これは私が小学3年生の夏休みに、実際に体験した話である。
築70年になる祖母の家には開かずの間があった。
今でいう古民家だろうか。作りは古いがその分丈夫で風通しも良かった。家には中庭があり、それを取り囲むように廊下がついている。
その開かずの間は、中庭に面していて陽当たりも良く、居間も水回りも近い。住むのにはうってつけの部屋なのだが、祖母はその部屋を決して使わなかった。
その部屋に通ずる襖にはつっかえ棒をしており、部屋を開けている所も見た事は無い。丁度居間に面した部屋なので、開かずの間より奥の部屋に行きたい時は一度中庭に出ないといけなく、とても不便だった。
「なんでその部屋使わないの?」と尋ねた事がある。祖母は「悪い物を閉じ込めているんだよ。だから決して近づいたり開けたりしてはいけないよ」と言い、私が遊びに来る度にその部屋に入るなと念を押された物だ。
だが昔から好奇心が旺盛で落ち着かない子どもだった私はらその部屋が気になって仕方なかった。
祖母の家に遊びに行っていた時だ。両親は集まった親戚達と騒ぎ、子供の私は退屈していた。同じ様に暇を持て余した歳上の従兄弟達と家の中でかくれんぼをする事になり、従兄弟の1人な鬼で私とその他の従兄弟が隠れる。何処に隠れても、何度やってもすぐに見つけられてしまうのが悔しく、私は絶対に見つからない場所として開かずの間に隠れる事にした。
部屋を開けると、6畳一間の正方形部屋になっていた。入って目の前に中には一段高くなった床間があり、掛け軸が掛けられ日本人形が置かれていた。その日本人形と向かい合う位置――入り口の襖を半分塞ぐ形で、三面鏡の古びたドレッサーが1つあるだけだった。
中は普段開けてないとは思えない程に綺麗でカビ臭さなどは無い。知らないだけで祖母が普段から掃除をしているのだろうか。
まだ従兄弟が数を数えているのが聞こえる。他の従兄弟も見ていない。隠れるなら今だ。私は慎重に扉を閉めてからキチンとつっかえ棒が作用しているのを確認し、襖に耳を近付けて外の様子を伺った。
しばらくして、数を数え終わったらしい従兄弟の足音が聞こえて来た。私の名前を呼びながら探し回っている。まさか私が開かずの間に隠れている何て夢にも思わない筈だ。私は足音が通り過ぎるのを確認してから、気になっていたドレッサーに近づいた。
三面鏡のドレッサーは閉じられた状態になっていた。引き出しを全て開けてみたが中身は無い。座面が開いて箱となっている椅子の中にも何も入っていなかった。
「つまんないの」
てっきり何か出てくるのではと期待していたのだが、特に何も無い。私は椅子に腰掛け閉じられた鏡に手を掛けた。
三面鏡を開き中を覗き込む。当然だが、正面には自分の顔左右を見ると、合わせ鏡になって自分が複数居るように映るのが面白い。右を見たり左を見たり、鏡の角度を変えて遊んでいた時だった。覗き込んだ奥の方に映った私の顔が歪んだような気がした。私は目を擦ってもう一度確認する。そこに映っているのは間違いなく私だ。歪んだ顔などしていない。気のせいだったのだろうか。不思議に思いながら正面に向くと、左右に映る自分の顔が歪んだ。
「え!?」
私は思わず声を出してしまう。左右の鏡を確認すると、やはり歪んだ顔が写っていた。私は正面を見ていた筈なのに、正面の鏡もと左右の鏡も全部が私が正面を向いた姿で映っている。合わせ鏡なのに、合わせた姿が映っていない。
「ど、どういうこと……?」
左右の鏡に映った顔は歪み続け私では無い誰かを写した。左の鏡にはまだ若い…2歳児位だろうか、赤ん坊とも呼べそうな幼い子どもの顔に変わる。
右の鏡には自分よりかなり歳上だ。20…いや30歳位か。親戚のお姉さんと同い年位に見える。確か歳は28歳だったはずだ。
左右それぞれ違う顔がこちらを見つめている。正面には自分の顔。そしてその自分の顔も段々歪んでいく。歪んでいる…というよりは溶けているという方が正しいだろうか。
皮膚が爛れ肉が削げ骨が見え始める。目玉が溶けて落ちた。なのに表情は笑ったまま変わらない。よく見ると、左右の顔も同じ様になっていた。それぞれ笑ったまま顔が溶けていく。
私は恐怖のあまり言葉にならず、腰を抜かし椅子から落っこちてしまった。鏡に映った顔は尚溶け続けていく。
その時、息苦しい事に気がついた。息をいくら吸っても酸素が入らない。周りを見ると辺りが煙で充満していた。
「何これ!?煙がいっぱい…どうしよう。どうしよう、逃げなきゃ」
私は慌てて襖に近づき開けようとするが、つっかえ棒のせいで襖は開かない。
部屋はどんどん熱を帯び、あっという間に炎で囲まれた。湧き出るように汗が出て、暑さのせいだろうか、皮膚が痛い。全身を針で刺されているような感覚だ。
「助けて!!火事!!私ここに居るの!!お願い!!」
必死に大声を上げて助けを求めるが、周りは火事に気が付いてないのか外は静かである。それどころか、遠くから親戚達の笑い声すら聞こえてきた。
襖を叩いて声を出し続けるが、一向に助けは来ない。部屋は真っ赤に燃え上がり煙で充満していく。
「確か火事の時は姿勢を低くするって言ってた……」
小学校の防災訓練を思い出し、床にしゃがみポケットのハンカチを口に当てた。大分煙を吸ってしまい、もう息が出来ない。
「苦しい……。なんで誰も助けに来てくれないの………」
朦朧とする意識の中鏡に映っているのは燃え盛る部屋と、苦しみながら悶える3人の顔だった。真ん中に映る私も、既に私では無い何かだ。
何故こんな事になってしまったのだろう。興味範囲でこの部屋に入ったのが悪かった。ちょっとした出来心と、対抗心だった。祖母が頑なに開けないこの部屋に何を隠しているのか、歳上だからと何をやっても勝てない従兄弟を悔しがらせたかった。それだけの事で、私は今死んでしまうのか。そう思うと、次第に涙が溢れてきた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。謝ります、神様。助けて下さい。もうしませんから…許して下さい」
泣きじゃくりながら、私は必死に謝り続けた。助けが来ないのは私が悪い子だからだ。ちゃんと謝れば神様は許してくれると、祖母は言っていた。私は手を合わせて、謝り続けた。
「その心を忘れてはいけないよ」
後ろから声が聞こえた気がした。部屋には私1人だけのはずだ。振り向いてみるが、あるのは日本人形と掛け軸だけ。
「今のは……?」
その瞬間急に息が出来るようになり、辺りの炎は消えていた。暑かった部屋も涼しく、掻いていたはずの汗もひいている。一体何があったのだろうか。
恐る恐る三面鏡に近付くが、そこには私の姿が映るだけだった。私はそっと鏡を閉じる。その時、襖が開いた。血相を変えた祖母が飛んで入ってくる。
「ここには入っちゃダメって言ったでしょ!」
普段温厚な祖母の強い怒鳴り声と、部屋から出られた安心感で、私は再び泣きながら「ごめんなさい。もうしません」と繰り返し謝った。後にも先にも、祖母があんなに大きな声を出したのはその時だけだった。
私にとってあの部屋に居た時間はかなり長く感じたが、実際は10分程度だったらしい。一通り見たのに私だけ見つから無い。親戚たちに確認するが、場所を知らないという。
好奇心旺盛な私がこの部屋の事が気になっていたのは周知の事だった為、この部屋に居るのではと開けてみたところ、案の定隠れていたという訳だ。
散々叩いた襖の音も叫んだ声も誰も聞いていないらしい。私はあの時間一体何処に居たのだろうか。確かに開かずの間に居て、助けを求め続けていたはずなのに…。
後にわかった事だがこの家は戦時中に焼け落ちた所に建て直した物らしい。その家には病気がちで部屋に閉じこもって居た30過ぎの女性が居た。女性には2歳になる娘が居たが、体が弱く2人で部屋で過ごす事が多かったらしい。
戦時中、家が火事になりその女性と子供は逃げ遅れ命を落としてしまった。その時、唯一焼け残っていたのがこの三面鏡だ。酷い火事の中、女性は三面鏡の下に潜る様な姿で見つかったらしい。腕には小さい我が子を抱えた姿で。
三面鏡に映った溶ける顔は、その女性と子どもだったのでは無いだろうか。そして真ん中に映った私は、同じ目に合わせて苦しませる為だったのだろうか。
あの日聞こえ声は日本人形の物だったのかは定かでは無い。祖母は「あの子はおばあちゃんのお母さんから貰った大事なお人形さんでね、おばあちゃんのお守りだよ。あんたの事も守ってくれたんだね」と言っていた。祖母はあの三面鏡の事を知っていて、守り神の日本人形に見張らせていたのだろうか。結局詳しい事は言わないまま亡くなってしまったので詳細はわからない。
その後あの家は火事に遭い全焼した。聞くと発火の原因は開かずの間では無いかと言っていた。一番焼け方が酷かったらしい。
しかし、中庭に面して閉じられた部屋。コンセントの類もない部屋からどうして発火したのかは今も謎のままだ。
火事によりあの三面鏡も日本人形も燃えてしまったが、幸い祖母は留守にしていた為無事だった。やはり祖母を守ってくれたのだろうか。
祖母はその後数年元気に過ごした後、老衰で亡くなった。
祖母の家があった場所は火事の後新しい家が建ち別の人が住んでいる。その後あの場所がどうなったか私は知らない。
出来る事ならあの火事で燃えた三面鏡と共に、成仏していて欲しいと願うばかりだ。
#三面鏡【鏡】
8/18/2023, 8:11:25 PM