静寂に包まれた部屋
僕の呼吸音と、一日に二回開くドアの音、近付いてくる足音。数日に一度訪れる「検査」を知らせる声。あとは、数週間に一度程度聞こえる、誰かの奇声。僕の部屋に届く音はこのくらいだ。
ここは、いわゆる超能力を研究する施設だ。それを知ったのはつい最近で、教えてくれたのはずいぶん前からここにいるらしい外国の人だった。男の人の声で、イギリスの出身だということ、テレパシーだけは唯一上手く使えるということ、この施設の目的(集められた人たちが持つ特別な力を、持たない人に分け与えるための研究をしているということ)、その実悪いことに使おうとしていることなどなど、とにかくいろんなことを流暢な日本語で教えてくれた。
スプーンを曲げ、裏返しのカードの柄を当て、銅像を浮かし、リンゴを破裂させる。これがどんな悪いことにつながるのだろうと考えてみる。僕には想像もつかない。何しろ僕は、ここに来る前は自分の力を手品の一つとして使っていた。人々を笑わせる手段の一つだったのだ。悪いこと、悪いこと。ぐるぐると考えていると、ガチャンと派手な音がして銅像が真っ二つになっていた。
しばらくすると、奇声は自由への一歩という話を聞いた。あの人と同じ声で、僕が「検査」をしている間にテレパシーで伝えてきた。発狂したふりをすれば使い物にならないと判断されて外に出されるのだそうだ。その後その人たちはどうなるの、と聞こうとしたが、あいにく僕にはテレパシーが使えなかった。
「検査」を重ねるうちに、スプーンは鉄板に変わり、リンゴは金属の箱に変わっていった。銅像は浮かせるだけではなく指定の場所まで運ぶことを課され、それまでに壊してしまうと元通りに直すことを求められた。
奇声はその間にいくつも聞いた。数週間に一度から、二度、三度と頻度は徐々に増えていった。彼らは皆外に出してもらえたのか、それとも。
僕の呼吸音と、一日に二回開くドアの音、近付いてくる足音。数日に一度訪れる「検査」を知らせる声。誰かが発狂した声を上げているのが遠く聞こえた。僕にテレパシーを送ってくれた人の声に、少し似ている気がした。
別れ際に
恋人と連絡が取れなくなってから数週間が経った。どれだけメッセージを送っても読んだ様子はなく、もちろん向こうから連絡する気配など微塵もない。そもそも私の前から消える気配だってなかった。
小さくため息をつく。私に飽きたのか、それともどうしようもない事情があるのか。色々と考えてみたが、前者で納得することにした。そう思った方がまだ救われたような気持ちになる。
二人で映画を見に行った日が最後だった。誕生日とか記念日とかいうわけではなく、ただ彼に似合いそうなピアスを見つけたから買ってプレゼントした。
私は彼という人の、耳を最も愛していた。思わず触れたくなるくらいに形は美しく、けれど精巧な石像のようで触れることは恐れ多くてなかなかできなかった。そしてその耳朶を飾るピアスも当然美しく、触れることができない分ピアスを選ぶことが私の楽しみであった。
つけてと言われたのでおそるおそる彼の耳に触れる。彼は私が耳を愛していることを知っていたから、「そんなに緊張しなくてもいいのに」と笑っていた。彼の耳は少し熱を持っていた。こっそり自分の耳と比べてみた。私の方がよっぽど熱かった。
ピアスは彼によく似合った。まるで星々のきらめきを身につけているようで、そう褒めると彼は照れくさそうに笑った。思わず唇を寄せたくなる。けれどそうしたら、せっかくその耳に収めたきらめきが逃げてしまいそうで、ぐっと我慢した。
彼とはそれっきり。毎日つけると約束して駅で別れて、以来何もない。今でもつけてくれているのだろうか。それとも知らない人からもらったピアスに付け替えたのだろうか。
あの時、きらめきを逃してでもキスをしておけば良かったと思う。
通り雨
鼻頭に水滴の気配を感じ、それを拭っていると一気に雨が降ってきた。それほど強くは無いが、弱くもない。向こうの方は明るいから、きっと通り雨だろう。急いで折りたたみの傘を広げる。
昔、通り雨は魔法だと信じて疑わなかった時期がある。どこかの魔法使いがほうきに乗るのを嫌がって、代わりに雨雲に乗って移動している。だから誰も知らない雨は魔法で、その魔法にあやかれる偶然を傘で遮るのはもったいないと、たとえ傘を持っていても差さなかった。結局、風邪を引いたら困るからと何度も諭され、私は傘を差すようなった。そのうち、魔法のことなど忘れてしまった。
思い出したのは、信号待ちをしている少年が傘を差していなかったからだ。雨粒を払う素振りもなければ、視界が滲む雨に顔をしかめる様子もない。彼こそきっと、雨の魔法とそれを操る魔法使いに祝福されているのだろう。幼い私と同じだ。
雨足はだんだん弱まってきた。そろそろ上がる頃だ。
秋🍁
ママはよくあたしに、秋になったら“しょぶん”を始めなさいと言う。本来なら冬にやることだけど、冬は冬で忙しくなるから秋から始めておくのだ、と。“しょぶん”とはもう着なくなった服や読まなくなった本を手放すことで、それはつまりあたしは自分で選んだものたちを捨てることだった。
“ しょぶん”するものを選り分ける時、あたしはまるで、それらを裏切った気持ちになる。だからあたしは“しょぶん”が嫌い。“しょぶん”をしなければならない秋が嫌い。でも“しょぶん”をしないとママが怒る。だから仕方なく、あたしは秋になったら“しょぶん”を始める。
“しょぶん”の箱には、もうサイズが合わなくて着られなくなったワンピースが横たわっている。ピンク色の、リボンとキラキラがついたかわいいワンピース。あたしはそれを手に取って抱きしめた。少し前まではぴったりだったはずなのに。
ここに次何がやって来るのか、あたしはワンピースを抱きしめたままで部屋を見回した。本かもしれない、別のワンピースかもしれない、もしかしたらハートの飾りがついたネックレスかも。そうして直に完成していく宝箱を、あたしはやっぱり手放すのだ。
でもあたしは、去年自分が何を手放したか思い出せない。何か、あたしが大切な宝物だと思っていたものが消えたことは覚えている。でもその名前も、形も、思い出せない。だからあたしは秋が嫌い。あたしから宝物を奪い、その上その記憶も奪ってしまう秋が、あたしは一番嫌い。
窓から見える景色
雨の降る日の窓が好きだ。雨粒が少しずつ垂れていくのを見るのが好き。粒どうしが重なり合い、ひとつになって流れていく。それがどうにも、空の上では離れ離れだった恋人、あるいは友人が、再び出会えたような小さな感動があるような気がするのだ。
幾人もの恋人や友人を見送ると、向こうの方で車のライトが滲んで見えた。あの人が帰ってきた。