第十二話 その妃、花を摘む
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少年は泣き虫だった。些細な事で泣き喚く子に、大人たちも常に困り果てるほどに。
ある日、少年は蹲って泣いていた。好きで生まれてきたわけではないと。大人の事情に巻き込むな、振り回すなと。
『いつまで泣いてるの? 泣き虫さんね』
泣いているところを見られたくない。
そう思い始めたのは、この頃だった。
とある少女と、出会ったからだ。
少女は常に、強い心を持っていた。
何にも脅かされる事なく、幼いながらにも自分の考えを持ち、大人たちに意見できるほどに。
『ぼくも、なれるかな』
『んー。それはちょっと難しいかも。あなたには向いていない気がするから』
だから、あなたはあなたらしく。
涙ではなく、笑って生きていける道を探していけばいいのよ。
『また、あえる?』
『……そうね』
そして少女は、道端に咲いていた花を摘んでくれた。
『あなたが“私を忘れなければ”、きっとまた会えるわ』
白い、勿忘草だった――。
* * *
「そんな顔するなんて知らなかった。僕が知ってるのは、どんな時だって笑ってる顔だったから」
窓枠だったそこに寄り掛かりながら、じっと窺うように見上げる。庭を眺めながら立ち尽くしている友人に、「妃は付き合ってられないと言ってさっさと部屋を出て行った」と伝えると、彼は安堵したように息を吐いた。
「……薬、盛られたって聞いた。瑠璃の妃に」
「心配してくれるの、もしかして初めてじゃない?」
「心配じゃない。呆れてるんだ阿呆」
「ハハ。阿呆ならしょうがないね」と笑う。けれど、何かに視線が動いたかと思ったら、今度は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「……忘れた事なんかなかった」
「だったらそう言えばよかったんじゃないの」
「……誰に言えって?」
「瑠璃の妃に」
知り合いなんでしょ?
確信を込めて問い掛けると、彼は一瞬目を丸くする。何かを間違えたのかと思ったら、友人は申し訳なさそうに微笑んだ。
「……応えるつもりはないんだ。今も昔も」
「向こうはゾッコンらしいけど」
「全面的に、悪いのは僕だから」
「その罪悪感で、媚薬を飲んだの」
それで気が晴れるのなら、何だってするよ。
そう言った彼は、今度は驚きに目を見張った。その視線の先には、庭に佇む妃の姿。恐らく、眠ったと思っていたのだろう。
妃は無言のまま、適当に摘んだこの花を、これまた適当に投げ捨てるように、窓辺へと置く。
「……これは?」
「嫌がらせ」
「ぶっ」
ど直球に堪え切れず噴き出すと、隣からは初めてと言っても過言ではない不機嫌さが漂った。
「怒った顔は初めて見たわ」
「……だったら何ですか」
「別に何もないわよ。嫌がらせだもの」
そうして彼女はまた、やりたい放題やって、やりっぱなしでこの場を去っていった。今度こそ寝所へと戻っただろう。
頭を抱えるようにして、彼は髪をかき上げた。
「二人して何なの」
「何ってそりゃ……嫌がらせ?」
「そうでしょうよ……⁈」
「そんな顔してたら、誰だって嫌がらせの一つや二つしたくなるでしょ」
窓辺に置いてあった一輪を摘まんで、ふうと息を吹きかける。
するとそれは、小さな白い火花を上げて、一瞬で燃えて、そして消えた。
「ジュファの気持ちもわからないでもないよ」
「……どういう意味?」
「笑った顔以外も、たまには見たいでしょ」
「……ねえ、僕のこと相当好きでしょ」
「調子乗んなよ」
「でも呼び捨てはまだ早いんじゃない?」
「何? もしかして妬いてるの?」
常に笑顔でいることこそが、その男にとっての武器であった。そうして“己だけの力”を付けてきたことをよく知っている。
この笑顔に救われたことだって、何度もあった。だから――。
「……まさか、被虐趣味があったとはね」
「お願い。それだけは否定して」
「いや、どの顔して言うの。無理でしょ」
またこの赤い顔が見られるなら。
……あっさりぽっくり死ぬわけにはいかないよね。
#スマイル/和風ファンタジー/気まぐれ更
2/8/2024, 3:58:49 PM