第二十八話 その妃、死す
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「幾たびも 雪の深さを 尋ねけり」
寝た切りで起きられないまま、布団の中から物憂げな空を見上げていると、不意にその句が頭を過ぎる。
当時は不治とされていた病に罹ったその俳人が、少しばかり羨ましい。そんな事を口に出して言えば、不謹慎だと罵られるだろうか。
彼には、看病をしてくれる家族がいたと聞く。
故に、孤独とは闘わなくて済んだのだ。寒さに凍える中も、その心はあたたかかったのだ。
……らしくない事を考えるのは、弱気になっているからだろう。自分も、それと同じ病におかされているからだろう。
そして、弱い心を貪り尽くすように。
少女は冷たい雪が降り頻る中、真っ赤な血を大量に吐いて、苦しみ悶えながら孤独に息を引き取った――……
『納得できません! たとえそれが御上の命だとしても!』
『何故このような事をする必要が⁉︎ 別の方法があるはずです!』
『……お前たちの気持ちは、痛いほどよくわかっているよ』
『それでも父上は、考えを変えるつもりはないのですね』
『我々の命よりも大切な妹を見殺しにしろと。……父上も、御上と同じ事を仰るのですか』
『……それが、御上に支える我々の宿命だから』
『私はそれで構いませんわ。御父様』
――……そう。
これは、そういう筋書きだった。
『……何を、しているんだい』
『折角独りにしてくださったというのに、誰かに遷っていては元も子もありませんから、こうして自分の目で、皆様の無事を確認しに来たまでですけど?』
無事に完治した事を伝えると、兄たちにはそれはそれは揉みくちゃにされたが。
『あと、兄様たちはよく考えてから物を発言なさいな。どう考えても、私の命一つで済むならそうすべきじゃない。わざわざ一族の首を差し出すなんて、馬鹿以外しないわよ』
『だからって! お前ばかりがどうしてそんな目に遭わないといけないんだよ! 俺は反対だ!』
『そうでしたわ。兄様みんな、妹馬鹿でしたわね……』
『どうして、かな……』
着物を着た父は、胸を抑え付けた。
そこにある、懐中時計を握り締めながら。
『……ねえ、御父様。それから、兄様たち』
昔、父の誕生日に懐中時計を贈ったことがある。父は、それを怪訝な顔をしながら受け取っていた。
隠しているつもりらしいが、それはただの照れ隠しだ。陰でそれをよく眺めているのを知らなければ、今でも気付いてはいないだろう。
人当たりはいいが、優しいが故、自分の素直な気持ちを上手く口に出せない人なのだ。
だから、ぽろりと溢れてしまった問い掛けには、笑ってこう答えた。
『写真を撮りませんか? 最期に……みんなで』
代々忠誠を誓う、御上の為。
“橘”と“藤”の家紋の契りの為。
そして、……小さな少年の命を守り抜く為に。
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第二十七話 その妃、抱き締める
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それから、何度も枯葉色の世界が切り替わる。幾度となく夢を記憶を渡り歩けば、全く知らない国の状況なども帝以上には知ることができた。
(……飽きたわ)
ただここ暫くは、褒め称えられる帝の業績や、礼儀知らずな妃の悪口ばかりで、つまらないと言えばつまらない。
夢は無作為で、時系列に並べるには時間がかかる。此方からの干渉は殆どできないし、起きる時間など指定できない。でもそれだけだ。
ここまで大量の夢で、ずっと似た話を見たり聞かされてたりしていれば、少し考えただけで順番に並び替えることは容易だった。
『だから、いつまで泣いてるのよ、この泣き虫坊主』
だから、唯一困った事があるとすれば、夢の中で必ず、泣いている子どもに出会う事くらいで。
『……はあ。今度は誰に虐められたのよ』
『……おねえちゃん』
『そう。そのお姉ちゃんに何されたの』
『どうして。……しんじゃったのっ』
小さく蹲って震える少年の幼い体。
不思議なことに、夢の中で唯一、この少年とは話ができた。
ただの夢や記憶ではないのだろう。
黒く暗い世界に、少年はいつも閉じ籠っていたから。
『……小さな命を、守りたかったから』
『……っ。え?』
『あんたが知る必要はないわよ』
そっと、その小さな体を抱き締める。
触れられないから、何となくそうして。
『……だから、もう泣かないでいいのよ』
『……ぼく。わすれてないのに』
『ええ。そうね』
『わすれなかったら。あえるっていってたのに』
『だから、こうして会えたじゃない』
涙をそっと拭ってあげて。
拭えないまま、落ちていく涙に苦笑を浮かべた。
『……おねえちゃんに。あいたいよ……っ』
『……残念だけど、それは一生できないわ』
だってその子は、とうの昔に死んでしまったのだから――。
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第二十六話 その妃、頼りの綱は
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廃離宮に場所を移してからは、面白い程に事が進んだ。それも、仲間に引き込んだ人たちの惜しみ無い協力のおかげだった。
その甲斐あって、短期間でかなりの情報量が手元に集まった。それでも十分ではなかったから、一度広場で注目を浴びることにしたのだ。
国民たちからの軽蔑。
妃たちの敵意、妬み。
高官たちの憎悪、悪意。そして……殺意。
何百何千という夢を渡り歩く羽目にはなりそうだが、大方これで無事情報は集まったと言っていいだろう。
問題があるとすれば、夢の順番が選べない事と、今回はどれだけの間眠りにつくのか、一切予想ができない事くらい。
……夢は、いつか醒めるもの。
だから、終わるのを待っていればいい。
ただ寝首だけは掻かれないよう、予め対処はしておかないと。
『……暫く匿って欲しいというのは……』
『できれば私がここにいることも、誰にも知られたくはないの』
瑠璃妃には既に少女の事で世話になっていた。無事に幼馴染みとも再会させることができたし、本音を言えばこれ以上彼女に借りを作るのは避けたかったのだが。
『……あの方と喧嘩でもされたのですか?』
『そんなんじゃないわ。まあ詳しい話はしないことが多いから、向こうは私に腹は立っているでしょうね』
でも、頼れるのは他にいなかった。
『御事情は存じ上げませんが、もしもここで貴女様を迎えた場合、私は何をすれば宜しいのですか?』
『私の世話をして欲しいの。食事に入浴、排泄も頼みたいわ』
長丁場になれば、体に褥瘡ができる。
国一つ滅ぼす前に、自分の身が滅びるようなことになれば、この提案に乗ってくれた皆の足を引っ張りかねない。
聡明な瑠璃宮なら、最後まで話を聞いてくれるだろう。秘密を打ち明けても、信じてくれると思う。
でも、この事をあのあんぽんたんに話してみろ。
……最後まで話を聞かないまま過保護全開で暴れまくり、挙げ句の果てには計画をおじゃんにしかねない。
『承知致しました。一先ず私が臥せっていることにして、侍女たちに伝えましょう。私一人だけでは手が回らないこともあるでしょうから、侍女頭には付いてもらいますが、それでも宜しいですか?』
『何も聞かないの? どうして?』
『……そうですね。貴女様でも、異性の方に裸を見られるのは恥じるのだなとは思いました』
『え? いや、そういう意味ではなくて』
『それに、彼の心労も、なるべく少ない方がよいでしょうから』
『それは……』
きっと、長い間姿を消せば捜し回るのだろう。
できればさせたくなかった。
でも、そうせざるを得ない。
だって、選んだから。
『愛されているようで』
『あなたでも冗談って言うのね』
“また、あえる?”
……苦しい時間は、短い方がいいのよ。
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第二十五話 その妃、謀叛を企てる
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古来より、人々に恵みをもたらす太陽は信仰の対象とされてきた。
つらく苦しい時に手を差し伸べ、人々の心の支えとなった、かけがえのない救いの象徴。
恐らくこの国の人々にとって帝とは、太陽のような存在なのだろう。
人の心を変えることは、決して容易なことではない。ましてや、英雄のような存在に太刀打ちなど、到底できるようなものでもなければ、本来なら許されざる行為。
勿論、それは一般論の話に過ぎないが。
……一つ、こんな話をしてみよう。
夢の中に出てきたとある美しい小鳥と、それに心を奪われた一人の皇子の話だ。
皇子は、寝床や食事、一生楽して暮らしていける程の金貨も用意して、その小鳥に求婚を申し込んだ。
けれど、小鳥は自由を求めていた。
だから皇子は、小鳥の棲まう森を焼き払った。
それでも小鳥は、皇子の手を拒んだ。
愛する人々が救いを求め続ける限り、誰の手も取ることはできないのだと。
だから皇子は、貧しい村の人間たちの命を次々と奪っていった。
それを、間違いだとも思わずに。まるでこの手を取らない方が悪であると、知らしめるように。
さらに皇子は小鳥に希った。
どうか、我の国を助けてはくれまいかと。
作為的に、自国の村を貧困に苦しませて。
救いを求められた小鳥は、自由を諦めた。
けれど、その血に塗れた皇子の手だけは決して取らなかった。
それでも皇子は愉悦に浸った。
たとえ襤褸籠でも、ようやくその中に収まってくれたのだと。
立派な鳥籠を用意して待っていた皇子だったが、小鳥は自由だ。襤褸籠ではいつ壊れ、そして逃げてしまうかわからない。
だから皇子は、その襤褸籠に雄鳥を放つことにした。
……愛する小鳥から、自由を奪うために――。
『手掛かりを見つけたとは真か』
『わかったことがある、とだけ』
怯えながら少女が連れてきてくれた帝に、勿体付けながらこう答える。
捜し女はまだ現存していることを。
愛する男とその子供と幸せに暮らしていることを。
そして、眉間に皺を寄せた男は、怪訝そうな顔でそれにこう答えた。
『それがどうした』
薄々気が付いていた。
渡り歩いた夢の中でそれは徐々に確信へと変わり、そして今、目の前で確証を得た。
『それ以上用がないなら、我は失礼する』
この男は、崇められるような人間ではない。
最低最悪の下衆野郎だと。
『悪いけど、用ならあるの。捜し女を見つけ出すためには重要なことだから』
『可能な限り手は貸す』
『ありがとう。私も報酬のために全力を尽くすわ』
そうしてまずは、大量に様々な事を要求した。予言に必要だからと、適当に理由を付けて。毎日、毎朝、毎晩、一日に何度も。
予言の巫女などではなく、ただの我儘女ではないかと、高官たちが頭を抱えたら、今度は少女を見る目を変えた。
その我儘女に付き合える程に、この少女は優秀であると。
そして、瑠璃宮に想い人がいる高官に助言をし、少女を瑠璃妃付きの侍女へと昇格させた。
瑠璃妃がこの後宮で唯一、話が通じる人だということは、夢を渡ればすぐにわかること。
同時に、ここでは雑音が多過ぎるからと適当に理由をつけて、謀叛を企てるのには絶好の場所を手に入れた後、少女の推薦をした高官の書簡に一筆書き加えた。
“あなたのたった一つの願いを叶えましょう”
廃離宮までの、簡素な地図を添えて。
『これでようやく、予言に集中できそうよ。だから、最後に一つだけいいかしら』
そして、我儘に振り回されて過ぎて相手をするのさえ億劫になった帝は、適当に相槌を打って『叶えてやるからさっさと視界から消えろ』と睨み付けながら言い放つ。
けれど、言質は取ったと我儘女は、感謝するわと微笑んだ。
『“良”という少年を、私の世話係にしてくださる?』
理由は適当に……そうね。
“知人に似ているから”とでも言っておこうかしら。
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第二十四話 その妃、種を蒔く
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自分で情報を集めさせたか、はたまた男の願いを叶えようとした誰かの目論見があるのかは定かでない。
しかし、一握りにも満たなかったはずの極秘情報が漏れた。恐らく、そこそこの人数に。
これは、由々しき事態に他ならなかった。
やんごとなき男はこの国では帝と呼ばれているらしいが、その男に連れて来られた当初、零からの情報集めはかなり骨が折れると思っていた。
その男の監視下で監禁され、徹底的に人との関わりを絶たれた状態では、この国の情報は疎か、漏洩した人物や捜し人のことさえわかるはずもなかった。
唯一その機会があるとすれば、毎日三食、必ず運ばれてくる食事が下げられるまでの間だけ。
しかし、毎回食事を運びに来る少女は国の外から来た人間を嫌っているのか、それともただ無愛想なだけなのか、一切口を開くことも目を合わすこともなかった。
ただ、全く興味がないというわけではないようだ。
一人で食事するのも味気ないから一緒に食べないか、という誘いを無言で拒否されて以降、度々視線を感じるようになったのだ。
視線が合うようになったのは、それからまた数日後のこと。適当に結い上げていた髪が我慢ならなかったのか、向こうから梳らせて欲しいと申し出されたのだ。
それ以外の会話はなかったが、おかげで鏡越しに何度か視線を合わすことができた。
『私ね、強者は常に誰かを守るために在るべきだと思うのよ』
『……?』
『だから必ず、私があなたを押さえ付けているものから解放してあげるから、もう少しだけ我慢していてちょうだい』
『――!』
幼馴染みとの恋を許さず、名家嫡男との結婚を押し付けてくる父親。
拒否をし続けた結果絶縁された後、それでも我慢ならなかったのか、恩を忘れ家名を汚したとして実父の手により殺されかけた。
命辛々逃げた所を今度は攫われ、後宮へと無理矢理入れられた。
しかしここでも、支えていた妃や上司からは痛め付けられ、挙げ句の果てには宝飾品を盗んだと無実の罪を着せられた。
幼馴染みとの再会も叶わぬまま、首を切られるすんでの所で拾われ、最後の仕事だとここを言い渡された。
“中にいる女とは一切口を聞くな”
“決して国の話をするな”
“これを失敗すれば、お前の命は無い”
……少女の心が純粋で綺麗だったからこそ、その心に触れさせてもらえたのだと思う。
『私の話を信じる信じないはあなたに任せるわ。不審な点があるなら、報告をあげてもらっても構わない。私があなたに求めるのは、あなたがあなたとして在り続けること。それだけだから』
ただ、無実なんだから堂々としてなさいよ。
そして、どうせならもっと毎日楽しみなさい。
いつも同じことばかりするだけじゃ、つまらないでしょう?
『ここに来た時は、自分の仕事をしたらいいわ。それのついでに、よければ髪を結って行って?』
初めは不安そうにしていた少女とも、そうして少しずつ打ち解けていった。おかげで目を合わせる時間も日に日に長くなり、この国の情報が少しずつ見えてくる。
ただ、一つ困ったことがあった。ここにいる多くの人間が、この国の帝という存在に尊敬の意を抱いていることだ。
高官の中に、一人くらいは不満を感じている人間がいるだろうと高を括っていたのだが、全員揃いも揃って世継ぎの心配しかしていないときた。そう思えばある意味平和だと言えなくもないが。
(ちょうどお手頃ではあるんだけど……仕方がないわね)
夢を渡り歩くこと数日。
見つけたのは掃部の男と、その男と繋がりのある陰陽師。
そして――……帝が捜してやまない女。
『少しだけ待たせちゃったかしら』
そう言うと、少女は感極まった様子で涙を流した。
膝を突き、感謝を述べるように頭を下げようとする少女の手を取って、ゆっくりと立ち上がらせる。
『終わりじゃないわ。今から始めるのよ。そのために、あなたの力を少し貸してちょうだい』
まずは……そうね、種を蒔きましょう。
人気のない所に。
枯れ井戸近くに幽鬼の噂と。
……キラキラ光る、宝石の種をねえ――?
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