第三十二話 その妃、迎え討つ
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「邪魔しますよジュファ様」
「今すごくいいところだったのに!」
「だから邪魔するって言ったじゃん」
「僕への許可は取らないの⁉︎」
「必要ないでしょ。お前の離宮じゃないし」
やってきた陰陽師のロンも交え、子規宮まで戻ってきた経緯を吐かせると、どうやら眠っていたのは丸二日だけ。瑠璃宮のユーファ妃からも聞き取り済みのようで、大体の状況は飲み込めているようだった。
「それで? そろそろ話してくれる気になったんですか」
「? 何のことかしら」
「その“予知”の能力と、眠っていた原因ですよ」
「ちょっと待ってくれ心友。それよりも聞くべきことがあるだろう」
「は? 他に何を聞けって?」
「どうして僕じゃなく雨華ちゃんを頼ったのかだよ!」
「お前が嫌いだから以外に理由はないでしょ」
「あ〜聞こえない聞こえない〜」
耳を塞いでいる阿呆には目もくれず、じっと様子を窺う陰陽師には、にこりと笑みを返すだけ。
「ま、いいですけど」とすぐに諦める辺り、凡その検討は付いているのだろう。
「一先ず、あんたはユーファ妃の所へ行きなさい。手土産に、茶菓子と装飾品、あと花も忘れないようにね」
「どうして僕だけいっつも除け者なんですかっ」
「どうしても何も、あんたが連れ帰ってくれたおかげで、御礼も何も言えなかったからよ」
「それは僕が代わりに言っ、」
「褒美は必要ないようね」
「半刻で戻って参りましょう」
「一緒に茶を飲みながら、半日は私の感謝を語りなさい。いいわね」
「……はい」
しょんぼりと肩を落としながら、何度も振り返るかわいらしい男を、笑顔で手を振って見送る。
「本当に御礼をするなら、直接出向くべきでは?」
「知ってる? あれを、愛すべき馬鹿と言うのよ」
「ただ盲目なだけでしょう」
「邪魔者はいなくなったし、そろそろお客様のお出迎えをしましょうかしらねえ」
その言葉をすぐに理解する辺り、目の前の彼も気が付いているのだろう。
……この、欲望に澱む空気を。
「あなたには到底及びもしないけれど、まあ似たようなものよ」
「……」
「……? さっきの答えよ?」
「あんたさ、あいつの何なわけ」
「……」
「悪い奴じゃないのはわかってるよ。あいつを守ろうとしてることも。そのことを、あいつはちゃんとわかってるの?」
「知らない方がいいこともあるわ」
「あいつは知りたいと思ってるんじゃないの。あいつは、いつまでだってあんたのことを待って、」
「あなたも大変な時に巻き込んで悪かったわ。娘さんは大丈夫そう?」
「……あんたには何でも筒抜けなのに」
「奥さんと娘さんのためにも、早く終わらせましょうね」
「そりゃまあ、そうしてくれると有り難いですけど……」
嫌な予感しかしないと、引き攣った顔で此方を見るロンには、笑顔でこう返した。
「それなら、ここはやっぱり“鴉”の出番でしょう」
「……そんな軽々しく“秘密結社”を扱き使わないでください」
けれど、すぐに持っている“音の鳴らない笛”を吹く限り、さっさと終わらせたい気持ちは同じらしい。
束の間の沈黙後、離宮の外に何人もの気配がやってくる。貪欲さに塗れた愚か者たちが、周りを取り囲んだ。
「それで? 僕に褒美はないんですか」
「私からあげられるものは残念ながらないわね」
「ということは、貰える分くらいにはあいつを思っていると」
「あなたにあげられる褒美なんて、家族との時間しか思い付かないもの」
「違いありませんね」と、印を結びながら式神を呼んだ。
「――来たれ、麒麟」
「……この離宮、灰にならない?」
「灰離宮というのも案外悪くありませんね」
「鬱憤が溜まっているのはよくわかった」
中途半端は、性に合わない。
誰かさんのように、他人へ情けをかけるやさしさなんか、尚更持ち合わせていない。
こんなやり方しか知らない。
「“掃除”に関しては、あいつの方が上手いんですけどね」
「やるなら徹底的に。いいわね」
「仰せのままに」
すべては、大切な人のために――。
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第三十一話 その妃、頬に触れて
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……右手があたたかい。やさしい熱に包まれている。そういえば、少しだけその手が痛い。
ゆっくりと目を開けると、星空の見える見慣れた天井に、風が吹き抜ける大きな穴の空いた壁。
そして、寝床に伏せるようにして眠る間抜け顔。
ようやく、長い夢の旅から帰って来たのだ。
その顔を暫くの間眺めていると、ゆっくりと目蓋が持ち上がる。寝起きの掠れた声が、ジュファと名前を呼んだ。
寝惚けた様子をじっくり堪能してから、小さく呟いてみる。
「どうせなら、何処か遠くへ行くことにしなさいよ。いい子で待ってたご褒美」
理解が追いつかない様子で、寝起きの男は怪訝に顔を顰めた。
「列車に乗って、船に乗って、飛行機に乗って。望むなら、宇宙船にだって乗せてあげるわよ」
「……どういう、意味ですか」
「正直何でもいいの。この国から……柵から抜け出せたら何だって」
「……すみません。まだ、頭が寝惚けてるみたいで」
繋がる手を引き寄せながら、もう片方の手で彼の頬に触れる。驚いたような顔で、ぴくりと体が震えた。
それが可笑しくて笑っていると、その頬に触れた手も、躊躇いがちに包み込まれる。
「……これこそ、本当の夢ですよ」
「なら、夢かもね」
「っ、ジュファ様」
「でも、さっき言ったことは嘘じゃない」
だから、こう伝えておく。
あなたが“それを忘れなければ”、きっと叶うわと。
それに何かを感じるかもしれないし、そうでないかもしれない。だからと言って、彼に失望するわけじゃない。
「……言いましたね。なら、僕が行きたいところに連れて行ってもらいますよ」
「望むところだけど、私が行くとは言ってないわよ」
「え。まさか一人で行かせる気だったんですか」
「私が行きたいわけじゃないもの」
「僕のご褒美には、貴女様が必要不可欠になるのですが」
「旅費はあんた持ちね」
「貴女が傍に居てくれるならいくらでも」
「大きく出たわねえ」
彼には彼の人生がある。
そもそもこれは、その先を見据えた上での決定事項。彼の人生の中に不要なものとして、最初に排除の対象となったのは――
「……なら、楽しみにしていようかしら」
……“私”なのだから。
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幕 間 そして、彼女は夢を描く
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物心ついた頃から、人の夢や記憶を渡り歩いた。
時には愛に溢れる幸せな夢を。
時には地獄に堕ちるよりも苦痛な夢を。
それでも人は、眠る度に夢を見続ける。
叶わぬ夢というものを、描き続ける。
『――みんなの、将来の夢は何ですか?』
至って平凡の普通な子供として、第二の人生を歩み始めて、不意に投げ掛けられた問い。
周りの学友たちは皆、勢いよく手をあげてそれぞれの思いを素直に言葉にしていく。
だから、それらしいものをにっこり笑顔で答えて、皆から大きな拍手をもらった。
使命と宿命を持って生まれる人間に、夢は理想など不要なのだから。
そう……自分のことなら、そのように納得できた。
しかしそれが自分以外のこととなると、そう簡単に納得することができないのは、一体何故なのだろうか。
(どうせなら、いろんなものを見せてあげたいわ)
御上が守る小さな国だけでなく、この日本全国を。そして世界を。望むなら、宇宙だって。
小さな世界だけでもいいのかもしれない。
けれど、少しでも遠くの街へ行けば、それだけで自分の中の小さな世界は、少しずつ広がっていく。
(せっかく、この私が命をかけて守るんだもの。将来は、御上をも脅かすほどの大物になってもらわないと)
彼女は隠れてほくそ笑む。
それが、彼女の夢だということに気がつかないまま――。
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第三十話 その妃、陰に生きる
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代々“掃部”として御上に付き従う、天神の血を引く一族。その末裔であり次期当主ともあろう男が、たった一人の少女の命の為に、己の命を粗末にするとは何事か。
主導者とは、時には全ての人間を優しく導き、時には一人の人間を切り捨てるようでなくてはならない。
ましてや、一族に害があるものなら尚の事。
『あなたが害と、誰がそのようなことを言ったのでしょうか』
『そんなの、御上から命が下された時点で察するわよ』
“――そなたの全力をもって、小さき藤の行く末を見守ってはくれまいか”
右腕である一族の存続危機。その救済に御上が指名したのは、左腕の一族。その末裔で末の、幼き少女であった。
『私も、多少なり自覚はしてるから』
御上は、その小さな肩に、この国の未来への責任を背負わせる決定を下した。つまり、幼いうちに少女を命令で抑え込み、そして縛り付けたのだ。
誰もが畏怖する力。
この世の全てを支配しかねない力。
その力を持つ少女を、心から支配するために。
この国の御上にさえ恐怖を抱かせる夢見の力を、意のままに操るために。
『女の尻に敷かれたくはないのよ。結局ね』
片や天神の一族の末裔。
片や臣下の籍に降りた元皇族で武家の末裔。
たとえ己に付き従えし一族だとしても、そのような能力を持っていようものなら、いつか反旗を翻すやもしれぬ。
ようは御上も、普通の人間とそう変わりないということだ。
『僕は、それでもいいんじゃないかなって思いますけどね』
『あんたみたいなのはね、このご時世では絶滅危惧種って言うのよ』
『だって楽しそうじゃないですか? あなたと一緒にいると、きっと毎日飽きないでしょうし』
『現実逃避したいだけでしょう。当主になりたくないからって、こんな国にも認知されてないような山奥に逃げ込んできて』
『此処へは仕事で来たんです。あなたもご存知のはずでしょう?』
『“そういうテイ”でしょうが』
『いえいえ。仕事の“ついで”に、奥さんのことでぷっつんしていた心友を止めに来ただけですよ』
『それこそ嘘言ってんじゃないわよ。超乗り気のくせに』
そして、夢の中の男は可笑しそうに笑みをこぼした。
『次期当主たる者、心を許せる唯一の友は、大切にせねばなりませんから』
『……唯一って言ってて、虚しくない?』
『あなたが生きていれば二人はいたんですがねえ』
『それは残念だったわね』
何の柵も無く屈託に笑う笑顔は、まだあどけなさを残していた。
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第二十九話 その妃、守り抜くため
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その日から、少女は少女でなくなった。
名前を変え、姿を変え。
親を、住む場所を、友を変え。
そうして過去の自分をこの世から消していった。
『ぼくが。天神の一族だから? だから。しんじゃったの?』
『……そうじゃないわよ。ほんと、いつまで経ってもお馬鹿で泣き虫なんだから』
どの一族にも共通して言えることは、その名や血を決して絶やしたくはないということ。誉高い名家であれば尚更であろう。
少年の一族は、その血に特別な異能を宿す“力持ち”であった。力の特性故か代々女が生まれることが多く、歴代当主の奥方は、力のある女性として発言の影響力が大きかったという。
それが少年の誕生により、それまで曖昧だった男系継承に大きな拍車がかかった。少年に必要以上に期待を寄せてしまうのは、致し方ないことだった。
しかしながら、一族が喜びと期待で満たされることはなかった。少年に、異能が殆ど発現しなかったのだ。
それでも当主へ据えるべきだという一派と、今まで通り一番力の強い者の婿を当主にするべきだという一派が水面下で争いを始め、ついには怪我人まで出る始末。
大人だけが勝手にやっているなら話は別だが、少年の命が狙われ始めてしまっては、黙っているわけにはいかなかった。
ましてや、一族以外の人間たちが、手を出してくるのなら尚の事。
『逆に聞くけど、あんたは今、どうしてここにいるのよ』
少年は知る由もないだろう。
まだ母親の腹の中にいた頃に決定し、少女の死と共になかったものとなった関係性を。二人の出会いが、決して偶然ではなかったことを。
『次期当主として、もっとやるべき事があるでしょう。力が無いなら無いで』
“当主の座につくまでは、命に代えても少年を守ること”
これは、共に御上に支える一族と本物の家族への誓い。
そして、家同士が決めた“元許嫁”の契り。
でもこっちはね、たとえ御上の命がなくとも。たとえ彼が当主になれなくとも。この命尽きるまで守り抜くと決めたのよ。
そんな覚悟がなきゃ、自分のことを殺させるわけがないでしょう。
『一矢報いたいと思ったんだ。一族の奴等に』
『だからって、家業とはいえ大事な時期に、わざわざこんな大仕事しなくたっていいじゃない』
そのおかげで、この国に潜り込むのにどれだけの手間を費やし、根回しをし回ったことか。結果として、問題点が新たに判明したから、特に問い詰めはしないが。
『人の命は、人の都合で勝手に奪っていいものじゃないから。それがたとえ、御上の命令だとしても』
……ああ。そうか。
どうして今まで、気が付かなかったのだろう。
『そういえば、あんたはもう、あの頃に会った子どもじゃないんだったわね』
気が付けば少年の姿は、今現在の青年の姿へと変わっていた。
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