第十四話 その妃、口を閉ざす
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「翡翠宮」
「宝石に目がない女」
「天雀宮」
「やり放題揉み消し女」
「……春鳥宮」
「艶談好物女」
リアンは堪らず頭を抱えた。
「……誰がいつ、内面の話をしろと言ったんです」
「見たこともないのに外見答えろって言う方が無理な話でしょ」
「だから教えているじゃないですか」
「誰もがみんな、あんたの言葉をすんなり信じると思ったら大間違いよ」
リアンは思わず項垂れた。
まだ自分は、信用に足る人間になれていないのかと。
にもかかわらず、無愛想な陰陽師の心友は信用するのか。
荒んでいた子供の頃から慕ってくれていた少女にまで、先を越されるのか。
これだけ尽くして、これだけの扱いをされているというのに。ぐれずに甘んじて嫌がらせを受けているのだから、多少の施しがあってもいいくらいだ。
唇を尖らせていた最中「ま、使い方次第か」と、不意に妃が卓をとんと指先でつつく。
「慈鳥宮と鳳凰宮の妃の名がないのはどうしてかしら」
「……『日』の一族間で少々問題があったため、慈鳥宮の妃選定が遅れていると小耳に挟みました。鳳凰宮は……正妃となられる方のみ、入宮することができます」
沈黙が落ちる。それが短い間だったのか、それとも長かったのかはわからない。
ただ「……そう」と妃が声を発するまで、耳が痛くなるほどの沈黙は続いた。
「言うまでもないだろうけど、後宮には気を付けなさい」
「聞くまでもないでしょうが、その理由は?」
妃は口を閉ざした。静かに視線を外して、冷めた茶に口を付けながら。
疚しいことがあるわけではないのだろう。ただ、この表情が不安からくるものなのか、それとも憂いからくるものなのかは、判断しかねた。
「……言わなければ、わかりません」
それでも彼らには、理解できるのだろうか。
この妃が信用している、二人なら。
「ごめんなさい、確証はないの」
「……え?」
「あまりこういうことは言いたくないんだけど、気を付けていて損はない気がするというだけ」
「……えっと」
聞き間違いでなければ、今謝ったのか?
傲岸蕪村とまでは言わなくとも、容易に頭を下げる人ではないと思っていた、あの妃が。
いや、けれどこれはきっと、そうではない。
「……心配、してくださったのですか?」
「私の相手が務まる物好きが他にいるなら、好きにするといいわ」
「重々気を付けておきます。主人に涙は似合いませんから」
「あんたのために流す涙なんか一滴もないわよ」
それで、気が晴れるのなら。
これからどんなことがあろうと、喜んで彼女からの享受を選びましょうとも。
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第十三話 その妃、断言す
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「蒔いた『種』は確実に『芽』を出しました。それを、ここに御報告致します」
二人きりになった部屋で、瑠璃宮の妃――ユーファは、妃の名が書かれた調書を一つずつ置いていった。
それを見た廃離宮の主人は、「思った以上に釣れたわね」と感嘆の息を漏らす。
知っていたわけではないのか。
そう問うてみれば、「全てがわかるわけないじゃない」と、楽しそうな笑顔が返ってくる。
「この子は?」
「……金糸雀宮の妃はまだ幼い少女です」
「ふーん、そう。じゃあこの子」
「桃花宮の妃は元修道女だそうです」
「この子とこの子」
「花露宮の妃は甘い菓子にしか興味はなく、天女宮の妃は、協調性はありますが縛られるのを嫌がります」
『全てがわかるわけではない』
確かにそう言った妃は、恐らく何かを感じているか、或いは気付いている。
でなければ、無害に等しい妃たちばかりを指差すなど、辺境に棲まう離宮妃には少々難題だ。
しかし、後宮内を嗅ぎ回っている人物が先回って報告していたのなら話は別。加えてその中から一つ、鶺鴒宮の調書を迷わず開いて読むくらいには、ある程度の報告を受けていると思っていいだろう。
「女って、どうしてこうも面倒臭いのかしらね」
“彼等が瑠璃宮を去った直後接触”
“必要があれば『恋の教え』を説くと言い残す”
「『振られてざまあ』って、はっきり言えない病にでも罹ってるの?」
「遠回しに伝える方が、効果的なこともありますので」
それに、結果は初めからわかっていた。
「振られると断言した私を恨んでいないのかしら」
「残念ながら私にはそのようには聞こえませんでしたので」
それでは、これにて失礼致します。
ゆるりと腰を上げると、「一つ聞いても?」と問われ、勿論と返す。
「こんな廃れた離宮にも名はあるのかしら」
「……黄昏宮や冥土宮。それが、ここの異名で御座います」
「解釈は?」
「お任せ致します」
今度こそ去ろうとすると、背中に妃の声が掛かる。
「今度は私が、あなたに直接会いに行くわね」
『事の次第につきましては、追って使いを寄越しますので……』
あの時は、半分興味本位だった。でももう半分は、その噂にもすがる思いだったのかもしれない。
長い間心の準備だけして、それ以外は何もしてこなかった。誰にも悟られぬよう必死に隠してはいつも怯えていて。けれどそれを知るのは何より恐ろしく、そうして心は疲弊していくばかり。
……だから十分救われた。
ようやく、区切りを付けられたのだから。
「……心より、お待ち申し上げております」
妃の方を振り返ることはできなかった。
涙声にならないように、必死だったから。
宮を出るや否や、見知った顔と遭遇する。不安そうに、けれど微笑みながら、その人は誰かを待っているようだった。
「早く戻られた方が宜しいのでは? またどなたかのように、薬を盛られているやもしれませんわよ」
この程度の反撃くらいはいいだろうと、輿と遣いを探そうとした矢先、何故か目の前が花一色になる。
何のつもりか。
そう問う前に、持っていた花束を握らされた。
「ずっと、想っていてくれてありがとう。雨華ちゃん」
それが、彼なりのケジメなのだろう。
だからその花束を、素直に握り締めた。
「……あなたなんか、一生恋に振り回されてしまえばいいのですわ」
これ以上、捨て台詞に相応しいものはない。
御簾を下ろした帰りの輿の中。カミツレの香りを嗅ぎながら、静かに笑みをこぼした。
『後日、その男を遣わしましょう。事前に伝えておきます故、その時に試してくださいまし。男が一体、何を選ぶのか』
そして、彼は選んだ。
それが、彼の答えだった。
だから、妹と言われてもつらくはなかった。
「最後に、うかと呼んでくださって、ありがとう」
あなたを想っていた時間は、本当に……最初から最後まで、心から幸せでしたわ。
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第十二話 その妃、花を摘む
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少年は泣き虫だった。些細な事で泣き喚く子に、大人たちも常に困り果てるほどに。
ある日、少年は蹲って泣いていた。好きで生まれてきたわけではないと。大人の事情に巻き込むな、振り回すなと。
『いつまで泣いてるの? 泣き虫さんね』
泣いているところを見られたくない。
そう思い始めたのは、この頃だった。
とある少女と、出会ったからだ。
少女は常に、強い心を持っていた。
何にも脅かされる事なく、幼いながらにも自分の考えを持ち、大人たちに意見できるほどに。
『ぼくも、なれるかな』
『んー。それはちょっと難しいかも。あなたには向いていない気がするから』
だから、あなたはあなたらしく。
涙ではなく、笑って生きていける道を探していけばいいのよ。
『また、あえる?』
『……そうね』
そして少女は、道端に咲いていた花を摘んでくれた。
『あなたが“私を忘れなければ”、きっとまた会えるわ』
白い、勿忘草だった――。
* * *
「そんな顔するなんて知らなかった。僕が知ってるのは、どんな時だって笑ってる顔だったから」
窓枠だったそこに寄り掛かりながら、じっと窺うように見上げる。庭を眺めながら立ち尽くしている友人に、「妃は付き合ってられないと言ってさっさと部屋を出て行った」と伝えると、彼は安堵したように息を吐いた。
「……薬、盛られたって聞いた。瑠璃の妃に」
「心配してくれるの、もしかして初めてじゃない?」
「心配じゃない。呆れてるんだ阿呆」
「ハハ。阿呆ならしょうがないね」と笑う。けれど、何かに視線が動いたかと思ったら、今度は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「……忘れた事なんかなかった」
「だったらそう言えばよかったんじゃないの」
「……誰に言えって?」
「瑠璃の妃に」
知り合いなんでしょ?
確信を込めて問い掛けると、彼は一瞬目を丸くする。何かを間違えたのかと思ったら、友人は申し訳なさそうに微笑んだ。
「……応えるつもりはないんだ。今も昔も」
「向こうはゾッコンらしいけど」
「全面的に、悪いのは僕だから」
「その罪悪感で、媚薬を飲んだの」
それで気が晴れるのなら、何だってするよ。
そう言った彼は、今度は驚きに目を見張った。その視線の先には、庭に佇む妃の姿。恐らく、眠ったと思っていたのだろう。
妃は無言のまま、適当に摘んだこの花を、これまた適当に投げ捨てるように、窓辺へと置く。
「……これは?」
「嫌がらせ」
「ぶっ」
ど直球に堪え切れず噴き出すと、隣からは初めてと言っても過言ではない不機嫌さが漂った。
「怒った顔は初めて見たわ」
「……だったら何ですか」
「別に何もないわよ。嫌がらせだもの」
そうして彼女はまた、やりたい放題やって、やりっぱなしでこの場を去っていった。今度こそ寝所へと戻っただろう。
頭を抱えるようにして、彼は髪をかき上げた。
「二人して何なの」
「何ってそりゃ……嫌がらせ?」
「そうでしょうよ……⁈」
「そんな顔してたら、誰だって嫌がらせの一つや二つしたくなるでしょ」
窓辺に置いてあった一輪を摘まんで、ふうと息を吹きかける。
するとそれは、小さな白い火花を上げて、一瞬で燃えて、そして消えた。
「ジュファの気持ちもわからないでもないよ」
「……どういう意味?」
「笑った顔以外も、たまには見たいでしょ」
「……ねえ、僕のこと相当好きでしょ」
「調子乗んなよ」
「でも呼び捨てはまだ早いんじゃない?」
「何? もしかして妬いてるの?」
常に笑顔でいることこそが、その男にとっての武器であった。そうして“己だけの力”を付けてきたことをよく知っている。
この笑顔に救われたことだって、何度もあった。だから――。
「……まさか、被虐趣味があったとはね」
「お願い。それだけは否定して」
「いや、どの顔して言うの。無理でしょ」
またこの赤い顔が見られるなら。
……あっさりぽっくり死ぬわけにはいかないよね。
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第十一話 その妃、発破を掛ける
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京畿の西には、我が物顔で踏ん反り返った密竹と、それに隠されるように棲まう一族がいる。そこはまさにその竹のように高慢で横柄、そして烏滸がましい人間で溢れ返っていた。
その一族には、東に棲まう“星”の一族と同等か、それ以上の力を持つ“月”に愛された『神の子』という存在があったからだ。
神の子は、その生まれ持った“憑き”を惜しみなく使い、常に人々の幸せと未来の繁栄を願っていた。
しかし、ある時を境に神の子からその憑きが落ちてしまう。
一族は再びそれを取り戻そうと、神の子を小さな舟へと乗せ、満月が沈む夜の海へとやった。
そうして、無事に戻ってきた神の子は見事憑きを取り戻し、その短い命果てるまで、月に愛されし一族を守っていくと誓ったという――。
* * *
神にそして帝に対し、敬虔な態度を執ることで信仰心を示す、この国の人間たちは皆愚かだ。
彼等は常に、この国の平安を願っている。願うだけで叶うと信じているのだ。
そもそも本物の平安など、到底他人任せでできるものではないというのに。
「……あのさ、僕の話全然聞いてなかったでしょ」
さっさと取った尊敬語にも、妃はただ一笑に付すだけ。加えて、「何が問題なのかさっぱりわからない」と言いたげに見下してくる始末。
宦官として付き従っている知り合いの阿呆に至っては、何故かどことなく居心地悪そうにしていて……正直わけがわからない。
この状況に飲まれてなるものかと、一度咳払いをして整理し直す。
……問題なんか山積みに決まっている。
そもそも相手が相手だし、此方の立場もある。
そして何より、命よりも大切な人たちを護れなければ、この反逆に意味はない。
それにもかかわらず、作戦など有って無いようなもの。これを問題だと言わず何と言う。
「じゃあ逆に聞くけど、誉れ高い陰陽師くんは、一体何を恐れているのかしら」
素の態度と嘲笑の奥に隠された、見定めるような空気感。
これだけの話をしておいて、今更作戦から切り離されることはないだろうが、見下されるのは正直言って腹立たしい。
「あんたと違うことはただ一つ、僕が捨て身じゃないこと。護れなきゃ意味がないんだよ」
「護ればいいじゃない。まさかとは思うけど、君ほどの実力者が、頭ん中花畑の馬鹿鳥に負けると思ってるわけじゃないわよね」
「言ったろ。捨て身にはなれない」
「言ったはずよ。問題なんか“初めからない”と」
謎かけのような言葉に頭を抱える。まだ、この妃が何を言いたいのかがわからない。
「知っての通り、この国の人間はみんな信仰心が高いでしょう?」
「だから何」
「だからみ〜んな、“綺麗事”が大好きなの」
「……だから?」
「信じているのはそれだけ。だからそれ以外のことは信じないし、そもそも……知らないかもしれないわね」
そこまで来てようやく、この変人奇人が何を言いたかったのかがわかる。
「栄《ロン》。呼びやすい方がいいでしょう」
「ジュファよ。やる気になってくれたみたいでよかったわ」
「あれだけ発破を掛けられてしまっては、そうならざるを得ませんって」
そもそも、綺麗事だけしか信じない国の人間たちが、その国が滅ぶなんて絶望を信じるはずもなければ、そんな不名誉を語り継ぐはずもない。
ましてや、国の史実として残るなんて以ての外。誰もどこにも書けはしないだろう。
何せ、都合の悪いことだけ隠してきたのが、ここで仇となるのだから。
「ふふっ。存分に暴れるわよ」
「それはいいんですけど……アレ、どうしたんですか」
「さあね。幽霊と話でもしてるんじゃない?」
あれから修復できていない壁の穴から、ぼうっと庭先を眺めている阿呆はもしや、彼女の言葉を初めから理解していたのだろうか。
しているようには到底見えないが、していたらと思うと腹が立ったので、取り敢えず式神で後ろからどついておいた。
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幕 間 そして、少女はこの世を去った
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時計の針が、予定の時刻を差す。
すると、先程まで騒がしかった屋敷の外が、鳴りを潜めた。それは、ここにいる全員が『本物』と決別し、そして『虚構』を受け入れたということ。
『お願いします! どうか会わせてください!』
たった、一人を除いて。
手にしていた懐中時計の蓋を、殊更ゆっくり、時間をかけて閉める。
言葉になど、到底言い表せられない思いを、その中に閉じ込めるように。
『お願いします! 一目会えるだけで……声が聞けるだけでも構わないので!』
『……案内して差し上げなさい』
『……しかし、それは……』
『彼もまた、我々と同じく“現状”を受け入れるべきでしょうから』
『承知致しました』
ありがとうございますと、少年は額を地面に擦り付けるようにして感謝を述べた。
『……どうかお顔をお上げください。そのように感謝していただくようなことでは御座いません』
何故なら、嬉しそうに泣き笑う少年は、この後すぐ小さな墓石の前で、凄惨に泣き崩れることになるのだから。
見送った後、懐中時計を懐へと収めた。
……ちいさな少女の笑顔と共に。
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