第三十七話 その妃、力と命と誓い
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その言葉の意味が“恋慕”でないことくらいはわかっていた。
ただ彼からそんな言葉が出てきたことが意外過ぎて、すぐには理解が追い付かなかっただけで。
だから、一瞬だけ空いていた口は、あっという間に閉じたのだが。
「……ねえ。どういうこと。浮気する気?」
そう言うや否や、ロンはというと、愛すべき馬鹿に壁へと追いやられていた。
「……だったら?」
「嘘まで言って、僕を煽るのがそんなに楽しいの」
そもそも妻と娘を溺愛してることくらいは、流石のポンコツも知っているだろうに。
まさか、ここで喧嘩でもする気か?
「僕は本音を言っただけだけど。お前と違って」
「僕が本音で話してないって言いたいの」
「一番大事なこと言ってないでしょって言ってるんだけど」
「……ちゃんと言う。約束もしてる」
「あっそ。まあそれはどうでもいいんだけど」
と思っていたが、あっさり掌を返され肩透かしを喰らったポンコツは、案の定口をあんぐりと開けたままぼうっとしていた。
「僕にも、絶対に人には言えない秘密があります」
その間抜けを放って話し始めたロンの、言葉の意味を何度も噛み締めてから、静かに頷いた。
「私にもあるわ。決して人には言えない秘密が」
ただの隠し事ではない。
“秘密”などと言う言葉で収めてはいけないものが。
「……何ですかその言い方。僕にはないって? 二人は仲良しだって言いたいんですか」
「ポンコツ」
「なにおう⁉︎」
この“力”は、決して人には言えないものだ。
知っているのは、本物の父と兄たちだけ。御上にさえも、詳細は話していない。
これは、決して自分の欲のために使ってはならないものだからだ。
そして、他人に預けてはならないもの。他人に操られてはならないものだからだ。
この力が、命そのもの。
それは、誰しもが理解していること。
「その秘密を打ち明けられる程の絆はありますよ。まあ、その秘密もあなたはご存知でしょうけど」
「……あなたには驚かされてばかりね。こんなにいい男なら、浮気相手にしとくには勿体無いわ」
「残念ながら、妻一筋なので」
「歳下のくせに生意気ね」
恋人関係でもなければ、主従の契約を交わした関係でもない。
ましてや、出会ってまだ日は浅いというのに、ここまでの信頼を裏切ろうとしたことが恥ずかしい。
「ポンコツばかりにいいところを持って行かせるわけにはいきませんからね」
「それはしょうがないわよ」
「どういう意味で?」
「ん? そうねえ……」
そっと手を伸ばすと、意図を察したロンが微笑みながらその手を迎えいれる。
そしてすぐに、ブハッと噴き出した。
「そういうことなら、諦めざるを得ませんね」
「そう言ってくれてありがとう」
「それは此方の台詞ですよ」
そうして跪いたロンは、握ったままの指先を額に当てて、今度こそ本物の誓いを立てる。
「……頼んだわよ」
「お任せください」
上がった顔は、年相応の楽しそうな笑顔だった。
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第三十六話 その妃、怖気付いて
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「僕を除け者にするから、そういうことになるんです。今度からはちゃんと、僕も頼ってくださいよ」
「たまにならね。本当にたまになら」
「……いや、念押すほどです?」
「気が向いたら。時と場合にもよる」
「そんなに僕って役に立たないのかな⁈」
「な〜んか足引っ張られそうなのよね。こういうのなんて言うんだったかしら」
「ポンコツ?」
「そうそうそれそれ!」
「……どうしてそんなに、息ぴったりなんですかねえ」
その先を追求する視線を、至近距離で向けられているロンには、一先ず犠牲となってもらうことにして。
「二人には申し訳ないのだけど、作戦は中止にするわよ」
確かに、最悪の場合を想定してはいた。勿論、ここで命を落とすかもしれないことも想定済みだった。
……しかし、それを守り雛が代わってくれた。ということは、下手をすれば痛みを感じることもなく、死んだことさえ気付かないまま息を引き取っていたのかもしれないのだ。
「……中止って、どうしてですか? まさか僕が絡んできて面倒くさいからですか⁉︎」
「そう思うならちょっと離れてくれない?」
この愛すべき馬鹿を守る命のために、鍛錬を欠かせたことはない。人数の把握など、息をするようにわかっていた。
……その手練れ以外は。
その人物を呼び寄せた人間も、全く見当がついていない。
あれだけの騒ぎに乗じ、数え切れないほどの人の夢を渡り歩いた。人の記憶の中の瞳を通じて見ていたにもかかわらずだ。
……その場にいなかった?
存在を消している奴がいる?
それなら尚の事おかしいだろう。
騒ぎを起こした妃を襲うのなら、普通その場から何かしらの情報を得ようとする。それが全くないというのは、ほぼ零と言っていい。
ようは、何が言いたいのかというとだ。
(……私の、能力を知っている人物がいる。それも事細かに)
夢とはいえ所詮記憶の一部分。覗かれてしまうこと初めからわかっていれば、記憶の操作などたやすいだろう。それだけの手練れとなれば。
「お言葉ですが、折り紙の首が取れたくらいでやめるんです?」
「……随分な言い方ね」
「今まであれだけ豪快に、やりたい放題やられていましたので。今頃になって怖気付いたのかなと」
「あら。今更文句でも言うつもり?」
力の差が有り過ぎる。此方の手の内がバレている。
そのような状態では、仲間の命を守り切れない。
……そう思っていたことが、次の瞬間一気に吹き飛んだ。
「いえ。そういうところ、結構気に入ってたんで。というか好きですよ、僕は」
「「……え?」」
まさかの、あのロンがそんな事を言い出したから。
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第三十五話 その妃、守られて
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……どういうことだ。
目の前で、大量の人間が一斉に倒れるなんて。
そんなこと、普通の人間にできるわけがない。
……そう言えば、例の妃は目を掛けられていると聞く。あの帝に。
ならば、特殊な力の持ち主か。妃が何かをしたに違いない。
であれば、慎重に事を進めなければ。
(……そんなところかしらね)
暗殺者たちは、ロンがここにいることは知らないはず。だから、あくまで“妃が何かをした”と思わせることができれば、それだけで時間を稼ぐことができる。
それも踏まえた上で、彼らに気付かれる前に麒麟を回収し、離宮上空へ烏を飛ばしたのだろう。
素人ではない第二陣がすぐに乗り込んでこないのを確認してから、隣にいる男は「ジュファ様」とそっと耳打ちをする。
「今から姿を消す術を掛けます。可能な限り気配を消していれば、此方から動いたり、言葉を発さない限り見つかることはありません」
「……どんなことがあっても動くな、声を出すなということね」
「御名答です」
そして、掛けてもらっていた一つの羽織りを、今度は二人で一緒に頭から被る。そのまま身を寄せ合うのかと思ったら、横から強引に引き寄せられ、そのまま抱き締められた。
視界は暗く、よく聞こえない。
辛うじてわかるのは、ゆっくりと鳴る毛の生えた心臓の音くらいだ。
(……大好きな相手にこの心臓がどうなるのか。ちょっと見てみたい気もするわね)
あれだけ脅しておいて、何の状況も把握できないのだ。気付かない間に殺される可能性だってあるのだから、これくらいの悪戯心は持ってもバチは当たらないだろう。
暫くして、小さな声が掛かる。
ゆっくりと頭を持ち上げながら目蓋を開けると、目の前の彼は少しだけ疲れた様子で微笑んでいた。
「笛の音に気付いた鴉が追っ払ってくれましたよ」
「……全然気が付かなかったわ」
「闇に溶けるのが“鴉”ですから」
「あなたには申し訳ないんだけど、私絶対に誰も来ないと思ってたの。笛なんか全然聞こえなかったし」
「あれが聞こえるのは、本当に限られた鴉しかいませんからね」
「私、運は常に最悪だから」
「良かったですね。運だけはいい僕が付いてて」
立ち上がったロンは、そっと指笛を鳴らす。
すると、再び手の平の大きさになった烏たちは、折り紙の姿へと戻っていった。
「だから抱き締めたの?」
「あいつがいなくてよかったです。色々面倒なことになりそうだったので」
「私は少し意外で楽しかったわよ?」
「そういう余計なことを言うから、面倒くさいことになるんですよ。因みに妻の前でも心臓に毛は生えてますから」
「御丁寧にどうも」
折り紙を懐に収めている姿を眺めながら、そういえば渡されていたものがあったんだったと、袖に手を忍ばせる。
「これのご利益もあったのかしらね」
「さあ、それはどう――」
そこで言葉を途切らせたロンの視線は、折り紙を持つ手に落とされている。
それをよく見てから、静かに眉を顰めた。
「因みにそれ、あいつが折ったんですよ」
「……なら、不備をきちんと言っておかないとね」
守り雛のうち女雛の折り紙は、確実にその首を落とされていたのだから。
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第三十四話 その妃、災厄か最悪か
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暫くすると、バタバタと人が倒れていく音がする。耳元でかわいい鳴き声が聞こえ、顔を覆う紙を持ち上げると、手の平の大きさほどに縮んだ麒麟が、いつの間にか肩に乗っていた。
「お疲れ様。ゆっくり休んで」
きっと、皆が幸せな夢の中に旅立って行ったことを知らせたのだろう。
彼が伸ばした手の指に鼻先をつけ、パッと小さな光を放った麒麟は、気付けば折り紙のようになっていた。
それに感心している間もなく、懐に麒麟の折り紙を仕舞ったロンは、続けて今度は幾つもの“黒い鳥”の折り紙を取り出す。
「大体の人数は」
「さあ? まあ多いんじゃないかしら」
この力の欠点があるとすれば、それは正確さだろう。
彼らの記憶は覗けたとしても、それが正しいものなのかを知る術はない。
つまり、計画の段階はわかっても、実行前に内容を変えられてしまっていては、元も子もないというわけだ。
変則が全くないわけじゃない。
だから、その変則の可能性も全て考える。
計画を変える時はどういう時か。
気候? 人数? 対象の動向?
夢は、決して予知能力ではない。
あくまでも、一つの可能性に過ぎない。
夢の全てを過信、盲信してしまえば、それは己の破滅となる。
「言えることはせいぜい、この首を刈りにきている輩がいるということくらいね」
「どれだけの恨みを買ってきたんですか、全く……」
だから、常に最悪の状況に備えるしかないのだ。
大きな穴の空いた天井から、ぽつりぽつりと、雨が降り始める。それは次第に数を増やし、雨脚は強くなっていった。
気配はない。足音も。
でも、きっといる。
素人のように幻覚に惑わされることのない輩が。
この悪天候と夜の闇に姿を溶かす、本物の殺し屋が。
「ジュファ様。これ、持っておいてください」
物騒な話に、最悪な事態が頭を過ったのか。彼が渡してくれたのは、折り紙で作られた人形のようなもの。
「一先ず二体かな。まだありますけど」
「まるで雛人形みたいね」
「元々災厄避けの意味もありますから」
「乳幼児向けですけど、精神年齢似たようなもんだし、丁度いいでしょ」と、失礼なことを言いながら彼は、黒い鳥の折り紙を宙に放った。
「先に謝っときます。僕はあくまでも、帝の陰陽師なんで」
「わかってるわ。だから、絶対にその境界は越えないで」
それは、彼と手を組んだ時に決めていたこと。
彼がと言うよりは、此方が頑なにそれを要求したのだ。
彼を、そして彼の家族を守るために、表立って力は使わないことを。
「バレる可能性があるので、今の僕ができるのは“鴉の人間”が来るまでの時間稼ぎくらいなんですけど」
「それってどれくらいかしら」
「運が最高に良ければ、今こんな話はしてないですかね」
「……悪ければ?」
「一生来ないですね」
そしてロンは、持っていた羽織りを掛けながら、ふっと笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。僕はまた妻にも娘にも会えます。あなたの運が余程最悪でなければ」
この恐ろしい程の笑顔に、素直に口には出せなかった。
生まれてこの方、“運”というものには見放されて生きてきたことを。
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第三十三話 その妃、淡い光に
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丸二日もあれば、体制を整えることも、それなりの人数を引き連れて来ることも、そして辺境にある離宮の場所も、突き止めることができたのだろう。
穴の空いた壁から漏れる松明の明かり。
擦れ合う金属音。土を踏み締める足音。
微かな草葉の青い香りと、雨の気配。
“少しばかり懲らしめて差し上げなさいな”
“相手はそれでも妃。脅す程度で結構です”
“愚かなことを、もう二度とさせぬよう”
“後宮の秩序を守るのも、我々の役目なのですから”
多くの人の夢や記憶を渡り歩いた。その中には勿論妃たちもいる。
その妃の瞳を通して見た従者や、雇われた所謂不成者たちも。そして、彼らの記憶も。
「徹底的にやるとは言ったけど、素人の命は奪わない方向で宜しく頼むわね」
「……それが絶妙に難しいことわかって言ってます?」
「でもできるんでしょう?」
「……ま、もうわかってますけど」
「もう何も驚きませんよ」と、恐らく初めから予測をして呼び出していたのだろう。
麒麟の鬣を優しく撫でてから、そっと耳打ちをすると、甘えるように鳴いてからすうっと姿を消した。
「好かれてるのね」
「あなたのことも嫌いではなさそうですよ」
「主人のあなたを扱き使ってるのに?」
「彼らは、あくまでも僕の友人ですので」
「……私、式神さんとお友達になりたいわ。すごくいい関係を築けると思うの」
「いいですよと素直に頷けると思います? 完全に何か企んでいるような顔してる人に」
「あら。失礼しちゃうわね」
そうこうしていると、まるで蛍のような淡い光が、やさしく降り注いでくる。
幻想的なそれに目を奪われていると、隣からそっと顔を覆い隠す紙を手渡された。
「鱗粉を見たり吸い込んだりなさいませんように」
「……せっかく綺麗なのに。残念ね」
「幻覚が見たいのであれば、止めはしませんよ」
そう言いながら、結局自分よりも先に困った妃の顔を覆う辺り、彼もまた心配性の塊なのだろう。
「どんな幻覚が見られるの?」
「そうですね……強いて言うなら、自分にとっての“たった一つの希望”が叶う。そんな感じでしょうか」
「そう。……少し、見て見たい気もするわね」
自分にとっての“たった一つの希望”とは、一体何なのか。
……ただの希望に、どうして彼の顔を思い浮かべるのか。
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