どこへ行こう
ルームシェアをしていた同居人が死んだ。
居眠り運転のトラックが突っ込んできて、即死だったそうだ。
同居人は裕福な家庭に生まれた一人娘だったようで、葬儀は大きく執り行われた。
同居人の葬儀では、彼女が随分と慕われていた証拠にハンカチをびしょびしょに濡らすくらい泣いている人が多くいた。
相変わらず人望の熱い奴だ。
そう思いに耽りながら引っ越し用の段ボールをガムテープで封じる。
ルームシェアをしていたこの家は大学生2人が住むにしては豪勢で、そこに住むという行為は同居人が半額以上家賃を出してくれていたこそ成り立っていたものだった。
だから、金欠な大学生の私にその家賃を払えるはずもなく、私にはその家から出て行くという選択肢しかなった。
この家から私の通う大学へは少し遠いと思っていたところだし、これを機に大学近くのアパートに引っ越すか。
でも、同居人がお気に入りのバーもあるし、大学生の味方の安いファミレスもある。
いきつけの居酒屋も……、
……ああ、うざったいな。
そこもかしこも君との思い出で溢れているのに君だけがいない。
どうしよう、もう私はここには住めない。
もう、どこにも住めない。
私は、次から誰のもとに帰ったら良いんだろう。
家に帰ったらやけに美味しいカレーを作って待っている君はもういないんだろ。
ファミレスでドリンクバーを飲みながらレポートを手伝ってくれる君も。
私の生活に溢れていた君がいない、そうわかった瞬間目の前がぼやけた。
そっか、もうあくび混じりのおはようも、疲れた果てたただいまも、活気に満ちたいってきますも聞けないのか。
もう、何も、聞けないのか。
瞳から溢れた雫が、静かに私の頬を濡らした。
星明かり
だんだんと空の端が暗くなって、とっぷりと街が夜に沈む。
今日は新月なようで、ベランダに出ても月は見えずに、光り方も大きさも様々な星々が光っているだけだった。
春になって暖かくなってきたといっても、まだ夜になると肌寒さが残る初春の季節の風に少し、身を震わせる。
星がよく見えるから。
そう言って少し市街地から離れたこの場所を二人の家にしよう、そう言ったあなた。
この家に引っ越して、初めて見たここから見える景色は息を呑むほど美しかった。
街頭にも邪魔されずに各々自分たちの光を主張する星たち。
都会と田舎では比べ物にならないほど星の光り方が違う、そう聞いたことはあったけどこれほどとは思わなかった。
何より、星が好きなあなたが自慢するように、少し照れくさそうに星々の説明をしてくれるのが嬉しかった。
光り輝く星に負けないような笑顔で、私の名前を呼んでくれたのが嬉しかった。
あんなにも綺麗で儚くて美しかった星々が、あなたがいないとこんなにも色浅く見えるのか。
あの北斗七星は、あんなに小さくなかった。
もっと光っていて、大きくって綺麗だった。
春の夜空を我が物顔で独占するような一等星だったのに。
今はこんなにモノクロに、使い古した雑巾みたいに見える。
もっとこの夜空をあなたと見たかったよ。
まだ、春の星たちを5回しか見てないでしょ。
ああ、またあなたの星を語る声を聞きたいな。
もう、忘れてしまいそうなその声を。
春爛漫
とある休日の昼下がり。
あなたは庭の花壇に咲き誇るラベンダーたちにジョウロで水をやっていた。
ラベンダーはわたしが一番好きな花。あなたと一緒の家に住むことになった時に前の家から持ってきたものだ。
開いた窓からふんわりとレースカーテンを巻き上げて、ラベンダーのいい匂いが入り込む。
巻き上がったカーテンに透けるあなたがあまりにも綺麗で、少しの間時が止まったように感じる。
わたしがあなたを見つめていると、あなたはそれに気づいて少し微笑む。
あなたの足元にあるラベンダーに負けないような美しい笑顔で。
幸せだ、そう思う。
あなたが笑っていて、生きていてくれるだけで心から幸せだと思える。
あなたにはずっと笑顔でいて欲しい。わたしのために怒ったり悲しんだりしてくれるのも嬉しいけど。
あなたには笑顔が一番似合うから。
どんなに辛くたってあなたの笑顔を見ればなんだってできる気がするんだ。
その笑顔はわたしが、あなたを幸せにできているって証拠だから。
だから、わたしの最期にはあなたの涙が見たい。
わたしがいなくなってしまう事に涙を流すあなたの顔が見たい。
わたしが居なくなることで涙を流すあなたは、わたしが今まであなたを幸せにできていたっていう証拠だから。
そして私が居なくなった後、街中でラベンダーを見るたびに、春になって花が咲くたびにわたしを思い出して泣いて仕舞えばいい。
そういうのも、愛だから。
花に囲まれるあなたを眺めながら1人夢想する。
わたしの夢。
あなたが笑顔いてくれる事。
あなたがわたしを思ってくれる事。
それを叶えるためならなんだって出来る。
でも一つわがままを言うならば、
夢が叶ったその時の世界に、わたしたち以外、誰も居なければいいのに。
漫画の主人公のようだった元クラスメイトの訃報を聞いた。自殺だったらしい。
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彼を初めに主人公みたいだなと思ったのは中学の道徳の授業でだった。
確か、「2人の苦しみに喘いでいる人のどちらか一人だけを救える。どちらを救うか」そんな問題だったと思う。
プリントの選択肢は
△△さん or ◯◯くん
だったのにも関わらず彼は全体を大きく囲んで、
「俺はどっちも救う」
そう言い切ったのだ。
当時は厨二病拗らせたのかな、今って人の前でカッコつけたい時期だもんな、とか冷めた感想しか出なかった。
先生は道徳に正解はないですからね、正義感あふれる良い意見だと思います、というようなことを言っていた。私は何かが心に引っかかって、ずっとずっとその時の事を覚えていた。
それから何ヶ月か経って、あるアニメを見ていた時にその主人公を彼みたいだな、と思った。
誰も見捨てることができない、優しくて明るいクラスの中心にいるような彼と、その主人公の姿が妙に重なった。
一度重なってしまうともうそれにしか見えなくなってしまって、それから私はずっと彼のことを陰で「主人公」と呼んでいた。
彼が主人公なら私は通りすがりの村人Bぐらいの人間なのだろうなと考えていた。
彼はその正義感から医者になったと聞いた。
彼らしいな、と思う。医者=救うというイメージがあるから、ここでも主人公らしい事をするのか、そう思った。
それから少したったある日、中学時代のクラスメイトが結婚したと聞いてそこに参加した。会場には彼の姿もあり、同じ班だったと言うこともあり、少し良さげな仲だったので話しかけてみることにした。
学生時代よりいくらか背が伸びた彼は結婚したクラスメイトを祝福するような柔らかい笑みとは裏腹に仕事が行き詰まっているのか、少し濁った目をしていた。
それから数年後、彼の訃報を聞いた。
あの時結婚した友人からだ。腕に小さな赤ん坊を抱えながら。
小さな赤ん坊はきゃらきゃらと健康的に笑っているのに、友人の口からは亡くなってしまった主人公の話。
葬儀は、コロナ禍ということもあり家族だけの参加だったからしい。
死因は自殺。どうして、と思ったがストンと腑に落ちた。あの時の彼の濁った目。
彼は人を救おうと必死だったんだ。
このコロナ禍で救えない命は数え切れないほどあっただろう。
彼は責任感が強いから。主人公みたいに正義感に溢れているから。
きっと自分を追い詰めてしまったのだろう。
彼は優しいから、人が傷つく事を何より嫌うような人で。彼の手からこぼれ落ちた命全てをずっと引きずってしまうような。
そんな人だったから。
そう思うと彼に医者という職業は向いてなかったんだろう。彼のことを思うと胸が痛んだ。
私は主人公にはなれないけれど
主人公を励ます村人Bの役くらいはなれたのではないか。
そんな事を思っても結果は変わらない。
主人公は居なくなってしまったのだから。
でも、彼が教えてくれたものは沢山あった。
私はそれを大切に生きていく。
それが彼が私に残してくれた彼の遺品だから。
おやすみ主人公。
どうか安らかに。
村人Bより
誰も知らない秘密
私は望月くんのことを何も知らないけど、望月くんの唇の感触なら知っている。
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休み時間にはいつも図書室に行って、クラスメイトともあまり話さない、そんな無愛想な望月くんだけど、顔立ちが整っていたから女子からは結構ミステリアスなクール男子だとかで、人気だった。
そして私も望月くんを好いている女子の一人だった。
図書委員になって初顔合わせの時に、初めて望月くんと話した。
一目惚れ、ってやつだと思う。
少し長めのサラサラな黒髪も、雪を溶かした様な肌も、長いまつ毛で縁取られた切れ長の目も、全部好きになってしまった。
性格はよく知らないけど、言葉遣いが綺麗で、本を丁寧に扱っているのを見る限り、優しい人なんだろうなぁ、と思う。
でも告白するなんてもってのほかで、勇気を出してもせいぜい挨拶するくらいで、話しかけることなんてできない。
話しかけようとしては諦めて、そうやってグダグダしているうちに二年生になり、委員会が変わってしまって、もう望月くんを見かける機会すら無くなってしまっていた。
そんな時、駅のホームの椅子で寝落ちしている望月くんを見つけてしまったのだ。
電車の前方の車両に行こうとして、ホームを歩いていた時のことだった。
初夏の明るい光が望月くんの艶やかな黒髪と肌を照らしいて、それが綺麗すぎてほんの一瞬だけ、蝉の声が聞こえなくなる。
普通なら、「起きて、電車来てるよ」って言うだけ。
でも、その時を逃したら望月くんと何も起こらない気がして。
ごくん、と唾を飲み込んで望月くんの肩にそっと手を置いて、息を整える。
顔をだんだんと望月くんの方へと近づける。
背負っている鞄の紐が、望月くんのお腹に当たって、膝には私の履いている膝丈のスカートが少し当たっていた。
蝉の声がだんだん聞こえなくなっていく。
陽の光がだんだん強くなっていく。
ふに、と少し柔らかい感触が唇に伝わる時、目の前には望月くんの長いまつ毛があった。
漫画みたいにちゅ、とかリップ音は鳴らないんだな、なんて場違いなことを考えていると苦しかったのか望月くんの眉根に皺が寄せられた。
慌てて望月くんの肩から手を離して、望月くんが座っていた所から一番遠い車両へと駆け込むと、誰もいない車両の床にペタリ、と座り込む。
荒い息がやけに車内に響いて、心臓の音と蝉の音が混ざり合う。
ふに、と唇に手を当てがうとそこが自分のものではなくなった気がして、嬉しかったのを覚えている。
初めてのキスは罪悪感と図書室の匂いを纏っていた。