名無し

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   誰も知らない秘密



私は望月くんのことを何も知らないけど、望月くんの唇の感触なら知っている。


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休み時間にはいつも図書室に行って、クラスメイトともあまり話さない、そんな無愛想な望月くんだけど、顔立ちが整っていたから女子からは結構ミステリアスなクール男子だとかで、人気だった。
そして私も望月くんを好いている女子の一人だった。

図書委員になって初顔合わせの時に、初めて望月くんと話した。
一目惚れ、ってやつだと思う。
少し長めのサラサラな黒髪も、雪を溶かした様な肌も、長いまつ毛で縁取られた切れ長の目も、全部好きになってしまった。
性格はよく知らないけど、言葉遣いが綺麗で、本を丁寧に扱っているのを見る限り、優しい人なんだろうなぁ、と思う。

でも告白するなんてもってのほかで、勇気を出してもせいぜい挨拶するくらいで、話しかけることなんてできない。
話しかけようとしては諦めて、そうやってグダグダしているうちに二年生になり、委員会が変わってしまって、もう望月くんを見かける機会すら無くなってしまっていた。

そんな時、駅のホームの椅子で寝落ちしている望月くんを見つけてしまったのだ。
電車の前方の車両に行こうとして、ホームを歩いていた時のことだった。
初夏の明るい光が望月くんの艶やかな黒髪と肌を照らしいて、それが綺麗すぎてほんの一瞬だけ、蝉の声が聞こえなくなる。
普通なら、「起きて、電車来てるよ」って言うだけ。
でも、その時を逃したら望月くんと何も起こらない気がして。

ごくん、と唾を飲み込んで望月くんの肩にそっと手を置いて、息を整える。
顔をだんだんと望月くんの方へと近づける。
背負っている鞄の紐が、望月くんのお腹に当たって、膝には私の履いている膝丈のスカートが少し当たっていた。
蝉の声がだんだん聞こえなくなっていく。
陽の光がだんだん強くなっていく。
ふに、と少し柔らかい感触が唇に伝わる時、目の前には望月くんの長いまつ毛があった。
漫画みたいにちゅ、とかリップ音は鳴らないんだな、なんて場違いなことを考えていると苦しかったのか望月くんの眉根に皺が寄せられた。
慌てて望月くんの肩から手を離して、望月くんが座っていた所から一番遠い車両へと駆け込むと、誰もいない車両の床にペタリ、と座り込む。
荒い息がやけに車内に響いて、心臓の音と蝉の音が混ざり合う。
ふに、と唇に手を当てがうとそこが自分のものではなくなった気がして、嬉しかったのを覚えている。


初めてのキスは罪悪感と図書室の匂いを纏っていた。

2/8/2025, 6:54:22 AM