『鋭い眼差し』
思い浮かんだのは、鷹の顔。
上空から獲物を狙う、鋭い眼差し。
つまらないことでも。
ひとつひとつが、わたしを構成する欠片だ。
だから丁寧に拾っていこう。
つまらないことでも
大切なのは「継続して書くこと」なのだそうだ。
つまらないことしか書けないけど、それでも何かを書き続けていこうと思う。
初めは少しずつしか書けなくても、書き続けていけば「書く体力」みたいなものがついていることにふと気がつくこともあるかもしれない。
あるといいな。
つまらないことでも 2
「友情」というテーマを読んで。
自らの「友だちがいなかった暗黒時代」を鮮明に思い出し、とても悲しい気持ちになった。
だけど。
社会不適合者である私が思うに。
「友だちがいないこと」なんて、全然!全く!問題ではない。と思う。
それよりもずっとずっと問題なのは、「『友だちがいないこと』を気にしながら生きていくこと」の方だと思っている。
孤独を恥じる気持ちばかりで頭の中をいっぱいにしていれば、大事なことが何も手につかなくなるし、背中が曲がってうまく息が吸えなくて、どんどん「自分なんか」と縮こまってしまう。
そんな苦しい状態にいれば、たとえ関わりを持とうとしてくれる人が現れたって、自分らしく接することが難しくなってしまうから。
……ああ、伝えたいことを上手に文章で表現できない。また似たようなことをそのうち書くかもしれない。学生さんはこんな散文を間に受けちゃだめですよ。
……テーマからずれている気がする。
「友情」。
それは、なくてはならないものじゃなくって、振り返ると「あああれは友情だったかもしれないなあ」なんてしみじみ思えるような、そんなゆるーいものでいいんじゃないかしら。と、私は思います。
社会不適合者のたわごとでした。
友情
うちのベランダには「金のなる木」なんて名前の植物の鉢植えがある。
多肉植物で、葉っぱが丸っこくて厚みがあり、まるで小銭のように見える。だから「金のなる木」というのだろうと長年思っていた。
けれどこの機会に名前の由来を調べてみたら、栽培業者がこの植物を売り出すとき、新芽に五円玉の穴を通して成長させて、まるで木に小銭が実ったかのような状態にして販売をしたのだそうだ。
販売のための創意工夫、面白い。
さて、我が家の「金のなる木」、ときどき、というか何年かに一度、花を咲かせる。
ぎらぎらとした名前には似つかわしくない、白くて小さなかわいらしい花だ。それらがいくつも集まって咲く。
花が咲くとうちの両親などはたいへん喜んだものだ。実は、今日調べた情報によると、花が咲くのは縁起が良くないとのこと。
だけど、縁起なんか関係なく、自分が育てている植物に花が咲いたらさ、やっぱりうれしいよね、なんて思うのだ。
花咲いて
もしもタイムマシンがあったなら。
過去に戻ってやり直したい場面がたくさんある。そりゃあもうたくさん。
だけど、「タイムマシンで過去に行く」っていうのはどんな状態になるんだろう。
戻った過去にも自分が存在するのでは?
戻って過去が変えられたとしたら、今の時点まで戻ってきた私はタイムマシンを使うだろうか?
あっ、これがタイムパラドックスとかいうやつか。
色々考えていたら、頭の中がこんがらがってきた。
暑くて脳が働かんので、涼しくしてゆっくり寝ることにしましょう。
もしもタイムマシンがあったなら