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6/1/2024, 2:04:44 AM

「無垢」

「ねえ、失恋って何色?」
休日のカフェ、久しぶりに会うこのメンバーは、もうしゃべりつくして何もネタがない。こんなときに突拍子もないテーマを投げかけるのは決まって律だ。そういえば、前回会ったときに失恋したと泣いていたっけ。

「水色かな」
「なんで?」
「涙の色」
涙は水色?晴の言葉に、無色透明でしょと突っ込みたくもなるが、涙は水と言えなくもない。

「白かな」
「なんで?」
「失恋すると必ずケーキ食べるの。だからクリームの白」
そうだった優は食いしん坊でよく食べる。

で、あんたは?とみんなの視線がこっちに向いた。
「グレー」
「は?どういうこと?」
「まだ失恋したことないからわかんない。白黒つけられないからグレー」

「相変わらずね。まだ恋もしてないから、失恋もない」
「まあ、そうだけど。律はどうなの?」
「闇」
「色じゃないじゃん」
「色がなくなるの」
「ずるい」

「じゃあ、何にも色のない画用紙がありました。最初に何色を使いますか?」
「白」
「ん?画用紙って元々白じゃない?」
「だって『何にも色のない』って言った」
「じゃあ、白で表現したいものって?」
「無垢」
「無垢って白のイメージ?」
「それはそうでしょ。花嫁の白無垢」

「無垢は光」
律がまた難しいことを言う。
「または罪」
「はっ?」
「罪とは真逆なんじゃない?」
「この汚れだらけの世の中で無垢でいること自体ありえないでしょ。それは無関心だからだと思うのよね」

「じゃあ、私たち全員、無垢じゃないね」
「確かに」
「無垢じゃない私たちに乾杯!」

5/30/2024, 12:54:35 PM

「終わりなき旅」

「だからアイツらに投票しちゃだめって言ったのに」
あの熱狂の中そんな声はかき消された。独裁者は選挙で選ばれるのだ。歴史はそれを知っているが、学校で歴史が教えられなくなって五十年が経ち、そんなことはもう選挙権を失った高齢者か、地下にもぐった奴しか知らないことだ。

一部の歴史研究者だけは極秘で歴史研究を細々と続けているが、研究費がなくなることが怖くて政府の言いなりだ。そんな奴は歴史研究者を名乗るな。

地下にもぐっていた俺たちには選挙後、「終わりなき旅」という名の追放が待っていた。行き先も滞在時間も自由。費用は政府から支給される。万国どこへでも出入国できるフリーパスポートを持たされ、さあ、とうぞご自由に!というわけだ。

地下にもぐっていたのになぜ捕まったか?そりゃあ、報奨金目当てで仲間が裏切ったからだ。

南の島で楽園気分を満喫するもよし、ラスベガスでカジノ三昧もよし、エベレスト登頂にチャレンジするもよし、紛争地域で戦闘に参加するもよし、何をしてもいいというわけだ。

許されないのは、言論の自由と帰国。持っていた財産はすべて貨幣に換算され、一時金として渡された。それはあくまで自分の財産であって、旅の費用とは別だ。

まあ、いいか。俺を追放したからといって、何代にもわたって地下にもぐっていたわが一族がこのままで終わるわけがない。伊達に歴史研究してたわけじゃないんだよ。

というのは建て前だ。地下は窮屈で退屈で、だが地上はもっとつまらねえ。政府のやってることはちっとも理解できないが、利用だけさせてもらう。「終わりなき旅」を楽しませてもらうよ。

5/30/2024, 12:36:42 AM

「ごめんね」

桜の下の彼女はきれいだった。今までは特に親しいというわけではなかったけど、放課後の掃除当番で同じ班になって、少しずつ言葉を交わすようになった。

今日も掃除が終わった。この時間がずっと続けばいいのにと思うけど、終わってしまうんだな。みんなそれぞれの部活に行って残ったのは彼女と二人だけ。思い切って話しかけた。

「根岸さん、桜見に行かない?」
「いいよ」
そう言った彼女の表情はいつもと同じ。うれしそうでもなく、嫌そうでもなく、面倒くさそうでもなく、何も読み取ることはできない。

江戸時代に建てられたという城は堀だけ残して跡だけが残る。堀に沿って続く桜並木はこれも江戸時代からあるそうだ。枯れてしまっても後から植えられて、今もその面影を残している。

二人で並んで歩いた。元々おしゃべりではない君は教室でもそうだが、今もしゃべらない。でも別にいやいや来ているというようには見えなかった。桜を見上げて教室にいるときよりも少し明るい表情を浮かべている。

風が吹くとはらはらと花びらが舞う。立ち止まって舞うさまを見ている。手を伸ばして花びらをつかまえようとする。君は何を思ってる?僕のことなんて目に入ってないみたいだ。

また風が吹いた。少し強い風が制服のスカートをはためかせる。花びらをつかもうとしていた手でスカートを押さえる。きれいな手。風がやみ、また歩き始める。

君のつむじに花びらが落ちた。
「ちょっと止まって」
そう言って髪に落ちた花びらに触れようとしたそのとき、急に手で頭を抱えてしゃがみこんだ。それから何かに怯えるように震え始めた。

「ごめんね。びっくりさせて。花びらが髪についてたから」
「ありがとう」
と君は手を解いて取って、というように頭をこちらに向けた。
「大丈夫、今、落ちたから」
「ごめんね」
そう言う君の表情はいつものまま。あの怯えた顔は何だったのか。

「明日も一緒にここに来よう?」
「うん。桜好きなの?」
「そうでもないけど、根岸さんは?」
「好きだよ。好きでもないのになぜ?」
「根岸さんと一緒に歩きたいから」
「いいよ」

君の表情は変わらない。何に怯えているの?君が抱えているものは何?聞けるわけないけど、また明日も一緒に桜を見る。

5/29/2024, 1:58:25 AM

「半袖」

「あら、今日は半袖じゃ寒いかもよ。それに夕方から雨だって。傘も持っていきなさい」
玄関に向かう私に母は言う。
「大丈夫」とは言ったものの差し出された折りたたみ傘はありがたく頂戴する。母が言うことのほとんどは正しい。けど、こんなに日差しがたっぷりなのだから、さすがに半袖でいいだろうと、そのまま「行ってきます」と家を出た。

午前中はちょうどよかった。窓際の席で朝のうちは少し日も差す。暖かい風も吹いている。雲行きが怪しくなったのは昼過ぎだ。5時間目の授業中、風の向きが変わった。薄く白い雲がかかっていた空には、いつの間にか灰色の雲が混じる。

放課後の掃除当番は化学室だ。理科棟に行く渡り廊下に出ると思わず体がブルっと震えた。寒い。朝よりも気温が下がっているみたいだ。みんなも「さむ〜」と言いながら手早く掃除を済ませる。

教室に戻るともう何人も残っていない。部活に行く人はとっくに行っている。私は華道部たけど今日の活動はない。急いで帰る用事もないので図書室に向かう。図書室には憧れの人がいるのだ。

いつも残って勉強している眼鏡の君だ。勝手にそう呼んでいるだけで、履いている上履きの色から3年生だということしかわからない。数学の教科書を開いていることが多い。しばらく考え込んだあと、糸口が見つかるとものすごい勢いでノートに書き込んでいる。一心不乱という言葉がぴったりのその様子を、少し離れたところから見ている。今日は珍しく上だけジャージを着ている。

見ているだけだと怪しまれるから、私も教科書を開く。英語の予習でもしておこう。ぱらぱらと辞書をめくるふりをしながら、眼鏡の君を盗み見る。今日も安定の一心不乱。

どこかから「雨が降ってきた」と言う声が聞こえる。その声に誘われるようにばたばたと席を立ち、帰る人が続出する。傘を持ってるから私は大丈夫。お母さんありがとう。眼鏡の君も帰っていない。同じ空間に少しでも長く一緒にいたい。ただそれだけのために閉室時間までねばる。

とうとう帰る時間になって席を立つ。かの君も手を止めて伸びをした。そのときうっかり目が合ってしまった。にこっと笑ってから荷物を片付け席を立った。私もあわてて出口に向かう。その「にこっ」にどれほどの威力があるか知らないでしょう?

急に胸が痛くなってどきどきが止まらなくなった。ぼーっとしたまま昇降口に行き靴を履き替えた。外に出た途端、風が吹き付けてきた。思わず身震いをして半袖で来たことを後悔した。でも仕方ない。カバンから傘を出して歩き始めた。校門に行くには3年の昇降口の前を通る。そこに立ちつくす眼鏡の君がいる。傘を持っていないのだろう。

声をかけるべきか、でも傘は一つしかない。どうする?考えているうちに、かの君の前に来てしまった。

えっ…自分の行動に驚いている。大胆にも傘をさしかけている。

「ありがとう」と、かの君がおっしゃる。
「いいよ、君が濡れるでしょ」
「え、駅まで一緒に入っていきませんか?」
「いいの?」
「はい」
「じゃあ」と、かの君はジャージを脱いで肩にかけてくれた。
「寒いでしよ。僕は長袖だから平気。どうぞ。あ、嫌ならいいよ。体育では着てないから汗はかいてないと思うけど」
嫌だなんてありえない。ふわっと眼鏡の君の匂いに包まれた。

そこから駅まで何を話したんだっけ?上の空でほとんど覚えていない。駅について同じ駅だとわかって、一緒に電車に乗って、改札口で「じゃあ、またね」とそれぞれの方向に分かれた。

「またね」とかの君は言った。必ず訪れるであろう「また」を思って、「西畑」と胸に刺繍されているジャージの袖を握りしめた。西畑俊吾。眼鏡の君の名だ。

5/28/2024, 1:16:23 AM

「天国と地獄」

「人生リセットすることにした」と彼は言った。私がこれまでの会社人生で最高の気分で帰宅した直後のことだ。何を言っているのかわからなかった。一緒に乾杯しようと途中で買った缶ビールを置く暇もなく、スーツケースを引いて出ていこうとする。

「リセットって?」
「リセットだよ。全部やり直す。ここも出ていく」
「別れるってこと?」
「まあ、そういうことになるかな」
「嫌って言ったら?」
「関係ない」
「関係ない?」
「うん。関係ない。俺のリセットに君は関係ない。だから何も気にしないで。ただここを出るだけのこと」
「私のこともリセットされるの?」
「そう。じゃあね。今までありがとう」

人生リセットサービスは数年前からあるのだが、まだ世間的には認知されていない。ただ彼は人生リセットサービスを提供する側だった。数々のリセットされた人生を見て自分もしたいと思ったのだろうか。

翌朝、重い足を引きずりながら会社に着いた。入口でIDをかざして通り過ぎようとしたらブザーが鳴った。IDが無効になっているようだ。近くにいた警備員が駆けつける。私の持っているIDを照合して調べてもらった。

「昨日付けで退職されています」
ああ、私もリセットされたんだ。仕方なく会社を出ると向こうからよく知った顔が近づいてくる。目が合ったが無視された。何人かすれ違ったけれど誰もが無視するということは、もうこの会社の人間として認知されていないんだ。

絶望的な気分で入口の階段に座り込んだ。そろそろ出勤のピークだ。駅から歩いてくる人たちがビルに吸い込まれていく。このビルにも大勢が押し寄せる。その中に彼を見つけた。昨日、新しいプロジェクトのリーダーを君に任せると言った上司が彼と並んで歩いている。

リセットして私のポジションに収まったんだ。強制的にリセットされた私はどうなる?誰かのリセットの犠牲になった人には救済措置として自分もリセットできることが許されている。でもしない。

リセットした人は来世では地獄に行くことが決まっているという。リセットせずに留まった人には天国が待っているらしい。彼は地獄行きと現世での成功を天秤にかけて、地獄行きを選んだのだろう。そんなに私の人生がほしかった?あげるよ。でもそれで終わると思わない方がいい。

立ち上がると歩き始めた。来世なんて不確かなもので復讐できるとは思わない。現世で地獄を感じるがいい。プロジェクトの概要はもう知っている。先回りしてことごとくつぶす。どんな汚い手を使っても彼を陥れる。だって、何をしてもリセットしなければ天国行きは決まっている。リセットは負け組のすることだ。



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