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「おはよう」と父に声をかけて朝の家事を始める。
「おやすみ」と声をかけて父の部屋の戸を閉める。

そこに「また明日」はない。
最後にこの言葉を使ったのはもう一年以上前のことだ。退職する前の日。

時々会う友人にはただ「またね」

当たり前のように「また明日」と言える関係は私にはもうない。

人に対してはもう言うことはないけれども、夜寝る前に読むものはある。布団に入ってKindleを開く。

『与謝野晶子全集』から「源氏物語」を読んでいる。正直あまり進んでいない。だが、今の私に「また明日」といえる唯一のものだ。

現在は「葵」の途中である。読み始めは数ページ戻る。戻ったところからスタートする。ああ、こういう場面だった、と思い出す頃にはもう眠くなっている。結局、また数ページ進んだだけで「また明日」と閉じる。それもなくて開いたまま朝起きると画面が暗くなっていることもある。いや、その方が多い。それでも日々進んでいることは確かだ。

もう一冊、日課のようによんでいる本がある。モーリス・パンゲというフランスの学者による『自死の日本史』という本だ。

この本を知ったのは、千葉敦子著『死への準備日記』で一部が取り上げられていたからで、その言葉の響きに吸い寄せられるようにすぐにAmazonで購入した。そうしたら、翌日には届いたのだ。新刊をプライムの配送で買うのとは違うのだ。出品者から古書を買ったのである。

ポチッてから程なく、発送したと通知が来た。日本郵便での配送だと。東京からの発送だし、郵便なら2、3日かかるとみていた。しかし、翌日の午前中に、手渡しで届いたのだ。赤のレターパックだった。私のAmazon史上最速である。送料570円の意味を届いてから理解した。

出品者は神保町の古書店だった。私からの注文をその日のうちに処理し、その日のうちにポストに投函してくれた。レターパックは速達扱いだから翌日には手元に届いたというわけだ。しかもレターパックは手渡しの赤である。ポスト投函の青ではない。

手に取ったときの感動といったら!
読みたいと思ったときにすぐに届けてくれるこの書店の対応に脱帽だ。その時の感動は別にブログにも書いたが、今日のテーマに関係するので、あえてまた残しておく。

そういう経緯で読み始めたが、これが一筋縄では行かないのだ。その一言一言が美しい。こう表現するのか!という驚きに満ちていて
メモせずにはいられない。著者の言葉がそもそも素晴らしいのだろうが、翻訳も素晴らしい。原文への敬意が感じられて、そのニュアンスを余すところなく伝えようという意欲まで伝わる。

そんなわけで、この本も「また明日」と閉じる。初めは他の本を差し置いて一気に読もうとしたが、この高い山は登るのに息切れしてしまう。「また明日」がちょうどよい。


「また明日」という人間関係がなくなってしまって寂しいという話になるかと思っていたが、案外そうでもない。見つけようと思えば「また明日」は見つかる。

このアプリもそうだ。まだ日は浅いが、私の「また明日」になっている。明日のテーマ、いや正確には今日のテーマを楽しみに待つことにしよう。

5/23/2024, 12:16:57 AM