第四十六話 その妃、術を解く
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東の空には朝日が昇り始め、陽の光が世界を明るく包み込んでいく。水溜りや雫に反射して、いつにも増して輝いて見えた。
気付けば、一晩中降り続けた雨は、いつの間にか止んでいた。
「……綺麗ですね」
「……ええ。本当に」
雨は、必ず上がる。
明日も、必ずやってくるのだ。
「終わったわよ」
「……そこは、『終わったわね』と言うところでは」
「私が終わらせたんだからいいでしょ別に」
「まあ、確かにそうかもしれないですけど……」
困ったような顔をして、男は辺り一面を見渡す。
「僕は今、世界の終末を見ているわけではないですよね」
「そこまで終わらせたつもりはないわよ」
ただ、そのように思うのも無理はない。
雨のおかげで、今は煙や焦げた匂いが残っている程度で済んでいるが、辺りはまるで戦争跡地。建築物は木っ端微塵に破壊され、樹木は勿論、植物の影も形もなくなっていた。
それもこれも、仕掛けた爆弾を全て起爆させたせいだが。
「まあ、ここまでしておいて人の命を奪ってないのが、本当に流石と言いますか。全員伸びてはいますけど」
「それについてはロンに感謝しなくちゃね」
「それについても、流石としか言えません」
「一人一人にまさか、結界を張るだなんて。誰もできやしないわよ」
「仕組みとしては簡単なんですけどね」
いつの間にやってきたのか、振り返ったそこにいたのは、今まさに話をしていた人物。
大丈夫なのかと視線で問うてみれば、どこかスッキリした様子で軽く会釈をされた。
「さてはいちゃついてやがったわね」
「否定はしませんけどね」
「いや、自重はしよう? 僕たちのためにも!」
「取り敢えず、“術”を解きましょうか」
「そうね。お願いしたいわ」
完全に流してから確認を取ったロンは、そっと両手を差し伸べてくる。その片方に手を乗せると、もう片方の手には愛すべき馬鹿の手が。
そして、「――解」と言う掛け声と共に、あたたかい力に包まれる。まるで足の先から頭の天辺まで、湯船に浸かっているような、そんなやさしい感覚。
すると、空いていたはずのもう片方の手が、ぎゅっと握られた。犯人は言わずもがな。
「……約束、覚えていますか」
「報告がまだ終わってないわよ。お馬鹿」
それを握り返した時には、“入れ替わりの術”は、あっという間に解けていた。
「最後まで、誰にも気付かれませんでしたか」
「んー、誰も何も言わなかったけど」
「この状況になった今、そこまで考える必要はないわよ」
そうこうしていると、騒ぎを嗅ぎつけた消防隊や自衛隊、救急隊などが到着。突如にやってくる現代感に違和を感じていると、急に隣のポンコツが手を離し、かなり緊張した様子で固まった。
どうしたのだろうかと視線を追うと、そこには応援に駆け付けてくれた“桜”の人たちが。
「何。怖いの?」
「あなたは知らないからそんな事が言えるんですよ……!」
「残念だけど、あんたよりよく知ってるわよ」
日本の警察や国家機関の象徴である旭日章《きょくじつしょう》――通称“桜の代紋”は、昇る朝日と陽射しが模られている。
まさに今、この瞬間のような徽章を付けた背の高い背広を着た男三人が、近付いてきて目の前でぴたりと止まると、隣に立つ愛すべき馬鹿は息を止めた。
しかし、それも致し方ない。
“桜”の一員ともあれば、尚の事。
「此度の任務は無事、完遂した。ご苦労であったな」
その中の一人こそ、我々にとっての御上。
そして、“桜”という組織の天辺に位置する存在なのだから。
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第四十五話 その妃、祝福を与えし
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黒く分厚い雲が空を覆う。
もうすぐ、バケツをひっくり返したような土砂降りの雨が、地に降り注ぐ。予想通り、被害は最小限に抑えられるだろう。
「……くん? 栄光くん」
それに反して、池に映る空は今にも星が溢れてきそうなほどの満天。計画は、終始つつがなく、そして一切の問題もなく終わるだろう。
一人ポンコツが居たところで、優秀な妃と陰陽師がいるんだ。そもそも失敗なんか、するわけないけど。
「強いて問題があるとすれば、あっさり終わってしまうことくらいかな。意外と楽しかったし」
「よしみつくーん!」
「ん? 何、チョコちゃん」
真っ赤に熟れた苺のような瞳に、光が当たるとキラキラと白く輝く綺麗な髪。
小柄な彼女は、例えるならかわいらしい雪兎のよう。
「いつになったらその、かっこいいお妃様に会えるの?」
「全部終わったら来てくれるよ。向こうもチョコちゃんにすごく会いたがってたから、心配しなくてもそのうちすっ飛んで来るんじゃないかな」
彼女こそが、あの帝から寵愛……いや、迫害を受け続けた張本人であり、“星”を統べる男が生涯愛し続ける女性。
「でも、栄光くんずっとここに居ていいの?」
「いいんだよ。僕も、そしてチョコちゃんにも、これ以上は手が出せないから」
「どうして?」
「彼女たちとは違って、僕たちは渦中の人間だから」
国の滅亡には勿論賛成だ。天辺を奪い中枢を壊しさえすれば、あとは何もしなくとも勝手に滅びの一途を辿るだろう。
けれど、国の中には全く罪のない人間たちが大勢いる。犠牲になった者たちもいる。
星の長として、彼等を放っておくわけにはいかない。
そして……残していく我が子のためにも、今のうちにできることをしておかねばならない。
「やさしいのね」
「そうだね。まあ鬱憤溜まってるだろうから、二人とも今頃大暴れしてるだろうけど」
「そうじゃなくて、栄光くんがよ」
「……僕が? そんなこと言うの、チョコちゃんくらいじゃないかな」
「そんなことないよ。今だって、南の……“日”? の子たちも助けてあげてるじゃない」
「利害の一致だよ」
「それでも、栄光くんはやさしい人だよ」
そうして笑顔を向けてくれる彼女が、心からの言葉を届けてくれる彼女がすごく、いつも眩しかった。
「たとえ何かを成し遂げるためだけの関係でも、人とは一切関わろうとしないあの栄光くんがわざわざ築いたんだよ? それだけで十分栄光くんの宝物だし、きっと本当はやさしい栄光くんのことを知れた相手も、大切にしようとしてくれると思うの」
「……千代子さん」
聞くに耐えきれず思わず抱き締めると、心の中で彼女は嬉しそうに笑った。
それで十分、彼女には全てがお見通しなのだとわかる。
だから、内心で白旗を上げ、白状することにした。
「これから先何があっても、僕はあなたのことを愛してるよ」
(ふふっ。……私もだよ)
この国はいずれ滅ぶ。
星も、月も、そして太陽も。
そのことを唯一知っている人間に、できることは何だろうか。残された人々に、そして愛する人たちのために、残せることは何だろうか。
国の各地には、古くから言い伝えや伝承が残されている。人々のこびり付いた考え方を変えるには、相当の時間を要すだろう。この命が尽きる方が、もしかすると早いかも知れない。
「お出掛けするの?」
「うん。まあちょっと」
らしくない。不確かな未来に不安がるなんて。
不安なら、ただ無くせばいいじゃないか。
その原因を。徹底的に。この目で見届ければいい。
「わかった! 留守は任せて!」
「それは心配だから、そこの馬鹿カラスに任せとくよ」
「カアーッ⁈」
「ちょっと栄光くん。そんなこと言ったらシロちゃんがかわいそうじゃない」
「そう? 僕は千代子さんがいつも通りで嬉しいけど」
そもそも、まだ何も返せていないじゃないか。
この、幸せな時間をくれた、橘の姫に。
そして、あの……ポンコツ野郎にも。
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第四十四話 その妃、掌握す
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それが本物か偽物か。言い合いを始める脳無しどもを満足げに見渡してから、女は声を大にして笑い声を上げた。
「そんな悠長に真偽を確かめたいのなら、お望み通り叶えて差し上げますわ」
そして、迷わずその黒い球を放り投げた。
慌てふためき、真っ先に出口へと向かう様は、生への執着心が濃く且つ滑稽であった。
「残念。此方は偽物でしたわねえ」
腹を抱えながら笑う女は、続けて袖の中に手を入れる。
「さて、次はどちらだと思います?」
その突如、耳を劈くような爆音と共に大地が大きく揺れる。
その場の全員に緊張が走った。けれど目の前の女だけは、全て見通しているかのような安らかな瞳を携えている。
それをまざまざと見せつけられた挙句、さっきの今だ。爆音や地震の原因は爆弾だと、思わない奴がいたらそれこそ本物の“脳無し”だろう。
「因みに、今のはどこの爆弾が爆発した音か」
「結構近かったので、城の敷地内では?」
「他にも仕掛けているのか」
「それはもう。暇しておりましたから」
ざわめきと恐怖で空気がひりつくのが、焦燥と後悔が思考に蔓延るのが、いやと言うほどによくわかる。
女は、確実に脳無しを掌握したのだ。
「天晴れだ。子規の妃よ」
手を叩いて賞賛を表す。
異様な雰囲気の中、全ての視線が集まった。
だから、脳味噌がなくてもわかったであろう。思い出したであろう。
今、この場の最高に立つ人間が、一体誰であったかを。
主導権を握られた事への不快感は表に出さぬまま、女は「光栄ですわ」と笑顔を絶やさない。
「そなたのおかげで、如何に己が無能か、我を含めこの場の全員が思い知った事であろう。改めて此方の非を認めよう。そなたが求めるのであれば、国中に公表してもよい」
「その必要は御座いませんわ」
「では褒美はどうだ。この帝が、そなたの望む物を与えようではないか。必要とあれば、“橘”へ直接出向いてもよい」
「……“橘”?」
「きっとそれだけでは足りぬであろう。だが、どうか今は、この国の民を守るために譲歩してくれぬか。そなたも、不必要な殺戮はしたくなかろう」
「まだ、あなたはわかっておられないようだ」
溜め息が落ちると、それまで笑みを絶やさなかった女から一切の感情が抜け落ちた。
「あなたの首だけで足りるとでも? どれだけ御自分の価値が高いとお思いか」
その違和感に、ぞくりと鳥肌が立つ。
まるで、別人になったかのようだった。
「この世の全ては、あるべき所へと帰らねばなりません。物も、人も、それ以外も。それが、理というもの」
しかし此方への動揺など一切関係なく、女は悪人面でもう一度笑みを浮かべながら、両袖に勢いよく手を突っ込んだ。
「悪人は悪人の帰る場所へ。元々在りもしないのですから、この国も滅ぶべきでありましょう?」
次に出てきたその両手には、まさに悪人が好きそうな大型の爆弾が着火した状態で持たれていた。
「この国の全員の調べはついておりますので、命を落としたくない方は、重々身の振り方にご注意くださいな」
悪女の最後の忠告は、恐らく誰の耳にも届いてはいなかった。
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第四十三話 その妃、煽り立て
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「実を言うと来る予定は一切なかったのですが、一度追い払った後どなたもいらっしゃらないので。こうして、ここまで足を運ぶことになりましたの」
そして、その妃は扇子越しにほくそ笑む。
「女一人に怖気付いて。……本当に皆さん、ちゃんと“玉”はついていらっしゃるのかしら。それとも、まだケツの青い子供なのかしら」
己の正しさに矜持を持つ人間どもには、もはや堪忍袋の緒すらないのだろう。
「そうでないなら、この場にいる全員が、まだ何もできない乳飲子なのでしょうねえ」
だから、それだけで煽り文句には十分であった。
怒号を上げながら、己の怒りに任せ、一斉にその妃へと飛び掛かる。案の定、攻撃を与えた者どもは、まるで強力な何かに弾き飛ばされたかのように、壁や床、天井へと叩きつけられていた。
今の一瞬で何が起こったのかと、脳の無い奴等は互いを見合った。そうしたところで答えなど出るわけも無しに。
「嗚呼失礼。帝を差し置いて先に雑魚をお相手してしまって」
「此方こそ失礼した。礼儀のなっていない奴等であったな」
その妃は、その場から一歩も動かなかった。
一歩どころか指一本も動かしはしなかった。
……それだけの力を有しているのか。
ただ一つ確かなことがあるとすれば、ずっと隣で指示を待つ餌やり男には、何かを排除するだけの力も頭も度胸もないということだけ。
「因みにお前は、どちらの味方をする。また今までのように強者につくか? そうして生き延びてきたのだろう?」
「私はあくまでも、帝に妃の餌やり係を命じられた宦官に過ぎませんので」
「それでも男なら、一度くらいは見せ場を作るべきではないか? それとも既に“桜”の奴等には見放されたか」
「ご安心ください。“桜”としての矜持は、今も決して忘れてはおりませんから。見せ場については……ここに、ふさわしい方がいらっしゃいますので、その必要は私にはないかと」
男もまた、嬉しそうな顔をして笑っている。
過去の絆がそうさせているのか。それとも、それだけ他者を惹きつける力が、あの妃にはあるのか。
「惜しい。実に惜しい」
本当の意味で彼女を手に入れられていたら。いや、ただ方向が同じでありさえすれば、手を取り合える関係であれたであろうに。
「惜しんでいただけて非常に迷惑極まりないですが、あまり長い時間お邪魔するのもご迷惑……いえ面倒なので、ちゃっちゃと終わらせていただきますわね」
そもそも、私の性に合いませんの。
そう言った彼女が袖口から取り出したのは、手の平いっぱいに乗る、大きな黒い球のようなもの。
着火した得体の知れない物体は、まさに爆弾であった。
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第四十二話 その妃、不敵に笑う
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初めは、ただの尊敬であった。
誰に対しても分け隔てなく、そして救いの手を差し伸べるその姿勢や清い心は、まさに理想そのもので。
それが憧れへと変わるのは時間の問題だった。
様々な野心を抱え、小国の天辺へと上り詰めた男は、多くの民の指針とならねばならない。
英雄に求められるものは、確固たる強さと切れる頭と度胸と、強いてあげるなら容量の良さか。
けれど、帝に求められるものはそれでない。
必要なのは、その少女が持つ“心”そのものであったからだ。
だから、素直に教えを請いたいと願った。
けれど、少女が首を縦に振ることはない。
それを、きっとどこかでわかっていた。
否、もしかしたらその心を試していたのかもしれない。少女のことを、もっと知りたくて。
初めは美しい花を、次に珍しい食べ物を、その次は上等な絹を。金、家、土地、地位、権力、一生楽して生きていけるだけの自由を。
それでも少女は断り続けた。
己の身は神に、そして多くの人々に捧げているからと。
けれど、少女を求め続けた。
少女が断れば断る程、手に入れなければ気が済まなくなっていた。
だから、考え方を変えることにした。
与えるのが駄目なら、奪ってしまえばいいのだと。
まずは少女の身の回りから。
仕事を奪い、仲間を奪い、経歴や実績、そして尊厳を失わせた。
それでも足りないならと、生まれ故郷に火を放ち、帰る場所も、住む家も、家族も奪った。
そして、全てを無くした少女に追い討ちをかけるように、新しく全てを与えた。とある小さな村を助けて欲しいと言う、少女の良心に付け込んだ。
『……あなたは、とてもさみしい人ですね』
そして、手に入れたら最後。
どんな手段を使ってでも、この鳥籠からは決して逃がさない。
『子供を作らせろ。身重なら早々動けまい』
必要なのは、金でも、地位でも、国でもない。
ただ、少女の心。
それだけだった――。
* * *
今にも飛び掛かっていきそうな阿呆どもに、手を挙げて待ったをかける。
「だろうな。そろそろ来る頃だろうと思っていた」
目の前の女には、そもそも人捜しなどするつもりはさらさらなかった。女の目的はただ一つ、とある男の命を守り通すことだけ。
「でもいいのか? ここで手を出せば、そなたの願いは叶わぬぞ。今考え直すのであれば、最初で最後の機会をやろう」
「結構よ」
そうして彼女は、清々しい程不敵に笑った。
「他人に願いを叶えられるなんて糞食らえよ」
「同感だな」
そして、同時に残念に思う。
方向性が同じであれば、きっと良い友となれただろうにと。
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