あの夢のつづきを
中学1年生の一学期に、ふと学校に行きたくないな、と思った。
何故かなんて分からない。
なんとなく人と話したくなくて、教壇近くの一番前の席に座るのが嫌になった、ただそれだけだった。
初めて休んだ日、次の日学校に行く、と言う夢を見た。みんな私を少しは心配してくれていて、少し嬉しかったのを覚えている。
その日は朝読の本を隣の子に貸してもらったり、日に焼けたくなくて体育を仮病で休んだり、それを友達と笑い合ったりする、そんなリアリティのある夢だった。
しかし、現実はその夢の通りには行かず、次の日も、その次の日も私は学校を休んだ。
多分、その日から私の日常が歪み始めたんだと思う。
みんなが学校に行ってる間は見ては行けない、と制限をかけられたスマホ。
机の上に積み上がっていくプリントの山。
度々聞こえるチャイムの音。
ぴかぴかのままの教科書とノート。
テストがあるから、運動会だから、と言ってどうにか私に学校に行かせようとする教師の声。
歪んだそれが気持ち悪くて、でも学校に行くのよりはマシだな、そう思いながら、このままでいいのか、そんな将来への不安を無視しながら日常を過ごす。
8時になるまで布団にこもって、8時をすぎると「8時を過ぎたから学校行けない、仕方ない」と自分に聞かせるための独り言を呟いて、布団から出る。
すっかり冷えた朝食を胃に押し込んで、チャイムに怯えながら家の中に閉じ籠る。
帰ってきた生徒たちの話し声が聞こえないようにイヤホンでうるさい曲を流し続けながら、布団の中で丸くなる。
夜は嫌なことを考えてしまうので、そんな興味のない番組を見ながら自然に眠くなるのを待って、寝落ちする。
リモコンを握った手、目からこぼれ落ちた涙で湿った唇、夕食が入らなかった空っぽの胃、びしょびしょのままの髪の毛。
そんな状態で、もうあんな幸せな夢は見れなかった。
哀愁を誘う
古い、ぼろぼろになったドイツ語の参考書、単語帳や電子辞書、元は明るい緑だったであろう色褪せてしまった化学の参考書。
そんな祖父の趣味に染まった、勉強机のすぐ横にある狭い本棚にあるその二冊の本は異彩を放っていた。
『最新! よく分かる遺産相続と手続きの仕方』
『葬式の最低資金から作法まで分かる!はじめての葬式ガイドブック』
集中できるように、祖父がと部屋を貸してくれたのにも関わらず、勉強に飽きて祖父の部屋をぼーっと眺めていた時にそれを見つけてしまった。
周りの本たちとは明らかに新しい色をしたそれは酷く哀愁を誘って、周りの本よりもパステルな色をしているのに重苦しい雰囲気を纏っていた。
まだ全然元気でしょうに、と隣の棚に飾ってある四年前に出かけた沖縄の海で泳ぐ祖父と祖母に目を映す。
その本たちに手を伸ばそうとした時、祖父が「ご飯だって」とドアをノックした。
私は「片付けてから行く」と返事をして、本に伸ばしていた手を引っ込めた。
「大丈夫?」
放課後、誰も居なくなった黄昏時の教室で今にも居なくなってしまそうな、そんな表情の彼女に声をかける。
夕焼けで赤く染まった教室にいる彼女の目が赤くなっているのはきっと、夕焼けのせいではないんだろう。
何でそんな顔をしているのかも分からないし、何でそんなになるまで親友である私に何も言わなかったのかも分からない。
少し怒りを感じていると、彼女は消えてしまいそうな弱々しい笑顔で「大丈夫。」と彼女の綺麗な声で返事した。
でもその声は前聞いた時よりもずっと、小さかった気がする。
大丈夫だよって言う割には全然大丈夫では無さそうで明日学校で会えるのかも分からなくて、彼女の白い肌が透けて見えて、不安だった。
サラサラのロングヘアーの、黒曜石みたいな瞳の、肌の白い、綺麗な子。
今はそれが幽霊みたいに見えて、心の底を冷たい不快感が襲う。
本能的にこの子は放っておけば死んでしまうって事を悟り、つっかえる喉を必死に動かして、言葉を紡ぐ。
「…あのね、ホントに大丈夫な人は「大丈夫?」って聞かれても「大丈夫」なんて答えないんだよ。大丈夫な人はね、「何が?」って答えるんだ。だって、何が「大丈夫?」なのかが分からないから」
「それで、本当に大丈夫じゃない人は「大丈夫」って答えるんだ。だって、自分が大丈夫じゃないって事を分かってるから。」
彼女の顔は彼女の綺麗な黒髪に妨げられてよく見えない。
でも何となく、どんな表情をしているかわかる気がした。
「…ねぇ、もう一回聞くよ?」
「大丈夫?」
「…大丈夫だよ」
「……分かった。ハンカチ貸してあげるから、まずはいっぱい泣きな」
不器用な彼女が出したSOSを理解しないほど、私は彼女の友達を長くやってない。
声を押し殺して、唸るように泣きじゃくる彼女を黄昏時の中、夕焼けに照らされたカーテンに見守られながらずっと、抱きしめていた。
空が泣く
「うわ、泣き顔キモ……」
誰が言ったかもわからない、そんな悪口。
ザワザワと少し騒がしい教室からそんな声が聞こえた気がした。
3時間目のことだった。
道徳のグループワークで私以外の2人の仲が悪かったらしく、口喧嘩が勃発し、後5分で課題提出なのに全く課題が終わっていなかった。
その時、私はその2人の喧嘩を止めながら、本来3人でやる課題を1人でやっていたと言う疲労もあったのか、流れ弾で飛んできた「このクソブス女がよ!!」って言う私のために特化した言葉が思ったより深く、心を抉ったらしい。
私、あなた達の喧嘩止めながら、ふざけてくるあなたのこともちゃんとフォローして先生に怒られない程度にしてあげて、課題も真面目にやって、喧嘩止める時もできるだけ優しい言葉をかけてあげたはずだよね?
そんな気持ちがお腹の奥底をぐるぐると回る感覚がして、座っていた椅子がヘドロで出来ているのかと思うくらいとても気持ち悪い感覚だったのをよく覚えている。
学校特有の寒いぐらいのクーラーが風向きを変える、春の春雷にも似た音、笑い声の混じったグループワーク中の教室から聞こえてくる喋り声、音楽室から聞こえてくる生徒達の歌声。
その全部が脳に直接響くみたいで不快で、痛くて、眩暈がするほどに輝いて聞こえた。
気持ち悪い、気持ち悪い、辛い、辛い、気持ち悪い。
よくわからない不快感が私のお腹を、胸の辺りをぐるぐる廻って、気がついた時には喉が痛く、熱くなってた。
この熱は知ってる。
泣くのを我慢する時に出る、不快な熱。
息をするのを止めて、いきなり吸い込んだ時みたいに喉が渇くこの熱は毎晩感じているから、止めるのも大丈夫。
すぐ止めれる。
いつも通り、お調子者のいじられキャラに戻れる。
そう思っていたのに、その熱と痛みはどんどん増すばかりで、喉に溜めきれなくなったそれは涙として目から溢れ出てきた。
幸い、私は髪が長い方だったから顔はギリギリ、本当にギリギリ隠せる。
でも声は抑えきれなくてゴホゴホって席で漏れ出る声を抑えてると、なんだか呼吸が早くなっていくような気がして咳を止めた。
するとヒューヒューってマラソンを走った後みたいな声を私の喉が発していた。
それには喧嘩していた2人も気づいて、やがて他クラスの先生もやってくる騒ぎになって、クラス中の視線が私に集まっていく。
ビニール袋を持たされて呼吸を整える、多分その時の私の顔は鼻水とか、涙とか、涎とかでグチャグチャだったんだろう。
「うわ、泣き顔キモ……」
だから、無意識でポロッと口から出ちゃった、みたいな声音をしたその言葉を言われても仕方ないんだ。
とにかく人を見たくなくて、この顔を人に見られたくなくて、窓の方を向いて必死に涙を抑えてた。
「雨雲キモ……」
怒りをぶつけるように、このどうしようもない不快感をどんよりと重く、誰にでも嫌われるような空に八つ当たりする。
息の苦しさは変わらないけど心の奥の方で何かが緩んだ気がして、なんだか虚しくてやるせなかった。
その時見た空は一生、忘れられないと思う。
いつまでも捨てれないもの
駅から徒歩5分着く海岸沿いの花火大会の出店で貴方が買ってくれた、翡翠が嵌め込まれたペンダント
『翡翠は皮脂がつくと色が明るくなるんだって。だから俺との思い出を詰めていく、みたいでなんかロマンチックだろ?』
そういっていた貴方
どんな時も付けていたから、もうすっかり色が変わってしまったそれは私と貴方が過ごした日々を表しているようで、それを捨てると思い出まで消えて無くなってしまうような気がしてダメだった
貴方との思い出を捨てられなかった