ネオンが眩しい表通りを歩いていた。人生の全てが上手くいかずに沈んだ心は街のネオンを拒絶する。思えば飲み屋街を一人で歩くのは初めてなのかもしれない。いつも同僚や上司に連れ回されていた。だが、それも昨日で終わった。上司の机に叩きつけた退職届がそれを迎えさせた。酒が残った身体に鞭を打ち、歩き続ける。すると、ある店で足が止まった。
「……ガールズバーか、」
今更、女に興味は湧かない。だが全財産を叩きたい気分だ。俺は迷うことなく建物の中に入った。営業中と書かれていたが電気はあまりついていない。ぼんやりとした照明を頼りに先に進む。扉を一つ開くと、そこは大広間だった。奥にステージ、手前側にはテーブルと高そうなソファが並んでいる。ステージの中央にはポールダンスにでも使うような棒があった。
「あっ、すみません。まだ準備中で……!」
ステージの脇から女が一人。やけに露出の多い格好をしていた。
「……営業中ってありましたけど」
「えっ!」
忘れていたのだろうか、女は青ざめていた。ノコノコと顔を出した俺を追い返す訳にも行かず、かといって座らせる訳にもいかない、とでも言いたげだ。
「あの……まだ演者さん達いなくて…。私、お酒も準備できなくて……」
格好とは裏腹に、女の喋り方は人見知りのそれだ。目はウロウロと泳いだままで、合わせられることはない。そんな様子に少し悪戯心が沸いた。
「アンタは」
「え?」
「踊れねぇのかよ」
女の顔がまた背けられる。
「まだ見習いで……」
と、言いにくそうに零した。だが此方も食い下がる。
「金は払うからよ」
有り金を全て叩きつけると女の目が大きく開いた。驚いたように口も開けている。女は渋々、といった感じでステージに上がった。中央の棒を掴み、上の方まで登ると、ゆっくりとした動きで踊り始めた。ポールダンスだ。彼女の動きと合わせてたなびく布が美しく映える。野暮ったいように見えた顔も身体も、研がれた刃のように心というものに突き刺さる。曲も、気の利いた照明もないが十分だ。寧ろ邪魔な隠し味だ。
陳腐な言葉だが、本当に釘付けだった。扇情的で清純な、対極的な踊りだ。まだ踊りというラインにすら立てていない、と踊り終えた彼女は言ったが、これ以上の踊りを見たことは無い。何度も何度も褒めたかったが、彼女は顔を赤らめてしまった。
「また来てください」
帰り際に彼女は薄く笑んでそう言った。丁寧にも入口まで見送ってくれたが、彼女は新しいカモを捕まえたとしか思っていないだろう。振り返ると、彼女はまだ此方を見つめていた。そして、恭しく礼をした。まるで漫画にでもいる貴族のような、踊るような仕草だった。
題目『踊るように』
「一年です」
目の前の彼女に告げた。驚くこともなく、憤慨することなく、ただこの言葉を噛み締めるように俯いた。数年前より痩せ細った身体は、見てて痛々しかった。この先の方針や気休めの言葉を並べることは簡単だ。私には、どうしようが他人事なのだから。彼女は時折小さく頷くだけで、まともな言葉を発さない。 年若い彼女とのこのやり取りはもう十三回に及ぶ。何度も何度も、私は彼女に死を宣告している。言う度に期間は減り続け、彼女はそれにすら気づかない。彼女が口を開いた。
「好きなことをして過ごします、あと一年しかないんだし」
「……それも一つですね」
「先生、わたし、結婚するんです。先生と同じ、お医者さんの人なんですよ」
彼女はそう言って薬指の指輪を見せた。そして嬉しそうに立ち上がり、ゆっくりと診察室を後にする。
私は、愛おしき婚約者にあと何回、死までの時を宣告すればいいのだろう。彼女の指にあった指輪と同じ形の指輪が静かに煌めいた。
題目 『時を告げる』
何だかやり切れなくて、海に来た。絶えず聞こえる潮騒が心地よい。夏真っ盛りだが空は曇天で、綺麗でもない灰色で埋め尽くされている。平日の昼間ということもあり、人はいない。自由だ。少なくとも、ここにいる時だけは。
草臥れた革靴も靴下も脱いで浅瀬に足を入れた。不規則に打ち寄せる波、それに準じて指の間に入り込む砂がなんだかこそばゆい。ふ、と笑みが零れた。楽しい。親しい友人がいなくても、恋人がいなくても。童心に帰ったみたいだ。このまま沖まで歩いたらどれだけ心地よいだろう!まぁ、そんな度胸はないのだが。
浅瀬の波に飽きた頃、少し砂浜を歩くことにした。石が落ちていたり海水浴シーズンに取り残されたゴミが落ちていたり。先程とは違い、少し虚しい。物寂しく、ノスタルジックとも言い難い。
「……、」
ふと、足元に貝が一つ落ちていることに気がついた。白く、まだら模様がはいった巻貝。後で調べたが、チトセボラという貝らしい。そのまま放ってもよかったが、何となく手に取ってみた。想像よりも軽い。海に来た、という記念で持ち帰ることにした。自分もこの貝も、他に取り残されたはぐれ者のように思えたからだろうか。
足取りが重いが、そろそろ戻らなくては。仕事の途中だったのだ。また煩い上司に怒られるだろうが、何とか耐えてみよう。苦しくなったらまた、この海に戻ればいい。
曇天の隙間から光が差した……そんな気がした。
題目『貝殻』
注意 見方によっては同性愛描写かもしれません。悪しからず
「いいねその髪、似合ってる」
放課後、私の隣の席に座る貴女はそう言った。柄にもなく髪を巻いて登校した日だ。冴えない私が精一杯飾ったところで、誰も私を見てくれない。そう思っていた矢先だった。
「えっ」
「いいと思うよ」
嘘はつかない人だ。竹を割ったような、清々しい性格で曲がったことが嫌いな人。好かれるために誰かに媚びるとかをしない子。彼女は私を気にすることなく、スマホを弄り始めた。
私達は二人揃って、馬鹿にされることが多かった。彼女は性格、私は見た目を。だからかは分からないけど、私達はいつも一緒にた。多分、友達と思っているのは私だけだけど。
「……ねぇ、聞いてる?」
「えっ」
「帰らないの?」
帰ろう、と声をかけていたらしい。私があまりにもぼんやりしていたから少し苛立ったように。薄っぺらい鞄を持って、急いで立ち上がった。あまりにもバタバタとうるさい私を見て、彼女は薄く微笑む。私達は校舎をすぐに出て、帰路についた。人気のない通学路が、何故かいつもより長く感じる。
「マジで似合ってる、髪」
「いいよお世辞は……私なんかに似合うわけ、」
「似合ってる」
少し怒ったように言い返してくる。有無を言わさないように強く。
「その方いいよ、いつものもっさい三つ編みより」
「……もっさい……」
ダサいと思われていたのか、いつもの髪型は。
「明日もして来てよ」
軽く言ってくれる。たまたま早起きしたからできただけ、と言ったらどう返されるだろう。多分、『じゃあ、モーニングコールするわ』とか気だるげに言うに決まってる。
「……そっちも巻いてみたら?私より似合うよ」
「はぁ?」
「だって……」
自然なキューティクル、キリッとした顔立ち。美人の部類だ。美人は何をしても様になるのはこの世の条理だ。私も見たかった。自分の見た目を気に留めない彼女が、少しでも手を掛けた様を。
「私、嘘とか冗談、好きじゃないんだけど」
「知ってるよ……」
「……」
彼女の顔を見れなかった。顔を背けるしかできない。そんな私の鼻を、彼女は思い切り抓った!
「ふがっ、」
「まだ夜じゃないのに寝言言ってるみたいだから」
思い切り手を引き、顔を強制的に上げさせられる。痛がる私を無視して彼女は続けた。
「私、アンタだから可愛いって言ってんだけど」
軽口だろう。彼女にとっては、ただの褒め言葉だ。なのに、どうしてだろう。顔が熱い。耳も首も、多分真っ赤だ。
「……じゃ、帰るわ」
そう言って背を向ける彼女を、ただ見守ることしかできなかった。
心臓がうるさい。ただ肯定されただけなのに、どうしてこんなに恥ずかしいんだろう。いつも一緒にいるクラスメイトが髪型を変えたとかいう、彼女にとっては些細なことだっただろうに、私にとっては大事だ。些細な言葉一つで、ここまで有頂天になるのだから。
「……明日も髪、巻こうかな」
少し早く起きればいい話だ。明日の彼女は何て言ってくれるだろう。それを楽しみに、一人で帰路についた。
題目 『些細なこと』
私は現代の奴隷である。高くもない金の為に企業に隷属し、帰ればベッドに沈むだけの毎日を送る奴隷だ。定時という概念が壊れた現代において私のような人間は少なくないだろう。定時退勤は悪、サービス残業は正義である。
ふと、机を見ると昔集めていたアニメのフィギュアが並んでいた。どれもこれも埃が積もっているが掃除をする気にもならない。最近は飯も喉を通らなくなっており、こんな私の図体を見て幻滅したであろう恋人も逃げたところだ。
私の心の底にある灯はもう、とうに尽きているのだろう。何事への興味も見いだせず、そこにのさばっているだけなのだから。ポツポツと火が消えていき、残っているのは無駄な義務感だけだ。生きているか死んでいるか分からないならば、いっそ首を括った方がいいのではないか、延長コードまあるし、とぼんやり物思いに耽ったその時だ。にゃあ、と何かが鳴いた。
「………」
猫だ。昨日出て行った恋人が置いていった、灰色の猫。私はその雄猫の名を呼んだことはなかった。ふてぶてしい顔をして、餌の皿の前に座っている。飯か。そういえば数日あげた覚えがない。放ってもいいかと思ったが猫を心中に誘うほど落ちぶれてもいない。台所の隅からキャットフードを取り、皿に盛ってやった。脇目も振らずに皿に顔を寄せる姿、生への渇望。私とはまるで正反対だ。
「……お前が死ぬまでは生きてようかな」
火が灯った。他のどの灯りよりも、明るく暖かい。猫はまた、にゃあと鳴いた。
心の灯火