「は〜、ベッドふかふかで幸せ〜。ここが天国かな……」
「……吐かないでくださいよ先輩。それ、俺のベッドなんだから」
だいじょぶよぉ、なんて間の抜けた返事が返ってきて、こちらまで脱力した。
時の流れの力は偉大だ。彼氏に振られた直後は目に見えるほど落ち込んでいた先輩も、数週間も経つとずいぶん元気を取り戻したようだった。
そしてなぜか、相変わらず飲みに付き合わされ続ける俺。突き放した態度を取ったはずなのに。
「……ここ、一応男の部屋ですからね。わかってます?」
「……へーきだよ……だってきみは、わたしがいやがること、しないもんねぇ」
先輩はそう言うと、それが限界だったのか、すぅすぅと寝息を立てはじめた。
「……『嫌がること』、か」
本当にこの先輩は、図々しくて、無神経で。憎らしくてたまらない。
裏切ってやろうと思った。この先輩が勝手に『信頼』だと思い込んでいる何かを。
俺は、ベッドに無防備に寝転んでいる先輩に近づいた。そして。
先輩の頬に、そっと口づけた。
……今晩の俺には、それが限界だった。
『Kiss』
ネクタイ締めた大の男が、公園のブランコひとつ占領して夕飯を食う。
こんな迷惑行為を毎夕続けていたら、そのうち俺は、遠巻きにひそひそ『ブランコの妖精』なんて呼ばれていた。
「何とでも言いやがれ」
今日もブランコを軋ませながら、おにぎり片手に、背中丸めて携帯の画面に集中する。
すっかり日も暮れて、いつもなら公園に誰もいなくなる頃。
ふいに気配を感じて顔を上げると、俺の目の前に、よれよれの服を着たガキがひとり立っていた。
「うわ、びっくりした。何だお前」
「なあ、おっさん」
「おっさんじゃねぇ、まだ20代だ」
「やっぱりおっさんじゃん。おっさん『ブランコの妖精』なんだろ? おれに立ち漕ぎ教えてよ」
「いやいや、もう夜遅いから家に帰れよ。お母さんが待ってるだろ」
「かーちゃんならさっきまた仕事行った。なあ、教えてくれよ」
「……」
気まぐれだった。
運動神経にはそこそこ自信があるから、ガキにそれを自慢したかったというのもある。
その日から、こいつは毎晩遊びに来た。立ち漕ぎができるようになっても、何かと理由をつけてここに来続けた。
◇
ある日のことだった。
「なあおっさん、おれ、じいちゃんちに引っ越すことになった」
「……そうか」
「かーちゃん、もうかけもち? しなくていいんだって」
「そりゃよかったな。元気でやれよ」
それから別れ際、俺はこう付け加えた。
「俺みたいに、迷惑な大人にはなるなよ」
ガキは、にかっと笑った。
「やだね、おれもいつか『ブランコの妖精』になるんだ」
『ブランコ』
長い長い旅路の果てに、魔王城に辿り着いた。
「よく来たな、『勇者』」
書斎のような部屋の中で、豪奢な椅子に座っていたのは人間の男だった。
「……久しぶりだな、『魔王』」
世界中から『魔王』と呼ばれるその男は、俺のかつての友人だった。
深い悲しみに打ちひしがれて、男は『魔王』に成り果てた。
それをただ見ていただけの俺は、あのとき止められなかったくせに、今や『勇者』なんて担がれてこの場所に立っている。
「お前が来るのを、待っていたよ」
そう言って『魔王』は、そっと剣を差し出した。
「もう疲れたんだ」
「……」
『勇者』は静かに、『魔王』を討ち果たした。
◇
魔王城を出ると、空を分厚く覆っていた黒雲が晴れていくところだった。
こんなところでも花は咲くらしい。
ふと見ると、故郷に咲いていたものと同じ花が、静かに風に揺れていた。
『旅路の果てに』
オフィスビルの広いエントランス。ソファが想像よりふかふかで、気持ちがよかった。
天井が高いなー、なんて考えながらぼんやり待っていると、向こうのエレベーターから降りてくる父の姿が見えた。
「はい、お弁当。もう忘れないでよ」
父に、母お手製のお弁当が入った袋を手渡す。これでわたしの仕事は終わり。
「おう、悪かったなぁ。……というかお前、今日学校は?」
「休んだよ。お父さんにお弁当届けたくって」
もちろん、嘘だ。
今朝は、どうしてもだめだった。
学校に行こうとすると、胃がぎりぎりと痛んで吐き気がした。
原因はよくわかっている。だけど、家族には絶対相談したくない。
父は一瞬何か言おうとしたように見えた。
けれども、その言葉は飲み込んだのか、いきなりわたしの髪をくしゃっと撫でた。
「そうか。お前が届けてくれるなら、またお弁当忘れようかな」
「……やめてよ、めんどくさい」
その手は鬱陶しくて、とてもあたたかかった。
『あなたに届けたい』
(今回はお題と関係ありません)
あんなに暖かい物語を描く人が。
誰かの心をそっと照らす人が。
曲がった背筋をしゃんと伸ばしてくれる人が。
どうして、そんな痛ましい最期を迎えなくてはいけなかったのですか。
◇
人は、いつ誰が死んでしまうかも、いつ誰が死にたくなるかも、わからないものだと思います。
「あのひとがどれだけの苦しみを抱えているか」なんてことは、想像することはできても、すべてを理解することなんてできないでしょう。
だからわたしは、人の「死にたい」という気持ち自体を、どうしても否定できないのです。
だけど、それでも、どうかせめて今日をやり過ごしてほしいと思います。
「明日はいい日になる」なんて言いません。きっと明日も曇り空です。残酷で無責任なことを言っているのは重々承知しています。
でも、死にたい気持ちはずっと消えないとしても、蜘蛛の糸みたいに細いよすがが見つかるかもしれない。明日は今日より、ちょっとだけ体調がいいかもしれない。
どうか、ひとりでも多く今日一日を生き延びてほしいと思います。
今日考えたことでした。
うまくまとめられなかったので、またいつか似たようなことを書くかもしれません。