徒然

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8/18/2023, 8:11:25 PM

 これは私が小学3年生の夏休みに、実際に体験した話である。

 築70年になる祖母の家には開かずの間があった。
 今でいう古民家だろうか。作りは古いがその分丈夫で風通しも良かった。家には中庭があり、それを取り囲むように廊下がついている。
 その開かずの間は、中庭に面していて陽当たりも良く、居間も水回りも近い。住むのにはうってつけの部屋なのだが、祖母はその部屋を決して使わなかった。
 その部屋に通ずる襖にはつっかえ棒をしており、部屋を開けている所も見た事は無い。丁度居間に面した部屋なので、開かずの間より奥の部屋に行きたい時は一度中庭に出ないといけなく、とても不便だった。
「なんでその部屋使わないの?」と尋ねた事がある。祖母は「悪い物を閉じ込めているんだよ。だから決して近づいたり開けたりしてはいけないよ」と言い、私が遊びに来る度にその部屋に入るなと念を押された物だ。
 だが昔から好奇心が旺盛で落ち着かない子どもだった私はらその部屋が気になって仕方なかった。

 祖母の家に遊びに行っていた時だ。両親は集まった親戚達と騒ぎ、子供の私は退屈していた。同じ様に暇を持て余した歳上の従兄弟達と家の中でかくれんぼをする事になり、従兄弟の1人な鬼で私とその他の従兄弟が隠れる。何処に隠れても、何度やってもすぐに見つけられてしまうのが悔しく、私は絶対に見つからない場所として開かずの間に隠れる事にした。
 
 部屋を開けると、6畳一間の正方形部屋になっていた。入って目の前に中には一段高くなった床間があり、掛け軸が掛けられ日本人形が置かれていた。その日本人形と向かい合う位置――入り口の襖を半分塞ぐ形で、三面鏡の古びたドレッサーが1つあるだけだった。
 中は普段開けてないとは思えない程に綺麗でカビ臭さなどは無い。知らないだけで祖母が普段から掃除をしているのだろうか。
 まだ従兄弟が数を数えているのが聞こえる。他の従兄弟も見ていない。隠れるなら今だ。私は慎重に扉を閉めてからキチンとつっかえ棒が作用しているのを確認し、襖に耳を近付けて外の様子を伺った。
 しばらくして、数を数え終わったらしい従兄弟の足音が聞こえて来た。私の名前を呼びながら探し回っている。まさか私が開かずの間に隠れている何て夢にも思わない筈だ。私は足音が通り過ぎるのを確認してから、気になっていたドレッサーに近づいた。
 
 三面鏡のドレッサーは閉じられた状態になっていた。引き出しを全て開けてみたが中身は無い。座面が開いて箱となっている椅子の中にも何も入っていなかった。
「つまんないの」
 てっきり何か出てくるのではと期待していたのだが、特に何も無い。私は椅子に腰掛け閉じられた鏡に手を掛けた。
 三面鏡を開き中を覗き込む。当然だが、正面には自分の顔左右を見ると、合わせ鏡になって自分が複数居るように映るのが面白い。右を見たり左を見たり、鏡の角度を変えて遊んでいた時だった。覗き込んだ奥の方に映った私の顔が歪んだような気がした。私は目を擦ってもう一度確認する。そこに映っているのは間違いなく私だ。歪んだ顔などしていない。気のせいだったのだろうか。不思議に思いながら正面に向くと、左右に映る自分の顔が歪んだ。
 
「え!?」
 
 私は思わず声を出してしまう。左右の鏡を確認すると、やはり歪んだ顔が写っていた。私は正面を見ていた筈なのに、正面の鏡もと左右の鏡も全部が私が正面を向いた姿で映っている。合わせ鏡なのに、合わせた姿が映っていない。
 
「ど、どういうこと……?」
 
 左右の鏡に映った顔は歪み続け私では無い誰かを写した。左の鏡にはまだ若い…2歳児位だろうか、赤ん坊とも呼べそうな幼い子どもの顔に変わる。
 右の鏡には自分よりかなり歳上だ。20…いや30歳位か。親戚のお姉さんと同い年位に見える。確か歳は28歳だったはずだ。
 左右それぞれ違う顔がこちらを見つめている。正面には自分の顔。そしてその自分の顔も段々歪んでいく。歪んでいる…というよりは溶けているという方が正しいだろうか。
 皮膚が爛れ肉が削げ骨が見え始める。目玉が溶けて落ちた。なのに表情は笑ったまま変わらない。よく見ると、左右の顔も同じ様になっていた。それぞれ笑ったまま顔が溶けていく。
 私は恐怖のあまり言葉にならず、腰を抜かし椅子から落っこちてしまった。鏡に映った顔は尚溶け続けていく。
 その時、息苦しい事に気がついた。息をいくら吸っても酸素が入らない。周りを見ると辺りが煙で充満していた。
 
「何これ!?煙がいっぱい…どうしよう。どうしよう、逃げなきゃ」
 
 私は慌てて襖に近づき開けようとするが、つっかえ棒のせいで襖は開かない。
 部屋はどんどん熱を帯び、あっという間に炎で囲まれた。湧き出るように汗が出て、暑さのせいだろうか、皮膚が痛い。全身を針で刺されているような感覚だ。
 
「助けて!!火事!!私ここに居るの!!お願い!!」
 
 必死に大声を上げて助けを求めるが、周りは火事に気が付いてないのか外は静かである。それどころか、遠くから親戚達の笑い声すら聞こえてきた。
 襖を叩いて声を出し続けるが、一向に助けは来ない。部屋は真っ赤に燃え上がり煙で充満していく。
 
「確か火事の時は姿勢を低くするって言ってた……」
 
 小学校の防災訓練を思い出し、床にしゃがみポケットのハンカチを口に当てた。大分煙を吸ってしまい、もう息が出来ない。
 
「苦しい……。なんで誰も助けに来てくれないの………」
 
 朦朧とする意識の中鏡に映っているのは燃え盛る部屋と、苦しみながら悶える3人の顔だった。真ん中に映る私も、既に私では無い何かだ。
 何故こんな事になってしまったのだろう。興味範囲でこの部屋に入ったのが悪かった。ちょっとした出来心と、対抗心だった。祖母が頑なに開けないこの部屋に何を隠しているのか、歳上だからと何をやっても勝てない従兄弟を悔しがらせたかった。それだけの事で、私は今死んでしまうのか。そう思うと、次第に涙が溢れてきた。
 
「ごめんなさい、ごめんなさい。謝ります、神様。助けて下さい。もうしませんから…許して下さい」
 
 泣きじゃくりながら、私は必死に謝り続けた。助けが来ないのは私が悪い子だからだ。ちゃんと謝れば神様は許してくれると、祖母は言っていた。私は手を合わせて、謝り続けた。
 
「その心を忘れてはいけないよ」
 
 後ろから声が聞こえた気がした。部屋には私1人だけのはずだ。振り向いてみるが、あるのは日本人形と掛け軸だけ。
 
「今のは……?」
 
 その瞬間急に息が出来るようになり、辺りの炎は消えていた。暑かった部屋も涼しく、掻いていたはずの汗もひいている。一体何があったのだろうか。
 恐る恐る三面鏡に近付くが、そこには私の姿が映るだけだった。私はそっと鏡を閉じる。その時、襖が開いた。血相を変えた祖母が飛んで入ってくる。
 
「ここには入っちゃダメって言ったでしょ!」
 
 普段温厚な祖母の強い怒鳴り声と、部屋から出られた安心感で、私は再び泣きながら「ごめんなさい。もうしません」と繰り返し謝った。後にも先にも、祖母があんなに大きな声を出したのはその時だけだった。
 
 私にとってあの部屋に居た時間はかなり長く感じたが、実際は10分程度だったらしい。一通り見たのに私だけ見つから無い。親戚たちに確認するが、場所を知らないという。
 好奇心旺盛な私がこの部屋の事が気になっていたのは周知の事だった為、この部屋に居るのではと開けてみたところ、案の定隠れていたという訳だ。
 散々叩いた襖の音も叫んだ声も誰も聞いていないらしい。私はあの時間一体何処に居たのだろうか。確かに開かずの間に居て、助けを求め続けていたはずなのに…。

 後にわかった事だがこの家は戦時中に焼け落ちた所に建て直した物らしい。その家には病気がちで部屋に閉じこもって居た30過ぎの女性が居た。女性には2歳になる娘が居たが、体が弱く2人で部屋で過ごす事が多かったらしい。
 戦時中、家が火事になりその女性と子供は逃げ遅れ命を落としてしまった。その時、唯一焼け残っていたのがこの三面鏡だ。酷い火事の中、女性は三面鏡の下に潜る様な姿で見つかったらしい。腕には小さい我が子を抱えた姿で。
 三面鏡に映った溶ける顔は、その女性と子どもだったのでは無いだろうか。そして真ん中に映った私は、同じ目に合わせて苦しませる為だったのだろうか。
 
 あの日聞こえ声は日本人形の物だったのかは定かでは無い。祖母は「あの子はおばあちゃんのお母さんから貰った大事なお人形さんでね、おばあちゃんのお守りだよ。あんたの事も守ってくれたんだね」と言っていた。祖母はあの三面鏡の事を知っていて、守り神の日本人形に見張らせていたのだろうか。結局詳しい事は言わないまま亡くなってしまったので詳細はわからない。
 
 その後あの家は火事に遭い全焼した。聞くと発火の原因は開かずの間では無いかと言っていた。一番焼け方が酷かったらしい。
 しかし、中庭に面して閉じられた部屋。コンセントの類もない部屋からどうして発火したのかは今も謎のままだ。
 火事によりあの三面鏡も日本人形も燃えてしまったが、幸い祖母は留守にしていた為無事だった。やはり祖母を守ってくれたのだろうか。
 祖母はその後数年元気に過ごした後、老衰で亡くなった。
 
 祖母の家があった場所は火事の後新しい家が建ち別の人が住んでいる。その後あの場所がどうなったか私は知らない。
 出来る事ならあの火事で燃えた三面鏡と共に、成仏していて欲しいと願うばかりだ。
 

#三面鏡【鏡】

8/18/2023, 4:21:28 AM

「卒業文集だ、懐かしい〜」

引っ越しの手伝いに来た梨乃が、私の荷物を整理しながら呟く。手に持っているのは中学時代の卒業文集。二十歳を過ぎた今から数えると10年も前の物だ。私も梨乃が見つけるまで持っている事すら忘れていた。

「いいからダンボールに入れちゃって。引っ越し終わったらいくらでも見せてあげるから」

文集を開こうとする梨乃を制しながら私は手を動かす。明日はいよいよ引っ越し当日だというのに、一向に荷物が減らない。物を捨てられず溜め込む性格の私1人では進まないと思い、断捨離が得意なミニマリストの梨乃を呼んだのだが、懐かしい物を目にしては手を止めてしまうので思ったよりも進んでいなかった。

「これも持っていくの?」
「持ってくよ、捨てるのは勿体無いし。梨乃だって持ってるでしょ?」
「持ってるけど、実家にある。というか、沙耶の荷物幼少期からの物も全部取っておこうとしてるから片付かないんだよ?もう少し処分したら?」

辺りに積まれたダンボールに目をやりながら梨乃が言う。その通りなのだが、やはり捨てるのはなんだか悲しい。思い出まで捨ててしまう様な気がしてならないのだ。

「実家に置けるならそうするんだけどね」
「あー。おばさん全部処分しそうだもんね」
「そういうこと」

梨乃と私とは小学生の頃からの幼馴染だ。その為、私が両親と仲が良く無い事も、実家と距離を取っている事も全部知っている。知っている上で踏み込んで来る梨乃が私は嫌いじゃないので、こうして10年以上友人関係が続いているのだろう。

「それにしたって…荷物多くない?こっちの服とかは?もう要らないでしょ」
「それは、まだ綺麗だから着れそうだなって…」
「こっちのは?」
「また流行りが来たら着れるでしょ?」

「はぁ…」とため息を吐いて、梨乃は手に取った服をビニール袋に詰めていった。

「着る予定が未定なら処分!全部リサイクルショップに持ってくよ。状態悪くないから、売れはすると思う。こっちのはもうぼろぼろだから捨てるよ、ゴミ袋取って。これは…まぁ、良いだろう。持っていくのを許可する」

次から次へと処分するものと持っていくものとを仕分け、あっという間に処分する物が山積みになる。私に取って必要なつもりのものも、梨乃に取っては不必要な物なのだ。
実際、中身を確認してみると「こんな物まだあったんだ」「失くしたと思ってた物があった」という物ばかりで、やはり要らない物だった。正確には、あってもなくてもどちらでも良い物たちだ。

私は昔から物を処分するというのが苦手だった。
その物自体に思い入れがあるのは勿論だが、処分した後必要になった時の事が不安で仕方ないのだ。
簡単な話、もう一度買えば良いのだ。必要になったら買う。不必要になったら処分する。その考え方が出来れば、きっと部屋は片付くし失くし物も減るのだと思う。
必要でも無いのにずっと抱え込もうとする。忘れてはいけないもののような気がして、物があれば思い出せるとずっと捨てられず、抱え込んでしまう。

その点、梨乃は物に対する感情が希薄だ。私とは正反対に、次から次へと物を処分する。
小学生の時私が図工で作った貯金箱を大事に使っていたのを見て「まだ持ってたの?」と言っていた。梨乃は持ち帰ったその日に壊して処分したらしい。理由を聞くと「ただの粘土の塊でしょ」と答えたのを、今でも覚えている。
それまでの過程に興味は無いのだ。出来上がった物自体に思い入れを持てるかどうかで判断している。
だからこそ、一緒に居て気付かされる事も多く、そんな正反対な梨乃の淡白さに私は惹かれるのだろう。

***

荷物を次々と処分しやっと終わりが見えてきた頃、1冊のアルバムが出てきた。中身は高校時代の修学旅行の写真が入っている。
梨乃と同じクラスになれたのは奇跡だと言いながら、一緒に班を組んだのを覚えている。あの頃は確か…私と梨乃、そして高校に入って出来た友人達、美波、結衣、佳乃子の5人グループで、班もそのメンバーで組んでいた筈だ。
荷造りもひと段落ついていたので、私と梨乃はアルバムを眺めながら休憩をする事にした。

「若いねー。もうこんなにはしゃげないや」
「今だってまだ若いよ。沙耶となら、私まだこのテンションでいけると思う」
「梨乃がいけても、私が無理だよ」

修学旅行のアルバムには、当時の楽しかった思い出が沢山詰まっている。1ページ、1ページとめくる度あの頃の記憶が蘇ってくる様だ。

「佳乃子が言ってたよ。沙耶が全然連絡くれないって。沙耶が引っ越したらまたみんなで集まろうって話してたの。聞いた?結衣が妊娠したって話。もう2人目だよ、早いよねー」

ページをめくりながら話す梨乃の口から懐かしい名前が次々と出てきた。私は「へー」とか「ふーん」とか、当たり障りの無い返事しか出来ない。
私は確かに連絡は取ってないが、別に取る程の用も無い。そう思ってしまうのは、薄情なのだろうか。
結衣の結婚も、1人目の出産も私が知ったのは誰よりも後だった。正直言って興味が無い。高校時代は確かに仲良くしていたが、かと言って飛び抜けて仲が良かった訳でも無ければ、趣味が合う訳でも無い。
自分にとってはその場限りの友人向き合いでしかなかった。

「美波は?美波とは、やっぱり連絡取れないの?」

梨乃の口から唯一出てこない美波の名前を私は口にする。

「うん……。嫌われちゃったみたい。私だけじゃなくて、結衣も佳乃子も連絡取れないみたいだから、今何処で何してるのかもわかんないんだ」
「そうなんだ」

美波とは卒業直後こそ仲良くしていたが、しばらくしてから音信不通となってしまったらしい。詳しい事は私も知らない。
元々美波は梨乃に依存している様な所があった。梨乃とは1年生の時に仲良くなり、2年生で私が同じグループに入ってからというもの、私に対抗心を燃やしているのか梨乃と2人で居るところを邪魔する事もしばしばあった。
そんな関係性だったのもあり、美波の方から梨乃への連絡を断ち縁を切ったのは意外だった。

梨乃は昔から人付き合いを大事にするタイプだ。物への感情が希薄な分を補う様に、人に対しては真摯に向き合う。
知り合い、顔見知り程度の仲でも大事な友人だと言い、何かあれば嫌な顔一つせず手助けをする。
そんな梨乃だからこそ、周りに人は集まり人脈が広がっていく。だから、梨乃の近くにいくのも深く知るのも案外難しいことでは無い。
だが、梨乃は全員を平等に大切にしたいので、自分の手からこぼれ落ちてしまった友情をずっと引きずっているのだ。物は簡単に切り捨てるのに、人は簡単に切り捨てられない。
そのせいで、今でも美波との関係の修復を図りたいとしているが、今なお解決の糸口は無く、こうしてずっと心を痛めている。

私はその逆だった。物は大事にするのに、付き合いには淡白なのだ。その自覚はある。
高校時代の友人だけでは無い。小、中と仲良くしていた友人の半数以上と連絡を取っていない。成人式の後の飲み会には、梨乃に連れられ参加したものの、私は半分も顔と名前が一致しなかった。相手は私を覚えているのにだ。それ位、私にとって笑い
物を見ればその時の思い出が蘇る。私はその時の思い出だけを大事に出来たら良い。その後の縁や関係など重要では無い。だから、簡単に縁を切るし上っ面の友人関係を続けられる。
勿論、梨乃の様に長く付き合いのある人間も少数だが居る。私は自分の手で抱えられるだけのほんの少しの友情だけあれば良いのだ。他の寂しさは全部物が埋めてくれる。

この正反対さが私と梨乃が10年以上長く友人関係を築いてこられた理由だろう。

両親を愛し愛され祝福されて生まれ育った梨乃は、大人になり周りの人間にも同じ様にしたいと思っているのだ。
有り余る程の物は必要無い。自分には友人が、大事な人が居ればそれで良いと、本気で言うタイプの人間で、酔うと実際言っている、

私は両親に愛される事もなく、親戚には疎まれ、兄弟仲も悪い。大人になればなるほど、大事だった記憶を良い思い出としてその場限りの物にしたいと思ってしまう。
人間は変化する物だから。長く関係を続けた事で、綺麗な楽しい思い出が、暗く苦しい物に変わってしまうのが怖いのだ。
だから深くは関わらないし、表面上の楽しさだけで自分の傷を舐めている。

傷ついても前に進む強さを持った梨乃と傷付くのを恐れ、古傷を労るだけの私とでは、根本から違うのだ。
それでも、お互いに何か惹かれる物があり、お互いの足りない物を補ない合える今の関係が私は好きだ。
だからこそ、梨乃もこんな私が相手だというのに親友だと言って一緒に居てくれるのだろう。

「よし、もうひと頑張りしよっか。これ全部片付けたら肉食べに行こう!奢る!」
「良いね、焼肉が良い!あの駅前の新しいところ」
「あそこ高いじゃん〜。食べ放題にしようよ」
「引っ越しの前祝いって事でさ、半分出すから。ね」
「わかったよ。じゃあ肉の為に頑張ろー!」
「おー!!」

私達は残った荷物を片付ける。
明日私は引っ越しをして、梨乃とは遠く離れる事になるのだ。小学生の頃から、呼べばすぐに来れるそんな距離に住んでいた私達は明日からは遠く離れ離れとなる。
だけど何故だろう。私は、梨乃とは距離が離れてもきっと今の様な友人関係が続く様な気がしている。
気が向いた時にしか連絡しないし、こまめな近況報告も無い。SNSだって、殆ど見ない私からしたらやってないのも同然だ。
だけど、何故かわかる。多分また10年後も梨乃とはこうして笑い合いながら思い出話に花を咲かせるのだろう。
その時は私も少し、物を処分するのが上手くなっていると良いなと思った。



#友情と断捨離と【いつまでも捨てられない物】

8/16/2023, 6:33:32 AM

夏の夜風が肌をくすぐる。
夜とはいえここ数日続く灼熱地獄の中では、蒸し暑い空気である事に変わりはしない。

海の家でバイトを初めて1週間。戸建てに15人の泊まり込みの共同生活にも慣れた。
昼間は皆忙しくそして騒がしく働いているが、夜になると至って静かである。
昼間の疲れというのもあるが、一日分以上のテンションを持って仕事に挑んでいるので、夜にまでハイテンションで何かするという気になれないのだ。

風呂上がり、冷蔵庫から出したビールを1つ開ける。
溢れ始めた泡に慌てて口を付けると、独特の苦味が口の中に広がり喉を通っていく。
初めて飲んだ時こそこの苦味が苦手だったが、今では喉越しを楽しむの意味もわかってきた。

「なぁ、つまみ買いに行こーぜ」

声を掛けてきたのは、今回のバイトで知り合った太一だ。歳は俺より2つ上だが、そんな風には思わせない気さくさとコミュ力の高さを見ていると、接客業に向いている人間とはこういう人をいうのだろうと漠然と思っていた。
かという俺は厨房担当。接客をしないわけではないが、料理をしている方が気が楽だ。

しかし、今日はそんな太一が声を掛けてきたのが意外だった。
というのも、今日は隣の浜で飲み会をすると言い、バイトをしてる若手の殆どが行っている。てっきり、太一もそっちに参加しているものだと思っていた。

「あれ、太一居たんだ。みんなと飲み行ったもんだと」
「あーうん。俺ああいうの苦手。酒の席でも、俺は仲良くもないやつとその場のノリに合わせて無理矢理楽しむフリするより、友達とゆっくり缶ビール飲んでる方が好きかな」

その返答に俺は驚く。出会って1週間足らずではあるが、この男はみんなで騒ぐのが好きなタイプなのだとばかり思っていた。
言いながら、冷蔵庫からビールを取り出し飲み始める太一の話を聞きながら、それはつまりオレを友達と思っているという事で良いのかと聞きたくなってしまった。

「そうなんだ。意外」

そんな事聞ける筈もなく、無難な返答をする。
人付き合いが苦手という程でも無いが、友人関係というものを築いて距離を詰めるのはあまり得意ではない。
そのせいで、昔から知り合い以上友達未満の様な関係ばかりが周りに蔓延っている。
なので、いきなり距離を詰めるような事を言われると、どう返すのが正解かわからないのだ。

「よく言われる」

へへっと、ビールの泡でヒゲを作りながら太一は笑った。この無邪気な笑顔こそ、彼が人気の理由の一つだろう。

「行こうぜ、コンビニ。俺ら明日休みだしよ、ちょっと良いツマミと酒買って、足湯の公園で飲み会といこうや」

この暑い中足湯にまだ入るというんだから驚きだ。太一が言っているのは、コンビニの目の前にある道の駅併設の公園のことだ。そこには足湯が付いているとは聞いていたが、まだ行った事は無い。
オレの返答も待たず、太一は二階に上がり自身の財布を持ってきた。部屋に残っている他のバイト仲間に行き先を告げ、オレの背中を押す。

「ほらほら、行こうぜ。急がねーとコンビニ閉まるぞ」
「わかったから押すなよ」

近くのコンビニは24時間営業では無いものの、今は19時過ぎ。そんなに慌てなくてもまだ閉まらないだろう。
オレと太一は残っているビールを片手に、家を出た。

***

コンビニまでは大人の足でも歩いて20分はかかる。
海岸沿いに並ぶ家と民宿の間を抜け下ると、バイト先の海水浴場へと出てくる。
その海水浴場をぐるりと周り、反対側の出入り口から浜を出ると道路に出る。あとはひたすら道路を歩くだけの面白みの無い道だ。

道には所々に街頭があるが、点在するという表現が正しいだ、う。殆ど暗くて何も見えない。
コンビニまでの道すがらに出てくる廃ホテルは有名な心霊スポットだと聞いた。幽霊を信じている訳では無いが、やはり不気味なのであまり近づきたくはない。

それを知ってか、オレがビビるのに気付いてか。太一がホテルの前で立ち止まって指を差した。

「おい、あそこ…。何か白い影見えないか?」
「はぁ?何も見えないけど?」
「いやいや、居るって。ほら…あの木の陰の所…何か揺れてる」

オレが目を凝らすと「わっ!!」と、太一が大きな声を出した。思わずオレも「うわっ!?」と声が出てしまう。

その様子を横でケラケラと笑っている。騙されるとわかっていても、やはりびっくりしてしまうものだ。

「笑い過ぎだぞ」
「ごめんて、あまりにも良い反応するからさ」
「うるせ。ビビリで悪かったな」
「怒んなって、酒奢るからさ。行こーぜ」

こういう事をされても憎めない所も、太一の長所なのだろう。誰でも受け入れ、人当たりが良く、憎めない愛嬌も持ち合わせている。
常々自分とは違う人種の人間の様に思えてならないのだが、何故か気に入られている様で、悪い気がしない。

なんだかんだ話しながら行くコンビニの道のりはあっという間たった。
残りのビールを飲み干し、コンビニのゴミ箱に空き缶を捨てる。

この後太一と飲む酒とつまみを買いに来たのだが、目に入ったアイスが気になってしまった。普段から食べる方では無いのだが、今は甘いものが食べたい気分だ。

「アイス食うの?」
「んー悩み中。ビール飲むし、腹冷えっかなって」
「んじゃオレと半分こしようぜ」

こういう事をサラッと言えちゃう所が、人気の理由なんだろうな。今日はコイツの良い所が沢山目に付き、逆にオレに無いものが浮き彫りになる。

「つまみどれにする?俺のおすすめはこれとこれ…あとこれも買って…洸はどうする?」
「じゃあこれ」
「1つだけ?」
「あと、あっちでお菓子買うから」
「お菓子!忘れてた!俺ポテチ〜」

何をするにも楽しそうな太一が、少し羨ましい。
オレたちはカゴいっぱいに酒とつまみとお菓子を詰め、会計を済ませて店を出た。

ビニール袋が手に食い込む。余っても明日以降飲むだろうと買ったは良いが、いくらなんでも買いすぎた。
酒は袋2つに分けられ、その他の物は1つの袋にまとめて貰ったが、それだって嵩張ってしまって持ちにくい。それをわかってか、3つのビニール袋の2つは太一が持ってくれていた。

「よし、今なら渡れる!」

そう言って道路を走って横断する。
観光地とはいえ、この時間はあまり車が走らない。オレも慌てて後ろを付いて走る。
太一は足を止めず、そのままの勢いで足湯の方まで駆け出して行った。

「重てぇー!」

足湯のベンチに荷物を置く太一の後ろをオレは少し離れて歩いてついてきた。

「走れよー」
「重たいから嫌だよ」
「ノリ悪いなぁ」

オレもそう思う。
ここで一緒に走れる人間だったら、オレも太一の様に人が集まる人間になれただろうか。

「ま、お前はそのままでいてくれよ」
「え?」

オレは聞き返したが、太一は何も言わなかった。

***

足湯はやっぱり暑くて断念した。
少し足を入れてはみたが、蒸し暑さと生温い風に足元から温められる感覚は、とても気持ちの良い物では無い。
オレたちは、そのまま目の前の海岸に出て海辺で酒を飲む事にした。

この時間この浜辺は穴場スポットだ。
酒を飲んで騒ぎたい人間は、他のバイト仲間達と同じ様に隣の浜で飲み明かしている。隣の浜は夜でもやっている店が多く、何処も酒を提供している。
反してこっちの浜は昼間こそ観光客と海水浴の家族連れが多いが、夜は宿に泊まっているか駐車場で夜を開けるキャンパーだけ。騒ぐ人間はおろか、そもそも人自体居ないのだ。
真っ暗な夜の海に酒とつまみを並べる。宴の準備は出来た。

「あっ」
「今度は何だ?」
「アイス買ったの忘れてた」
「あー…」

ビニール袋からアイスの袋を一つ取りだす。食べない訳にもいかないので、太一が封を切り出てきたらチューブタイプのアイスを2つに分け片方をオレに渡した。

「大分溶けてっけど、まだ若干アイスっぽさ残ってる」

触ると確かに、若干のアイス感。とはいえ殆ど液状になってしまっていた。
オレは受け取ったアイスを開け、口に流し込む。

「あんまっ…」

口の中に甘ったるいコーヒー牛乳の味が広がった。溶けてない状態だと気にならないのに、何故溶けるとこんなにも甘さが強調されるのだろう。

「甘ーい!うまー!」

いちいちリアクションが大きい太一が横で叫んでいる。やっぱり賑やかで、オレとは正反対の人間だ。
このテンションについていけるほど元気な人間ではないのだが、何故今日オレを誘い、いつもオレに絡むのか。気になって仕方ない。

ほんのりしゃりしゃりとした氷感が残るアイスを飲みきったオレたちは、ビールに手を掛ける。
つまみを開け、カシュッと音を立てて空いた缶をコツンとぶつけ、互いの今日までの仕事を労った。

「かんぱーい」
「乾杯」

ぐびっ、ぐびっと喉を通る苦味が美味い。
一気に半分程飲み干してから、つまみに手を掛け2人夜の海を眺めながら他愛のない話を続けた。
大学で何を勉強しているとか、今日来た客がどうだったかとか、日焼け自慢にバイト仲間の話。
太一の話は聞いてるだけで楽しく、酒はどんどんと進んでいった。

何本目の缶を開けた頃だろう。
お互いに酒が進み、オレは気になってた事をポロリと口から溢してしまった。

「太一はなんでオレなんかと一緒に居るんだ?」

太一は飲もうと口を付けたビールの缶を口から離し、横に置いた。

「そうだなぁ…楽だからかな」
「らくぅ?」
「ほら、洸は飾らないだろ。見栄を張ったりもしないし、取り繕ったりしない」
「それは…それが出来るほどオレが器用じゃ無いだけだよ」
「だとしてもさ。洸は俺に嘘は付かないから。お世辞も社交辞令も言えないけど、俺はそこが気に入ってる」
「それ褒めてんのか?」
「褒めてる褒めてる!」

ニシシと歯を見せて笑って、再びビールに口を付けてから太一は続けた。

「あと常に機嫌が良い所」
「機嫌が良い?オレが?」
「そう。すぐ怒ったりしないし、常に感情がフラットだろ?」
「単に感情の起伏が無いだけだよ」
「でも、ちゃんと笑う時は笑ってくれるし、
無表情って訳でも無い。常に穏やかなのは、お前の長所だと俺は思うけどな」
「1週間でそこまでわかるもんか?」

「わかるさ。俺は人の顔色ばっか窺って生きてきたから」

その言葉が意外だった。
オレはてっきり素であの明るさと気さくさがあるものだと思っていたのだから、まさかひとの顔色を窺っているなんて思ってもいない。

「意外か?みんなには秘密だからな」

オレは案外顔に出やすいタチらしい。太一はオレの顔を見て笑っている。

「オレはそういう素直な所も良いと思うぜ」

てっきり天然人たらしだと思っていたこの男は、本当は全て計算された仮の姿だったのか。
今までの言動も、行動も、全部がそうなのだとしたら、この男の素顔は一体どんなものなのか。オレはそれが気になって仕方なくなってしまう。
もっとこいつの事が知りたい、仲良くなりたい。そんな風に思える人間に出会えたのは初めてかもしれない。

思えば初めてバイトに来たあの日から、太一とは自然と打ち解けるのが早かった。今日だって、誘ってきたのが太一じゃなかったら断っていたかもしれない。
そういう居心地の良さのようなものを感じていたのは確かだった。
それは、コイツが別世界に生きる人間ではなくオレと同じ様に、不器用ながらに人付き合いをしている人間だと、本能的にわかっていたからなのかもしれない。
そもそも別世界と思っている人間も皆んな同じ人間で、自分が思ってるより、他人は身近なものだったのだろうか。

そう思うと、海の家のバイト仲間達も毎日沢山来るお客さんも、少し身近な存在に感じられた。
苦手だと諦めていた人付き合いだが、もう少し自分から歩み寄っても良いのかもしれない。

「お前は?お前はなんで俺に付き合ってくれるんだ?」

オレの質問にこたえたのだから、次はお前の番だと言わんばかりに、太一は赤くなった顔でオレを見つめる。

「そうだな」

オレは月明かりを反射させキラキラ輝く海を見つめながら言った。

「青春を取り戻したいと思ったから。かな」

太一はポカンとした表情の後、吹き出す様に笑った。

「なんだそれ」
「なんだろうな」

オレたちは顔を見合わせて笑う。
酒の力もあってか、よくわからない事でも楽しくて笑えてきてしまう。

「よくわかんねーけど、青春取り戻すの手伝ってやるよ」
「頼んだぜ。オレの青春はお前の肩に掛かってるからさ」
「責任重大だなぁ」

多分今この瞬間が青春なのだろうが、それは黙っておく事にした。
夏休みはまだ始まったばかり。
この夏は青春を謳歌しようと心に決めた。

#青春と海風 【夜の海】

8/15/2023, 4:54:46 AM

夏になると田舎に住む祖父母の家に行くのが恒例行事だった。都会に住む私にとって、田舎というのはとても刺激的な場所だ。
 周りは田んぼと畑と山があるだけの小さい集落。車が無いと不便だが、最近は大型のショッピングモールも近くに出来て、便利になったのだと言っていた。
 昼間は蝉の声を聞きながら虫やカエルを捕まえて、夜は蛍を見に行った。縁側でスイカを食べたり、庭で花火をする事もあった。

 そんな田舎と祖父母の家が大好きだった私は、小学校3年生の夏休み。1人電車とバスを乗り継いで、祖父母の家へと行ったのだ。これはその夏の不思議な思い出話だ。

 ***

 その日は酷く暑い日だった。
 いつもの通り朝一番にその日の分の宿題を済ませ、今日一日何をして遊ぶか考える。
 集落に歳の近い子供は居ない。居るのは、私より遥かに歳が下の赤ん坊か、年上の中高生の大きな子供。
 去年最後の小学生が卒業し、小学校は閉校したと聞いている。中学校からは町の方に通うので不便だと、みんな子供が大きくなる前に町に引っ越してしまう。おかげで、若い人が居つかないとよく祖母がぼやいていた。
 同年代の子供は居なかったが、私は一人遊びというのも悪くないと思っていた。
 両親は共働き。帰りが遅い日もあったので、自ずと部屋で1人過ごす時間が多かった。
 外で遊ぶのが好きな子供だったので明るい時間は公園で友達と遊び、夕方は帰ってきて部屋で1人本を読んだりして過ごしていた。
 しかしここでは明るい時間から1人。そして、見知らぬ物が沢山ある。何処へ行くのも何をするのも全てが私にとって大冒険だった。

 その日祖父母は近所の日の通夜があると言って、手伝いの為朝から居なかった。
 昼ごはんは弁当箱に詰められていたので、私は弁当と水筒に麦茶、お気に入りのお菓子を少しリュックに詰めて冒険へ出掛ける事にした。
 祖父の自転車にリュックを入れ、自転車を押してスタンドを外す。憧れの大人用自転車だ。
 自分の自転車は小学校に上がった時に買って貰った子供用の青い自転車。あれはあれで好きだけど、大人用のはカゴもタイヤも大きくて立派に見える。しかもお爺ちゃんの自転車は後ろにもカゴが付いた特別性。荷物を沢山積む事が出来る。
 タイヤが大きな分、早く進むことができるし、何より大人になった気分になれる。子供じゃ無い。大人用の自転車に乗っているという事が、子供心にとって一種のステータスのようなものだった。
 家では足が届かず危ないからと大人用には乗せさせてくれない。しかし、こっちでは祖父の自転車しか無いから特別に乗せさせて貰えるのだ。
 身長はクラスでも前から数えた方が早い。小さい身体の私がサドルに座ってしまうとペダルを下まで踏めなくなってしまう。その為殆ど立ち漕ぎ状態で漕ぐ事になるのだ。
 座って漕げない訳でもない。これにはコツがあって、下に行ったペダルは反対のペダルを足が届くギリギリまで踏み込んでから、上がってきたペダルを足の甲を使って上に持ってくる。
 これを繰り返す事で座ったままでも漕ぐ事ができるのだが、それより立ち漕ぎで進んだ方が早いのだ。

 今日は何処まで行こうか。いつもはお昼までに一旦帰って来なくてはならないのでそう遠くには行けないのだが、今日は弁当も飲み物もある。
 置き手紙はしてきたし、祖父母には出掛ける旨の話もしていた。少し遠くまで行っても問題無いだろう。私は大人用の自転車でどんどんと山奥の方へ走って行った。

 幾つかの田を超え、山道に入り坂を登る。子供の足で漕ぐにはキツい坂は自転車を押して上がった。
 どれくらい走っただろう。山の中にポツリと浮かぶ赤い鳥居が目に入り、私は自転車を停め行ってみる事にした。
 鳥居は山の上にあった。入り口が何処にあるのかわからず、鳥居を目印にとりあえず山の中へと入っていった。
 しばらく進むと、鳥居へと続く階段が目に入る。大分横から入ってしまったらしい。階段の中段辺りに出てきた。下を見ると長い階段が続いている。もう少し上がってくれば階段があったようだ。
 どうせ誰も来ない山の中。荷物は持ってきたので、自転車は置きっぱなしでも大丈夫だろうと思い、そのまま鳥居まで上ることにした。
 階段を上がりきると、綺麗な朱色の鳥居が出迎えてくれた。気のせいだろうか、下から見た時より大分綺麗な色をしている気がする。
 参道の脇には狐の石像が2つ。向かい合った形で鎮座している。その奥には8畳ほどの木製の建物があり、手前に賽銭箱。中に祠のようなものも飾ってあった。
 思った通り神社だった。それも稲荷の神社らしい。そういえば、前に祖母がこの地に伝わる稲荷伝説があると言っていた。
 「大昔この地が干ばつにあった際、村に現れたお腹を空かせたキツネにエサをやった所、お礼に雨を降らせてくれ。それからというもの、この地ではキツネを村の守り神として祀っている」とか、そんな話だったと思う。
 当時の私には、干ばつやキツネを祀るの意味がよくわからなかったが、良いキツネが居たという事だけは理解が出来た。
 祖母はこうも言っていたのだ。
「どんな相手にも親切にしなさい。必ず自分に返ってくるからね。良い事は良い事で、悪い事は悪い事で返ってくる」
 これは、祖母の口癖のようなものだったが、あの体験の後ではそれがどういう意味なのかよくわかる。

 神社の境内をぐるりと一回りした所で、お腹が空いてきた私は昼食をとることにした。
 お賽銭は無かったので鈴を鳴らして手を合わせるだけだったが、お参りをして「お昼ご飯食べさせて下さい」と、一応キツネの神様に挨拶をした後、持ってきたレジャーシートを敷き、階段に腰掛てお弁当箱を取り出した。
 ふと視線を感じ横を見ると、木の陰からこちらを覗く顔がある。同い年位だろうか。色白の肌につり目ながらに大きな瞳。ツンと突き出した小さな鼻と血色感のない唇が、何かを言いたげにこちらを見ていた。
「一緒に食べる?」
 私はその子供に声を掛けた。祖母の教えがあったからだ。子供はこくりと頷いて、おずおずとこちらに歩いてきた。
 背丈は私と変わらない。髪はおかっぱで、男とも女とも取れない見た目をしていた。淡い水色の無地の着物に草履という出立は今時の子供には見えず、不思議な雰囲気を纏った子だとそう思った事だけは覚えている。
「これが梅干し、こっちがおかかで、これは…さけのおにぎり。好きなのとって良いよ。おかずもちょっとだけど、あるから。おすすめは卵焼き。おばあちゃんの作るのは甘くって美味しいんだ」
 私は持ってきたおにぎりを並べ、弁当箱を開きおかずを見せる。
 日頃から「よく食べなさい」と言って、1人分以上のご飯を作ってくれるおばあちゃんのご飯は美味しかったが、いつもお腹がはち切れそうになっていた。2人で分けても充分お腹いっぱいになれる。
 着物を着たその子供は、初めて見るのだろうか。アルミホイルに巻かれたおにぎりを陽にかざし、キラキラと反射するのを不思議そうに眺めている。
「それにするの?見てて、こうやって…アルミホイルは剥くの。中におにぎり入ってるから」
 私がやってみせると、子供も真似する。出てきたおにぎりに目を輝かせるかぶりつき、美味しかったのだろう。もう一口、もう一口と、大人の拳大ほどあるおにぎりをあっという間に完食してしまった。
「もう一個食べる?」
 私の言葉に大きく頷く。余程おにぎりが気に入ったらしい。私は祖母の作ったご飯を喜んで貰えたのが嬉しくて、ピックに刺さったおかず達も勧めた。
私がおにぎりを食べている横で、子供は一口一口を噛み締めるようにおにぎりを頬張り、おかずを口にすると目を丸くして美味しさを表情の全てで表現していた。
 あっという間に食べ終わった私達は「ごちそうさまでした」と手を合わせてからお弁当箱をしまった。食後に持ってきた麦茶を付属コップに入れて分け合い一息ついた所で子供が立ち上がり裾を引っ張った。一緒に遊ぼうという事だろうか。
 私はリュックを階段の脇に置き、その子供と山の中を駆け回り遊んだ。
 
 山の中は私の知らない場所が沢山あった。綺麗な沢の流れる小さな滝や、大きな洞窟。見た事ない程に大きな木があり、ごつごつとした岩にも登った。
 同年代の子供と遊べるのはやっぱり楽しい。時間はあっという間に過ぎていった。
 かなりの時間遊んだと思っていたが、不思議と辺りはまだ明るかった。一向に暗くなる気配が無い。
 神社で出会った子供と更に山の奥へと入っていくと、そこにトンネルが出てきた。
 今は使われていないのだろう。反対側の僅かな光が薄ら見える程度で、中は真っ暗。苔が生え冷たい空気が中から漂うなんとも不気味なトンネルだった。
 普段なら絶対に近付かない。怖い物は苦手だ。テレビで怖い番組を見てしまったりしたら、1人でトイレには行けなくなってしまう。夜は豆電球をつけて寝ているし、昼間の墓場だって嫌な位だ。なのに、この時は何故かそのトンネルの中に入りたかった。そう、呼ばれている様な気がしたのだ。「おいで、おいで」と。
 自然と足がトンネルの方へと向く。見た目は古びたただのトンネルなのに、何故か吸い込まれていく。1歩、また1歩と進みトンネルの入り口に差し掛かった所で、腕を掴まれた。
 振り向くとあの子供が泣きそうな顔をしてこちらを見つめて首を横に振っている。ハッと我に返った私がトンネルの方を見ると、暗闇に紛れ白い影が無数にこちらを睨んでいる様に見えた。
「ひぃっ!?」
「もう少しだったのに……邪魔なキツネめ…」
 私の声にならない悲鳴の後、白い影がそう呟いた様に聞こえた。
 「キツネ………?」
 後ろの子供を見る。子供には耳と尻尾が生えていた。そう、まるでキツネの様な薄茶色いフサフサの…。

 ***

「ゆうき…ゆうき…!」
 名前を呼ばれ目を覚ますと、そこは神社の階段だった。心配そうに私の顔を覗いている祖父と、周りには近所のおじさんが2人。
「大丈夫か!?怪我してないか?痛い所は?」
 私は質問の意図がわからなかったが、いつの間にか辺りが真っ暗になっていた事に気づいた。空には月まで昇っている。
「大丈夫かい?家に居ないから心配して皆んなで探してたんだよ。眠っていただけなら良かった」
 どうやら、私は昼間お弁当を食べた所で眠っていたらしい。通夜を終え帰ってきたら祖父母が家に私が居ない事に気がつき、村中総出で探しに来てくれたのだ。
「心配掛けてごめんなさい…」
 謝る私にみんなは怒る事なく、優しく頭を撫でてくれた。

 夢だったのだろうか。全部。
 私にはあの子供と一緒に食べたお弁当も、遊んだ事も、あのトンネルの奥に連れて行かれそうになった事も、全部現実に思えて仕方なかった。
 家に帰ってきてから、その日あった事を祖父母に話したら2人は顔を見合わせてから、私の頭をまた撫でてくれた。
「そりゃぁ、おキツネ様だな」
「おキツネ様?」
「んだ。前にばあちゃんがここのキツネ伝説の話ししたんは覚えとるか?この地の守り神のおキツネ様は、子供にだけ見えると言われてる。その子供と同じ年頃の姿で現れて、一緒に遊んであげると願い事を叶えてくれるって話だよ」
「ゆうきもお参りしたろ?何願ったんだ?」
「えっとね…お弁当食べるからお邪魔しますって。あと、おじいちゃんとおばあちゃんが長生き出来ますようにって」
 その言葉を聞いて、2人は顔を緩ませる。
「ゆうきは本当に良い子だ。優しい子に育ってくれて嬉しいよ」
 2人の笑顔が私にとっては一番嬉しい事だった。この願いを聞き届けてくれたのか、あれから10年以上経った今も、祖父母は元気に過ごしている。

 後にわかった事だが、あの時呼ばれたトンネルは戦争の最中沢山の人が亡くなった場所らしい。
 トンネル自体もう老朽化により閉鎖され、その後あった地震の影響であの時既に無くなっていたはずだという。
 存在しない筈のトンネルは確かにそこにあり、私はトンネルの中に呼ばれていた。もしあのまま進んでいたら、私は今どうなっていただろう。
 あの時手を引き止めてくれたあの子は、お弁当のお礼に助けてくれたんだろうか。
「どんな相手にも親切に。必ず自分に返ってくる」
 今でも私にとって大事な言葉である。
 あの日以降、毎日の様にあの神社に行ってみたが、子供には出会えなかった。だが、おにぎりを置いていくと必ず無くなっていた。
 食べているのが子供なのか、それとも別の動物かはわからない。けれど、またあの子供に会えたら直接お礼を言おうと決めている。

 ***

 あれから毎年夏になると田舎に遊びに来ては、神社へのお参りが恒例行事となっていた。
 あの夏の思い出は、誰に話そうと信じて貰えはしないけれど、それでも良い。
 私にとってかけがえの無い物で、確かにあった冒険の一日だったのだから。


#夏のある日の冒険譚 【自転車に乗って】

8/13/2023, 6:37:08 PM

人間が健康的に生きていく為に必要なのは何か。
十分な睡眠とバランスの取れた食事。
そしてストレスのない生活。
他にも色々あるとは思うが、主に挙げられるのはこの3点ではなかろうか。

では、ストレスの無い生活とはなにか。
そもそもストレスを感じるというのはどういう事か。ストレスを感じるのは身体であり、脳であり、心だ。
身体や脳のストレスは、睡眠や食生活、或いはサプリメントに適度な運動。目に見えてわかりやすいもので対処出来るだろう。
では心はどうか。心のストレスというのはどう改善すれば良いのだろうか。

心のありかについての議論はこの際置いておこう。
人間に心がある事を前提とし、心のストレス解消法…つまりは心を健康に保つ為の方法を考えてみようではないか。

これは筆者である私にとって今一番の課題だ。

ここでは心=精神と考える事にする。
精神を一定に保つ為に必要なのは、よく寝てよく食べ、よく動く事、身体を健康に保つ事、ストレスを溜めない事。
つまり身体の健康と心の健康は繋がっているのだ。

しかし、それが出来たら苦労はしない。
私はよく食べ、よく寝て、よく動いていた。
仕事柄それが出来る環境に居たのだ。だが、ストレスを溜めない事だけは無理だった。

精神の健康について謳うサイトや本などを読むと、食べて寝て動いてさえいれば、心も元気になるという考え方を書いている所も多い。
しかし、実体験から言えばそれは違う。いくら健康的な生活を送っていようとも、人間ストレスは抱えるしそれを完全に解消する事は難しいのだ。

ストレス発散法は何ですか?
というのは良く聞く定番の質問。それぞれ個人で色々方法はあるだろう。
ストレスを溜めない、溜めても上手く処理できる人間というのは、それでどうにかなるかもしれない。
しかし、発散出来るストレス量を与えられるストレスが上回ると、どんどんと蓄積されていくものなのだ。

さて、それではその蓄積されはストレスはどうすれば良いのか。発散出来るストレスが仮に10だとした場合、溜まるストレスが15だと、いくら発散しても5ずつストレスが溜まっていく。
その状態が長く続けば続く程ストレスは膨れあがり、最終的には取り返しがつかなくなる程に大きなものとなってしまうのだ。
これによりストレスによる身体の不調、精神面の不調へと繋がるのでは無いかと私は考えている。

それでは、どうすれば良いのか。ストレス発散が10しか出来ないのであれば、残りの5はどう処理すれば良いのか。
そこが難しいのだ。

結論から言おう。
一番の対処法は、ストレスの原因から離れる事だ。

それが出来たら苦労はしない。
2度目になってしまうが、これは本当に思う。出来たら苦労しないのだ。
しかし、やらなければ自分が壊れてしまう事を忘れてはいけない。

自分がストレスに押し潰された状態にある時、恐ろしい事にそれが異常な状態と気が付けないのである。
自分は正常だと思い込み、身体に現れるサインに気付けない。
何とか正常であると装い、バレないようにと気を遣い、余計にストレスを抱え精神を病む。

もしもこれを読んでいる人の中に心当たりのある人間が居たならば、まずはストレスの原因から離れる事を強くお勧めしたいと思う。
私の場合は会社だった。仕事は好きだったが、どうしても会社の方針や人間関係などに納得がいかなかった。
どれも自分が悪いと、おかしいのだと思い込んでいた。

色々あり職を変え、最初こそは苦しんだが今となってはあの状況がどれだけおかしな事だったかがわかる。
自分の行動も、考え方も、何もかもが安定した精神状態の頃では考えられないような異常なものだった。

数年経った今でも精神が不安定だった頃を思い出しては苦しんでいる。
仕事を辞めた当初は、特に酷いものだった。立ち直るのにも時間が掛かった。
周りの声と協力もあり抜け出す事が出来たが、1人だったら…ここに今存在して居なかったかもしれない。
それ程までに追い詰められていたと、今になってようやく理解が出来る。
あの頃毎日のように考えていた事が、その考えそのものが異常なのだと、やっと気づく事が出来たのだ。

ストレスの渦の中に居ては、周りの声が理解出来ないだろう。自分がそうであったように、異常だと言われる事の意味がわからなかった。
しかし本当に異常なのだ。不安定なのだ。
普通の人は消えたいと願う事も、生きる事に苦しみを感じる事も、自分を傷付ける事もしないと、今だからこそわかる。

結局心の健康を保つ秘訣はわからない。
ストレスを溜めない方法などあるなら教えて欲しい位だ。
だが、これだけは言える。
ストレスが解消出来る許容範囲を超えたなら、それが大きく膨れ上がらないうちに原因から距離を置いてもらいたい。

私には消えなくなってしまった傷が複数ある。
全ては幼少期より積み重なった傷にならないような小さな小さな、自分に向けた傷を付けるという行為が、ストレスの許容範囲を超え大きく膨れ上がり過ぎてしまった事にある。

さて、話が逸れてしまった。
結論というのは出ない。答えは私が教えて欲しい位だ。
しかし、これを読んだ事で1人でも良い。誰かの心に響けばと思う。

逃げる事は決して恥では無い。自分を守る大切さ。
今はわからなくても良い。逃げて、逃げて、逃げた先に、自愛の心は確かに生まれるのだから。

【心の健康】

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