ねえ、待ってよ。
もう少し、歩くスピードを緩めてよ。ううん、いっそ止まってよ。
私、出会ったときからあなたのこと好きだったんだよ。
年の差のせいで妹ポジションのまま動かないって何度もあなたから現実を突きつけられてきたけど、未来はわからないって、願い続ければいつか絶対叶う、叶えてみせるって自分を励まして、今まで進み続けてきたんだよ。
私の好きって言葉に、変わらない笑顔を向けてくれていたけど、実は少しでも動揺してくれたかなって期待して。
彼女ができたと知ったら、毎日「別れますように」「私が一番あなたにふさわしい相手だよ」って祈り続けて。
もちろん彼に会うたび、私を一人の女として見てもらえるように努力して。
エトセトラ、エトセトラ。
私が思いつく限りの手を尽くしてきたつもりだった。
ねえ、私、あなたしか知らないの。
あなた以外の素敵な人、一生を添い遂げたい人、知らないの。
脇目もふらずに、あなたを追いかけ続けたんだよ。
私以外の人と結婚間近なんてうそでしょう?
いつの間に、そんな相手を。
すぐに、あなたの目を醒ましてあげるから。
だから、私が追いつくまで待っていて。
置いて、いかないで。
お題:行かないで
※BL要素がありますので苦手な方はお気をつけください。
お互い忙しくて、実に二ヶ月ぶりの彼との逢瀬だった。
といっても、本当は会うつもりはなかった。声だけで伝わってくる迫力に押されて、半ば諦めで交わした約束だった。
「あれ、この場所……」
仕事帰り、俺の会社の近くで落ち合い、短い夕食を取ってから彼の車に揺られて三十分近く。
車から降りて、彼の背中を追いかけるうち、記憶の隅で眠っていた光景が徐々に鮮明さを取り戻していく。
「思い出してくれた?」
足を止めた彼は、わずかに目を細めてどこかほっとしたように告げた。
夜景が素晴らしいわけでもない。恋人との定番デートスポットなわけでもない。自然が多く遊具はほぼない、中規模な公園というだけだが、頭の中をからっぽにしたいときにうってつけの隠れ家だと彼に教えてもらった。
それ以上に彼にとっては、あの日から一番大事な場所なのだろう。
けれど、俺にとっては大事だけでなく、とんでもなく恥ずかしくて、両手で壊れないように包み込みたくて、ある意味目を背けたくて、苦しくて……喜怒哀楽が乱暴に混ぜられたような、簡単に形容できない感情がこみ上げる場所。
なぜ、彼はここに連れてきた?
「なんで、ここに?」
「……お前さ、ここで俺に好きだって言ってくれたよね」
喉の奥が詰まる。
あのときのことは、今でも鮮明に思い出せる。
彼への想いを自覚してしまっても、親友のままでいなきゃいけないと足掻いていた。
最初はうまくいっていたのに、恋情というのは全然言うことを聞いてくれない厄介者で、制御を外れて暴走しそうになるのを何度か繰り返していた。
そのたびに、心がひどく、疲弊した。
「お前がすげえやつれてるから、仕事でなにかあったのかと思って無理やり吐かせたらまさかの俺が原因ってな。本当にびっくりしたっけ」
彼は逃がしてくれなかった。内心をうまく吐き出せない俺の性格を熟知した彼なりの優しさだとわかってはいたけれど、仇になる日が来るとは想像すらしていなかった。
今思えば、心のどこかで楽になりたいと願っていたのかもしれない。
『もう、もうほっといてくれ! これは俺の問題なんだ、お前は関係ないんだよ!』
『……それじゃ、俺はもう用済みか』
『っは、なに』
『俺はお前のこと一番の友達だと思ってたし、お前もそう思ってくれてるって思ってたけど、違うみたいだな。俺の自惚れだった』
『ち、ちが』
『違わないだろ。お前は俺になんでも力になるって言ってくれるけど、お前はそうやってひとりで抱え込もうとしてるし』
『……っ言えるわけないだろ! お前が好きなんて、言えるわけ……っ!』
まるで漫画みたいな話だけれど、本当にぽろっと表に出てしまった。
それでも、いわゆる「怪我の巧妙」みたいな話で、実は両思いだったことがわかって、そのときは素直に喜びに浮かれていた。
「気づいてるか? 今のお前、そんときと一緒の顔してるぞ」
半分、予想はしていた。
思わず苦笑が漏れる。
「笑ってるなよ。お前、また無駄なことひとりで考えてんだろ」
一歩、彼が距離を詰める。反射的に後ずさろうとして、腕を掴まれた。
「なんで避ける? 俺、お前になんかしたか?」
やっぱり、会おうとしていないことに気づいていた。
――あのときと同じ。彼自身はまったく関係ない。いや、ある意味関係していると言える。悪い意味ではない。
一番は、俺自身の弱さ。俺がもう少し強い人間だったら。
あるいは、嘘がうまかったら、自然に友達に戻れていたのかな。
「……まさかとは思うけど、馬鹿なこと考えてない?」
普段から細めな彼の瞳が、一層細まる。
「い、痛いって」
「お前変なとこでネガティブだからな。ある程度想像つくけど、一応言ってみ?」
痛い。痛いけれど、俺への想いを強く感じる視線。怒りだけでなく、こちらの身を本気で案じているのがわかる。
彼の想いはまったく揺るぎない。それなのに、俺は。
「……俺とじゃ、これから先、君を幸せなままにできないんじゃないかって」
続きの言葉は、彼の肩口に消えた。
「やっぱり馬鹿なことだった。なんだよそれ」
背中に回った腕に力が加わる。
「なんでお前が勝手に決めてんの。だいたい俺たち付き合ってまだ半年も経ってないじゃん。普通ならまだ幸せオーラばらまいてるときじゃないの?」
彼らしい軽口だったけれど、笑うより泣きそうになる。
「誰かになにか言われた? それともそういう情報かなんか見て勝手に不安になった?」
違う、違うよ。
本当は、付き合えるようになったその日から、芽吹く準備は始まっていたんだ。
途中で枯らすことだってもちろんできた。できなかったのは俺の弱さのせい。世間的にはまだ物珍しい目を向けられる関係を、この先続けていけるのかわからなくなってしまった。
「で、距離を置いてどうだったんだ? 俺は情緒不安定で散々で、お前がいなきゃやっぱ無理ってなったけど、お前は違うのか?」
違う、つもりだった。
でも、どう頑張っても、一度生まれた想いが完全に消えることはなかった。
幸せにできる保証なんてどこにもないのに。彼が傷つく姿をなによりも恐れているのに。
「俺……俺、ごめん。身勝手すぎるけど、でも、俺も君じゃないと無理だって、改めて思った、よ」
もっと強くならないといけない。こんな俺を好きになってくれた彼の隣に並ぶにふさわしい人間だと、自他ともに認められるようにならないといけない。
「自覚するの、遅すぎ」
明らかに、声音が変わった。そういえば意外と素直なんだと気づいたのは、付き合うようになってからだった。
「お前みたいなネガティブ人間、俺くらいしか腰据えて付き合えるのいないんだぞ。それ、自覚してくれる?」
ただ、頷く。
「この際だから言うけど、俺は告白される前からお前のこと好きだったし、そのうち告白しようと思ってたくらいなんだ。そこで断られても、時間かけて好きにさせるつもりだったんだぞ」
初耳だ。どのみち俺は彼と付き合う運命だった、ということなのか。
抱擁を解いた彼が、少しびっくりしたように目元を拭った。
「まったく、泣くぐらいなら最初からすんなよな」
「……ごめん。だって、俺、君がはじめての恋人だから」
「だったら突っ走る前に言えって。いいか、今度から隠し事禁止な」
もう頷くしかなかった。
今日初めて心からの笑顔を見せてくれた彼は、触れるだけのキスをくれた。
お題:忘れたくても忘れられない
※BL要素が少しだけありますので、苦手な方はご注意ください。
じゃあまた、と背中を向けた彼に、とっさに手を伸ばしてしまった。
「どうした?」
「あ、ご、ごめん。なんでもないんだ」
掴んだ腕を離すも、彼の視線は元に戻らない。余計な気を回させないために笑いながら手をひらひらする。
「えっと、なにか言いそびれたことあったっけな、って思って。勘違いだったわ」
なんという下手な言い訳だろう。なんというザマだろう。
友達だとずっと言い聞かせてきた。だから、なにがあっても大きく動揺はしないだろう、と思っていた。
実際はひどく動揺して、かたちだけの祝辞を言うだけで口の中がからからに乾いて声がかすれた。いの一番に結婚の報告をしてくれた彼の気持ちを無下にする感情で、埋め尽くされた。うっかり吐き出しそうで苦しかった。
「お前ってほんと嘘下手だよな。俺に気遣ってくれてるんだろ? 気にすんな、愚痴でもなんでも聞くから」
微妙にずれた理由を話しながら肩をぽんぽんと叩いてくれる。その気持ちはありがたいけれど、苦い。喉の奥から込み上がる何かを必死に押さえつける。
「そういうんじゃないって。えっと、オレの中でもうまくまとまってなくてちゃんと言えそうにないからさ。また改めて言うよ」
必死に視線を合わせて、ぎりぎり嘘じゃない理由を告げる。これで納得してくれるだろうか、でも友達想いな彼はきっと引き下がってくれない。
誰よりも、オレに寄り添って、正面から向き合ってくれる男だから。
——オレが一番彼に惹かれた部分が、今は、こんなにこわいなんて。
「そんなの今さら気にしてどうすんだよ。そんなに辛い顔してるのにほっとけるわけない!」
反射的に、彼を抱きしめていた。
荒々しい動作が、「友達」にするような仕草を演出してくれたはず。
「今は素直に、大事なお前の結婚を祝福させてほしい。改めて、本当におめでとう」
背中を強めに何度か叩いて、湧き上がる邪な喜びを散らそうとする。
——ごめん。結婚をとても喜んでいる友達を演じてしまって、素直に祝福できなくて、本当にごめん。でも、これで少しは気持ちが落ち着くはずだから。次会ったときは、笑顔をうまく作れているはずだから。
「……お前は、それでいいんだな?」
短いため息の後、背中を労るように撫でてくる。
そのぬくもりに、縋りたくなってしまう。みっともなく感情を全部吐き出したら望む未来をもしかしたら歩めるんじゃないかと、わずかな奇跡を信じたくなってしまう。
……だめだ。そんな勇気、出せるならとっくに出している。不安定な精神に寄りかかるのはだめだ。
「ありがとう」
「今度、絶対ちゃんと話せよ」
答えは、返さなかった。
お題:別れ際に
※BL要素が少しだけありますので、苦手な方はご注意ください。
飽きるほど頭上に降り注がれていた雨粒が、ふいになくなった。
「……風邪、引きますよ」
少し震えている声と下がった眉尻が気弱な印象を与えてくる男だった。こっちより年下だろうか。
「ビビるくらいなら声かけなきゃいいのに」
「む、無理ですよ。だってあなたがいるの、僕の部屋の窓から丸見えなんです」
彼が顔を向けた先はアパートの窓だった。座右の窓はカーテンがしまっているから空室なのかたまたまいないのか、とにかく彼にとっては悪いタイミングだったようだ。
「かれこれ一時間はここにいますよね。その、どうかしたんですか?」
どうかした、か。
もう自分でもどうすればいいのかわからなくなってしまった。
とにかく捨てられたくなくて、それだけあいつのことが好きでたまらなかったから、出ていくあいつの背中を必死で追いかけた。
あいつは一度も立ち止まってくれなかった。挙げ句の果てにはタクシーを呼んで、すぐさま視界から消えやがった。
でも、この足は止まらなかった。目的地なんて当然わからない。スマホの地図を見る余裕もなかった。
そして、とうとう止まってしまった。
――動けない。やっとできた同性の恋人に捨てられた現実を受け止めたくなくて、逃げ場所も見つからなくて、一歩を踏み出すのも怖くて、まるでバッテリーの切れたロボットのように全身が動かなくなった。
頭のどこかでは、残酷にも今の状況を繰り返し流している。全く、理性というのは時に一番の脅威だ。……大人しく聞けるならとっくにそうしている。
「時間が足りないんだな」
「え?」
「時間が、ほしいんだ」
赤の他人にこんな独り言を聞かせるなんて身勝手だ。
それでも、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。こんな大荷物、ひとりで抱えるのはつらすぎる。
「ええと……なにかにハマってるけど忙しくて、時間が足りないってことですか?」
改めて彼の顔を見ると、はっきりとした戸惑いが伝わってきた。確かに意味がわからなすぎるだろうが、だとしてもそんな答えが返ってくるなんて予想できない。たまらず吹き出してしまう。
「ちょ、ちょっと笑うなんてひどくないですか?」
「だって、意味わからないはずなのに律儀に返事してくれるからさ」
「そりゃそうですけど、あなたがあまりにも辛そうな顔してるからよっぽどの理由なんだなって」
「それでさっきの内容か」
「僕ならそうですから」
ちょっとでも、笑えるなんて思わなかった。彼にはいい迷惑だろうが、声をかけてくれたのがこの人でよかった。
「……いや、辛かったのは本当だから、少し、楽になったよ。ありがとう、君のおかげだ」
たぶん知り合いからはお人好し、なんて言われているに違いない。そのお人好しに自分はとても救われた。
「いい加減、大人しく帰るよ。あ、ごめん、カサ借りてもいいかな?」
「あ、いえ、別にもらってっても構わないですけど……その」
「そう? 最後まで世話かけてごめんな。ありがとう」
ビニール傘をありがたく受け取ろうとしたが、彼は不完全燃焼とでも言いたげにこちらを見つめている。まあ、こんな不審だらけの男相手だ、わからなくもない。
「帰る場所、あるんですか?」
声色は、柔らかかった。
なのに、大きな刃物で胸を一刺しされたような気分に陥る。
「あ、るよ。さすがにね」
あるわけがない。あいつの家を追い出された自分に、帰る場所など、ない。
そうだ、家を見つけなければ。あの街ではなく、もっと遠い、遠いところへ。
「……お困りなら、しばらく僕の家に泊まります?」
さすがに動揺を隠せなかった。
彼は少しだけ唇を持ち上げて、空いた手で頭を軽く掻きながら探り探り続ける。
「なんか、ほっとけなくて。ここで見送ったら、冗談抜きで死んじゃいそうだなって思ったんです」
もちろん自覚はなかったし、そのつもりもなかった。けれど、あくまで「つもり」だったのかもしれない。
今は、自分自身が一番信じられないから。
「お金さえきちんと払ってもらえれば、僕は構いませんから。必要以上に干渉もしませんし。どう、ですか?」
不自然にならないよう、ゆっくり視線を地面に向ける。
縋っても、いいのだろうか。ただ巻き込まれただけの彼に、一時的だとしても、利用するような真似をしてもいいのだろうか。
「君、呆れるほどお人好しだねって言われない?」
ぎりぎり、震える声を堪える。
「ほっといてください。言われますけど」
とっさについた憎まれ口にも、彼は優しかった。
お題:雨に佇む
「知ってる? 満月のキレイな夜に海辺に行くと、一晩だけ月の世界に行けるっていう話」
下校中、高校一年のときに知り合った近所に住むちょっと変わった女子は楽しそうにこちらを覗き込んできた。
「満月なのはね、月の光が一番強いから。ほら、海に伸びる光が橋みたいに見えるでしょ?」
ネットでそういう画像を見たことがあるかも、と記憶をたどりつつ、首を振る。
「……オレは聞いたことないけど。どっかにそういうおとぎ話でも載ってたの?」
「ううん、私が考えた話だからないよ」
ほら、やっぱり変わってる。まあ、そういうところが飽きないからわりと気に入っているんだけど。
「でも、本当にありそうじゃない? 結構ロマンチックだし、『普通じゃ絶対ありえない!』っていう話が多いじゃん」
「まあ、言われてみれば。じゃあ月に行けたらなにかおもてなししてもらえるのか? 浦島太郎みたいにさ」
オレは単純だから、普段体験できない非日常感をこれでもかと出すために、月に住んでいるといううさぎを出して「これはこれは何百年ぶりのお客様!」なんて日本語を喋りながらめちゃくちゃ歓迎ムードで迎えてくれる、なんて展開から始めるだろう。
「私は……『地上界がいやで、逃げてきたのね? 人がそう強く願うとき、あの月の橋は現れるのです』なんてちょっとこわーい感じにするかな」
彼女は笑っていたが、どこか違和感を覚えた。
「怖いって、逃げた先が怖いのか? 月に行けるってロマンチックだとか言っといて」
「月に行くこと自体はそうでしょ? そうしたい理由が意外とリアルだってだけ。ほら、グリム童話も本当は怖い! ってあるし」
確かに聞いたことはあるが、微妙に展開が噛み合っていないような……いや、でもよく知っているストーリーのシンデレラだって前半は継母たちに虐げられていたし、そういうものなのかも。
「それだと一晩じゃ足りなそうだけどな。特例で好きなだけいていいですよ、なんて設定はあるのか?」
「あ、そっか。突発で考えたからやっぱ穴あるなぁ。私の設定ならずっとがいいね」
自分が主人公なら、そのほうがありがたい。
「逃げたくなるくらいだから、よっぽどの理由が主人公にはあったんだな」
「うん、そうだね」
「なんだろう、よっぽど誰かにいじめられてたとか、人間関係がうまくいかなすぎてたとか? それか生活が苦しすぎてとか」
ありきたりのもの、それも現実的すぎてつまらない内容ばかりだ。
「そうね……」
言葉を切った彼女の横顔は、今まで見たことのない表情だった。泣きそうにも見えるが、正しいとも言い切れない。少しでも目を離したらいなくなってしまいそうな、不明瞭な不安がただこみ上げる。さっきの違和感がよみがえった。
「たぶん、主人公にしかわからない理由だったんじゃないかな。周りに理解されなかったか、頼れる人すらいなかったか。他の人からしたら『もっと早く言ってくれれば!』って言われるものだったのかもしれないけど、もう、そういうレベルじゃなかったのよ」
「……なんか、リアルだな」
思わずそう呟いた瞬間、明らかに彼女の顔がくもった。
本当に一瞬だったけれど、見逃せるような変化じゃない。
「お前」
「ごめんごめん、変に考え過ぎちゃったね。さ、早く帰ろ。お腹すいた〜」
こっちが気づいていなかっただけで、「主人公」は彼女のことなのかもしれない。
だけどどう聞き出せばいいのか?
今わかるのは、一筋縄でいかないことだけだった。
お題:夜の海