漫画の主人公のようだった元クラスメイトの訃報を聞いた。自殺だったらしい。
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彼を初めに主人公みたいだなと思ったのは中学の道徳の授業でだった。
確か、「2人の苦しみに喘いでいる人のどちらか一人だけを救える。どちらを救うか」そんな問題だったと思う。
プリントの選択肢は
△△さん or ◯◯くん
だったのにも関わらず彼は全体を大きく囲んで、
「俺はどっちも救う」
そう言い切ったのだ。
当時は厨二病拗らせたのかな、今って人の前でカッコつけたい時期だもんな、とか冷めた感想しか出なかった。
先生は道徳に正解はないですからね、正義感あふれる良い意見だと思います、というようなことを言っていた。私は何かが心に引っかかって、ずっとずっとその時の事を覚えていた。
それから何ヶ月か経って、あるアニメを見ていた時にその主人公を彼みたいだな、と思った。
誰も見捨てることができない、優しくて明るいクラスの中心にいるような彼と、その主人公の姿が妙に重なった。
一度重なってしまうともうそれにしか見えなくなってしまって、それから私はずっと彼のことを陰で「主人公」と呼んでいた。
彼が主人公なら私は通りすがりの村人Bぐらいの人間なのだろうなと考えていた。
彼はその正義感から医者になったと聞いた。
彼らしいな、と思う。医者=救うというイメージがあるから、ここでも主人公らしい事をするのか、そう思った。
それから少したったある日、中学時代のクラスメイトが結婚したと聞いてそこに参加した。会場には彼の姿もあり、同じ班だったと言うこともあり、少し良さげな仲だったので話しかけてみることにした。
学生時代よりいくらか背が伸びた彼は結婚したクラスメイトを祝福するような柔らかい笑みとは裏腹に仕事が行き詰まっているのか、少し濁った目をしていた。
それから数年後、彼の訃報を聞いた。
あの時結婚した友人からだ。腕に小さな赤ん坊を抱えながら。
小さな赤ん坊はきゃらきゃらと健康的に笑っているのに、友人の口からは亡くなってしまった主人公の話。
葬儀は、コロナ禍ということもあり家族だけの参加だったからしい。
死因は自殺。どうして、と思ったがストンと腑に落ちた。あの時の彼の濁った目。
彼は人を救おうと必死だったんだ。
このコロナ禍で救えない命は数え切れないほどあっただろう。
彼は責任感が強いから。主人公みたいに正義感に溢れているから。
きっと自分を追い詰めてしまったのだろう。
彼は優しいから、人が傷つく事を何より嫌うような人で。彼の手からこぼれ落ちた命全てをずっと引きずってしまうような。
そんな人だったから。
そう思うと彼に医者という職業は向いてなかったんだろう。彼のことを思うと胸が痛んだ。
私は主人公にはなれないけれど
主人公を励ます村人Bの役くらいはなれたのではないか。
そんな事を思っても結果は変わらない。
主人公は居なくなってしまったのだから。
でも、彼が教えてくれたものは沢山あった。
私はそれを大切に生きていく。
それが彼が私に残してくれた彼の遺品だから。
おやすみ主人公。
どうか安らかに。
村人Bより
誰も知らない秘密
私は望月くんのことを何も知らないけど、望月くんの唇の感触なら知っている。
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休み時間にはいつも図書室に行って、クラスメイトともあまり話さない、そんな無愛想な望月くんだけど、顔立ちが整っていたから女子からは結構ミステリアスなクール男子だとかで、人気だった。
そして私も望月くんを好いている女子の一人だった。
図書委員になって初顔合わせの時に、初めて望月くんと話した。
一目惚れ、ってやつだと思う。
少し長めのサラサラな黒髪も、雪を溶かした様な肌も、長いまつ毛で縁取られた切れ長の目も、全部好きになってしまった。
性格はよく知らないけど、言葉遣いが綺麗で、本を丁寧に扱っているのを見る限り、優しい人なんだろうなぁ、と思う。
でも告白するなんてもってのほかで、勇気を出してもせいぜい挨拶するくらいで、話しかけることなんてできない。
話しかけようとしては諦めて、そうやってグダグダしているうちに二年生になり、委員会が変わってしまって、もう望月くんを見かける機会すら無くなってしまっていた。
そんな時、駅のホームの椅子で寝落ちしている望月くんを見つけてしまったのだ。
電車の前方の車両に行こうとして、ホームを歩いていた時のことだった。
初夏の明るい光が望月くんの艶やかな黒髪と肌を照らしいて、それが綺麗すぎてほんの一瞬だけ、蝉の声が聞こえなくなる。
普通なら、「起きて、電車来てるよ」って言うだけ。
でも、その時を逃したら望月くんと何も起こらない気がして。
ごくん、と唾を飲み込んで望月くんの肩にそっと手を置いて、息を整える。
顔をだんだんと望月くんの方へと近づける。
背負っている鞄の紐が、望月くんのお腹に当たって、膝には私の履いている膝丈のスカートが少し当たっていた。
蝉の声がだんだん聞こえなくなっていく。
陽の光がだんだん強くなっていく。
ふに、と少し柔らかい感触が唇に伝わる時、目の前には望月くんの長いまつ毛があった。
漫画みたいにちゅ、とかリップ音は鳴らないんだな、なんて場違いなことを考えていると苦しかったのか望月くんの眉根に皺が寄せられた。
慌てて望月くんの肩から手を離して、望月くんが座っていた所から一番遠い車両へと駆け込むと、誰もいない車両の床にペタリ、と座り込む。
荒い息がやけに車内に響いて、心臓の音と蝉の音が混ざり合う。
ふに、と唇に手を当てがうとそこが自分のものではなくなった気がして、嬉しかったのを覚えている。
初めてのキスは罪悪感と図書室の匂いを纏っていた。
あの夢のつづきを
中学1年生の一学期に、ふと学校に行きたくないな、と思った。
何故かなんて分からない。
なんとなく人と話したくなくて、教壇近くの一番前の席に座るのが嫌になった、ただそれだけだった。
初めて休んだ日、次の日学校に行く、と言う夢を見た。みんな私を少しは心配してくれていて、少し嬉しかったのを覚えている。
その日は朝読の本を隣の子に貸してもらったり、日に焼けたくなくて体育を仮病で休んだり、それを友達と笑い合ったりする、そんなリアリティのある夢だった。
しかし、現実はその夢の通りには行かず、次の日も、その次の日も私は学校を休んだ。
多分、その日から私の日常が歪み始めたんだと思う。
みんなが学校に行ってる間は見ては行けない、と制限をかけられたスマホ。
机の上に積み上がっていくプリントの山。
度々聞こえるチャイムの音。
ぴかぴかのままの教科書とノート。
テストがあるから、運動会だから、と言ってどうにか私に学校に行かせようとする教師の声。
歪んだそれが気持ち悪くて、でも学校に行くのよりはマシだな、そう思いながら、このままでいいのか、そんな将来への不安を無視しながら日常を過ごす。
8時になるまで布団にこもって、8時をすぎると「8時を過ぎたから学校行けない、仕方ない」と自分に聞かせるための独り言を呟いて、布団から出る。
すっかり冷えた朝食を胃に押し込んで、チャイムに怯えながら家の中に閉じ籠る。
帰ってきた生徒たちの話し声が聞こえないようにイヤホンでうるさい曲を流し続けながら、布団の中で丸くなる。
夜は嫌なことを考えてしまうので、そんな興味のない番組を見ながら自然に眠くなるのを待って、寝落ちする。
リモコンを握った手、目からこぼれ落ちた涙で湿った唇、夕食が入らなかった空っぽの胃、びしょびしょのままの髪の毛。
そんな状態で、もうあんな幸せな夢は見れなかった。
哀愁を誘う
古い、ぼろぼろになったドイツ語の参考書、単語帳や電子辞書、元は明るい緑だったであろう色褪せてしまった化学の参考書。
そんな祖父の趣味に染まった、勉強机のすぐ横にある狭い本棚にあるその二冊の本は異彩を放っていた。
『最新! よく分かる遺産相続と手続きの仕方』
『葬式の最低資金から作法まで分かる!はじめての葬式ガイドブック』
集中できるように、祖父がと部屋を貸してくれたのにも関わらず、勉強に飽きて祖父の部屋をぼーっと眺めていた時にそれを見つけてしまった。
周りの本たちとは明らかに新しい色をしたそれは酷く哀愁を誘って、周りの本よりもパステルな色をしているのに重苦しい雰囲気を纏っていた。
まだ全然元気でしょうに、と隣の棚に飾ってある四年前に出かけた沖縄の海で泳ぐ祖父と祖母に目を映す。
その本たちに手を伸ばそうとした時、祖父が「ご飯だって」とドアをノックした。
私は「片付けてから行く」と返事をして、本に伸ばしていた手を引っ込めた。
「大丈夫?」
放課後、誰も居なくなった黄昏時の教室で今にも居なくなってしまそうな、そんな表情の彼女に声をかける。
夕焼けで赤く染まった教室にいる彼女の目が赤くなっているのはきっと、夕焼けのせいではないんだろう。
何でそんな顔をしているのかも分からないし、何でそんなになるまで親友である私に何も言わなかったのかも分からない。
少し怒りを感じていると、彼女は消えてしまいそうな弱々しい笑顔で「大丈夫。」と彼女の綺麗な声で返事した。
でもその声は前聞いた時よりもずっと、小さかった気がする。
大丈夫だよって言う割には全然大丈夫では無さそうで明日学校で会えるのかも分からなくて、彼女の白い肌が透けて見えて、不安だった。
サラサラのロングヘアーの、黒曜石みたいな瞳の、肌の白い、綺麗な子。
今はそれが幽霊みたいに見えて、心の底を冷たい不快感が襲う。
本能的にこの子は放っておけば死んでしまうって事を悟り、つっかえる喉を必死に動かして、言葉を紡ぐ。
「…あのね、ホントに大丈夫な人は「大丈夫?」って聞かれても「大丈夫」なんて答えないんだよ。大丈夫な人はね、「何が?」って答えるんだ。だって、何が「大丈夫?」なのかが分からないから」
「それで、本当に大丈夫じゃない人は「大丈夫」って答えるんだ。だって、自分が大丈夫じゃないって事を分かってるから。」
彼女の顔は彼女の綺麗な黒髪に妨げられてよく見えない。
でも何となく、どんな表情をしているかわかる気がした。
「…ねぇ、もう一回聞くよ?」
「大丈夫?」
「…大丈夫だよ」
「……分かった。ハンカチ貸してあげるから、まずはいっぱい泣きな」
不器用な彼女が出したSOSを理解しないほど、私は彼女の友達を長くやってない。
声を押し殺して、唸るように泣きじゃくる彼女を黄昏時の中、夕焼けに照らされたカーテンに見守られながらずっと、抱きしめていた。