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踊りませんか?

 帰ったら踊る。朝まで。
 電話口の姉の声はこれまでにないほど不機嫌だった。おまけに"朝まで踊る宣言"までついてきた。けれどここで何があったの? とか、どうしたの? と聞いてはならない。ますます機嫌を損ねることになる。こういう時は「お好きにどうぞ」が常に正解で、そう返すと姉は、分かるか分からないかくらいのほんの少しだけ明るい頷きを返す。
 妹の私が姉の帰りまでにやっておくべきことは、CDとスピーカーの準備だ。ご飯やお酒はいらない、強いて言うなら水があればいい。"朝まで踊る宣言"というのは、それを口にする間もないくらいに踊り明かす、という意味だ。
 何かあったら踊って忘れる、というのが私たち姉妹における暗黙のルールだ。つまり、踊るということは何かあったということで、それを宣言するということは「今は言いたくないから後でね」ということである。ぜえぜえになりながら朝まで踊り、その途中できっと姉は不機嫌の種をぶちまけるのだろう。
 かくいう私も、姉に"朝まで踊る宣言"をしたことがある。友達に彼氏を取られた時、仕事のできない同僚が偉ぶって我慢できなくなった時、姉と喧嘩した時でさえ、踊っていたらどうでも良くなってくる。だから踊る。下手くそでもリズムに合わない踊りでも、とにかく何でもいいから踊るのだ。

 玄関で鍵が開く音がした。ただいま、という猛獣の唸り声のような姉の声が聞こえる。けれどそれを言うとたぶん吹っ飛ぶくらい殴られるので、後で言おうと心の中にしまっておく。
 姉がリビングのドアを開けるのが合図である。ガチャ、という音と共にスピーカーの再生ボタンを押す。
「朝まで踊るんでしょ、付き合ってあげる」
「何様よ、あんた」
 私が先に踊ってみせれば、姉もバッグとコートを放り出して踊り始めた。朝まではまだ何時間もある。

10/4/2022, 12:36:47 PM