あなたとわたし
あなたが指先を鍵盤の上で踊らせている時、わたしはそれを左斜め後ろから見ている。楽しげに弾み、時にしっとりと沈み、あるいは微笑みのような柔らかさをたたえる。単音も和音も、短調でも長調でも、あなたは全ての音を等しく愛おしげに奏でる。まるで全て、その指先から生まれ出た我が子のように。わたしの役目は、彼らをあなたの指先から旅立たせることだ。つっかえることなく一人一人が宙を漂うには、わたしの手が必要だ。
わたしがキッチンに立っている時、あなたはそれを右斜め後ろから見ている。わたしが何を切っているのか、何を煮込んでいるのか、何を混ぜているのか。指先を大事にしなければならないあなたは、わたしを少しも手伝えないことにはがゆさを覚えてつい手を出そうとする。わたしはそれをすかさず止めて、ゆっくりと首を振る。残念そうなあなたは、しかしそこを離れずわたしが全ての工程を終えるのを待っている。あなたの役目は、わたしがつつがなくキッチンを離れるのを見届けることだ。美味しい料理の完成には、あなたの瞳が必要だ。
踊りませんか?
帰ったら踊る。朝まで。
電話口の姉の声はこれまでにないほど不機嫌だった。おまけに"朝まで踊る宣言"までついてきた。けれどここで何があったの? とか、どうしたの? と聞いてはならない。ますます機嫌を損ねることになる。こういう時は「お好きにどうぞ」が常に正解で、そう返すと姉は、分かるか分からないかくらいのほんの少しだけ明るい頷きを返す。
妹の私が姉の帰りまでにやっておくべきことは、CDとスピーカーの準備だ。ご飯やお酒はいらない、強いて言うなら水があればいい。"朝まで踊る宣言"というのは、それを口にする間もないくらいに踊り明かす、という意味だ。
何かあったら踊って忘れる、というのが私たち姉妹における暗黙のルールだ。つまり、踊るということは何かあったということで、それを宣言するということは「今は言いたくないから後でね」ということである。ぜえぜえになりながら朝まで踊り、その途中できっと姉は不機嫌の種をぶちまけるのだろう。
かくいう私も、姉に"朝まで踊る宣言"をしたことがある。友達に彼氏を取られた時、仕事のできない同僚が偉ぶって我慢できなくなった時、姉と喧嘩した時でさえ、踊っていたらどうでも良くなってくる。だから踊る。下手くそでもリズムに合わない踊りでも、とにかく何でもいいから踊るのだ。
玄関で鍵が開く音がした。ただいま、という猛獣の唸り声のような姉の声が聞こえる。けれどそれを言うとたぶん吹っ飛ぶくらい殴られるので、後で言おうと心の中にしまっておく。
姉がリビングのドアを開けるのが合図である。ガチャ、という音と共にスピーカーの再生ボタンを押す。
「朝まで踊るんでしょ、付き合ってあげる」
「何様よ、あんた」
私が先に踊ってみせれば、姉もバッグとコートを放り出して踊り始めた。朝まではまだ何時間もある。
巡り会えたら
衝動買いとはもはや病気だ。値段も見ずに、あるいは見たとしても欲しくなるのは、本当に良くない。この間だって三万もした深緑色のスカートを買ったでしょ、と自分に言い聞かせるも、手に取ってしまった以上このブラウスを手放すことはできない。これがクローゼットに行儀よく収まっているところを想像すると、もう買う以外の選択肢はなかった。
本二冊、漫画二冊、スマートフォンのケースだけを買う予定だった。それがいつの間にか、マグカップ、チョコレート、パスケース、バッグ、ヒール、ブラウス……と、だんだん増えていった。おかげで袋だらけだ。こんなはずじゃなかったのに。
けれどどれも、わたしが運命を感じたものだった。ひつじの柄のマグカップは可愛く見えて仕方なかったし、チョコレートはわたしが好きな銘柄の新作だ。パスケースはもうボロボロになっていたから替え時で、バッグもヒールもブラウスもみんな気に入ったのだから仕方ない。
こんなに買ってどうするの、と幾度も繰り返してきた問いが頭に浮かぶ。それを、巡り合いだから仕方ないわ、といつものように打ち消す。「巡り会い」だけが唯一、衝動買いにおける免罪符なのだ。
たそがれ
裸足で歩くアスファルトは、思った以上に不快だった。石のゴツゴツとした感じが足に刺さって痛いし、実際小さな石はいくつも足裏に刺さったのでその度に払って取り除かなければならなかったし、何より西日に灼かれてとても熱い。まるで鉄板の上を歩いているみたいだ。
それでも裸足で歩き続けるのには理由があった。単純な話、靴がないからだ。靴がないのは裸足で困っていた女の子にあげてしまったからで、彼女の靴は脆い作りだったのかヒールが折れて使い物にならなくなっていた。どうやらこれから恋人とデートだったようで、けれど近くには靴屋がなく、困り果てて泣きそうになっていたので差し出したのだった。
いいんですか、と何度も聞かれた。わたしはそれに何度も頷き返した。母からのお下がりで、実はサイズが合わなくて捨てようかと思っていたんです。前者は本当だったが後者は嘘だった。そうでもしないと、目の前の女の子は靴を受け取ってくれる様子がなかった。幸い、靴は彼女の足のサイズにぴったりだった。
そしてこれもまた幸いなことに、誰もわたしの足には気付かなかった。一人二人くらいはぎょっとする人がいるかもしれないと思ったが、誰もが皆自分や家族や恋人や友人のことに夢中で、通行人Aのことなど視界の端に留めようともしなかった。おかげでわたしは、何かしら声をかけられることも無く帰路を辿れている。
信号が赤になり、わたしは立ち止まる。暮れかける日が街をオレンジに染め上げ、わたしさえもその中に取り込もうとする。
ふと足元に目をやると、オレンジはきちんと足を侵食していた。まるで夕日の色の靴みたい。元々履いていた靴とは似ても似つかないし、今日着ている服にも合わないけれど、悪くは無いと思う。
きっと明日も
きっと明日も良い朝になるわ、というのが同居人の「いってきます」と「おやすみなさい」に代わる言葉である。夜職の彼女は、夕方に出て行って早朝に帰ってくる。会社員の私とは真逆の生活をしているのだ。
私たちが会うのは朝と夕方の少しの間。彼女が一時的に起き出してきた時と、私の帰宅――つまり彼女の出勤時だ。私がすっかり部屋着に着替えたあたりで、美しく着飾った彼女は家を出て行く。その時に必ず、「きっと明日も良い朝になるわ」と言うのだ。
それがある種のおまじないだということは、いつだったかの朝に彼女自身が教えてくれたことだった。ちゃんと家に帰れますように、私と「良い朝」を迎えられますように、そしてまた「良い朝」を迎えるための約束が出来ますように。とろとろと落ちかける瞼を開けながら、彼女は私が作ったフレンチトーストを頬張っていた。
濃いめだが美しいメイク、輝かしいドレス、高いヒール。ブランド物らしいバッグと、それを持つ手の爪にきらきらとした付け爪。玄関にある姿見の前でくるりと回ると、出発の儀式はおおかた終わる。
「きっと明日も、良い朝になるわ」
にこりとして彼女が言う。
「そうね、そうだといいね」
私は頷きながら、彼女の背中に投げかける。これもある種のおまじないだ。きっと明日もまた、彼女を労るための良い朝が訪れますように。そして私が、一人の夜を無事に乗り越えられますように。