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5/26/2024, 12:40:01 PM

「月に願いを」

あの日「月がきれいですね」と微笑んだあなたを今も思い出します。初めて言葉をかわした日、ちょうど十九夜の月が上って来たのを見てあなたは言ったのでした。

今、どこにいますか?元気でいますか?幸せですか?月を見る度に思ってしまうのです。心変わりをした私を責めもせず、ただ微笑んで行ってしまいましたね。

私は幸せです。私、お母さんになったんです。小さな命をこの胸に抱いたとき、少し胸が痛みました。あなたはあんなに子どもを望んでいたのに、私は仕事を理由に先延ばしにしました。

真夜中にお乳を飲ませていると、ちょうど窓から月が見えました。満足して眠った子どもの顔を月明かりが照らしています。もしあのとき、あなたのもとで子どもを産んでいたらと、どうしようもないことを考えたりもします。あなたはきっと優しい父親になったでしょう。

あなたと月を見るのが好きでした。今はあまり好きではありません。あなたを思い出さずにはいられないから。

お月さまにこの手紙を託します。あなたが幸せに健やかにいてくれることを願っています。受け取ったら、あなたも月を見上げてくださいますか?

5/26/2024, 2:33:45 AM

「降り止まない雨」

ああ、やはり。
天気予報では明日も一日雨。どうか朝には止んでくれと祈るように眠りについたのだが、その願いが聞き入れられることはなかった。昨晩しとしとと降っていた雨はざあざあとなり、降り止む気配はない。

今日のために新調したワンピースはやめておこう。柔らかなギャザーがふわりと体を包むこの赤いワンピースを見せたかった。いや、赤いワンピースに包まれた自分を見てほしかった。風に揺れる裾から白いふくらはぎがのぞく。きっと彼に気に入ってもらえると思ったのに。

昨日のうちに考えておけばよかったなあ。雪の時のために長靴はあるけれど、それで映画館に行くのは嫌だな。撥水加工の白いスニーカーがあったから、それにしよう。タイトなデニムのスカートに白いTシャツ、フードの付いたパステルグリーンのナイロンのパーカー。これなら少しくらい濡れても平気。映画館が寒いといけないから薄手のひざ掛けにもなるストールをバッグに入れた。

もう付き合い初めて半年過ぎたのに彼との距離は縮まない。会社でそんな態度を取るのはわかる。まだ他の人には内緒だ。でも二人きりのときは手をつないだり、キスもあってもいいんじゃない?そう思うのは私だけ?

彼が慎み深い人だというのは一緒に仕事をしているからよくわかる。控えめに周りをサポートし、主張することもない。自分の手柄をもっと主張してもいいのにと歯がゆいが、そこにこそ惹かれたのだ。

きっと自分を抑えることが多い人生だったのかなと思う。諦めたような、自分には大して関心がないという態度で、プライベートでは社内の誰も親しい人がいない。

だから初めて心が通じたときはうれしかった。「付き合ってください」と私から言って、困ったように眉を寄せる彼に「ね、いいでしょ?」と無理矢理うなづかせて始まった恋だけど。好きなのは私だけなのかな?

映画を観て、食事をして、楽しい会話を交わして、「もう遅いから帰ろうか」と彼が言う。また今日もこれで終わり。そう思ったら無性に悲しくなって、こんなにつらいならもうやめようかと思って、そしたらもっとつらくなって、涙がこぼれた。そんなの無理だよ。好きという気持ちは涙になって溢れてくる。ああ、もういい加減にして。ごまかすために傘をたたんで雨の中を走り出す。

もう諦めよう。だって彼は私を何とも思っていない。涙は雨が流してくれる。走りながら思いっきり泣いた。角にあった小さな公園まで行って止まった。彼は追ってこない。こんな街中で誰が乗るのかわからないブランコが雨に濡れている。ここまで濡れたんだからもういいやと濡れたブランコを揺らす。なんだか重い。

ゆらゆらと重いブランコをこいだ。白いスニーカーにあたった水がするんと流れていくのを見ていた。私の気持ちも彼には届かないままどこかに流れていく。もうどうすることもできない。

不意にスニーカーに雨がかからなくなったのに気づく。見上げると彼が立っていた。困ったように眉を寄せている。この顔を知っている。でももう、無理にうなずかせたりしない。もうわかったからいい。好きなのは私だけ。

無言で立ち上がって彼の傘から出る。ブランコの柵に立てかけた自分の傘を取り立ち去ろうとした。歩き出した背中に彼の声が響く。
「教えてほしい。どうしていいかわからないんだ。泣かせたくなんてないのに。どうしたら笑ってくれるの?」

「そんなの簡単なことだよ」
彼の傘に入って口づけをする。
「私のこと好き?」
「好きだよ」
彼の手を離れた傘が逆さまになって雨に濡れている。降り止まない雨が二人の距離をゼロにする。

5/24/2024, 12:44:12 PM

新幹線に乗って意気揚々と上京した私へ。三十数年後また帰ってくるからね。

大学受験のために上京した日、大雪で大変だったね。8時間もかかって東京について、ホテルに向かう道で滑ったね。それが良かったのかな。無事合格して東京生活がスタート。

いろいろあって大学は卒業せんかったけど、幸せな結婚して子どもを三人産むけん、覚悟しときんさい。産むのは苦しいけんね。育てるのも大変じゃけぇ。でも楽しいけん、まあええわ。

あ、できたらでええんじゃけど、歌舞伎役者にはまるんは、ほどほどにしちょった方がええで。なんじゃったら、観に行かん方がええかもしれん。お金のうなるで、ほんまに。老後のお金がのうなってもええんじゃったら行きんさい。贔屓の役者は一人だけにしときんさいよ。きりがないけんね。

あとな、旦那に期待したらいけんよ。期待したら、期待通りにならんときに裏切られたように思うじゃろ。それがいけんので。期待せんと、そのままの旦那を受け入れたらええんじゃ。あんたの旦那はあんたをそのまま受け入れてくれるけえね。まあ、そこに気づくまで我慢することじゃね。

夫婦円満の秘訣は我慢じゃて、よう言うけど、あれはほんまのことで。旦那に我慢ならんときは我慢せんでも何でも言うたらええ、自分でしたいことも言いたいことも我慢せんでもええ、あれ?何を我慢するんじゃたかのう…ようわからんようになってしもうた。わかったわ、旦那が我慢するいうことじや。

まあ何言うても、あの頃のうちにわかるわけないじゃろう。じゃけん、何にも言わんことにする。ただのう、これだけ言うとく。人生はおもろいけん、楽しむことじゃの。ほんまに、ぶちおもろいで。

5/23/2024, 12:35:56 PM

いつだったか、子どもたちを公園で遊ばせていたときのことだ。保育園のお母さん仲間であり、子どもたちの主治医であり、夫は牧師で自身もキリスト教を信じている人と話をしたことがあった。子どもたちはブランコに乗ったり、駆け回ったりしていた。

その人はキリストの原罪ということを話していた。毎日ご飯を食べるのと同じように、当たり前に原罪を信じ、それによって心は平らかであると。キリストは私たちの罪を全部引き受けてくださったと晴れ晴れとした表情でそう言った。その時の彼女の顔があまりにも幸せそうだったから、ああ、そうかと私までそんな気になった。私の罪も同じように引き受けてくださるのだと、ちょっと感動さえした。

実家は浄土真宗の檀家である。年末にはお餅を納める習慣があった。年末に帰省していたとき、子どもが小さかったころのことだ。お餅を持っていくと、御院さんは歎異抄の本をくださった。子どものころはお寺の日曜学校に行き、よく知っていたからくださったのであろう。大きくなったねという気持ちもこめて。

衝撃だった。他力本願、悪人正機がスパーンと私を撃ち抜いた。阿弥陀仏の本願に私も救われると、頭ではなく、魂が共鳴したというべきか、よくわからない感覚に陥った。

今もその感覚は生きている。キリストの原罪、阿弥陀仏の本願、それは違う宗教なのであるが、私の心には同じように作用する。もちろん、キリスト教に入信はしないし、念仏を唱えることもない。心の奥深く、体でいえば丹田のあたりにその感覚が、漬物石のようにどっしりと巣食っている。

親鸞は逃れがたい煩悩にまみれる自分自身と向き合い浄土真宗にたどり着いた。たどり着いてもまだ迷うのだ。

キリストの原罪を語った彼女も、でも、日々の悩みはつきないんたけどね、と話を終える。

近代を経過した時代に生きている私には、宗教にすべてを委ねることはできないし、かといって、能天気に自分自身を考えずに生きることもできない。けれども、丹田にすわった感覚は折々に自分自身を助けるのだ。

誰もが決して逃れられない死がやってくる瞬間、どんな境地に立っているのか、怖いというよりも楽しみではある。周りに迷惑をかけながら七転八倒しているかもしれない。それもまた、逃れられない人間の性。

5/23/2024, 12:16:57 AM

「おはよう」と父に声をかけて朝の家事を始める。
「おやすみ」と声をかけて父の部屋の戸を閉める。

そこに「また明日」はない。
最後にこの言葉を使ったのはもう一年以上前のことだ。退職する前の日。

時々会う友人にはただ「またね」

当たり前のように「また明日」と言える関係は私にはもうない。

人に対してはもう言うことはないけれども、夜寝る前に読むものはある。布団に入ってKindleを開く。

『与謝野晶子全集』から「源氏物語」を読んでいる。正直あまり進んでいない。だが、今の私に「また明日」といえる唯一のものだ。

現在は「葵」の途中である。読み始めは数ページ戻る。戻ったところからスタートする。ああ、こういう場面だった、と思い出す頃にはもう眠くなっている。結局、また数ページ進んだだけで「また明日」と閉じる。それもなくて開いたまま朝起きると画面が暗くなっていることもある。いや、その方が多い。それでも日々進んでいることは確かだ。

もう一冊、日課のようによんでいる本がある。モーリス・パンゲというフランスの学者による『自死の日本史』という本だ。

この本を知ったのは、千葉敦子著『死への準備日記』で一部が取り上げられていたからで、その言葉の響きに吸い寄せられるようにすぐにAmazonで購入した。そうしたら、翌日には届いたのだ。新刊をプライムの配送で買うのとは違うのだ。出品者から古書を買ったのである。

ポチッてから程なく、発送したと通知が来た。日本郵便での配送だと。東京からの発送だし、郵便なら2、3日かかるとみていた。しかし、翌日の午前中に、手渡しで届いたのだ。赤のレターパックだった。私のAmazon史上最速である。送料570円の意味を届いてから理解した。

出品者は神保町の古書店だった。私からの注文をその日のうちに処理し、その日のうちにポストに投函してくれた。レターパックは速達扱いだから翌日には手元に届いたというわけだ。しかもレターパックは手渡しの赤である。ポスト投函の青ではない。

手に取ったときの感動といったら!
読みたいと思ったときにすぐに届けてくれるこの書店の対応に脱帽だ。その時の感動は別にブログにも書いたが、今日のテーマに関係するので、あえてまた残しておく。

そういう経緯で読み始めたが、これが一筋縄では行かないのだ。その一言一言が美しい。こう表現するのか!という驚きに満ちていて
メモせずにはいられない。著者の言葉がそもそも素晴らしいのだろうが、翻訳も素晴らしい。原文への敬意が感じられて、そのニュアンスを余すところなく伝えようという意欲まで伝わる。

そんなわけで、この本も「また明日」と閉じる。初めは他の本を差し置いて一気に読もうとしたが、この高い山は登るのに息切れしてしまう。「また明日」がちょうどよい。


「また明日」という人間関係がなくなってしまって寂しいという話になるかと思っていたが、案外そうでもない。見つけようと思えば「また明日」は見つかる。

このアプリもそうだ。まだ日は浅いが、私の「また明日」になっている。明日のテーマ、いや正確には今日のテーマを楽しみに待つことにしよう。

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