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「ごめんね」

桜の下の彼女はきれいだった。今までは特に親しいというわけではなかったけど、放課後の掃除当番で同じ班になって、少しずつ言葉を交わすようになった。

今日も掃除が終わった。この時間がずっと続けばいいのにと思うけど、終わってしまうんだな。みんなそれぞれの部活に行って残ったのは彼女と二人だけ。思い切って話しかけた。

「根岸さん、桜見に行かない?」
「いいよ」
そう言った彼女の表情はいつもと同じ。うれしそうでもなく、嫌そうでもなく、面倒くさそうでもなく、何も読み取ることはできない。

江戸時代に建てられたという城は堀だけ残して跡だけが残る。堀に沿って続く桜並木はこれも江戸時代からあるそうだ。枯れてしまっても後から植えられて、今もその面影を残している。

二人で並んで歩いた。元々おしゃべりではない君は教室でもそうだが、今もしゃべらない。でも別にいやいや来ているというようには見えなかった。桜を見上げて教室にいるときよりも少し明るい表情を浮かべている。

風が吹くとはらはらと花びらが舞う。立ち止まって舞うさまを見ている。手を伸ばして花びらをつかまえようとする。君は何を思ってる?僕のことなんて目に入ってないみたいだ。

また風が吹いた。少し強い風が制服のスカートをはためかせる。花びらをつかもうとしていた手でスカートを押さえる。きれいな手。風がやみ、また歩き始める。

君のつむじに花びらが落ちた。
「ちょっと止まって」
そう言って髪に落ちた花びらに触れようとしたそのとき、急に手で頭を抱えてしゃがみこんだ。それから何かに怯えるように震え始めた。

「ごめんね。びっくりさせて。花びらが髪についてたから」
「ありがとう」
と君は手を解いて取って、というように頭をこちらに向けた。
「大丈夫、今、落ちたから」
「ごめんね」
そう言う君の表情はいつものまま。あの怯えた顔は何だったのか。

「明日も一緒にここに来よう?」
「うん。桜好きなの?」
「そうでもないけど、根岸さんは?」
「好きだよ。好きでもないのになぜ?」
「根岸さんと一緒に歩きたいから」
「いいよ」

君の表情は変わらない。何に怯えているの?君が抱えているものは何?聞けるわけないけど、また明日も一緒に桜を見る。

5/30/2024, 12:36:42 AM