回りをしたのにまだ迷うの?

さらさらと署名をするあなた。そうだね、迷ってる場合じゃない。もう後悔はしない。

「君の姓を名乗りたい」

「だめだよ。仕事に支障が出るでしょう。私は何の影響もないから、あなたの姓にして」

「影響があるからいいんだよ。その影響を楽しみたいんだ。結婚したって喜びを隠さなくていいし」

「ご両親は納得しないでしょう?」

「二人とも亡くなった。反対する人はいない。君を待っている間、空を見ながら考えていたんだ。退院して職場に復帰して結婚を報告する。これからは『宗像』と呼んでくれとみんなに言うんだ。愉快だろ?」

「愉快って…」

そうだった。そういう人だった。どんな状況でも楽しむ人。大変なときこそ明るくいる人。うん、もう迷わない。少しずつ決めていけばいい。一番大切なことはもう決めたのだから。

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