徒然

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8/13/2023, 6:12:47 AM

元気の出る音楽というのは、誰にだってあるだろう。
僕にとってのそれは、君の奏でる音楽だ。
そう聞くと、さぞ素敵な音を出すのだと思われるかもしれない。
高い演奏力か、表現力か、はたまた人を惹きつける才能か……要因は沢山あるだろう。でも、それはあくまで一般論であり、君の奏でる音楽の説明にはなっていない。
そうだと思わないか?

「……はぁ。ちょっと何言ってるかわかんない」
「なんでわかんないんだよ」

夕方の音楽室。
壁に寄りかかりながら座る君に僕の熱弁が全く伝わっていなくて悲しくなってくる。

「とりあえず、その富澤ムーブで返事するの辞めようか」
「いやいや、今のはまじで何言ってるかわかんなかったやつだからね?いつでもサンドを挟んでくると思うなよ」
「いつもまずそれで返事するだろうが…」

″サンド″というのはコイツの好きな芸人の名前。好き過ぎてやたらとネタを挟んで来るので、俺もいつしかツッコミが当たり前になってしまった。

「大体なんなんだよ。『君の奏でる音楽〜』とか、「僕は〜』とか。お前そんなキャラじゃ無いだろ」
「雰囲気あって良いだろ?夕暮れが綺麗な音楽室に親友が2人…。好きな音楽について語り合う構図は画になるからな。こかは、君と僕を使う事で優し気な雰囲気を醸しているわけで…」

続ける俺の説明など興味が無いようで、窓の外を見ながら大あくびをしている。聞く気がないなら最初から尋ねないで貰いたいものだ。

「文芸部員の考え方はロマンチック過ぎてようわからん」
「うるせ。お前こそ軽音部の練習は良いのかよ」
「言っただろー。今活動休止中。メンバー揉めてんだよ、文化祭もあんのにどうする気なんだか」
「他人事だな。お前もメンバーだろ?」

そう尋ねると心底面倒そうな顔をしてこちらを振り向いた。

「お前にはわからねぇよ。あいつら毎日のようにケンカしてるんだぜ?解散すんにもメンバー足りないからバンドが組めなくなるし、毎日毎日俺は蚊帳の外であいつらのケンカ眺めてるだけって…頭痛くなるわ」
「それは…ご愁傷様な事で」

天を仰ぎ大きなため息を吐いているコイツが少し可哀想にも思えるが、コイツの場合他人に興味が無いので本当は揉めていようがどうでも良いんだろう。ただ、純粋に音楽が好きで音楽さえ出来ればきっとそれで満足なのだ。
メンバーが揉めようと、ライブが出来れば良いのだろうが、それは果たして良い音楽なのだろうか。

「仲直りさせてやれば?お前蚊帳の外なら仲取り持ってやれば良いじゃん」

そう提案する俺に対しコイツは、心底嫌という事がわかる程に表情が歪む。普段無表情な癖してこういう時だけは豊かに変わるから面白い。

「えぇーーーやだよ。絶対に嫌。俺無理そういうの。つか実際どうだって良いし。俺はライブさえ出来ればそれで満足なんだよ」

思った通り。コイツは自分の音楽さえ出来れば良いのだ。
前に『バンドマンなんてのは自己中の集まりだ』などと言っていた。そして『うちのメンバーはそれが顕著に現れているから纏まりが無いんだよ。オレは違うけど』などと言っていたが、コイツも大概である。
結局自分が良ければそれでいいのだ。自分のやりたい音楽が出来るなら、それで満足。だから深く干渉する事もせず、ただ外から傍観するだけ。

「でも今のままじゃライブ出来ないんじゃねーの?」
「まぁな。でも、いっなんだかんだライブまでには仲直りするからどうにかなるだろ」
「そう言って、この前のライブは全然纏まってなくて悲惨だったろ」
「オレは上手かったから良い」
「お前が上手くたって、バンドとして悲惨だったら意味ないだろ…。バンドなんだから、ソロじゃ無いんだぞ」

その言葉が癪に障ったのか、いきなり立ち上がって大声を出した。

「んな事わかってるよ!」

思わず出てしまった声量に、本人すらもびっくりしてる。しかし勢いは止まらず、とめどなく言葉が溢れてきた。

「オレだって良い演奏がしたいさ!バンドとして!個人じゃない。メンバーで一つの良い物を作りたいよ…。作りてぇよ。だってバンドなんだぜ?5人で一つの音楽を作らないと何の意味もねぇなんて、お前に言われなくたってわかってんだよ!」

はぁ、はぁ、はぁ。
肩で息をしながら滲み出る涙を目に溜めている。

何て声を掛けようかと迷っていると、音楽室の扉が開いた。





「あれ?1人?大きな声が聞こえたから、てっきり誰かと話してるのかと思ったんだけど…」

扉を開け様子を見に来たらしいクラスメイトが音楽室の中見回す。
ジャージを着ている所を見ると、こいつも部活で学校に来ていたのだろう。

「あ、あぁ。悪い。電話してた」

オレは慌てて窓際に置いていたスマホを手に取り見せた。

「なんだ、そうだったの。また1人で何か喋ってるのかと…声、廊下まで響いてたから」
「大丈夫だって、もう1人で喋るなんてしないから。悪いな、気をつけるよ」
「…ま、何かあったら言ってよ」
「ん。ありがと」

扉が閉まり去った事を確認して、オレはまた椅子に座ってため息をついた。
お前はオレの顔を心配そうに見つめている。

「…悪い。言い過ぎた」
「俺の方こそ何も考えずに…言ってごめん」
「お前は悪くない。悪いのはオレだ。お前に八つ当たりしたんだ。バンド内での揉め事もオレが間に入れば良いのは本当だ。蚊帳の外なんて言って、本当は諦めていただけなんだよ。オレは…オレだけが、まだあの日から立ち直れて無いんだ」

オレの言葉にお前は申し訳無さそうな表情を浮かべた。

「お前のせいじゃ無い。お前は何にも悪くねぇよ。オレがまだ向き合えてないだけなんだ」

お前の手を握ろうとした手は空を掴む。やっぱり触れないみたいだ。先程乾いたはずの涙が、また溢れてきそうだった。

「ごめん…。俺があの時ちゃんと周りを見ていたらこんな事には…」
「別にお前のせいじゃないだろ。悪いのは全部、あの時飲酒運転してたおっさんだ。オレはアイツだけは絶対に許さねぇ…」

つい語尾に力が籠る。今でもあの日の映像が脳裏から離れない。
オレと別れた直後だった。横断歩道を渡るお前を見送り手を振っている所に、飲酒運転の車が突っ込んできた。
運転手は無事。しかしコイツは打ち所が悪く、その後病院で息を引き取った。

お盆は、地獄の釜が開いて死者の魂が帰ってくる日らしい。お前はオレを心配して、地獄からオレの所に来てくれたんだな。自分の家にも帰れた筈なのに、真っ先にオレの所に来てくれた。
それが嬉しくて、情け無くて、オレは死して尚お前に心配を掛けているのだと思うと自分に腹が立つ。
オレは変わりたかった。向き合いたかった。お前の居ない事実にずっと目を瞑って居たが、それももう今日で終わりにしよう。

「なぁ、聴いてくれるか?」
「いいよ」

お前は「何が?」と訊く事もなく、いつも即答してくれるな。どんな時でもオレの話を聞いてくれた。ただ側で頷くだけのその時間が、オレは好きだった。
オレを親友だと言ってくれた。オレも親友だと思っていたさ。いつも恥ずかしくて、照れ臭くて言えなかった事沢山あったんだ。居なくなって気づくなんて遅いと思われるだろうが、オレはには沢山あったんだ。明日も、明後日も、当たり前にお前に会って話が出来ると思っていたから伝えられない日が来ないと思って無かったから。

オレはケースを開けてギターを取り出す。アンプに繋ぎストラップを掛け、弾く準備をしてお前の方に向き直った。

「オレはこういうの苦手だから。自分の感情とか伝えるの苦手で曲にしたんだ。歌詞はいつもお前に書いて貰ってたし、自分で一から書くのは始めてで上手く伝わるかわかんねぇけど…。お前が居なくなって、どう向き合えば良いかわからなくて…でもオレにはこれしか無かったから」
「うん…わかってる…」
「オレは、もうお前に心配掛けたく無い。お前が安心して帰れるように、聴いて欲しい」

深呼吸をして、ギターを奏でる。ベースもドラムの音も無い。ギターの音だけじゃ寂しいけど、今はこれが精一杯だ。だけどお前に伝えるのはオレの音だけで良い。
オレはお前の書く詩が好きだった。お前の詩に曲を付けるのが楽しかった。お前とバカやって、笑って、ケンカした日々すらも愛おしいんだ。

先に死にやがって、バカやろう。まだあのマンガ返して無いんだぞ。大好きなバンドのライブ、また一緒に行こうって約束しただろ。お前の好きなアイスの新作出てたんだぜ、オレはやっぱり好きじゃ無かったわ。お前の味覚がわかんねぇよ。
オレはお前と修学旅行行きたかった。大学同じ所行こうって言ったじゃねぇか。社会人になったらどうするって、とんでもない未来予想図描いてたのに、お前が居なくなってしまったら何にもならねぇだろ。

あぁ、居なくなってしまったんだな。隣に居たお前の姿毎日探しているよ。
教室の机が、とうとう無くなってしまったんだ。名簿からお前の名前は消えたし、お前の居た証が少しずつ消えていくのが堪らなく嫌だった。
だから、今こうして目の前に居るお前だって本当はオレにだけ見えて居る幻覚なんじゃ無いかと思ってんだぜ。
幽霊なんて信じてなかったけどよ、今は、今だけはその存在に賭けたいんだ。
幻覚なんかじゃ無い。お前が目の前に居るって事実を。


曲は最後のサビを終え、アウトロに差し掛かる。
いつの間にか溢れ出ていた涙が頬をつたり、手元にまで落ちてくる。視界がボヤける。気のせいかお前の存在までボヤけてるみたいだ。
オレは拭えない涙で視界が曇らないよう、精一杯目を開く。

足先から消えかかるお前の姿に、まだ行かないでくれという気持ちと、安心して帰って欲しいという気持ちがせめぎ合っている。

夕陽が沈み掛けて居る。もう時期夜だ。そこかしこで焚かれた煙の匂いが風に乗って教室に漂う。
迎えが来たのだ。時間なのだ。もう少し、もう少しだけで良い。最後にお前に…。

最後のギターを掻き鳴らした時には、もう見えなくなっていた。

ボヤける視界で最後に見たのは、大粒の涙を流しながら笑うお前の顔だった。
逝ってしまったのだろうか。最後まで音は届いただろうか。オレの気持ちは、想いは届いただろうか。

「ありがとう、親友」

耳元で囁かれた言葉に思わず振り返る。しかしそこには誰も居なかった。
気のせいか、それとも…。

「ありがとよ、親友。お前の事は一生忘れねぇよ」

窓の外、落ちた夕陽の気配が残る青黒い空に呟いた。
そよ風がカーテンを捲る。お前の笑い声が聞こえたような気がした。


#親友へ 【君の奏でる音楽】

8/12/2023, 6:00:44 AM

今年も暑い夏が来た。
8月の容赦なく降り注ぐ陽射しに文句を言いながら歩き続け辿り着くのはいつもの向日葵畑だ。
今日も居るはずの無い君の姿を探す。
この大きな向日葵の陰に隠れた君が顔を出すのではないかと。

広いツバの麦わら帽子を被った君が悪戯っぽく笑って、僕の名前を呼んでくれる。
大きな瞳が真っ直ぐこちらを見つめている。
「こっち来てよ」と白く華奢な手が僕の手を引く。先の見えない向日葵畑を突き進む。
そして高台まで抜け階段を上り、僕をまた置いていく。

「私を探して」

そう言って君は向日葵畑に消えた。


今日も僕は1人向日葵畑を抜け高台に登る。
向日葵畑の中に埋もれた麦わら帽子を探す。
一際眩しい笑顔を放つ一輪のひまわりを。
君の影を追っている。記憶の底の君の姿を。


蝉の声だけが頭に響く。
夏の陽射しが僕を差し続ける。


#夏の影【麦わら帽子】

8/10/2023, 10:17:12 PM

「きさらぎ駅って知ってる?」
 近くに座っている女子高生が何やら楽しそうに会話するのが聞こえてきた。
 懐かしい響きだ。確かそんな都市伝説が流行っていたっけ。電車を乗り過ごして気付くと知らない駅に着いていて、そこには「きさらぎ駅」と書かれていた――とかそんな話だった気がする。行った人は戻れないんだっけ。だとしたら、誰がそれを掲示板に載せたんだって話だ。
 そういえば、最近その都市伝説を元にした同名の映画が動画サイトに上がっていたのを見た。あれはあのサイトオリジナルの作品だったんだろうか。ホラー映画は好きだが観るのはいつも洋画ばかり。邦画となると、ホラーでも、貞子とか伽耶子とか有名どころの作品しかわからない。そういえば、貞子と伽耶子が戦う映画もあったよな…。予告を見た位だけど、電車にも乗っていた気がする。そのうち貞子と伽耶子がきさらぎ駅に行って恐怖の三つ巴になる作品とか出たりして……。
 1人でそんな妄想続けながら電車は一駅、また一駅と進んでいく。鈍行列車の帰宅ラッシュど真ん中。当駅発に乗ったので座れてこそいるが、電車の中の人口密度は考えたく無い。空調も効かず汗と脂と香水と柔軟剤と…この時期なら制汗剤という可能性もありそうだ。とにかく色んなものが混じった嫌な臭いが車内に充満していた。
 とはいえ乗り始めて10駅近く乗っている。もうむわっとするその臭いを感じられない程に鼻が慣れてしまっていた。
 満員電車の鈍行に乗り始発から終点まで2時間の電車通勤り今日も高生生の話に耳を傾けてはそこから妄想を広げていく。これが私の通勤時間の楽しみである。スマホを見るのも本を読むのも悪く無いが、2時間の間沿線沿いに多数ある学校の高校生が乗り降りする電車で会話を盗み聞きするのは面白い。
 高校生というのは、やはり時代の最先端をいっている。というのが私の持論である。いつの時代でも、流行の最先端は高校生だ。自分もそうだった。今でこそしがないOLで、髪も暗い茶色にオフィスカジュアルな洋服、黒いバッグなんて面白みの無い格好をしているが、高校生の時はそれは派手だった。
 きさらぎ駅の噂が流行った2000年代。聞くところによると最近はその時代のファッションが再ブームきているらしい。そんなのもあってさっきの女子高生もきさらぎ駅の話をしていたのだろうか。
 言われてみると、最近の若い子を見ていると自分の時代に流行ったものを身に付けている事が多いと思う。
 レッグウォーマーにアームウォーマー、厚底の靴やミニスカ、ヘソ出しスタイル。昔と全く同じでは無いがらあの頃のファッションを更にパワーアップさせたような出立に懐かしさを感じるのは確かだ。
 やっぱり自分達が着ていた頃のファッションに近いものを見ると可愛いと思う反面、再ブームと呼ばれる程時が経ってしまったのだと実感する。
 それもそのはずだ。ブームは大抵10年周期らしいじゃ無いか。40代を間近に控え、高校生だった頃など20年近く前の話である。流行りが戻ってきてもおかしくない程には歳をとってしまったのだ。
 しばらくしたらスマホをデコったり、バッグに大量のキーホルダーが付くのだろうか。付けまつ毛を重ね付けし長い付け爪をデコったギャルや、真っ黒く焼いて髪や服を盛るヤマンバギャルなんかが、パワーアップして戻ってくるのだろうか。そもそもギャル自体最近じゃ絶滅危惧種だと思う。そういえば、森ガールなんてのも流行ったっけ。
 森ガールもパワーアップしたら面白いな。しかしギャルも森ガールもあれはもうあの時代だけのものなのだろう。なんとなくだが、そんな気がする。
 どれだけ流行が周ろうと、その時代を象徴するものっていうのは、ずっとその時代だけに残ってしまっているものだ。受け継がれる事がないからこそ、象徴と呼ばれるのであろう。
 と、そんな妄想を繰り広げていたら、いつの間にあの女子高生達は居なくなっている。きさらぎ駅の話を、もう少し聞きたかったな。惜しい事をした気がする。話をしている女子高生に直接聞く訳にもいかないが、懐かし名前がまた流行ってるのだとしたらなんとなく嬉しい気持ちになるものだ。それが例え都市伝説だとしても。
 そういえば都市伝説という存在自体最近では聞かないなと、ふと思った。昔は、それはもう都市伝説が流行っていた。テレビでもよく取り上げられていたし友達ともその話題で盛り上がっていたっけ。そうか、それももう昔になってしまったのだな。そう思うと少し寂しい気持ちにすらなる。
 10年一昔と言うなら、私の青春はふた昔も前になってしまう。流行りが戻ってきたと言われ、あの頃の思い出が懐かしいものとして語り継がれる事も無くなってしまう。寂しいな、これが歳をとるということ…つまりは人生の終点に向かうという事なのだろう。うん。上手い事を言った気がする。
 頭の中で誇らし気な気分になっていると、車内アナウンスが流れた。
「まもなく終点〜終点○○でございます。お降りのお客様は〜……」
 タイミングが良い。本当に終点が来てしまった。いつもより早い気もするが、楽しい事を考えているとそんなものだろう。
 速度を落とす電車。私は抱えていた荷物を手に持ち、ドアの方を見つめる。そういえば今日はやたらと外が暗い気がするな。気の所為だろうか。天気予報では晴れだったと思うのだが…まだそこまで暗くなる程遅く無かった筈だ。
 スマホで天気予報を確認しようと思うと圏外になっている。おかしいと思い顔を上げると車内には自分以外居なかった。
「おっと……?これはどういう事だ……?」
 電車が止まり、ドアが開く。さっきまでは確かに、車内に人が居たし、最寄りの駅に向かっていた筈なのだが何処で間違えたのだろう。
 車内の電気がチカチカと点滅する。早く降りろという事だろうか。この展開は予想していなかった。
 私は立ち上がり、恐る恐る駅へと降り立つ。私が降りたのを確認したかの様に電車は扉を閉じ、また何処かへ向かって走り去ってしまった。ここは終点、奥に線路は無いはずなのに、繋がっている線路の奥は暗闇で何も見えない。
 見慣れない風景に古びたコンクリートの駅。チカチカと点滅する街頭が青白い光でその看板をやけにはっきりと映し出していた。
『きさらぎ駅』と。


【きさらぎ駅】 #終点

8/9/2023, 7:48:55 PM


その日は酷く暑い日だった。
木陰で川に足を入れ涼んでみても、川の水は冷たく無い。
なんて事ない雑談だったと思う。今でもあの時の会話の内容を細かく思い出せないんだ。

「上手くいかなくたって良いだろ。やってみる事に意味があるんだから」

これは君の口癖。
僕は皮肉屋だから、そんな事言われたって上手くいくことに越した事は無いだろうと思っていた。

「やってみて失敗するより、成功した方が良いだろ」
「ははっ、確かにな」
少し歯並びの悪い白い歯が焼けた肌によく映えている。続ける言葉は、やっぱり綺麗ごとだ。
「でも、上手くいかないといけないって思うより、失敗しても大丈夫だと思う方が気持ちは楽だろ?」
「どうだかな。俺からしたら、失敗しても良いなんて甘い考えだよ」
「そうかぁ?…そうかもな。お前は、強いんだな」
「何が」
「俺にはそんな考え方出来ねぇよ。俺は成功を望める程強く無いんだ。だから、失敗を正当化してる。本当はそれだけの事なんだよ」
いつも眩しい笑顔も、その時だけは曇って見えた。君の中の影が落ちてきたような。いつもの笑顔の上に影が確かに波紋を広げていたんだ。
俺は上手い事も言えず「なんだそれ」と、ぶっきらぼうに返す事しか出来なかった。
あれは、君の弱さで僕の後悔だ。



夏の甲子園。高校球児が一度は夢見るあの舞台。
予選の決勝グラウンドは、9回の裏1点差の満塁フルカウント。
相手が抑えるか、君が打つか。全ては4番の君の肩に掛かっていた。
最後の夏、やっとここまできた。チームが、全校生徒が、あと1点を、その打撃を待ち望んでいた。
ピッチャーが投げ君が打つ。外角ストレートを君はしっかり捉えた。
高く上がる打球は弧を描き、レフト方向へと逸れる。3塁ランナーが走りホームイン。全員が打球の行方を目で追う。
レフトの守備が全力で走る。球が落ちてくる。

落ちてくる。

落ちてくる。

落ちてくる。



帽子を脱ぎすて、走るレフト。
ピッチャーはマウンドに崩れ落ち、キャッチーと内野手が駆け寄ってくる。外野手はレフトに駆け寄り抱きついた。
その顔は、歓喜の涙で溢れていた。

君は、俺たちは、負けた。



あの夏の日が終わり、新学期が始まった。
まだ汗ばむ陽気が続いているというのに、教室の中は冷たく感じた。
君の机には小さな花束が添えられていた。

あの夏が終わってから1週間と少し。陽射しで温くなった川の下流で、君は見つかった。
焼けた黒い肌は更に黒々と、膨れ上がった顔に少し並びの悪い白い歯だけが行儀良く置かれているようで。俺はその姿を直視出来なかった。

夏休み中に行われた通夜と葬式は、学校の半数の生徒が来る程だった。君の人望が伺える。これが俺なら、身内だけで済ませているところだ。
学校中の人気者。人望が熱く、明るく平等に優しい強豪校の4番バッターでキャプテン。絵に描いたような良い男だった。
惜しい人を亡くしてしまったと、参列者は口を揃えて言っていた。

『事故死』だった。川に遊びに行った際、誤って溺れ流されてしまったと後になり聞いた。俺は胸を撫で下ろした。
真実を知っているのは、俺だけで良い。



蝉の声が煩い暑い日だった。
君の部屋に入ると机の上に1枚の封筒、中身は『遺書』だった。
そこに書かれた懺悔を俺は読み、そしてポケットにしまった。


『前略……勝てなくてごめんなさい。打てなくてごめんなさい。あの時、俺が失敗しなければ。俺がちゃんと打てていたら、甲子園に行けていのに。失敗してごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。……後略』



「上手くいかなくたって良いじゃないか」
君の口癖を呟いてみる。
上手く事なんて、何も悪い事じゃないさ。人生そんな事ばかりだろ。
確かに甲子園に行けなかった事は残念だけど、誰も君を責めたりはして無かった。君と夏を過ごせた事こそが、何よりも大事な経験になったから。俺はそれで、それだけで満足だったんだ。

「失敗したって…上手くいかなくたって、良いんじゃなかったのかよ」

君の口癖は、みんなを救っていた。だからこそ決勝の舞台にまで俺たちは進めたんだ。
失敗する事を恐れずに受け入れる強さ。少なくとも、俺たちチームメイトは、君のその言葉に救われ続けていた。
だけど君は、君自身は、その言葉で自分を救う事が出来なかったんだな。
君は「失敗の正当化」と言った。あの時、俺は君になんて返していたら良かったのだろう。

まだ蒸し暑い空気と夏の陽射しが肌を灼く。温い川に足を入れ、木陰で空を仰ぐ。
隣に君はもう居ない。僕は皮肉屋だから、いつも君の綺麗事を否定していたよ。
だから、また君の言葉を否定しよう。
「君が失敗を悔やむなら、俺はその言葉を否定してやる。上手くいかなくたって良いじゃないか。やってみる事に意味があるんだから」

ひぐらしが煩く鳴いている。
青い空が少しだけ、霞んで見えた。


【皮肉屋な僕の夏休み】 #上手くいかなくたっていい